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3.義妹


「お初にお目にかかります。聖カトリナ教国王太子、フェルナンドです」

「初めまして、ご丁寧にありがとうございます。ユーフィアと申します」


殿下と初めてお話したのは私がまだ10歳の頃、殿下は5歳になったばかりだった。

5歳とはとても思えないしっかりとした挨拶にひどく驚いたことを今でも覚えている。

慣習通りいけばいずれ私の旦那様となられる未来の王様。

殿下の才覚と聡明さはすでにその頃から健在で、将来有望な完璧王子とすら呼ばれていた。

しかしそんな殿下を見て私が抱いたのは、あまりに聞き分けの良すぎる方という印象。

大きな期待を一身に背負い、常に優秀であることを求められるその姿に心配になってしまったのだ。

私とは違い殿下は見事期待に応えている。けれど受けた重圧がどれほどのものなのか分かってしまった。

綺麗に伸びた背筋、淀みない挨拶、眉一つ動かさぬ表情、そのあまりの完璧さは幼い殿下の空気を張りつめさせる。人はそれを荘厳だと言うけれど、おそらく違う。殿下は自分と同じだと、そう思ったのだ。

常に気を張り周囲の目を気にして立派にあろうとするその姿が自分と重なり苦しくなる。

言葉がするりと出てきたのは、だから自然なことなのかもしれない。


「殿下。もし宜しければ、お友達になっていただけますか?」

「友、達……? しかし聖女様と私は」

「お互い大層な肩書を背負っているのです、息を抜く場所もなければ辛くなるばかりでしょう? どうぞ私のことも聖女様などと呼ばず気軽にお呼び下さい」


殿下相手にずいぶんと失礼な提案をしたものだと思う。

しかしその提案を私は今も一度だって後悔していない。

あの頃の私達には立場ではなく一人の人間として接してくれる存在が必要で、それを実現してくれる存在が他にいなかったのだ。


「……では、その」

「はい」

「姉上、とお呼びしても?」

「……姉、ですか?」

「お嫌でしょうか。その……私には兄姉がいないもので」


姉と呼べる存在に憧れがあるのだと、照れ臭そうに仰った殿下の表情を今も昨日のように思い出す。

初めて自分を頼ってくれた殿下のその気持ちが私は嬉しかった。


「光栄です、殿下。私にお教えできることがあれば良いのですが」

「今度、本を持って参ります。分からないところを教えていただけますか」

「っ、私に分かることならば喜んで!」


許嫁としてではなく姉弟のようにして始まった私達の関係性。

歪に、不器用に、少しずつ私達はその距離を縮めていった。

あれから7年、殿下は12歳になり私は17歳に。

今日も変わらず私達は姉弟のように、家族としてお互い支え合い生きている。



「殿下、何かお悩みですか? 顔がくもっていらっしゃいますよ」

「……姉上には何でもお見通しですね」

「ええ、姉ですもの。何か心につかえるものがあるならばどうぞその胸の内、私に話してみませんか? 聞き役にくらいはなれましょう」

「ありがとうございます。実は……」


聖女として落第点を叩き続ける私にとって、殿下の存在は救いだった。

私を頼り姉と慕ってくれるその時間だけが私の存在意義を示してくれるように感じたのだ。

こまめに殿下は私の元へと通って下さり、私も殿下の前では自然な表情を出すことができる。

未来の夫というよりも、大事な大事な愛おしい弟。

その絆が折れかけていた私の心をぎりぎりのところで支えてくれていた。

聖女として国の役に立ちたいというその思いは少しでも殿下の役に立ちたいという願いから。

自分も周りもなかなか信じられない。

それでも殿下と、殿下が頼ってくれる“姉”としての自分だけは信じられたのかもしれない。

頑張ろうと、そう思う。

駄目な自分なりに、せめて殿下の心は護れる私でありたい。

