106話 カニ喰らう男
コルダール、ガニンガー居住区。
彼らが過ごしやすい、海辺に近い場所に彼らは居を構えていた。
海岸線では何人ものガニンガーたちが集まり、漁猟に使う投網を砂浜に拡げて補修を行っていた。
網目にこびりついた海藻や貝を丁寧に取り除き、破れた部分をこなれた手付きで器用に直していく。
「まさか、あのアシダカーがこの町にまでやってくるとは思わなかったな」
「まったくな。酒場で聞いた魔獣との戦いは手に汗を握ったぜ」
ここ最近はこの話題ばかりだった。
ガニンガーの英雄、魔獣の狩人アシダカーの噂はコルダールにまで届いており、ましてやその本人が任務の間に立ち寄り、酒場で英雄譚の一部を語ってくれたのだからして当然だ。
「おい。口だけじゃなく手も動かせ」
ローストが軽く嗜めると、喋っていた2人の男は気まずそうにし、周囲から笑いが漏れる。
「…気持ちもわからんくはないがな」
そんなフォローを入れ、ロースト本人の口元にも笑みが溢れていた。
というのも、彼自身も英雄を間近にして、内心は浮き足だっている感じがあったからだ。
「さあ、気を引き締めろ! 早く終わらせないと、明日の猟に差し支えが出るぞ!」
ローストは周囲にそう呼びかけたが、それは自分自身にも言い聞かせる意味合いの方が大きかった。
「……大将軍と英雄。戦ったらどっちが強いですかねぇ?」
若者のひとりがそんなことを漏らした。
「おい。いま早く終わらせると言ったばかりじゃ…」
「だって気になるじゃないですか!」
「そうですよ! 本当なら、ローストさんは俺たちと同じこんなつまらない作業してちゃいけない人だ!」
「つまらん作業とはなんじゃ! つまらん作業とは! ワシらの生計を立てる重要な仕事じゃぞ!」
年長の者が怒るが、萎縮しつつも若者たちは期待の混じった眼でローストを見やる。
確かにカニンガーたちを率いる大将軍であっても、平時であれば一般人と変わらない作業に従事している。
ましてやコルダールは冒険者ギルドが中心になって町を護衛しているので、有事があったとしても大将軍が戦闘指揮に立つことはない。せいぜい、ガニンガーたちの避難誘導を行う程度だろう。
血気盛んな若い者たちの中には、それらを不満に思う者は少なくなかった。
他の地方のガニンガーはコルダールのように安全に守られてはおらず、自衛することが当たり前であり、どこも例外なく戦闘訓練を行っている。
コルダールでは必要ないから…そんな風にはローストは考えはしなかった。いざという時のために、彼らに厳しい戦闘訓練は施していたのである。
(平和すぎるのも考えものだな。魔物と戦う機会でも作ってやれればいいんだが、この町の優秀なレンジャーたちが街に近づく敵はすべて掃討してしまう)
外敵がおらず、訓練と雑務の毎日に彼らのフラストレーションは溜まる一方だ。
中にはレンジャーになりたがる者もいたが、殊にコルダールはほとんどがレッドランクだ。
ギルド長エスドエムが恣意的にランクの高いレンジャーを外から集めているので、この町の人間がレンジャーを目指すのは非常に敷居が高いことなのである(仮になれたとしても待遇は最低最悪なものだろう)。
「……強さとは他者と優劣を比べるものではない」
ローストはそう言いつつ、投網の修繕の手を緩めはしない。
「……戦わねばならぬ時に戦う。そしてそうでない時にはむやみに振るわぬ。力とはそういう物だと某は思う」
この言葉で若者たちは納得してはくれないだろう。事実、彼らの表情には何か言いたげなものがあった。
ローストは、ガニ堂落のことを思い出す。
自分も若かりし頃、大将軍であった父に何度も反発したものだ。小さな集落しかなかったウルガ山を離れず、昔の古びた掟に頑迷なまでに従い通すやり方はガニンガーの未来のためにならぬと、他種族の集まるコルダールへの移住を決めたのも彼の独断だった。
(いまは理解されなくともいい。彼ら若者たちは学び成長し、ガニンガーの未来を紡いで行くことだろう。某らができるのは、それを温かく見守り道を示すことだけ…)
「大将軍…」
「ん? この答えじゃ満足できなかったか? …しかし、アシダカーとは実際に手合わせしたことはない。どちらが強いと聞かれても答えようがないんだ」
