127話 レンジャーの生き様
エスドエムの優れた指揮能力によって、戦局は立て直したかのように思われた。
しかし、それが薄氷の上を踏むような状況であるか知っていたのは、トレーナ・クティオただ一人だけだった。
(トンペチーノのHPはまるで減っていない…)
魔眼を発動させていたトレーナには、生命力の量が数値として見えていた。
ひたすら攻撃を加えていた。しかし、あのエスドエムの魔法の直撃ですら、2桁のダメージを与えられるか与えられないかだ。
絶望的だ。こんなの蟻が象に挑むようなものだ。
それを口にしようとしたところ、エスドエムの心の声が[言うな]と止める。
そのカラクリについては難しいものではない。魔族ならばよく使う手段で、トンペチーノは魔力…MPを使って、全ての攻撃を受け止めているのである。
証拠にトンペチーノの魔力はだいぶ減っているが、それでも最大値8,580が7,200になったところだ。
対して、戦闘の要となっているエスドエムの魔力は最大値1,500を半分以上下回り、今や700を切らんとしている。
その値ですら、トレーナやウィルテよりも倍も開きがあったが、ことオークキングを相手にしてみればドングリの背比べもいいところだ。
(とてもじゃないけど勝ち目はない…なら、こっちの攻撃が通っている今こそ逃げ道を探して…)
幸いマイザーたちの回復は済んだ。全力で走るには至らないが、それでも分散して逃げることもできるだろう。
“数人犠牲になれば”、運がよければ…それも強運の持ち主であれば逃げられる可能性は0ではない。少なくともここで“確実に殺される”よりは生き延びるチャンスがある。
そう考えた瞬間、エスドエムの眼がギロッとトレーナを捉えた。その死を覚悟している男の眼を見て、彼女は背筋を凍らせる。
そして、気づく。
なぜかマイザー、ダルハイド、シェイミは後方で唇を噛んで待機している。“彼らも前線で戦える戦力”のはずだ。
いま前線を維持しているのは、エスドエムが中心となり、レディーとローストの2人だけだ。これは正直戦力不足と言うしかない。そんな中で、前線が少しでも増えれば楽になるんじゃないかとトレーナは思った。
しかし、ようやくのことでトレーナは察した。マイザーたちにはエスドエムが『待て』をしているのだということに……
そして“その時”は来た。
トンペチーノは馬鹿のひとつ覚えで単調な攻撃を繰り返し続けていた。
普通に考えれば、遠近だけでなく範囲攻撃という手段もあるので、オークキングは単騎でも制圧能力に長けているはずだった。
これらの技を緩急織り交ぜて使うだけで相手にプレッシャーを与えられるはずなのに、まったくそれらを無駄に費やしては翻弄され続ける。
これは彼が生来からの馬鹿だったことに付け加え、ウザい攻撃を受け続けて頭に血がよぼったことで、余計に動きがワンパターン化し、【悪臭爆弾】で自爆を繰り返した。
エスドエムからすれば、“攻略パターンを見つけた”もしくは“型に嵌まった”と言いたいところだろう。
しかしそう簡単にはいかない。ギリギリの状態で戦っている人間のすることだ。当然、想定していないミスも生じる。
「クッ! しまった!」
ローストが足を滑らせる。それはトンペチーノが先程から撒き散らしていた脂汗がその辺に飛び散っていたせいだ。
「ブヒヒィ! バカめ!!」
勝機を察したトンペチーノはニヤリと笑い、ここぞとばかりに拳を振るった!
