9.家族と手がかり
公爵様と奥方様、そしてフィリップ様に真実を告げる。
そう決意してから機会が設けられるまで1日とかからなかった。
緊張と恐怖で青白い顔をした私を見て何か察したのかもしれない。
話す機会を設けて欲しいと願い出ると、何故だか公爵様と奥方様はほっと安堵した様子さえ見せる。
それからすぐに4人だけで話せる場を作ってくれた。
「それで話とは何だ、フィオナ」
「お時間を取っていただきありがとうございます、公爵様。奥方様、フィリップ様」
初めて一人ひとりの目を見つめそれぞれ呼んだ私に公爵様と奥方様は目を見開かせる。
同時にそれが家族としての呼び名ではなかったことに眉尻を下げた。
途端に胸の奥の方がじりじりと嫌な締め付けをする。
自分の身体は素直なもので、もう私は自分にとってこの方々がどのような存在なのか自覚していた。
……駄目だ、私が傷つく資格などない。
そう自制しなければ歪みそうになる自分の顔。
相変わらず私は弱くて、自分のことで精いっぱいで、こんな時でさえ情けなくなる。
それでも自らの手を強く握りしめて顔を上げた。
それしか私には出来なかったのだ。
「皆様に、ずっと隠していたことがあります。私は……、わたしは、12歳の少女ではありません」
声が上擦る。
悲しいほどに言葉がもつれる。
ずっと顔を上げて一つ一つ目を見て話したいというのに、自然とそれは下の方へと下がっていく。
「私は今年で31になります。もっとも体の成長を考えれば中身は19歳のまま止まっていますが」
「……待ってくれ、フィオナ。それは一体どういう」
「生まれてすぐに力を見出され、それ以降はずっと王城の中で暮らしてきました。聖カトリナ教国、それが私の故国の名です」
「っ、フィオナ。貴女、それ、それはまさか」
「……はい、奥方様。かの国の伝承がここではどのように伝わっているのか私は知らない。けれど今も神に愛された国だと呼ばれているのならば、きっと貴方達は私が何と呼ばれていたのかご存じのはずです」
息を飲む音が2つ、空間に響いた。
公爵様と奥方様のもの。
驚くのも無理はないだろう。
どのような経緯かは分からないけれど、養女として迎え入れた娘が聖女だなどと普通は信じられない。
年齢だって噛み合わないのだから。
「聖女」
それでも決定的な答えを言ったのはフィリップ様だった。
相変わらずの強い眼光で睨みつけるように私を見つめている。
……この人は、こんな時でも変わらない。
その様が嬉しく思わず苦笑してしまう。
手はガタガタと震え、背には嫌な汗が伝っているというのに。
それでも笑みを作れる自分が何だか不思議だ。
フィリップ様のその強さが私をそうさせるのだろうと、そんなことを思う。
だから私も素直に頷くことができた。
「今から12年ほど前、国が炎に包まれたことを覚えています。国を守りたいと強く願ったことも覚えている。しかしその後の記憶が私にはありません。気付けば私は幼子に戻り、この国で貴方達の家族になっていた」
何が起きてこの状況になっているのか、私は未だに知らない。
どうしてこの国にいるのか、どうして私の身体は縮んで子供になってしまったのか。
それでも今私が言わなければいけないことくらいは分かる。
「私はずっと皆様の優しさに甘え、騙し続けてきました。本当に申し訳ございませんでした」
下げた頭は自然と深くなった。
謝罪程度でどうにかなるものではないことを知っている。
けれどそれしか方法を私は知らない。
私は何も持ち合わせていないのだ。
力も、才覚も、人間らしい感情も。
何一つ誰かに敬われるようなものを持っていない。
ただただ拒絶が怖くて、謝る立場だというのに体の震えを抑えることすらできない。
「フィオナ。……いや、ユーフィア様とお呼びした方が良いか」
耳に届いた公爵様の声に顔が上げられなかった。
ユーフィア様。
正しい呼び名のはずだ。私の名は確かにユーフィアだ。
けれど彼にそう呼ばれることが、畏まられることが、すごく苦しい。
耳を塞ぎたくなる。
「……やはり無理だな。フィオナ」