少しでも聖女としての評価を上げて殿下を苦しめないように。

そう思っていると、ふいに目の奥から強い光を感じた。

何だろうかと思い、そこでやっと自分が目を閉ざしていたことに気付く。

懐かしい思い出が途端にぼやければ、さすがに私も状況を理解した。

と同時に感じる体中の重さを振り払い何とか目を開ける。



「姉上、ご無事ですか!?」

「でん、か? 申し訳ございません、ご迷惑を」

「そのようなこと良いのです。お加減は」

「大丈夫ですよ。ご心配をおかけいたしました」


体を起き上がらせれば、とたんに殿下から声がかかった。

いつもほとんど変わらないその表情の、眉だけがぐにゃりと曲がっている。

完璧王子と呼ばれる殿下の不器用な一面に思わず笑みがこぼれる私。

体の怠さなど、もう気にならなくなった。



「姉上、どうかお体お労り下さい。替えの利かぬ大事な御身なれば」


そのようなことを心から思ってくれるのはきっと殿下だけだろう。

けれどその気持ちが嬉しくて苦笑する。


「……今日はこれ以上力を使うのは禁止です」

「はい、殿下」

「隠れてお使いになられませんように。少しでも気配を感じましたら私が見張りに参ります」

「それはなりませんよ、殿下。殿下は大事な」

「姉上の方が大事な御身ですっ」


中途半端な私の反応に殿下は誤魔化されてくれなかった。

目を吊り上げ私を睨みつけるように忠告する。

それは私の笑みを深めるだけだ。


「すっかり騙されて下さらなくなりましたね、殿下」

「……騙さないでいただけますか、姉上はご自分の尊さをご理解していらっしゃらない」

「殿下にここまでご心配いただくとは、私はやはり果報者です」

「……誤魔化さないでください」

「ふふ、承知致しました。本日は大人しくしております」

「約束ですよ」


大事な弟。

その幸せを誰よりも願う存在。

私以上に私を大事にしてくれるただ一人の存在に、やはり私は決意を固くする。

必死に周囲からの期待に応え続ける殿下の足手まといにはなりたくないのだ。

……明日からまた特訓ね。

そう心で決める。


「あ、あの……っ、せ、聖女さま」


と、そこで唐突に第三者の声が届いて肩を揺らした。

あからさまに驚き声のした方へと振り向けば、そこには小さく縮こまりこちらを窺う小柄な女性がひとり。


「セレナ様?」

「は、はいっ」


見覚えある顔に名を呼べば途端に体ごと跳ねた彼女が恐る恐るといった様子で返事をする。

セレナ様。私が養子に入った筆頭公爵家のご令嬢で、歳は確か私の2つ下。つまり私にとって彼女は義妹ということになる。


「セレナ様もお越しくださったのですか」

「は、はい、その、殿下に聖女様のことを伺いまして、癒しの魔導器を」

「魔導器……? ああ、私の治療をして下さったのですか? わざわざありがとうございます」

「そんな……! お礼を頂くほどのことではございませんっ、聖女様お加減の方は」

「お陰様ですっかり大丈夫ですよ」

「本当ですか? 良かった……!」


色白の肌、ほっそりとした長い手足、触り心地の良さそうな綺麗な銀髪。

筆頭公爵家の生まれながら魔導師の素養にも恵まれ、国内でも一目を置かれているご令嬢だ。しかし何故だかご本人は自信ない様子でいつも怯えたように隅にいる。

優しい気性の、けれど少し臆病な可愛らしい女性。

まともに話したのは実を言うとこれが初めてだった。

セレナ様が腕に抱き抱えているのは分厚い大きな本。

淡く光っているものだから、セレナ様自身もキラキラと輝いて見える。

これはセレナ様の魔導器で癒しと結界を張る魔素が込められているらしい。魔素にも種類は様々で、魔導師との相性もまた様々だ。セレナ様と相性が良い魔素は人を癒し守るための力。何とも彼女らしいと思う。


“妹君の方がよっぽど”


