32.似た者同士(side.クレイ)
フィーは穏やかな表情で王城へと向かった。
中々寝付けないと笑いながら押花で栞を作っていたことを知っている。
見た目ほどには心穏やかではないのだろう。
それも当然の話だ、今会っているのはフィーが公爵家以外で唯一「家族」と呼ぶ存在なのだから。
「本当に良かったのか、1人で行かせて」
意外な人物が意外なことを言った。
フィーの今の家族、過保護な兄は憮然とした様子だ。
腕を組みしきりにため息をついている。
ふっと笑ってしまうのは仕方ないだろう。
「君がそれを言う? 散々、次期王妃としての心構えを説いておいて」
「……今回ぐらいは大目に見る気だったんだがな。むしろ今回が一番の山場だろう」
「山場って」
「フィオナが迷う一番の要因だとお前が一番分かってるんじゃないのか」
「まあ、ね」
さきほどからずっと王城の方面を見続けるフィリップ。
私以上に気が気ではないその様子に、一体どれほど妹が大好きなのかと呆れてしまう。
妹に手一杯だからと社交界でも多くの令嬢に断りを入れているらしい。
フィーを立派に育て幸せにするのだと、その気合の入れ様は最早父である公爵顔負けだ。
もう苦笑すれば良いのか呆れれば良いのか私には判断がつかない。
そんなフィリップはどうやら私のこの表情が大層気に入らなかったようだ。
「……余裕だな、おい」
「そうでもないんだけどね」
やはり私は笑うしかなった。
余裕があるかと聞かれれば、あるはずがない。
心配がないかと問われれば、心配に決まっている。
しかしフィリップに余裕だと言われる程度に落ち着いていられるのは、フィーが私に時間をかけ本心を話してくれ続けたからだろう。
何度も何度も、私が良いと言ってもなお、フィーは思いを伝えてくれた。
過去が大事で切り捨てることは無理だと。
けれどどれほど大事だろうと選ぶのは今の自分なのだと。
どちらも大事で蔑ろに出来ないからこそ、会いに行くのだと。
……敵わないなと、もう何度目になるかも分からない感想を抱く。
「大丈夫だよ、フィル。フィーは、強いから」
「強い、ねえ……」
「強いだろう? 過去を美化も無かったことにもせず、まるごと抱え込むと言うんだから」
この国は思っていたほど冷酷ではないと、フィーは言った。
この国は思っていたほど美しくもないとも、フィーは言った。
自分が正義だったわけでも悪だったわけでもないと。
全てが一辺倒だったら良かったのにと涙を流しながら、それでもフィーは向き合うことを止めない。
「魔導師長に聞いていたよ、どうして聖女に否定的なのかと」
「……あいつはまた。どうしてそう自分の傷を抉るようなことを」
「知りたかったんだってさ。聖女を1人の人間として見ていたと分かったからこそ、どうしてそこまで頑なに自分は否定されていたのかと」
そう、たとえ自分に都合の悪い話であろうとフィーは逃げなかった。
自分の至らなさを知ったと歯を噛み締め、教国を想い過去を受け止めている。
この国がフィーに対して決して優しくなかったことを私は知っている。
誰もが皆、聖女を蔑みあざ笑っていたことを知っている。
手のひらを返したように聖女を尊び膝を折る国民達を滑稽に思った。
今更一体何のつもりだと、憤りも感じた。
フィーを見て何も感じない人間達が、いまさら聖女を語るなと言えるものならば言ってしまいたい。
今も昔もこの国はフィーを虐げ続けている。
しかしそれでもフィーは人と向き合い事実と向き合うことを止めなかった。
目で見て耳で聞いて時には手で触れて、一つ一つ確かめていた。
そうして自分なりの答えを見つけ出してみせた。
それは普通のことなどではない、当然のことではないのだ。
フィーが必死に生きて得た強さなのだと思う。
そうした姿を見せられて、その上であの2人と話がしたいと請われて、拒否などできるだろうか。