そして続いた馴染みある呼び名に弾かれるよう顔を上げた。
いつの間にか目の前で私に視線を合わせるよう膝をつく公爵様がいる。
「不敬だと言うならば、そう言ってくれ。だが私にとってお前はやっぱりフィオナだ」
「っ、公爵様」
続いて体を包むのは優しい香り。
ふわりと顔に綺麗な焦げ茶がかかる。
「フィオナ、勇気がいったでしょう。ありがとう、本当のことを話してくれて。愛しているわ」
「奥方様……ですが私、は」
バシンと頭を容赦なく叩かれるのは直後のこと。
「お前“でも”とか“しかし”とか今後一切使うな。どこまで後ろ向きなんだ、俺のしつこさも大概だがお前はそれ以上だぞ」
「……フィリップ様」
「あ? お前言ったよな、話を聞いても変わらなかったらその時は呼び名変えるって。何で今も他人行儀なんだ」
頭が飽和する。
うまく考えがまとまらない。
理解が追い付かず、ただ目を見開き固まるしかできない。
じわじわとその意味を理解するまでどれほどの時間を要しただろうか。
「……私は、フィリップ様より16も年上です」
「だから何だよ。こんな頼りないお前を姉として敬えってか? 歳など大した問題じゃないだろ、お前は俺の妹だ」
「聖女と呼ばれていましたよ?」
「聖女様と敬い跪けとでも言うか? お前を姉として扱うより難しいぞ今更」
「……何も貴方にお返しできません」
「あー、拗れてんな本当。俺はしつこいって言ってんだろうが、恨むならここに辿り着いた自分の運の悪さを恨むんだな。お前が何と言おうと俺の妹になった以上諦めろって言っただろうが」
ブハッと盛大に吹き出す音が聞こえる。
ふふ、と上品に笑う声が聞こえる。
「フィル、お前は昔から国随一の兄馬鹿だからなあ。この程度じゃ変わらんか」
「……父上、俺を馬鹿にしてますか?」
「まあ、とんでもないわよフィル。妹想いの優しい兄と褒めているのだから。フィオナには貴方の暑苦しいくらいの愛が必要だもの」
「…………母上」
……変わらない。
私が聖女だとしても、出来損ないだと知ってもなおこの方々は私を家族として受け入れてくれる。
16歳下の彼は、それでも私の兄であろうとしてくれる。
聖女を様付けで呼ぶ公爵様は、父娘として過ごした時間をそれでも尊重してくれる。
どんな私であろうとひたすらに包み込み愛していると告げてくれる母だっている。
良いのだろうか、こんな私が家族と名乗っても。
何も返せない、むしろこの経歴はこの後この方々を大いに悩ませることになるかもしれないのに。
脳裏に懐かしい故郷の光景がちらつく。
私を姉と呼んでくれた2人の顔が浮かんで、ぼやけた。
聖女様と、最後までそう私を敬い手を引いてくれた彼が何故だか私の頭の中で頷いてみせる。
それでいいのだと、思うがままに生きてみなさいと、そう言うかのように。
「お父、様」
「フィオナ……! 今なんと」
「おかあ、さま」
「フィオナ。私を母と呼んでくれるの?」
「…………お兄様」
「……なぜ俺だけ間をあける。まあ良いがな、及第点だフィオナ」
当たり前のように返される名前。
家族だけが許されたその呼び名を、誰一人として拒絶しない。
呼べば喜び包み込んでくれる……私の、家族。
「うあ、うあああああ……っ」
留めていた感情が一気に噴き出した瞬間だった。
まるで子供のような、みっともなくて大きな泣き声。
涙の流れ方も、大きく広げた口も、抑えることができない。
ああ、本当は求めていた。
私には殿下やセレナという“家族”がいたというのに。
心の奥底では、私以外に本物の家族がいる2人が本当は羨ましかったのかもしれない。
本当の家族がいないことがきっと私はずっと悲しかったのだ。
情を、愛を、優しさを、あの2人はくれたというのに。
こうなって初めて、家族というものに強烈に憧れていたのだと知る。
……ごめんなさい、殿下。
ごめんなさい、セレナ。
薄情な私を2人は失望するだろうか。
2人を家族だと思う気持ちに嘘はないのに、私は新たに出来たこの家族を諦められない。
この穏やかで温かな生活を手放したくはないと、そう思ってしまうのだ。