いつだか言われた言葉。

聖女以上の安定感と強い癒しの力をもつセレナ様の方がよっぽど聖女らしいことは私もよく分かっている。

優しく強く生まれも育ちも良い公爵令嬢。

私には無いものを、私が欲しかったものをきちんと持っている女性。

正直なところを言えば、そんな彼女に劣等感を抱いてしまう日はそう少なくなかった。

義理とは言え妹には違いないはずなのに、まともに話すこと自体今日が初めて。

それは私が彼女とどう向き合えば良いのか分からず避け続けてしまったからだ。

セレナ様は、そんな私のことすら心配してこうして力を使ってくれる素敵な方だというのに。



「……姉上のご様子を随分と心配していたので勝手に彼女を連れてきてしまいました。断りもなく大変失礼しました、姉上」


セレナ様を庇ってなのか、私の心情を慮ってなのか、殿下が説明をくれる。

セレナ様が近くで「そんなっ、殿下は私の我儘を」と恐縮した様子で声をあげた。

……お似合いだ。

聡明で責任感のある殿下と、心優しく生まれに見合った才能を持つセレナ様。

私などよりもよっぽどセレナ様は聖女に相応しい。

どうして私なのだろうか。お2人を見ていると自分が聖女である意義が分からなくなる。

純粋に心配してくれていると分かるのに、それを素直に返せない醜い自分。

勝手に惨めになって泣きそうになった。


「姉上?」


何の返答もなく顔を俯かせた私を殿下が不安そうに見つめる。

セレナ様からの控えめな視線もまた感じる。

かけられた声に何とか気持ちを振り絞って、顔を上げた。

どうかこの醜い内側が表に出てこないことを祈りながら。


「申し訳ございません、本当にご心配をおかけしてしまっていたのですね。殿下お心遣いをいただきましてありがとうございます」

「いえ、私は」

「セレナ様も。私のために貴重なお力を使っていただきましてありがとうございます。お疲れではありませんか?」

「い、いえ、そんな! 私が勝手にしたことですから」


自己嫌悪に塗りつぶされながら、それでも何とか絞り出した言葉。

劣等感に埋もれて鈍くはなっているけれど、それでも心のどこかで確かに感じる感謝の気持ち。

お2人の目を交互に見つめながら声をあげれば、返って来るのはやはり純粋な優しさだ。

そうして少し冷静になってみれば、やはり自分の心の狭さが情けなくて思わず苦笑がこぼれた。

これでは誰が年長者なのかまるで分からないと、そう思って。


「あ、の、聖女様」

「はい、何でしょうセレナ様」


セレナ様から意を決したような、そんな声色で呼ばれる。

反射的に返事をして視線を向ければ、グッと手を握られた。

首を傾げてしまうのは、セレナ様から何を言われるのかまるで想像がつかなかったから。

セレナ様は何故だか勇気を振り絞るよう私の手を握る力を強めて目を閉ざす。


「よ、よろしければ、お姉様とお呼びすることをお許しいただけないで、しょうっ、かっ」


後半は勢いのままもつれるように言葉が絡んだセレナ様の言葉。

きょとんと目を丸くして彼女を見ることしかできなかった私に、セレナ様はなお言葉を募る。


「その、殿下が聖女様のことを“姉上”とお呼びしているところを何度か拝見しまして、良いなあって思って、あの、私も恐れ多くも一応義妹という立場を頂いている身ですので、もしよろしければそうお呼びしたいなあとか、思ってしまって。でも尊い聖女様にそのようなことをお願いするのは失礼かもしれないと思いながら、けれど諦めきれなくて」

「せ、セレナ様、どうか落ち着いて下さい」

「ああっ、ご、ごめんなさいっ、至らぬ義妹で本当に申し訳なくて。ですが」

「……セレナ嬢、落ち着け」

「ああああっ、本当に申し訳」

「セレナ様。大丈夫ですからっ、落ち着きましょう? お互い、落ち着くのが大事と思います」


……セレナ様の新たな一面を目にした。

どうやらセレナ様は緊張しすぎると言葉が雪崩のように押し寄せ口からこぼれてしまう方らしい。

殿下と2人、驚きながら何とか宥めたのは数分後のこと。

セレナ様は「申し訳ございません」と何度も謝りながらしきりに頭を下げ続けていた。

けれどそれがかえって私には良かったのかもしれない。

毒気を抜かれたという表現が一番近いだろうか。

気付けば私の中に巣食っていた劣等感とか自己嫌悪とか、そういった暗い感情が抜けたように思うのだ。

少なくとも冷静にセレナ様に向き合えるくらいには、私の中の感情がまっさらになっている。


「セレナ様」

「は、はいっ、申し訳」

「どうか謝らないでください。セレナ様は何も悪いことなどしていないのですから」

「ですが、聖女様に大変失礼なことを」

「何も失礼なことなど仰っていませんよ。セレナ様のお気持ち、本当に嬉しく思います」


そうして出てきたのは純粋な自分の心だった。

劣等感や罪悪感に塗りつぶされて醜い感情も出てきてしまうけれど、私自身セレナ様に対して嫌な感情は一切持っていないのだ。

それどころか“家族”である彼女からこうして歩み寄ってくれることが私は嬉しいと思う。

だって家族は、私が一番に憧れるものに違いないから。


「……お嫌では、ないですか?」


恐る恐ると言った様子でセレナ様が私に聞いてくる。

立派な力に、ご身分に、人思いのその性格。

それでもどこか人との繋がりに不器用な姿が自分と重なる。

そんなことを思っては失礼かもしれないけれど、私は妙な親近感を覚えたのかもしれない。

そしてだからセレナ様の言葉に返した私の表情は、心から浮かんだ笑み。


「嫌なはずがございませんよ。殿下以外に私にそう仰って下さったのはセレナ様だけですね」

「……姉上、そうそう何人もいては困ります」

「ふふ、確かに」

「あ、あの、ではお姉様とお呼びしても……っ」


セレナ様の言葉に頷き返せばセレナ様の顔は途端にパッと明るくなった。

……ああ、私はもっと反省しなければ。

曇りのない彼女からの笑顔に、罪悪感が胸を押し寄せる。

心の狭い自分が情けなくなって苦笑した私は、それを隠す様そっとセレナ様の頭を撫でてみた。

セレナ様はそれだけで嬉しそうに笑う。


「お姉様、私のこともどうかセレナとお呼び下されば嬉しいです」

「ですが、良いのですか? 流石にセレナ様に失礼なのでは」

「憧れなのです、どうか」

「……分かりました、セレナ」

「ありがとうございます!」

「…………セレナ嬢、姉上と仲良くされるのは良いが私の場所も残しておいてくれ」


形式上の家族でしかない公爵一家。

私よりもよっぽど聖女らしい義妹。

そんな認識しか持てていなかったセレナ様……セレナを、家族だと思えた出来事。

この国は私にとって決して優しくはなかったけれど、その中でも私には大事な家族が出来た。

“弟”と“妹”という家族が。

弱く小さな私の心を支え守ってくれた大事な絆。

けれどこの時の私は知らない。

この国との別離を決意させた理由が、そんな大事な家族だったことを。









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