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27.子供


「大変申し訳ございません。多くの国々にご参列いただきました影響で、少々出国手続きが遅れております。大変恐れ入りますが準備が整うまで今しばらくお待ちいただけますでしょうか」


フェルナンド国王陛下即位の儀式、お披露目が終わり2日後。

教国での表立った目的を全て終わらせた私達に待っていたのは、ここまで何もかも迅速に対応してくれていた教国側からの謝罪だった。

シャルレーゼ王国の担当となった近衛騎士が、他の騎士達も連れ立ち申し訳なさそうに深々頭を下げている。

その様子を、笑みを浮かべながらも訝しんだのはクレイだ。


「分かりやすく引き伸ばされてるね、帰国を」


そうして苛立ったように息を吐き出しソファに腰かける。

直ぐ近くで立ったまま頷いたのはお兄様だった。

私達を囲むシャルレーゼの関係者の視線を感じる。

労し気なその優しい視線を見るに、決して責められているわけではないだろう。

むしろ私の心情を慮り心配してくれているのだと思う。

実際に「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた方もいたほどだ。


「……申し訳ございません。ご迷惑をおかけして」


思わず謝罪がついて出た。

頭を下げなかったのは、そこまですると周りが気を遣いすぎてしまうと分かったから。

この方々の様子を見るに、謝罪すら求められてはいないのかもしれない。

それでも言わずにはいられなかった。

こうしてこの場に留められているのは、間違いなく先日のあの私とフェルナンド陛下達とのやり取りがあったからだ。

それが分からないほどには私も鈍くはないつもりだから。


「謝る必要などどこにありましょう、フィオナ嬢」

「ええ、誠に。むしろよくあの場で機転を利かせ、きっぱりと宣言してくださいました」

「貴女の覚悟と意志は伝わりましたよ」


クレイが何かを言う前に、周囲の重鎮達がそう言って下さる。

私の過去もクレイの過去も知る数少ない方々だ、思うところはきっとあるだろう。

けれど苦笑し首を振り、私を労わる。

とても有難く温かな気遣いだ。

その優しさに甘えきりにならずに、報いれる自分でありたいと思う。


「フィー、ひとつ聞いても良いかな?」


そうしていつもの慣れた呼び名で私に聞いてきたのはクレイだった。

視線を向ければ、いつの間にかその場に綺麗に座り直し姿勢を正して私を見つめるクレイがいる。

「はい」と答えた私の声も、だからこそ少しだけ緊張した。


「貴女の意志は、今も変わらずいてくれている? 彼等と再会し、言葉を交わして、心が揺らいではいないかい?」


あまりに不安げな表情に胸が締め付けられる。

綺麗な顔の、落ち着いた表情の、けれどどこか私に縋るようなそんな目。

……知らぬ間に私はクレイをどれほど心配させてしまったのだろう。

決して忘れ去られていたわけではなかった私。

淡く薄く、けれど確かに残るこの国への情。

目の当たりにしたクレイが何も思わないわけがないというのに。

クレイからの感情を疑わずにいられるほど、私はクレイから多くの愛情をもらってきた。

どうしてクレイの不安を真っ先に取り除いてあげられなかったのだろう。

婚約者として情けない。


後悔しながら、それでも私はクレイに迷いなく頷く。

フェルナンド陛下やセレナが愛しいと思うこの気持ちに嘘はつけない。

聖女としての自分に未練があることを否定もできない。

だけど私が手を取り共に生きたいと願う人は、ここにいるから。

もう手を離したくないと願う大事な人と、ただの後悔だけで終わるような真似はしたくない。


「私はフィオナです、クレイ。何も変わりません」

「けれど」

「クレイ。……心が揺れていないと言えば、嘘になります。何も思うことがないとも言えない。けれど何があろうと私が選ぶのは貴方です。強くて弱くて器用で不器用な、そんな貴方がいてくれたから私は立っていられる。何も、変わりません」


