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4.変わる関係性


殿下とセレナと私。

3人で過ごす機会は徐々に増えていく。


「お姉様、リラの花言葉をご存じですか?」

「リラ? セレナはまた随分と珍しい花を知っているのね。確か“幸せを願う”だったかしら」

「……珍しいと仰りながら何故姉上はご存じなのですか」

「どうしてでしょう? 確か昔習ったように思うのですが、可愛らしいお花だったので覚えているのかもしれませんね」

「お姉様すごいです……っ」

「ふふ、大げさよ。貴女の方が博識なのに」

「そのようなことありませんっ、殿下もきっとリラの花は知らないはずですし。ね、殿下?」

「知る知らない以前に興味がないからな」

「……お花、素敵じゃありませんか? 殿下にとってもお花は癒しになると思うのですけど」

「毒があるかないかと、魔素があるかないかくらいしか興味がない」

「で、殿下。殿下らしいとは思いますが、さすがに極端では」

「改めた方がよいでしょうか?」

「いえ、改める必要はありませんが、他の女性の前では仰らない方が賢明かと」

「……そうなのですか?」


セレナと仲良くなるのに1年はかからなかったと思う。

なにしろセレナの方が全力の好意で私を慕ってくれた。

敬語もない方が嬉しいと請われ、今では本当の姉妹のような気さくさで会話ができるほどになっている。

殿下も一緒に私達と過ごすようになり、3人で下らない会話もする機会が増えた。

親しくなってからのセレナはとても人懐こく、よく笑いよく話してくれる。

初めは恐縮し通しでかちんこちんに固まっていた彼女も今では殿下と私の前で素直に気持ちを吐き出せるようになった。


……無知とは恐ろしい。

セレナをよく知らない時は、心が劣等感に埋め尽くされ暗い感情に支配されていた。

けれどセレナが私を姉と慕ってくれるようになり、彼女の人となりを知り、いま彼女に対して感じる大半は親愛と尊敬だ。

セレナは変わらず優秀で才能があり、魔術師としても期待されている。

私よりも聖女に相応しいと周囲はセレナを誉めそやす。

けれどそれは本当のことで、言われても当然のことだとそう思うようになった。

セレナは努力家で、いつも本を片手に知識を必死に詰め込み毎日魔導器と向き合って修練を続けている。

そして自分の才能も身分もひけらかすことなく、常に謙虚で貪欲だ。

私にはなくてセレナにはあるもの。それは決して能力だけではなくて内面にも多くあるのだと知った。

殿下と同様に大切で幸せになって欲しいと、そう純粋に思える愛しい妹。



「いつもありがとう、セレナ。……ごめんね」


それでもどうしても消えてくれない劣等感に、私は小さく謝罪を口にする。

首を傾げきょとんとこちらを見つめるセレナ。

苦笑しながらいつものように頭を撫でた。


「私も頑張らなければ」


私も少し前向きになったと思う。

胸を張りたいと、そう思える相手が一人増えた。

慕ってくれる大事な存在に失望されたくない。その足手まといにだけはなりたくない。

そう思えば、気合も入るというものだ。


「……今日は、外で練習してみようかな」


1人になった昼下がり、珍しく私はそんなことを思う。

こっそり中庭に足を向けて、隅にある小さな花壇に目を向けた。

多くの花に混ざり一つだけ傾いで色の失せた花がある。

そっとしゃがみ込み、手をかざして目を閉ざす。

ほんのりと熱い手のひら、体の中で動く聖女の力。

その感覚にはもう慣れて、淡く広がる力の輪に身を任せる。


「よし」


小さな花をひとつ、癒すことに失敗はなくなっていた。



「なあ、聞いたか?」


と、耳に男性の声が響いたのはその直後のことだ。

人気のある場所に私が出向けば、たちまちそこから人はいなくなる。

だからひっそりと陰になる隅で目立たぬよう練習をしていた私。

どうやら数人で会話しているらしい男性達は、ここからは死角となっているようだ。

長年の癖で、気付かれぬように私は息を潜める。

人との関わりは、やっぱりまだ少し苦手だった。


「セレナ様、今度は難病の伯爵令息を治したらしいぞ」

「伯爵令息って……、あの天才薬師ですらお手上げだった?」

「流石はセレナ様。知ってるか? 最近、セレナ様のことを聖女様と呼ぶ声も多いらしいぞ。殿下とセレナ様自身が止めるよう言ってたが」