私だけが縋るような真似はとても出来なかった。
本音を言うならば、余裕があるわけでは無くただ単に格好悪い姿を晒したくないだけ。
虚勢を張っていると言った方が正しいのだろう。
しかし、それでも。
「フィーの意志と覚悟を私が信じてあげなければどうする、これから夫婦になるというのに」
そう思う気持ちもまた嘘偽りのないものではあったから。
実際ギリギリではあるが。
不安な顔を隠すことすらつい先日まで出来ていなかったわけだが。
声には出さず、ただただ笑ってフィリップを見返した。
私はどう足掻いてもフィーのように強くはあれない。
自分の使命や役割を果たすためにフィーを支えにしなければ立つことすらままならない弱い人間だ。
本当はもう少し逞しく頑丈でありたかった。
フィーを導き守り続けられる人間になりたいと願っていた。
しかし私にできることなどこうしてフィーの心を信じ見守ることくらいだ。
それしか出来ない自分が情けなくはある。
それでも相応しくありたいと願うならば、私も受け入れなければいけないのだろう。
向き合いたくない認めたくない現実も、目を背ける訳にはいかなくなった。
「……お前は強いと言うがな、俺にはあいつが常に危うく映っていたよ」
「ん? フィーが、かい?」
「ああ。いつも悩みすぎなくらい悩んで、すぐ泣くし結局迷うし頓珍漢な事も日常的に言うからな」
「まあ、それは確かに」
「強いと断言できるのは、お前がそれを強いと理解できるからだ。そういう強さをお前自身が理解しているからなんだろう」
「まあね。私に一番足りなかった部分を彼女は誰よりも持っていたから」
「だが俺から言わせてみれば、お前も大概だぞ」
フィリップの言葉に私は目を瞬かせる。
虚を突かれるというのはこういうことを言うのだろうか。
言葉の意味が理解しきれずにただただフィリップを見上げれば、呆れた様子でため息をつかれる。
「やはり気付いていなかったか」と言いながら。
「お前、ここに来る前には散々文句言ってたくせして、結局フィオナの意思を最優先にしただろう。裏で小細工するのが得意なくせして、ここ一番にはフィオナに選択肢を与え黙って見守っていた。邪魔しようとすれば出来ただろうに」
「……邪魔して意思を無視してフィーの人生を決めてしまえば、この国と同じだろう。私はフィーを傀儡にしたいわけでは無いんだ、フィーの意思で私達を選んで欲しいだけだよ」
「あんなに不安そうにしてまでか? お前フィオナ大好きだもんな、いなきゃ生きていけないくらい」
「……それ、君にだけは言われたくないんだけど」
「聞けよ。逃げなかったのはお前も同じだと言いたいんだよ。分が悪いかもしれないと思いながら、それでも結局フィオナを優先させ影に徹したお前が弱いとは俺は思わねえな」
フィリップが笑う、呆れた様子を残したままに優しく。
「お前達は似てるよ。お前達が思っている以上にな」
そうしてフィー相手にするみたいに、ガシガシと頭を撫でられた。
いや、フィーより随分と乱暴にではあるが。
甥の分際で生意気なと暴言が心に浮かび、笑ってしまう。
ああ、私は本当にこの男には随分と気を許しているのだなと。
甥と言いながらも、その響きに強烈な違和感を持ってしまう。
戦友と言った方がしっくりくるほどだ。
年齢など関係ないと、本当に思う。
「で、お前の目で見てどうだったよ、この国は」
「相変わらず下らなくて醜く滑稽な国だ」
「辛らつだな」
「……だが、どれほど自分が周りを見ていなかったのか痛感させられたよ。自省なんてこの国ではしたくなかったけどね。全く遺憾だよ」
「ほう、自省ね」
「どこの人間だろうとそう変わるはずも無いのにね、本質など。フィーの言葉ではないけど一辺倒なわけが無いんだ、何事も」
19年ぶりにやって来た、戻っても来たくなかった国。