膝をついてその両手を握る。

ああ、周囲に他の人もいるというのに王太子であるクレイ相手にこの態度はいけないのかもしれない。

少し前に私がクレイを諫めたというのに、自分のことはまるで棚上げだ。

けれどどうしても、そうしたかった。

クレイが私のことでひとり抱え込み悩むというのならば、それを放ってはいたくない。

クレイの最も近い場所で、辛い時も楽しい時も共に抱えて生きていくのだと誓った。

私が一番辛い時にクレイが傍にいてくれたように、私だってクレイにずっと寄り添える自分でありたいのだ。

クレイの辛そうな顔の方が、先日の謁見よりもよっぽど辛い。

そういう自分を自覚する。

理性では王太子相手に臣下として接するべきだと思いながらも、本能はクレイの笑顔が見たいと訴える。

その強い感情を、私はたまらなく愛しいと思った。


「どうすれば不安ではなくなりますか? クレイが望むことを言ってください。私、クレイを甘やかせる存在になりたいと言いました。今も同じですよ?」

「……うん、嬉しいよ。けれどそんなことを言うと、本当に私は我儘になるけれど? 知っているだろう、私がどれほど執念深いか」

「お任せください。だって私は王太子妃になるのだから。クレイと渡り合えるようになりたいです」

「…………ありがとう。ごめん、弱い私を見せたのがいけなかったけど、理性がガンガン削れるからその辺で良いよ」

「我慢しないでくださいね? いつでも何でも仰って下さい」


ぐぐぐっとその手に力を込める。

私の熱を全て持っていってくれて構わないと、心から思う。

ゴホンと大きな咳払いが耳に届いたのは、クレイが私との視線を何故だか外した瞬間だった。


「フィオナ。その辺にしておけ」


心底面倒そうな顔をしたお兄様がこちらを見ている。

そして何故だかとても可哀想な人を見るような視線でクレイを見つめている。

お兄様がクレイにそういった表情を向けるのはとても珍しい。

だからどうしてそうなのか気になり首を傾げる私。


「とにかく手を離して距離を取りなさい。クレイド殿下が心落ち着ける時間を」

「え? あ、ご、ごめんなさい。強く握りすぎましたね、うっ血してしまいましたか? 痛かったかしら」

「……うん、もうそれで良いよ」

「た、大変! 手当を」

「フィオナ。良いからその手を離してやりなさい」


結局、クレイはしばらく私と目を合わせてくれなかった。

よほど痛かったのだろうかと反省すると、お兄様から「そうじゃない」と怒られる。


「クレイド殿下。甘やかしてばかりいないでもう少し躾けることをお勧めします」

「うん、そうだね……けれど、こういうのってどうすれば伝わる? この子の本質的な部分だろう?」

「……周囲の目がある場に置いて、周りの反応から理解させる……とか」

「…………誰が付き合ってくれるの、それ」

「…………」


ついにはこの場にいる全員から何故だか視線を逸らされた。

あまりよく理解できていない私は、もう少し一般常識を学ぶべきなのかもしれない。

そうして微妙な沈黙が部屋を包んだ時。


「クレイド殿下、ご来客が」

「来客?」


駆け足で入ってくる従者の姿があった。

息を切らし、こわばった表情でクレイの前に跪く。

クレイが誰かと聞き返せば、何故か彼は一度私に視線を向け再びクレイを仰いだ。


「聖カトリナ教国王太子、ユーリス殿下でいらっしゃいます」


私を含め何名かがその場で息を飲む。

自然と向けられた視線は、半分がクレイでもう半分が私だ。

聖カトリナ教国王太子、ユーリス殿下。

フェルナンド陛下とセレナのただ1人の王子。


「クレイド殿下と、フィオナ様にお取次ぎをと」


言いにくそうに、けれどきっぱりと最後まで説明をくれた従者はそれきり頭を下げて指示を待つ。

クレイだけではなく私まで名前が上がったその意味を、理解できぬほどには私も鈍くない。