「フィオナ。この先のことはまた共に考えていこう」
「ええ、そうね。フィオナ、独りで背負ってはいけないわよ」
「おい聞いてるかフィオナ。お前のことだからな」
声が枯れるまで泣いて、それを背をさすりながら見守ってくれた家族。
みっともない姿を見せたというのに、嬉しそうな顔すら見せて世話を焼いてくれる大事な人達。
甘えていいのだと、頼って良いのだと、身をもって証明してくれる。
「……ひとつ、お聞きしたいことがあります」
「ん? 何だ」
「私……記憶を閉ざす前、とある魔導師様に救っていただいたのです。クレイという名の魔導師様を、ご存知ですか?」
ずっと胸にしまいこんできたことを聞くことができたのは、だからなのかもしれない。
ずっと知りたくて、けれど聞くことすら出来ずいた問いだ。
殿下とセレナのことは、本を通じて知っていた。
5年前、陛下の宣言通りに2人は婚姻を結び夫婦となったこと。
つい2、3年ほど前に第一子となる王子が生まれたこと。
王族であったがために、遠くここまでその情報を得ることができたのは有り難かった。
怪我はしていないか、ちゃんと幸せに暮らせているか、考え出せばきりはない。けれど少なからずあの争乱の中を生き抜き家庭を育んでいることは確かだ。
けれどクレイ様に関してだけは知る術だけがなかった。
殿下やセレナのように彼は国の要職ではない。
いくら上級職といえど聖カトリナ教国の魔導師は数が多い。
数百人の中の1人であった彼を殿下やセレナと同じように探すのは不可能だろう。
手がかりなどまるでない。
けれどクレイ様は確か私と共に国外へ行こうと言ってくれた。
クレイ様の故郷は私が私らしくあれる国なのだとそう言っていた。
ここは、この家族は、何となく彼の言った故郷を思わせる雰囲気がある。
「……グレイル様が父親かと思ったんだがな」
ぽつりと、お父様がこぼした。
言葉の意味を理解しかねて私の口は閉ざされたまま。
お父様とお母様は途端に苦い顔をして顔を見合わせる。
言葉を引き継いだのはお母様の方だった。
「私も貴女に色々と聞かなければいけないわね。貴女とグレイルの出会いを」
「……あの、グレイル……とは」
「貴女がクレイ様と呼んだ彼の本名よ」
グレイル。
聞き馴染みのない響きを頭で反芻させる。
お母様の言葉が本当ならば、彼はクレイという偽名を使っていたということになる。
なぜクレイ様が偽名を使っていたのか。
そして、お母様が“グレイル”と呼びお父様が“グレイル様”と彼を呼ぶその意味は。
「グレイルは私の弟、つまりこの国の王弟よ」
話の流れで王族なのではないかと勘づいてはいた。
けれど実際に言葉として聞くと反応してしまう。
脳裏に浮かぶのはクレイ様の声。
『聖女様、私は自分勝手な人間です。今までも好き勝手生きてきた。そしてそれはこれからも』
淀みなくそう言ってのけ、私を抱え上げたあの腕の感触を覚えている。
聖カトリナ教国を愚かだと言い、私を必要だと言ってくれた初めての人。
言葉遣いは丁寧で、しかし少し強引で、そして負の感情を隠すことなく私に晒した魔導師様。
私にとってクレイ様は変わり者の優しい魔導師様という印象が拭えない。
けれどそれ以上に気になったことがある。
「クレイ様……いえ、グレイル殿下は今どちらに」
そう、最後まで私に手を伸ばし続けてくれた彼の気配が感じられない。
もしお母様が、クレイ様との関係性から私を引き取ってくれたのだとすれば尚更ここにクレイ様がいないのが違和感だ。
……嫌な予感がする。
ここまで揃えば、その予感は大概当たる。
「……眠っているわ、ずっと。王城の奥深くで」
「眠って、いる……?」
「赤子の貴女を抱え倒れた姿で発見されたの。体のどこにも異常はないけれど、まるで時が止まったかのように一切の老いも見せずひたすら眠り続けているわ。12年間ずっと」
何が原因か分からない。
そう最後に付けたされたけれど、もう私も皆も気付いていた。
そして何より私の直感が告げている。
……聖女の力の影響を、受けた?
誰一人声に出さない答えが、空間を支配していた。




