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25.戴冠の儀


何度も何度も、その瞬間を想像した。

涙が零れてしまわないだろうか。

たまらなく愛しくなるのではないか。

聖女の自分に対する未練が心を引っ掻くかもしれない。

本来ならば自分がいるはずだった場所にいられない現状に、悲しみを覚えたりするだろうか。

様々な、一言ではとても表しきれない感情が渦巻くだろうと覚悟すら決めていた。

……けれど。


「これより聖カトリナ教国、新国王即位の儀ならびに戴冠の儀を執り行う」


その様を、私は自分でも驚くほど冷静に見つめていた。

感情は、そう大きくは動かない。

目に映るのは陛下とかつて私がそう呼んだ唯一のお方。

その近くに控えている女性に目が向く。

今日ここで王妃となる、私のかつての“妹”だ。


「あの方がフェルナンド殿下の……」

「ああ、お美しい」

「聞けば魔導の腕も確かだとか」

「なんと。天は二物をお与えになったのだな」


囁き声を耳にしながら、その横顔を眺めた。

純白の、上品でシンプルなドレス。

その胸にかけられた深い藍のサッシュがよく映える。

……綺麗になった。

くるくると丸まる髪が嫌なのだと赤い顔で話してくれた日のことを思い出す。

人より丸い顔が幼く見えて歯がゆいのだと拗ねた顔を思い出す。

いつか殿下の背を抜くのだと宣言した、そんな思いの外意志の強い一面を思い出す。


『お姉様!』


いつだって素直な表情を見せ慕ってくれた大事な妹。

少し抜けていて、純粋で、無邪気で、人見知りで、すぐに慌てる、そんな子だった。

そのセレナが、静かにたおやかに笑んでいる。

顔からは丸みが取れ、くるくるよく絡まった髪は綺麗に整えられていて一部の乱れもない。

自信なさげに丸まっていた背は真っすぐ伸びていた。

変わらずすらりと伸びた手足、身長だけはあまり変わっていないだろうか。

隣に立っている殿下によく似た少年が2人の王子だろう。

母に、王族に、彼女はなったのだ。

そしてその役目をしっかりと全うしている。

初めてセレナを目にした他国の王達が、感嘆するほどに。

……19年、経ったのね。

今になってようやく私は実感する。

あのどこか危ういところのあったセレナが、母となり王族となり1人でしゃんと立てるほどの時間が経ったのだと。

不思議なほどに穏やかな気持ちのまま、その姿を見守った。


「王太子フェルナンド殿下、ご入場」


“弟”が、大きなマントを靡かせ大きな歩幅で中央を歩く。


『姉上より大きくなれるでしょうか』


……過去など見る影もないほどに、ご立派になられた。

背はさらに伸び、体躯もがっしりとしたもの。

武人として随分と鍛えたのだろうと素人目にも想像がつく。

脇に差した大柄のサーベルが良く似合っていた。

口を一文字に締めたその表情だけは、あまり変わらないだろうか。


「なんと精悍な」

「あの御方が次代の」

「絵になりますな」


会場の至る所から漏れているのはやはり感嘆のため声。

けれど玉座の前に立ち止まり振り向いた彼のその纏う空気と鋭い視線に、一瞬で会場は静まり返った。

その覇気に当てられたよう、誰もが息をのみ頭を下げる。

生まれ持った才覚は、今も健在のようだ。


『姉上、お加減はいかがですか』

『……姉上には何でもお見通しですね』

『姉上の方が大事な御身ですっ』


無知な私を、それでもとびきり大事にして下さった優しい方。

表情にはあまり出ないけれど、人としての情を誰よりもお持ちだった方。

……懐かしい。彼の方に教えていただいた温かな気持ちを思い出す。

成長したそのお姿を目にすることが叶って嬉しい。

健やかに、逞しく成長されたことに安堵する。

19年という決して短くはない年月を私は噛み締めた。


33歳のフェルナンド殿下に36歳のセレナ、そして19歳のフィオナ