「……フィオナはここにいて良いよ。私だけ応対しよう」


途端に険しい顔を見せたクレイは、そう言う。

けれど言ったかと思えば、すぐに首を振り目を閉ざした。

深く、長い溜息が場を支配する。

目を開けるまでどれくらい経っただろうか。


「……そうも、いかないか。フィオナ、来るかい?」


そうして言い換えたクレイが手を差し伸べる。

震えてはいない、いつも通りの綺麗な仕草。

表情だって落ち着いている。

けれど、目の揺れだけは誤魔化せない様子だった。

ゆらゆらと、私を捉えながらも落ち着かない。

それでも私に選択肢を与えてくれているのは、クレイなりの優しさであり矜持であり覚悟なのだとそう思った。

シャルレーゼの代表として、私の婚約者として、ここにクレイは立っている。


「はい、クレイド殿下。私も共に」


だから、私もシャルレーゼの一員として、クレイの婚約者として、姿勢を正しその手を取った。

くしゃりと歪み、やはり不安そうな表情に戻るクレイ。

けれどもう一度首を振ったその後は、見事にクレイド殿下の表情へと変わる。


「待たせてすまない。案内してくれ」

「はっ」


それまで呆れた表情すら見せていたシャルレーゼの皆が、頭を下げて見送ってくれる。

……私も相応しい存在でありたいと、そう思った。



「お待たせして申し訳ございません、ユーリス殿下」

「いえ、こちらこそ突然押しかけ申し訳ありません。フィオナ殿も、お疲れのところを申し訳ございません」

「いいえ。ようこそいらっしゃいました、ユーリス殿下」


フェルナンド陛下によく似た王太子ユーリス殿下は、朗らかに笑んで綺麗な礼を取る。

今年10を越えたばかりの、とても若い王太子殿下。

けれどその所作も表情も言葉遣いひとつとっても、10歳にしては洗練されすぎている。

……フェルナンド陛下と、こんなところ一つとってもよく似ていた。

“殿下”とお呼びしていた時代のフェルナンド様を思い出すほどに。


「先日は我が国の者がフィオナ殿に大変な失礼を働き申し訳ございませんでした。改めてお詫びを」


そうしてユーリス殿下から切り出されたのは、謝罪の言葉だ。

傍に控える彼の側近が、お詫びの品だと言って大量の宝石を差し出す。


「そのような。畏れ多いことです。どうかお気になさらず、これほどの高級品頂く訳にはまいりません」

「そう仰らず。どうかお受け取りいただけないでしょうか」


眉を寄せ申し訳なさそうにユーリス殿下が頭を下げる。

同じ王太子同士と言えど大国と小国では残念ながら絶対的な力の差が存在する。

いかに年若いと言えど立場はユーリス殿下の方が上というのが、常識だ。

だからここまでへりくだるその姿勢に慌てたのは私達シャルレーゼ側だった。

頑として頭を下げたまま動かないユーリス殿下に、渋々私達はその宝石を受け取る。

それにいつまでもユーリス殿下を広間に立たせているわけにもいかない。

応接間の椅子に勧めるのは自然な流れだった。

気付いた時には決して広いとは言えない空間に、私達と両国の重臣のみが集っていた。


「……強引な真似を致しまして、申し訳ございません」


沈黙を破ったのはユーリス殿下だ。

そのようなと声をあげようとして顔を上げた私は、彼のあまりの表情の変わり様に驚く。

フェルナンド陛下を思い出させるほど大人顔負けな表情を浮かべていたユーリス殿下、しかし今はとても年相応の……親に叱られる瞬間を待つ子供のようなそんな表情だったのだ。


「フィオナ殿が、この場にいらっしゃって下さったことにも感謝致します。正直、ここへ来てはくれないかと」

「ユーリス殿下?」

「失礼なことをしていると分かっています。無礼の上塗りだと分かっている。しかし、どうしても諦めきれなかったのです。少しでも……わずかな可能性だとしても、機会をいただきたかった」