「まあ当然だろ。本物の聖女様よりよっぽど国に貢献していらっしゃるしな、セレナ様」


少しずつ遠ざかっていく会話に安心しながらぺたりと腰が地面につく。

セレナも殿下も、私を思って魔導に関することは滅多に口に出さない。

けれど裏でやはり彼女は努力を続け着実に成果を出しているらしい。

私の分まで聖女のような働きをしているセレナ。

足を引っ張らないようになどと思いながらも、負担は確実に2人にのしかかっているようだ。

対して私はどうなのだろうか。

小さな花ひとつ癒しただけで喜び、いつだって人目を避けて生活している。

セレナに比べてあまりに努力が足りないのではないか。

息を細く吐き出して、私は甘い自分を叱咤する。


「まだまだ、頑張りが足りないなあ」


反省して、立ち上がった。


「これは聖女様。このようなところまでいかがされましたか」

「こんにちは。少し資料を見せていただきたいのですが」

「資料を……? ですが、聖女様に魔導の知識は不要では。貴女様のお力は魔素とはまた別の尊いお力」

「ですが何かの参考になるやもしれません。お邪魔にならない範囲で私にも学ばせていただけないでしょうか」

「……承知致しました。しかし、準備が必要ですのでまた日を改めてこちらから人を遣わせます。よろしいでしょうか」

「ええ、もちろん。ごめんなさい、突然我儘を申し上げて」

「とんでもございません。それでは、この後会議がありますので」


魔導師団に自ら足を運んだのは初めてだ。

魔素が見つかり、魔導器が発明され、その魔導器を操る素養持ちによって結成された魔導師団。

“人ならざる力”を扱う秀才ばかりが集まるここは、きっと最も聖女という存在に懐疑的だろう。

なにせここにいる魔導師達は皆、私以上の能力を持つ人達ばかりだ。

下級魔導師にも劣る力しか見いだせない私に厳しい目を向ける人が多いことを私は承知している。

本音を言うならば、だから私はここに近づくことが怖くて仕方なかった。

ここはどこよりも失望と蔑みの視線を受ける場所、私が最も委縮する場所でもあるから。

けれどだからといって避けてばかりいても仕方がない。

私はセレナのことをよく知りもせず避け続けていたけれど実際のセレナは心優しく温かな少女で、今私にとっても大事な妹なのだ。

知る努力を怠っては進めるものも進めないと理解した。

だから震える足を叱りやって来た。結局人を頼らなければ何もできない自分が情けなくはあるけれど。

応対してくれた魔導師に礼を言って部屋へと戻る。


「失礼致します、聖女様」


荒い音と共に、その扉が開かれたのは椅子についた直後のことだった。

やってきたのは見覚えのある魔導師。

いつも殿下に付いている、侯爵家の次男だったか。

名は確かバルド。上級魔導師で、次期魔導師長候補だ。


「どうなさいました、バルド様」

「どうではございません。一体どういうおつもりか」


バルド様の眉間には深い皺が刻まれ、つり上がったその目に体がすくむ。

思わず立ち上がり後ずさる私を見て「ハッ」と小さく吐き出したその声が、何故だか胸に深く突き刺さった。

一体どうして彼は怒っているのか。

全く分からず押し黙るしかできない。

それがさらにカンに障ったようで、バルド様はつかつかと距離を縮め鋭い声をあげた。



「気まぐれに魔導師団に訪れ非常識なことを仰らないでいただきたい。貴女1人の応対をするためにどれほどの魔導師が振り回されるとお思いか」

「非常識……、それは」

「っ、まだお分かりにならないか。魔導師達は皆忙しいのだ、貴女と違って暇ではない!」

「……っ」

「魔導について学びたい? 貴女が学んだところで一体何が出来るというのか、下級魔導師にすら劣る貴女が」

「それは、しかし」

「身分だけ無駄にお高い貴女がその権力で資料室を荒らせば、研究熱心な我が部下達の予定が崩れることくらい分からないのか」


静かに、しかし強い語気の叱責だ。

完全に頭に血が上っているのだと、人の怒りに触れる機会の少ない私でも分かる。

私よりも一回り大きい男性の責めに、肩が震え足がもつれる。

すとんと腰を抜かして言葉を失う私に向けられた彼の表情は、嘲笑だった。



「謝罪の言葉すらないのですね、聖女様」

「……っ、申し訳ございません」