……ずいぶん遠のいてしまった。歳も、立場も、距離も。

人々からの熱い視線を一心に受け、それでも堂々とその場に立っている私の大事な弟妹達。

面影こそ残ってはいるもののあの頃とはまるで違う大人の顔をした2人に少しだけ寂しさを覚える。

けれどそれが私の心が脈打った最大だった。

違和感を覚えたのはこの時だ。

懐かしい、愛おしい。

そう思う気持ちは確かにあるのに、それ以上の感情が湧いてこない。

19年ぶりの、とても大事な存在と会えたにしては、あまりに起伏がないと気付いた。

体を巡るのはさらりと綺麗で緩やかなものばかり。

涙の一つも浮かばない。

そよ風のように柔く駆け巡るだけ。

その穏やか過ぎる感情に自分が一番驚く。

大事な存在なのだ。

聖女として生きた私にとって、間違い様も無く唯一の存在だったはずだ。

それにしては私の中に巡るこの感情は、あまりに平らすぎる。

薄情だと、そう自分を罵りたくなるほどに。


玉座では陛下が自らの王冠を外し、王位を退くことを宣言する。

そうして目の前で膝を付いたフェルナンド殿下の頭に、その冠が乗る瞬間を見届けた。

立ち上がりこちらを振り返るフェルナンド殿下……いや、フェルナンド陛下が口にするのは王位を授かった宣言と王になることへの決意。

ほどなくしてフェルナンド陛下の前へと歩み出たのは、同じく今日冠を頂くこととなるセレナだ。

フェルナンド陛下直々に王妃の象徴を授かると、寄り添うようにしてその場に立ち上がる。

美しい所作に圧倒的な存在感、本当に絵になる夫婦だと、そんなことを他人事のように思った。

聖カトリナ教国、新王誕生の瞬間。

拍手がどこからともなく生まれる、新たな時代を祝福する拍手。

私からのそれは、周囲にかき消され自分でもその音が分からない。


「我らを守護せし聖女様に、祈りを。皆様もどうぞお祈りください」


臣下の1人がそう告げた。

聖女に祈り……馴染みのない言葉に違和感を覚える。

はるか前方でフェルナンド様とセレナが向かう先には、巨大な女性像があった。

私の時代には存在していなかった、やはり私とは似ても似つかぬ美しい聖女像だ。

目も鼻も口も、顔の造形から体格まで、全てが整いすぎた石の聖女様。

物音ひとつしない聖堂の中央で、フェルナンド陛下とセレナが膝をつく。

“聖女様”に向かって当然のように、慣れさえ見える仕草で手を組んだ。

習うように教国関係者が皆揃って膝をつく。

頭を垂れ熱心に祈るその姿を、私は一体どう受け止めれば良いのだろうか。


「……っ」


なだらかすぎる心が波打ったのはこの瞬間だった。

今までの平穏さが嘘のように、強く激しく感情が揺さぶられる。

戸惑いなのか、怒りなのか、悲しみなのか、自分自身よく分からない。

ただただ胸が苦しかった。

この場にいることが苦痛で仕方がない。

気味が悪いと、そう思ってしまうのは酷いだろうか。

この人達は一体誰に祈りを捧げているのか。

一体、何を祈っているというのだろう。

どうして今更こんな滑稽な真似を。

醜い感情が渦を巻いて絡みつく。

とても直視できなかった。

視線を外し手を握りしめることで何とかそれを逃がそうと試みる。

表情を上手く取り繕うことができない。


「何と美しい光景なのだろうか」

「この国の聖女様との絆は本物だな」

「聖女様がご存命でいらしたならば、どれほど良かったことか」

「素晴らしい方だったのだろう、聖女様は」


ああ、耳を塞ぎたい。

これほど体の中に拒絶反応が訪れるのは初めてだ。

目を逸らした人物など、きっと私くらいのものだろう。


どうしてフェルナンド様とセレナまで。

私の顔を知っているはずなのに。

それはあなた方の知る聖女ではないと誰よりも知っているはずだ。

この国の聖女がかつてどのような立ち位置でどう思われてきたか知らぬはずがない。

それなのに、どうして偽りの聖女に誰よりも熱心に祈りを捧げているの……?

