28.城下と教会
城下は賑わいを見せている。
白と淡い色調で整備された石畳の道、沿うようにして並ぶ露店では色とりどりの飾り物が並ぶ。
若い女性達が商品を乗せた手籠と共に道行く人々に声をかけていた。
新国王の即位は国でも一大行事だったのだろう。
招かれた国々も多いものだから、各国に仕える他国民も未だそれなりに残っている。
自国へのお土産を必死に選ぶ男性達の姿も多かった。
明るい声があちこちに響いている。
明るい色に溢れた街並み。
『逃げろ!! あっちだ!!』
『もう火の手がそこまで……っ』
私の記憶に残る城下の姿は、悲鳴と怒号が飛び交っていた。
空は赤く燃えるようで、黒い煙があちこち立ち上っていた。
「綺麗な、街ですね」
笑顔に溢れ、明るく、平穏そのものの風景。
良かったとそう思った。
思わず零れた言葉に、ユーリス殿下は嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
上等な、けれど王太子にしては質素な服。
色の変わった髪色に少しだけ位置の変わった目や口。
腕にはまるバングルは、変身の力を宿した魔導器だ。
未だ10歳の彼が使うには、少し力の強い魔導器。
それを難なく使いこなしているのだから、流石はフェルナンド陛下とセレナの子供といったところだろうか。今のユーリス殿下はどこからどう見ても裕福な家の一市民。
そうまでして案内された場所が、この城下だった。
私に知って欲しいと、そう強く訴えてきたユーリス殿下。
その中身を、未だ私は知らない。
案内されるままに私とクレイ、ユーリス殿下は街の中を歩く。
勿論私やクレイもこの場で浮かないような服装だ。
そうしてしばらく歩いて辿り着いたのは、城下広場と呼ばれている開けた場所だった。
「……ここにも、聖女像」
中央に、最早見慣れた“聖女様”がいる。
人の出入りが激しいこの広場で、多くの人はその像を素通りしていた。
ある人は待ち合わせの目印として使っている様子だ。
そして一部の人々が熱心にその像の前で膝を折る。
「国民達がいつでも聖女様に祈りを捧げられるようにと、建てられたものです」
「……そうですか」
「その他にも教会が建ちまして、身寄りのない子供達を育てています」
離れた場所から、淡々と説明を受ける。
王城だけではなく国民達にまで広く伝わっている聖女様の存在。
私ではない聖女様に祈る人々。
怒りは湧かない。
むしろ諦めと、そういった方が良いだろうか。
何の感情も表情も浮かばず、ただただその像を眺めた。
手を合わせ膝を折り花を手向ける人、労わるようにその像を拭く人、近くで頭を下げる人、様々だ。
けれどどの人に対しても、どの行為に対しても、どうにも自分事とは思えずどこか遠い世界のことのように思う。
私の心には何の波も立たないのだ。
「これが知って欲しいことですか」
横でクレイが少し棘のある言い方をした。
ユーリス殿下から返って来るのは苦笑。
「いいえ」と否定しながらも、その顔は少し寂しそうだ。
本当はこの光景を見て何かを感じてくれないかと、そう期待していたのかもしれない。
そうだとしたら少し申し訳ないと、そう思う。
私の心は自分でも少し驚くほどには随分と冷静で、想像していた以上に感情は平らだった。
国に対しても、“家族”に対しても、苦手だった魔導師様たちに対してすら。
今回も同じ。
どうしても国民達を見て親しみを持つことが出来ない。
嫌いでも憎いわけでもないというのに。
今更聖女を崇める人々、今度は魔導師様を聖女を虐げたとしてひどく責めているのだと聞く。勝手に祭り上げて責め立てて、何とも勝手な話だという気持ちがまだくすぶっているのだろうか。
それならば私の方こそ随分と狭量だ。
やはり聖女の器ではなかったのだと、それを認めるのが少し苦しい。
まだ未練を残しているのかと、そんな自分に気付き情けなく思った。
「教会に、会っていただきたい者がいるのです」
「……教会?」
「ええ。先ほど言いましたね、身寄りのない子供達を守る教会が建てられたと」
「はい」
「そこのシスターに、お会いしていただきたい」
「……聖女様への信仰の深さを知れと仰いますか」
「いいえ。私が知っていただきたいのは、聖女様への信仰ではなく聖女様を今も思う人々の心です」
「違いが分かりませんが」
「ですからお会いいただきたい。当時生まれてすらいない私ではお伝えできないからこそ」
クレイとユーリス殿下が真剣な表情で言葉を交わす。