「こちらから申し上げなければ仰れないとは、一体これまで何を学んでいらっしゃったのか」

「申し訳、ございません」

「もう結構。とにかくこれ以上我々の邪魔をしないでいただきたい」


直接的な蔑みの言葉と怒りに、私はしばらく腰をぬかしたまま身動きが取れない。

ぱたんと扉が閉まり、静寂に包まれた室内で呆然とただバルド様の去った方を見つめるだけだ。

どれほど時間が経ったか、侍女がやってきて床に座り込む私を不思議そうに見つめた。


「聖女様、どうされましたか? お加減が」

「い、いいえ、何でもありません」

「そうですか?」


声をかけてきた侍女に震えた声で返し、無理やりに立ち上がる。

すぐ傍の椅子に腰かけるまでが限界で、しばらく元には戻らなそうだ。

必死に震えを押しとどめれば、侍女はさして気に留める風でもなくテーブルにお茶を置いた。

はっと気付けば時間はずいぶんと進んでいて、いつも食前にお茶が出される夕刻時だ。


「では何かございましたらお呼び下さい」

「は、い」


綺麗な礼と共に侍女はいなくなる。

呆然としたまま、そのティーカップに手を付ける気にはならず、ただその水面を見つめる私。

ぽたりとその中に雫が落ちたのは少し経ってからだ。


「こ、こわかっ……」


言葉に出てきて、涙がこぼれる。

ああ、どうして私はこんな時ですら自分の感情が第一なのだろう。

怖がっている場合ではないだろうに。反省をするのが先なはずなのに。

それでもガタガタと身体が震えて仕方ない。

カラ回ることしかできない自分が心底恨めしかった。

役に立つどころか迷惑しかかけることの出来ない自分、自覚がまだまだ足りなかったのだと実感する。

それなのに私の心に浮かんでくるのは疑問ばかりだ。


どうすれば良いの?

1人で練習し続けたってセレナのように力は成長してくれない。

図書室にある本は軒並み全て読みつくし、それでも私の弱さの原因は見えてこない。

魔素について知ろうにも、それは魔導師達の邪魔にしかならないらしい。

セレナや殿下に聞いてみる?

……出来るはずがない。私よりもお2人が公務や任務、社交界で忙しいことは私が知っている。

これ以上負担になどなりたくないのに。

そうして途方にくれ、気が沈んでしまう。



「姉上? 何かございましたか」

「お姉様、少しお痩せになったように見えます。お加減が?」


どうして自分はこうも駄目なのだろうか。

役に立つどころか、気丈にも笑っていることすらできない。

せめていつだって笑顔で温かく迎えられる自分でありたいのに。


「……大丈夫ですよ。ご心配いただきありがとうございます。私は、大丈夫」


言葉にしてみたって、2人は心配そうに顔を曇らせるばかりだ。

心は悲鳴を上げていて、それを表に出さないことに精一杯。

何もかも上手くいかない。

いつものように私は歯を食いしばるのが限界だった。

そうして口から出てくるのは、かなり強引な逃げの一手。


「それよりも殿下。また背がぐんと伸びましたね。もう見上げねば殿下のお顔を見ることもできません」

「……ええ。姉上を越えることが出来て安心しております」

「ふふ、すぐでしたね。セレナも最近成長したでしょう? 手足がすらりとしていて羨ましいわ」

「……うう、けれどもう勢いは止まりそうです。殿下に追い付きたかったのですが」

「やめろ、追い付かないでくれ。俺の威厳がなくなる」


目の前の顔が怪訝そうに歪んだのはほんの一瞬だけだったけれど、間違いなく殿下とセレナは私の異変に気付いてただろう。

それでも2人は私の気持ちを察し、流されてくれた。

私には勿体ないほど強く優しく温かな人達。

……どうして私だけ変わらないのだろうか。

背も、心も、能力も。

傍にいる資格なんて、もうとうの昔に失せているようにすら思う。


そう、ちゃんと気付いていたのだ。

私達のこのあまりに偏りのある不釣り合いな関係性に周囲の不満が募っていたこと。

そして聡い殿下も繊細なセレナも、当然そういった目に気付いていただろう。

それでも優しい2人は私を庇い続ける。

私は、それに甘えて見て見ぬふりを続けてしまった。

その代償は、すぐに一生取り返しのつかない罰として支払うこととなる。




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