頭を殴られたような、普通ではない衝撃が走る。


そして何よりも、その感情が2人への愛情よりも勝ってしまったことに驚いた。

本当の弟のように大事に思っていたフェルナンド様、本当の妹のように可愛く思っていたセレナ。

誰よりも幸せになって欲しくて、誰よりも別れたくなかった私の家族。

間違いないはずだ。

遠く離れても、何もかもが遠くなってしまっても、この想いは揺らがないはず。

それなのに怒りや虚しさばかりが今の私を支配した。

私の中の優しい思い出が薄れていく。

温かな想いが、記憶が、塗りつぶされていく。

手がわなわなと震えて爪が手に食い込んだ。

あまりに薄情な自分が腹立たしかったのか、虚像の聖女を敬うこの光景が辛かったのか、もはや分からない。


薄情だと、自分を思う。

自分勝手だと、そうも思う。

一体私は何を求めてここまで来たのかと。

傷付くことなど承知の上で、あの時見えなかったものを見て心に整理をつけ、そうして真にこの国と別れるために来たはずだ。

シャルレーゼの次期王妃として。

この先、私がこの教国のために動くことはない。

聖女に戻るつもりもない。

……過去を受け入れて、今を生きたい。

けれど、過去を受け入れるということは簡単なことではないのだと突き付けられる。


「……っ」


ポンと、横から優しく背を押された。

その瞳が、こちらを向くことはない。

けれどとびきり優しい手付きで慰めるよう背を撫でられる。

はっと我に返ったのは、その手があまりに温かかったからだ。

涙が零れそうになった。

泣いて縋って、閉じこもりたかった。

私の少し前を立つクレイは、表情一つ変えずこの光景を見つめている。

触れられたのはつかの間、数秒だけだ。

けれど、そのおかげで何とか足に力を入れることに成功する。


『過去を切り捨てることは、私にはできません。今を選び取ることは出来ても、聖女として生きた人生だって私の一部で苦しくとも大事な思い出です』


クレイに説いた自分の言葉を思い出す。

そうやって私達は過去を抱えて生きていくのだと決めた。

苦しくとも、引きずられることがあったとしたって、抱えてもがいて、そうして得た多くのもので自分達の国を守っていくのだと。

……ああ、そうか。

その過去を、私の生きた痕跡を、消されてしまったことが辛いのか。

ようやく私は渦巻く激情の正体を知った。


役立たずの聖女だと今でも伝わっていた方が嬉しかったのかもしれない。

引きこもりの、無知で無能な聖女だと言われていた方が良かったのだ。

いっそのこと聖女の存在そのものが無かったものとして扱われていた方が楽だったのだろう。

それは私の過去がここにちゃんとあったのだという証だから。

あまりに至らない、けれどありのままの私がここに残っていると思えたから。

けれど皆から崇められている“聖女様”は、虚像ばかりだ。

そこに私はいない。

私がこの国に生きた証すら、認められない。

家族と信じた大事なはずの、そんな彼等にすら。


空虚な気持ちになり、視線はやはり中央には向けられない。

これも現実なのだ、受け入れなければいけないと頭では分かっている。

けれどどうにも2人が祈る姿だけは見ていられなくて、視線をそらしてしまう。

そうして何度も目が動き、鋭い視線に気づいたのはそんな時だった。

槍のような、矢のような、その攻撃的な視線の正体を私はもう知っている。

ゆっくりと向けられた視線を辿り、その主を探す。

聖堂の隅、膝を折る教国民の中でただ一人仁王立ちするその姿を目にした。


バルド様。

先ほど庭園で対峙した、今も私に厳しい目を向ける上級魔導師様。

ただただひたすらに、聖女像には目もくれず私を睨む。

その視線の強さにクレイも気付いたのだろう、咄嗟に私を背に庇おうとしてくれた。

けれど小さく首を振り私はクレイを制する。

私の中に巡っていた強い感情が少しだけ冷静さを取り戻したのが分かった。

静かに、真っすぐその視線を見返すことができる。


……やはり皮肉な話だ。

誰よりも私を認めていなかったその存在に救われるなど。

聖女像に祈る気配を見せない彼の姿に安堵するのはおかしな話だろうか。

私の知るそのままの彼がここにいる。

虚像を崇める他の人よりもよほど聖女に向き合ってくれているように感じたのだ。


「ありがとう、ございます」


小さくこぼれた言葉は、何に対してだったのか。

やりきれない感情を静めてくれたことに対するものかもしれない。

私のことをありのままに見つめてくれたことに対するものかもしれない。

届くはずもない私の言葉は、けれど唇の動きで伝わったのだろうか。

視線の先のバルド様が、軽く目を見開き再び眉を険しく寄せる。


……昔の自分では見えなかったもの。

もしかするとあの方は、私が思うほどには冷酷な人ではないのかもしれない。

初めて省みることのできた一つ目は、そんな何とも複雑な感情だった。





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