不愉快そうな顔を隠しもしないクレイに、けれど今度はユーリス殿下も黙ってはいなかった。
強い、ぶれることのない芯を感じる。
それは私だけではなくクレイも同じだろう。
憮然とした表情のまま、しかしユーリス殿下の言葉にそれ以上言い返すことはない。
小さく息を吐き出しクレイはその強張った顔を緩めていく。
息を吸って吐いて、何度静かに繰り返しただろうか。
その後首を振り私へと向く。
私はそんなクレイに感謝しながら頷いた。
「ご案内、いただけますか。貴方がそこまで仰るお方ならば、お会いします」
「っ、ありがとうございます、フィオナ殿」
「……いいえ、それが約束ですから」
そうして歩いた先は、人々の喧騒からは少しだけ外れた静かな住宅街だ。
王都には違いなく綺麗に整備はされているけれど、先ほどまでの華やかさはない。
人々が生活する落ち着いた雰囲気がある。
その中で一軒、大きな建物があった。
広い入口、花や作物の育つ広い庭、静かな空間に子供達の朗らかな笑い声が響いている。
「こちらですよ」
「あー! ユウじゃん! なになに、その人達お客さん?」
「ああ、そうだよ。それより、暖かくなってきたからと言ってそうお腹を出さない。君はお腹弱いのだから気を付けなさい、この間も寝込んだばかりだろう」
「うわ、出た出た。お前俺と大して歳変わんないだろ、どうしてそう大人びてんだよ。お偉いさんってのは大人っぽくないといけないのか?」
「人の上に立つ練習はしているよ。いざというとき君達を守らねばならないからね」
「はいはい、素晴らしいココロザシだな。それより遊ぼうぜ」
「こら。それに今日は別件があってね、残念だがそれはまた今度」
ユーリス殿下はすぐに子供達に囲まれていた。
聞けば時々こうして顔を出すのだという。
流石に王太子とは名乗れないから、近くの商家の一人息子ということにしているのだそうだ。
ユウというのは、ここでの彼の名前。
ずいぶんと慣れた様子で子供達と接している。
10歳のユーリス殿下とここの子供達は年齢的にはそれほど変わらない。
それでも王太子というのはこうも違うものなのかと実感させられる。
……けれどそうだ、まだ10歳なのだ。
言動があまりに大人びているものだから忘れそうになるけれど、彼はまだまだ守られて当然の年齢。
それを思うと私の今までの言動は随分と大人げなかったかもしれない。
思わず自分の眉が寄り誤魔化すように横を向けば、クレイも同じような顔をしていた。
ふと視線があって、フッと苦笑がこぼれるのはほぼ同時。
「お待たせして申し訳ありませ……どうかされましたか、お2人とも」
「いえ、失礼。元気で可愛らしい子供達だ」
「ユーリス殿、“ユウ”様とも仲がよろしいのですね」
罪悪感からか自省からか幾分柔らかくなった私達の口調。
これだから大人は勝手だと怒られてしまうだろうか。
当のユーリス殿下は分からないとばかりに首を傾げているけれど。
「こちらです、ご案内しましょう」
「ええ、よろしくお願いいたします」
踏み入れた教会は、がらんとしていた。
広く、物は最小限で、けれど陽の光が綺麗に当たる居心地の良さそうな雰囲気。
前方中央には、やはり陽の光を一心に浴びた聖女像がある。
一番前の席に座りその聖女像を見上げる一人の女性がいた。
その服装から、おそらく彼女がユーリス殿下の言う“会っていただきたい者”なのだろう。
「アンナ」
ユーリス殿下が慣れた様子でその名を呼ぶ。
弾かれたようにして立ち上がり振り返ったその人は、20代……いや、30代だろうか。
現在19歳の私からすると、ずいぶん年上に感じる大人の色香を纏った綺麗な女性だ。
……見覚えがあるような気がする。
そうは思うものの、それ以上引っかかりはしない。
むしろ私よりも横にいたクレイの方が反応した。
小さく息を飲んだように思う。
アンナと呼ばれたその人は、「ユーリス殿下」と声をあげ礼を取った。
そして私達の姿を認めた途端、目を見開き固まる。
口元に手を当てるが、その手がカタカタと震え口がまるで隠れてはいない。
「聖女、様……?」
そうしてみるみるうちに目を赤らめ膝から崩れ落ちた。
否定する間もなく、アンナさんは嗚咽する。
寄り添うようにユーリス殿下が膝を折る。
私とクレイはアンナさんから少し距離のある場所で呆然と立ち尽くすだけ。
「……侍女、だよ。あの日、聖女様に随行するはずだった」
彼女が何者なのか、答えをくれたのはクレイだった。
ユーリス殿下がアンナさんの元にいったおかげで他と距離が開いたからこそ言えたことだろう。