相変わらずの醜さと滑稽さはやはり変わらぬままだった。
嫌いな人間達は嫌いなまま、許せぬ気持も消えぬまま。
しかし国を守る者として見直した時、フィーが向き合ってきた現実を共に見つめた時、滑稽だとその言葉だけでは片づけられない思いが残る。
誰よりもフィーを虐げていた魔導師は、誰よりも早くフィーに気付いた。
名前を憶えてもいなかった侍女は、長きに渡りフィーの幸せを願い秘密を守り通してみせた。
フィーが“家族”と呼ぶ2人も、フィーを想いながら国主としての責任を果たし続けている。
……滑稽だと、醜いと、吐き捨てるにはそれらはやけに私を攻撃する。
戒めるように。
その直感とも言える声を、きっと私は見逃してはいけないのだろう。
同じく国を背負う者として。
「ほら見ろ、お前も同じじゃないか」
フィリップが笑う。
つられて私も笑った。
似た者同士だとこの男に言われることが、思いの外嬉しい。
フィーと同じく強さを持っていると言われているようで。
「お前らはそれで良いんだろうな。1人じゃ危うくて、2人で何とか立ち上がって支え合ってる。それで良いんだよ、そういうお前らだから見えるものがあるんだから」
「……甥の分際で生意気に」
「ああ? 褒めてんだろうが、このあまのじゃくが」
「うるさいよ、大体君は人生何回目なんだ。私達よりよほどしっかりしていて年上の立場がないんだけど?」
「知るか。しっかりしろよ、俺の主なんだから」
「……よく言うよ、昔は私よりよほど君を王に押し上げる声の方が多かったと聞いたけど」
「無理だよ、俺には。この国で実感した。正解だったなお前を推して」
「は?」
「気付けるものも拾い上げられる気持ちも覚悟も意志も、お前らの強さには到底敵わねえよ。信じねえだろうがな」
「うん、信じられない」
「……即答すんな、少しは否定しろ」
私も少しずつではあるが、成長できているのだろうか。
国を守れる器は、正直まだ無い。
兄上のように王としての堂々とした立ち振る舞い、決断はまだ出来ないだろう。
それでも一つ一つ積み上げていくのだ。
良い思い出も悪い思い出も、苦い過去すら糧として。
フィーがそうして生きてきたように。
私も、そうやって抱え込んで生きていく。
フィーと、共に。
「ただいま戻りました、クレイ」
「おかえり、フィー。顔が、少し赤いね」
「ふふ、ばれてしまいました。私は本当に、もう少し隠し事が上手にならなければ」
「うん、だからそれはやめておこうか」
「セレナのように、美しくたおやかになれるかしら?」
「目指す方向が違うと言っておこうかな。けれど、きちんと話せたようで何よりだよ」
「……はい、ありがとうございましたクレイ」
「うん、どういたしまして」
寂しげな表情を浮かべながら帰って来たフィーは、窓の外を眺めて笑う。
心に少しでも整理が付けばその表情は晴れるかと思ったが彼女の場合はそうでもなかったらしい。
ひたすらに空を眺め、やはり寂し気に笑った。
「クレイ、覚えていますか?」
「うん?」
「あの日のような、綺麗な夕陽」
そうしてぽつりと、まるで独り言のように呟いたそれに「ああ」と返事をする。
赤く燃えるような、夕暮れ。
あまりに鮮やかで、その色を私もやはり覚えている。
何せ初めてまともにフィーと会話した日の記憶なのだから。
「思い出すね、あの日のことを」
「はい……懐かしいなあ」
笑みながら静かに涙を流すフィーを後ろから抱きしめる。
何一つ落とさず抱えようとするその姿に、それ以上私は何も言わなかった。
ただただ2人で寄り添い、光が沈むのを見届ける。
「……今、何だかすごくシャルレーゼが恋しいですクレイ」
「うん、帰ろう。一緒に」
「はい!」
ようやく曇りのない笑顔をみせてくれるフィー。
そうして教国最後の1日を、終わらせた。