言葉までもが、砕けて弱々しい。

戴冠の儀も、その後のお披露目も、先ほどの外での会話ですら、ユーリス殿下は完璧だった。

流石はフェルナンド陛下の御子だと、そう言える程に。

けれどその完璧さが脆い仮面だったのだと、そんなことをここで知る。

思えばまだ10歳なのだ。これでも十分驚くほどには大人びてしっかりしている方だろう。

そんな彼が今まっすぐ視線を向ける先は、私だ。

諦めきれない、機会が欲しい。

その言葉で、彼が何を言いたいのか私はもう理解できる。

目を閉ざし静かに息を吐き出したのは、ここにきて私自身の心境にも変化があったから。

フェルナンド陛下とセレナ、2人に対する感情が少しずつ再び湧いてくるのを感じていたからだ。

私の選ぶ相手も生きる場所も変わらない。

それでも過去を悟られないようにするには、今少しだけ気力が必要だった。


「もし私をまだ聖女様と同一視していらっしゃるならば、改めましてここで否定させていただきます」


ユーリス殿下が何かを言う前に、私はもう一度はっきりと表明する。

私は聖女ではない、この国とは一切関係のない他国の貴族だと。

目の揺らぎも声色の変化も許されないと、そう思った。

だから何かを探すかのように必死に私を見つめるユーリス殿下をただひたすら見返す。

……ああ、顔の造形は何もかもフェルナンド陛下に似ているけれど、その表情はどちらかと言えばセレナに似ている。

どこか自信なさげで、目元は少し垂れて、けれど希望を捨てずに前向きだったセレナ。

ユーリス殿下のその視線の向け方や心構えはどこかセレナを思い出させる。

2人の子供なのだと、こうして近くで見れば信じることができた。

懐かしい、愛おしい。

初対面のはずなのに、そう思える程に。


「……そう仰るのではないかと、思っていました。そう簡単に認めてはいただけないだろうとも思っています。けれどやはり私はたった一度でも良いから機会が欲しい」


落胆の色を隠しもせずユーリス殿下は言う。

どうやら素の状態で、悲しいのに笑みを浮かべるといったことまではまだ出来ないようだ。

愛され、表情を自然に浮かべることを当然のように許されて育ったのだろう。

少し甘さの見えるそんなユーリス殿下の隙に、良かったと心から思う。

いつもこわばり緊張していたフェルナンド“殿下”を知っているから尚更だ。


私の顔から自然と浮かんだのは苦笑だった。

とても嫌いにはなれない、親しみと愛しさを感じる王太子様。

私の方もきっと、ずっと彼相手に仮面をつけ続けるのは不可能だろう。

そう悟る。


「ご期待に沿えず申し訳ございません、ユーリス殿下。悲しませてしまいましたね」

「そのような。突然押しかけ勝手を申し上げたのは私です」


賢く聡明で、けれど素直な一面も見えるユーリス殿下。

懐かしい。

フェルナンド陛下と過ごした空気感ととても良く似ている。

そう思い返せば、険しい顔を続けることはやはり無理だった。


「……どうか1日、1日だけで良いのです。お時間をいただけませんか」


そうしてユーリス殿下は懇願してきた。

途端にすぐ横でクレイの表情が険を帯びる。

宥めるよう咄嗟にその手を重ねたのは反射的なこと。

その様を見てユーリス殿下はどう思っただろうか。

今度はクレイの方に向き合い、口を開ける。


「勿論クレイド殿下も御一緒に。お2人の絆を掻き壊すようなことは決してしないと誓います。フィオナ殿に全てを認め受け入れていただきたいなどと、そのような虫の良いことも申しません。ただ」

「ただ、何でしょう」

「知って、いただきたいのです。私の願いは、本当にそれだけです」


何を、とは聞けなかった。

クレイはユーリス殿下の言葉にどう思ったのだろうか。

綺麗な姿勢のまま、静かに目を閉ざし深呼吸をする。

先ほどとまるで同じ動作を何度も何度も繰り返す。

重ねた手は冷たく、いつの間にか少しだけ震え始めていた。

それでもクレイは目を開きユーリス殿下と向き合う。


「どうかお約束いただけますか。決して……、決して、フィオナに無理は強いないと」


出てきたのは、ただただ私を案じ守るための言葉ばかり。

変わらず手は冷たい。震えも治まってなどいない。

けれど凛とした表情のまま、ユーリス殿下と向かい合う。


「勿論です。1日お付き合いいただけましたら、何の邪魔立てもせずにシャルレーゼ王国へと見送ると誓います」


ユーリス殿下からの即答に、クレイは頷いた。

そうしてここで初めて私の手を握り返し、視線をこちらへと向ける。


「フィオナ、どうしたい? 貴女の意志を聞きたい」


……何故だか、涙が出そうになった。

私のことに関しては狭量だとクレイは言っていた。

さきほどだってあれだけ不安そうにしていたのに。

それでも結局クレイは私の心をとびきり大事にしてくれる。

隠しきれない不安や葛藤を、晒しながら。

だから、私もクレイ相手には嘘がとてもつけない。

つきたくないと思った。


「1日だけでしたら。ユーリス殿下のお話をお聞きしたく思います」

「……そう」

「ですが、クレイド殿下と共にです」

「っ、フィオナ」

「……共に抱え生きるのだと、そう誓いました。今も少しだって変わりません」

「……ああ、ありがとう」


ひとつひとつ、こんな時でも確かめ合う。

頷き合って、言葉を惜しまず伝えて手を取り合う。

私もクレイに対していつだって誠実でありたい。

変わることのない想いを胸に、ユーリス殿下に向き合った。


「よろしいでしょうか、ユーリス殿下」

「……ええ、勿論です」


ユーリス殿下は笑う。

嬉しそうとも悲しそうとも、何とも言えない表情で。

おそらく私達が浮かべている笑顔も同じだろう。

ほんの少しだけ緩み温かになった空気感を、私達は全員が感じていた。















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