耳元で他には聞こえぬよう呟く。
19年前、聖女が王都から離れると決まった際に1人の魔導師と1人の侍女が付いて行くと決まった。
その1人の魔導師が、クレイだ。
この人が、もう1人の侍女。
そしてそこでようやく私は思い出した。
聖女時代、私に仕えてくれていた侍女達の中に彼女の顔があったこと。
確か伯爵家の三女だっただろうか。
いつも緊張した様子で震える手を留めながらお茶の準備をしてくれた姿を思い出す。
そうか、あの子はアンナという名だったのか。
そんなことすら今知った。
……私は、本当に何も見えていなかったのだなと、思い至る。
「ご無事で、ご無事で良かった……っ、本当に」
耳に届く言葉は聖女を崇める言葉ではなくて、ただただ純粋な喜びの言葉。
光の当たる大きな聖女像から背を向けて、私の方を見てただひたすらに私の無事を喜んでくれる。
彼女が見ているのは、虚像の聖女では決してない。
「私は、聖女様では」
「……良いのです。聖女様であろうとなかろうと、貴女様が健やかに幸せに生きてくださっているならばそれで」
「っ、私、は」
「おかえりなさい。よくぞお帰り下さいました」
……視界が曇る。
心が、揺れる。
否定の言葉は鈍くなり、その場から動けない。
初めてだった。
この国で聖女ではなくて、ユーフィアとしての私を喜んでくれた人は。
帰還を、無事を、こうまで純粋に喜んでくれた人は。
「……初めまして。私はフィオナ、シャルレーゼ王国より参りました」
ああ、彼女にはこうして自己紹介することがとても苦しい。
顔を上手く見られない。
見てしまったら、謝りたくなってしまう。
ありがとうと、お礼を言いたくなってしまう。
聖女ではない私には、どちらも許されないはずなのに。
アンナさんは、そんな私を責めることはしなかった。
「……初めまして、取り乱して申し訳ございません。この教会に仕えさせていただいておりますアンナと申します。ようこそ聖カトリナ教国へ、フィオナ様」
それどころか私の話に合わせ、彼女は笑んで見せる。
柔らかく、温かく、包み込むように。
「そちらの御方は、フィオナ様の」
「婚約者だ。クレイドという、初めまして」
「そうですか、クレイド様。ようこそいらっしゃいました。寄り添い、人生を共にされる方がいらっしゃるのですね。お幸せそうで良かった」
……どうにも彼女の前では表情を上手く取り繕えそうにはなかった。
何とも居心地が悪くふっと視線をそらしてしまう。
自分は本当にどうしてこうも弱いのかと、そう自嘲したくなる。
言葉を上手く繋げられない私に、ユーリス殿下とアンナさんはどう思っただろうか。
口を開いたのはユーリス殿下だった。
「貴女達にというより、私がアンナに貴女達を会わせたかっただけかもしれない。フィオナ殿、我儘ついでにもう一つだけ、見てもらいたいものがあるんです」
そして懐からユーリス殿下が何かを取り出す。
随分と古い手帳を、大事そうにめくり笑った。
「フィオナ殿。貴女は言いましたね、あの聖女像と自分はまるで似ていないと」
「え? はい、申し上げましたが」
「けれど私は貴女を一目見た瞬間から、貴女が聖女様だと確信を持った」
「私は聖女様では」
「……父が、大事に残す画があるのです」
差し出された手帳のとあるページ。
受け取り視線を落とした瞬間に目を見開かせる。
そこにいたのは、かつて聖女ユーフィアとして生きていた頃の私の顔。
今の私と、まるで同じだ。
髪型や服装が、違うだけで。
「……お上手、ですね。フェルナンド陛下には、絵画の才もあるだなんて」
「ええ。対して母は偏りが激しく、絵画の才にはまるで恵まれなかったと嘆いておられました。それでも、苦手だったとしても何かを描かずにはいられなかったのでしょう」
「……はい?」
「その手帳、ページを1枚めくっていただけますか。そこに、母が描いた聖女様の絵があります」
言われた通りめくったページ、目に映ったその顔に手が震えた。
息をのみ、無意識のうちに足が一歩下がる。
ふらりとよろけた私を支えてくれたのは、クレイだ。
険しい顔で、その画を睨むクレイに気付く余裕は失せてしまった。
私とはまるで似ても似つかない、美しく女神様のような、そんなあまりに神々しい画。
線はガタガタと揺れてはいるけれど。
あまりに薄い筆跡だから、輪郭も少し消えかかってはいるけれど。
けれどそこにあったのは、今この教会内を見守る聖女像の雰囲気そのもの。
私がずっと虚像の聖女と呼んでいた彼女が、微笑んでいた。




