8.新しい家族
ユーフィアとしての最後の記憶を私ははっきり覚えている。
燃える街並み、耳に刺さる怒号、震える手の感触まで脳に焼き付いている。
けれど、どうやら聖カトレア教国は滅びることはなかったようだ。
「この国が気になるか、フィオナ」
「……あ、その」
「隠さず良い。何が気になる? 知りたいことがあれば教えてくれ」
“お父様”は、私に対していつも丁寧に教えてくれた。
どうして教国が気になるかも言えず、笑顔すら見せられない私。
けれど新たな家族はそんな私を否定しない。
「……今、教国は栄えていますか?」
「ああ、豊かな国と聞いてるよ。神に愛された国だと世界から認められている」
「他の国と、争いは」
「……少し前にあったとは聞いている。が、今は友好な関係を築いているようだ」
「そう、ですか。教えて下さり感謝いたします」
他国の、それもここから随分と離れた大国をひたすらに知りたがる私。
“お父様”はそれを「なぜ」とは聞かず、答えをくれた。
時折悲し気に表情を曇らせ、それでも私の目を見て真実をくれる。
……お父様と、そう呼ぶこともできない私に。
シャルレーゼ王国は小さな国だ。
自然豊かな土壌で育った農作物と上質な織物、古くから伝わる民芸品で国を維持している。
聖カトレア教国からは馬車で1月ほどもかかる距離にあるらしい。
私を迎え入れてくれた“家族”は、そんな国の公爵家だった。
現当主である“お父様”、王を兄に持つ“お母様”、そしてその間に生まれた“お兄様”の3人家族。
一体どういう経緯で私がここまでやって来たのか、どうして彼等が私を家族として迎え入れてくれたのか、その謎は未だ解けていない。
けれど、とにかくひたすらにこの家族は温かかった。
家族というものを私はよく知らない。
殿下を弟のように思っていた。セレナは妹として私に懐いてくれた。
けれど父も母も兄も、私にはまるで経験のないものだ。
どのように接するのが正解か分からない。
血の繋がらない、それも年齢すらも見た目通りではない私。
彼等を家族と呼ぶのは恐れ多く、そして同時に申し訳なくて、距離を詰めることが出来なかった。
「フィオナ、そろそろ休もう。お前は勉強熱心だが根を詰めすぎるのが難点だな、親としては心配しているんだぞ」
「フィオナ、たまには私とお茶でもしましょう。貴女のためにひざ掛けを編んでみたのよ」
「フィオナ。お前またそんな青白い顔して。たまには外で鍛錬するぞ、女でも体は鍛えて損にならないからな」
それでも彼等は私を呼んでくれる。
名を呼び目を合わせて気遣ってくれる。
胸の奥の方がいつだって温かく、むず痒く、そして苦しい。
私は聖女で人に甘えることなど許されない立場にいるはずなのに。
いつも気高く微笑み何でもそつなくこなさなければいけないはずだ。
それでも彼等の傍にいると、全てを投げ出し崩れて泣きたくなった。
ありがとうとごめんなさいが頭の中で入り乱れる。
顔をいつだって曇らせ笑顔ひとつ上手に繕えない自分が悲しかった。
聖女として生きてきた私は、聖女として以外の生き方を知らない。
聖女ではない“フィオナ”という存在は、まるで空っぽだ。
「戻らなければ。……戻っても、居場所はあるの?」
ユーフィアに、聖女に戻るべきだと頭は告げている。
聖カトレア教国を守る役目が私にはあるのだと、そう思う。
たとえ国から必要とされていなくとも守りたい存在がいるのだからと。
けれどそれと同じくらい戻りたくない。
そういう感情が自分の中に芽生えていることに、私自身戸惑っていた。
「私は、どうすればいいの」
何年経っても私自身の答えはまるで見つからない。
迷うものなどあってはいけないのに。
私にとって大事なものはほんの僅かだ。
殿下とセレナと、クレイ様のように私を思ってくれた国民達。
それだけのはずだ。
それなのにどうして私はこんなに迷っているのだろうか。
「おい」
部屋でただ呆然と立ち尽くす私に声が届く。
振り返れば、“お兄様”が腕を組んで立っていた。
“フィオナ”よりも3歳上、15歳の彼はフィリップという名の次期公爵だ。
時に鋭くも見える切れ目が印象的な美男子。