一撃死。
ローストはそれを覚悟し、頭を庇い眼をつむる。
しかしダメージは来ない。
それはなぜかと、ローストが眼をうっすら開くと……
「き、キサマァ!」
「ぬううんッ!」
エスドエムは自身を盾にして、ローストを庇ったのだ。
どう見てもダメージは深刻であり、エスドエムは眼や鼻から血を滴らせる。
「え、エスドエム…お前は…」
「町の住民は誰も傷つけさせん! 我輩がそれを許さん!! それはチチンガーの大将軍であっても変わらーん!!」
ローストは眼を見開く。誤解からとはいえ、敵対していた者を身を挺して庇ったことが、彼女には心底驚きであったのだ。
「ブヒヒィ! いいぞ! 真っ先に始末したかったのはムカつくオマエだ!」
トンペチーノが、エスドエムを始末しようとさらに拳を高く振り上げる。
しかし、エスドエムは【フライト】を発動して逃げる。
「と、飛んだだと!?」
トンペチーノのは、最初にエスドエムが魔法を使って飛んでいたことをすっかり忘れていた。それは彼が馬鹿だからだった。
「回復してたもれ!!」
エスドエムが声を張り上げると、待機してきたマイザーたちが慌てて回復魔法をエスドエムにと続けざまにかける。
「回復速度が間に合わん! リュション! お前もそんなところに隠れてないで、我輩を助けたまへ!! 助けたまへ!!」
「は、はひぃ! すみまてぇん! た、ただいま!」
瓦礫の後ろに隠れて見ていたリュションが飛び出てきて回復魔法を使い出す。
「アンタ…」
“なに隠れてたのよ”と言おうとしたトレーナは言い止めた。
リュションは鼻水やら涙やらでグチャグチャになった顔で憔悴しており、それは明らかに魔力の使いすぎによるものに思われたからだ。
「イダダッ! リュション! レスラーに肩揉みされてるみたいだぞ! もっと優しく! 思いやりをもって!」
「すみませぇーーん!」
「よーし、回復はもういい! 皆の衆、下がれ! 次の我輩のダメージに備えろ!」
「し、しかし、エスドエム。このままではキサンが死んでしまうぞい!」
「黙れ! ハイ・トロルのダルハイド! 貴様はそんなデカい図体して、そんな弱気だったから命を脅かされて我輩に助けられたんだろうが!!」
自分の名前を呼ばれたことに、ダルハイドはあんぐりと口を開く。まさか自分のことを覚えているとは思わなかったのだ。
「我輩がイークルなんてド田舎町からやって来たレンジャーのことを調べないと思ったら大間違いだ! 貴様らを温存しているのは、マイザー・チームが回復特化していると知ってるからだ! つまりこれは自分の命より、我輩の命を優先しろということだ!!」
「お前…まさか…」
マイザーは信じられないものを見るかのように、エスドエムを見やる。
「だから恐れるな! ダメージはすべて我輩が引き受ける!」
レディーやロースト、それにその場にいる全員を指差す。
「だから安心して失敗しろ! 貴様らのミスは全部我輩が被ってやる!」
ニッコリと笑うエスドエムはまさに上司の鑑のように見えた。
「続け! 攻撃の手を止めるな! その腐れ豚にダメージを与えることだけを考えるのだ!!」
ここにきて、エスドエムがなにをしようとしていたのか全員が悟った。
特にマイザー・チームには、痛いほどによく理解できた。
一撃死しないHPを持つ唯一のエスドエムが攻撃を耐え続け、回復を優先することで持たせた上、微々たるダメージでも敵に重ね与えて倒し切る…まさにマイザー・チームが得意とする戦法そのものだったからだ。
しかし、それはマイザーたち“チームでダメージを分散”してるからこそ可能になることだ。それを魔王クラスの魔物を相手にたった独りで行うなどとは無謀としか言いようがない。
エスドエムのダメージを受けたHPの残りが、ギリ2桁であることを知っているトレーナはよりそれを強く感じる。
「無茶苦茶よ…そんなの…やれっこないわ…」
「無茶苦茶は百も承知! 可能性がどんなに低くとも、それに賭けるのが危険を生業とするレンジャーというものなのだ!!」
エスドエムはそう叫んだ後、「ん?」と眉を揺らす。
「乳毛の先ほどの可能性しかなくとも、それに賭けるのがレンジャーというものなのだ!!」
わざわざ言い直したことで格好いい台詞が台無しになった。