「いえ、そうではなく…」
仲間たちが一斉に通りの方を見ているのに気づき、ローストはそちらの方を見やる。
建物の間に、体格のよいボリュームある七三分けの男が立っていた。そして、こちらを凝視している。
「あれは…」
ローストもさすがに見覚えがあった。それは冒険者ギルドの長であるエスドエムだ。
「もうひとりの英雄のお出ましだ!」
「我らがアシダカーと共に、魔獣ライーを倒したという!」
若者たちがにわかに活気づく。アシダカーから、エスドエムの協力を得たという話を聞いていたのだ。
「…元パープルレンジャー」
ローストも、エスドエムの数々の偉業を知っていた。むしろこの町に居る者でそれを知らぬ者はいないだろう。
「ギルド長自ら、こんなガニンガーの区画に来るなんて珍しいのう」
年寄りが訝しそうに言うのに、ローストも心の中で同意した。
そして皆が大将軍が次に取る行動を注視する。この中でギルド長と対等に喋れるであろう人物はロースト以外に適任と思われる者がいなかったからである。
向こうから近づいてくる気配がなかったので、ローストは投網を置いて彼に近づいて行く。
「…エスドエムよ。何か用か?」
「クッチャクッチャ」
エスドエムが両手に掴んだ何かを口に入れているのを見て、ローストは眼を細める。
「? なにを食べ…うッ!」
「クッチャクッチャ」
一心不乱にエスドエムが手に持ったものを喰らっているのを見て、そしてそれがガニンガーの頭部であると知り、ローストの全身に戦慄が走った。
「ま、まさか…それは……アシダカー…?」
同族の顔を見間違えるはずもない。
それは先程も話題に出ていた英雄アシダカーの頭部だった。
外殻を割り、触手を折り、その中身を貪り食っているのだ。
「君は一体なにを……」
「……カニうま!」
涎をダラダラと流し、虚ろな眼のままエスドエムは微笑む。
「もっと…食わせろ…ブヒヒ」
ローストだけではなく、他のガニンガーたちも異変に気付く。
そして、エスドエムの後ろに、建物の影に隠れて柄の悪い連中…レンジャーたちがいることに気付いた。いずれもエスドエムと同じ様な顔をしている。
「に、逃げろ!!」
ローストの合図と共に、エスドエムとレンジャーたちは一斉に襲い掛かって来た!
──
「……そして、何度かの抵抗戦の末、命からがら某らは元の住処であるこのウルガ山にと逃げてきたのだ」
よく見ると、ローストだけでなく、他のガニンガーたちも酷く傷ついていた。
「エスドエムたちに喰われたのは兵士だけではない。戦闘のできぬ女子供を、ヤツらは容赦なく喰い殺した…」
ローストが淡々と語る話に、マイザーたちは絶句する。
「……ってことは、エスドエムの野郎は命を助けられておいて、ガニンガーたちの旨さに味をしめて襲い掛かってきたってことか?」
「それ以外の解釈があるなら教えて貰いたい」
「「最悪のクズじゃない!」」
シェイミとトレーナが声を揃えて言う。
「……信じられん。確かに人格としては褒められた人物ではないが、自身が守る町の住人をそんな理由で襲うものか」
ダルハイドが疑わしそうな眼でローストを見やる。
「某の父も同じ様なことを言った。なにかの間違いがあったのだろう…とな。しかし、なんの間違いがあるというのか。間違いだったらなにをしても赦されるというのか。事実は変わらん。死んだ子供たちは返ってはこない」
ローストが声を低くして言うのに、ガニンガーたちが殺気立つ。
「待てよ。なら、ガニンガーたちが襲ってきた理由も知らねぇってたのは…」
「知らぬ訳があるまい! 某らの抗議に対しても、あの男は『いま我輩が喋ってるでしょうが!!』と対話すらままならない! 己の非を勢いで誤魔化している!!」
つい最近にその経験をしたばかりの4人は何も言い返せなかった。
「某らの戦いには名誉と尊厳を守るためのものと言ったのはこういうことだ。他種族の子供を人質にするなど、無法者たるエスドエムと同じ愚劣な行為だ。それではコルダールに悪党が君臨していることを知らしめられん」
ローストの目的は、エスドエムやそれに従うレンジャーを糾弾することにあった。
「……これがすべてだ。それでもなお、エスドエムに従い某らと戦うか? そこに義はあるのか? よく考えてみてくれ」