見事に期待どおり成長したフィリップ様は、実年齢からすれば私より16歳下の“お兄様”だった。
その乱暴な言葉遣いとは裏腹にとても面倒見の良い性格であることを私は知っている。
「お呼びでしょうか?」
「……何を悩んでいるんだ、お前」
「え?」
「お前には口がついているだろう、なぜ何も言わない」
「私に悩みなど」
「なぜ俺達にまで気を遣うんだ。何がお前を苦しめている」
そうして会話すら上手にできない私に対しても、彼は諦めることなく話しかけてくれた。
言葉はいつだって直球で、決まって押し黙ってしまう私にため息をつきながらも見捨てない。
近くの椅子に腰かけ、じっとりと私を睨みつける。
けれどそれは私に威圧感を与えないのだ。
「フィオナ。俺はお前の兄として不適格か」
「そのようなことはございません。私にはとても勿体ない」
「ならばどうして俺はお前の心ひとつ和ませられない」
拗ねたように、フィリップ様は呟く。
彼のせいでは決してないのに、彼は自分を責め暗い顔をする。
「……ありがとうございます、ご心配くださって」
温かいと、そう思う。
この人達が優しい人であることは疑いようもない。
私には勿体ない人達だとも。
本当は彼等の気を揉ませず、手を煩わせない私でありたかった。
どこにいたってどんな環境でだって私は人を困らせることだけ天才級だ。
「……どうすればまともになれるのでしょうか、私は」
思わず零れた言葉は、思えば初めて人に告げた弱音だった。
人に聞いたところでどうにもならないと分かっていたから決して口には出さずいた思い。
言葉となってしまったのは、きっとここが温かく何でも受け入れてくれる場所だったからだろう。
甘えが出てしまったのだ。
いけないと我に返り、何とか笑みを取り繕うのはすぐ後のこと。
「申し訳ございません。下らないことを申し上げました」
そうして頭を下げたとたん、何故だかガタンと大きな音が鳴った。
驚き顔を上げれば、“お兄様”が座っていたはずの椅子が倒れている。
慌てて辺りを見渡す前に強い力で顔が動いた。
気付いた時には目の前いっぱいにフィリップ様の顔が映る。
「お前は、いい加減にしろっ!!」
突然の怒号に思考が飛ぶ。
『魔導師達は皆忙しいのだ、貴女と違って暇ではない!』
不意に思い出したのはいつだか受けた叱責だ。
あの時のように体が震え足の力が抜ける。
音もなく崩れた私に、それでもフィリップ様は容赦がない。
「怖いか、俺が。だがもう許さん、事情があるから一体なんだ。気遣ってばかりいても埒があかない」
「ご、ごめんなさ」
「俺が欲しいのは謝罪じゃない」
私の身体が傾がないよう両肩を支えながら、それでも心底不快そうに眉を寄せ私を睨みつけるフィリップ様。
ガタガタと肩が震え、両手が勝手に動く。
フィリップ様からの視線が耐えきれず、私の顔を隠してしまいたかったのだ。
すると大きく苛立ちの抜けない声で息をついたフィリップ様は、今度は乱雑に私の頭を撫でる。
その手つきに驚きながらも、決して広がらない距離に思わず顔を上げた。
顔を覆っていた自分の手をわずかに下げて、恐る恐るフィリップ様を見上げる。
彼はまだ私を睨みつけたまま、けれどたった一言「悪い」と声をあげる。
驚いて固まる私にフィリップ様がまた息をついた。
「お前は俺と違って聡い。俺達と血の繋がりがないことに気付いてんだろ」
まさか面と向かって言われるとは思わず頷くことも首を振ることもできない。
「お前が俺達に遠慮するのは、だからなのか? 血が繋がってないことに負い目を感じるか? それとも血の繋がらない俺達に家族面されるのが嫌なのか」
「そ、そんな。ちが、違いますっ、嫌だなどそんな!」
必死に反論する自分に私自身が一番驚いた。
フィリップ様からしてみれば私の言動は矛盾だらけだろう。腹立たしい思いも何度もさせてしまっていると思う。
けれどフィリップ様は、公爵様や奥方様は、とにかく優しい。
無理矢理ではなく少しずつ私に寄り添い受け入れてくれる。
今もそうだ。フィリップ様の叱責は私を一方的に責めるものではない。
何の非もないご自身を責め、私の言葉をきちんと聞いてくれようとする。
……私にそのような価値などありはしないのに。
聖女の記憶が戻って5年、決して短くない時間“家族”は私に多くの情を与えてくれた。
この場所に居心地の良さを感じるほど。
聖女としての役目を投げ出してしまいたくなるほど。
私の中に残る感情は拒絶では断じてない。
ただただ申し訳ないだけだ。
家族と名乗ることが恐れ多いだけだ。
本当の自分を知ればきっとこの人達も失望してしまう。
ああ、そうか。怖いのか。
やっと私は自分の中の正直な気持ちに向き合った気がした。
「フィオナ。そうやって押し黙り一人で抱え込むのはお前の悪い癖だ」
「けれど」
「けれど何だ」
「弱音を吐くことなど許されないから。私は役立たずで何も出来ないのにそのうえ下らないことで皆様を煩わせるなど」
途中でバシンと頭を叩かれる。
唐突なそれに驚いて顔を上げれば、また眉をつり上げたフィリップ様がいた。
「アホか、そんな考えの方が下らない」
下らない。
果たして本当にそうなのだろうか。
私は人の模範とならねばならぬ聖女だ。
力のない劣等生なのだから、なおのこと人に迷惑をかけてはいけない。
手を煩わせず、失望されないよういつも穏やかで品良く過ごさねばならないはず。
それすらまともに出来ず多くの人を落胆させてしまう私ではあるけれど。それでも投げ出してしまえば尚更人々の目は白けるだろう。
「……怖いのです、失望されることが」
ああ、ほら。
言い訳のように溢れた言葉はやはり利己的ではないか。
人のためではなくて自分のためにしか私は言葉を紡げない。
頭でいくら立派な理想を掲げようと、事実が伴ってこない。
けれど目の前の“お兄様”は、そんな私を笑うことも蔑むこともしなかった。
「もう一度聞くぞ。俺はお前の兄として不適格か」
反応が怖くて彼の顔を見るのことが出来ない。
目を閉ざし体を丸めたまま首を振るのが精一杯だ。
「不適格ではないと言うならば兄の言葉を信じろ。俺はお前に失望などしない」
「……っ、しかし私は」
「俺も大概しつこいぞ。俺の妹になった時点で諦めるんだな」
信じられない思いで顔を上げた私に目の前の彼はどう思っただろうか。
言葉ひとつ吐き出せず固まる私の目には、呆れたように私を見下ろす兄の姿が映る。
「お前の事情なんか知るか。俺はお前が望もうと望まなかろうと兄貴面を続けるからな」
言葉は乱暴で吐き出された息も荒くて、しかし恐怖など一切感じない。
彼は私の兄になろうと歩み寄ってくれる。
「……っ」
息が詰まって言葉にならなかった。
胸が苦しくて息が出来なくて、けれど初めて湧くこの感情が何かきっと私は理解できる。
……もう、この誠実な人達を騙すような真似はできない。
それは恐怖に彼等への感情が勝った瞬間だった。
「フィリップ様。公爵様や奥方様と共に、少しだけ私にお時間をいただけますか」
「なんだその距離感に満ちた呼び名は。お前、いつも心ではそんな堅苦しく俺達を呼んでいたのか?」
「……口にするのはとても恐れ多いのです。まだ、私には」
「その訳は何だ」
「それを、お聞きいただきたいのです。それでもなお私を家族として受けれて下さるならば、その時は……」
自分の心を、事情を、彼等に話すことがとても怖い。
全て話してまた失望されてしまったら。
あの温かな目が白く冷たいものへと変わってしまったら。
想像しただけで体が震える。
人の感情というものは時に酷く残酷だ。
知っているからこそ勇気が出なかった。
……けれど。それでも。
そう思える人に会えたことは私の糧にはなってくれないだろうか。
たとえば人との関わりが分からなかった私の元に殿下が来てくださったように。
苦手意識の強かった義妹が、誰よりも幸せになって欲しいと願う妹になってくれたように。
そして、生きる意味を失い絶望に染まった私をクレイ様が拾い上げてくれたように。
生きることを私はまだ諦めきれない。
人との関わりを望む自分が確かにいる。
怖くても、勇気を出さねばいけない時というのはあるのだと私は3人から学んだのだ。
「……分かった」
意を決し顔を上げた私に何を感じたのか、分からない。
しかしフィリップ様はそれ以上の追及をやめてただ一言そう言ってくれた。




