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24.庭園


案内された庭園はいつにも増して静けさに包まれていた。

おそらくは時間を調整し、一国ずつ時間を区切り案内されているのだろう。

どうぞと迎え入れられたその場所には、人の気配が綺麗に失せている。

青く茂った短い芝、中央の花壇に咲き乱れる大小の花々。

片隅の温室は、確か魔導師達が管理する貴重な植物が植えられていたはず。

その温室の近くには10本ほど木々が植えられ、葉のこすれる音が耳に心地よい。


記憶にあるままの姿だ。

懐かしいと、そう思う。

けれどこの場所は、こんなに狭かっただろうか?

昔はこの場所をずいぶんと広く感じていた。

私の世界は部屋かこの庭園か、それがほとんどだったから。

たまに殿下やセレナに誘われて外にも出ていたけれど、私にとってこの場所は国民達と触れ合う唯一の場所だったと思う。

……視野が狭かったのだと、これほど時間を経てやっと理解する。

この目の中に全てが収まってしまう景色が私の日々の全てだった。

この場所が、一番人々の本音を知った場所。

ここでこぼれた騎士や魔導師、侍女達の言葉が私にとっては全ての世論だった。

案外それだけではなかったかもしれないと、その可能性にすら気付くことなく。

聖女としてどれほど閉じた世界に生きてきたのかと今ならば分かる。


「こちらが聖カトリナ教国王城の庭園にございます。王族の皆様がお住まいになられます居住区と陛下並びにご要職の皆様方が政務を行います別棟の境にあるため、かつては聖女様もこちらをよく訪れになられていました。今も昔も王城内の憩いの場です」


案内してくれた衛兵は、やはり見覚えのない若い顔。

紳士的な笑みで当然のように聖女の話をする。

今目の前にいる私こそがその当人なのだと言ったら、この人はどう反応するだろうか。

そう思いながら見渡せば、ふと視線が花壇の隅に移った。


城壁や建物の影が重なり薄暗くなった一角、そこは私が勝手に自分の定位置と定めた場所。

なぜだか、見覚えのない銅像が立っていた。

陽の光など滅多に当たらない場所なのに。

衛兵が私の視線に「ああ」と反応を示す。


「聖女様のお姿を残す像ですよ」

「……聖女様の?」

「ええ。聖女様は陰日向に咲く小さな花をも愛するお優しい方でした。陽の光に恵まれず萎れてしまった花によく生気を与えていたとのことですよ。聖女様のご気性がよく分かる逸話ですね」

「そう、なのですか。聖女様は、お花がお好きだったのですね」

「ええ、そう伺っております。聖女様のお部屋にはいつも花が溢れていたようですよ」


言葉に詰まる。

確かに私はここでよく花と向き合っていた。

部屋にいるかここにいるかというくらい、この場所には足繁く通っていたと思う。

私の定位置は確かに影の強いあの場所で、幾度となくそこで萎れた花に手をかざしていたのも事実。


けれど、違う。

私は優しいからあの場所にいつもいたわけではない。

あそこにいたのは、人の目を避けたかったから。

人々から届く失望の眼差しから逃げたかった。

花に手をかざしていたのは、花を愛していたからではない。

それしか、自分が蘇らせられるものがなかったからだ。

部屋に溢れた花々は、多くが自分の練習用に用意された萎びかけの花。

生気に満ち溢れていたのは、本当の花好きであったセレナからの贈り物くらい。


「聖女様の過ごされたお部屋も大事に保管しております。年に一度だけ、国内から数名を招待し公開しているのです。聖女様に相応しく温かで慎み深いお部屋ですよ」


聖女様、聖女様、聖女様。

異様なほどの持ち上げ方に、強烈な違和感を抱く。

国に入った時にも言われた“聖女の守りし国”という言葉。

でもあの頃は誰もが私を見て失望し、ある者は嘲笑を、ある者は嘆きを私に向けていた。

無能で無力な聖女の存在は形だけのもので、影が薄く、魔導師の方が価値ある存在として崇められていたようにすら思える。


どうして、今更。

そんな言葉が胸の内をついてくる。

この衛兵も含め、この国に入ってから誰一人として私に気付かないというのに。

貴方が誇らしげに語る“聖女様”はここにいるというのに。

あの聖女像は、私とあまりに似ていない。

人々の語る聖女様は、嘘ばかりが美談として残っている。


「……清らかで美しい場所ですね。聖女様がお育ちになるに相応しい場所です」


はっと我に返り顔を上げれば、クレイは綺麗に笑んでいた。

一部の隙も見せない綺麗すぎる笑み。

よく知る者ならば能面と、そう言えてしまうほどに。


「あちらの温室は何を育てているのですか?」

「ああ、あちらは魔導師の……魔素資源となる植物を植えております」

「魔素を? 本当にこの国は聖なる力が芽吹く特別な国なのですね」


わざとらしいほどに感心した様子を見せるクレイ。

ピリピリと彼を纏う空気が張りつめている。

……いや、クレイだけではない。

何故だか今までにこやかに笑んでいた衛兵までもがその顔を少し歪めていた。


「……シャルレーゼ王国、だったか」


硬質な、聞き覚えのある声が響いたのはこの瞬間だ。

私もクレイも衛兵も、3人揃って視線を向ける。

声がしたのは温室の方から。

気付けば1人、全身黒のローブを身に付けた男性がいる。

その姿を認めた瞬間、息をのんだ。


『まだお分かりにならないか。魔導師達は皆忙しいのだ、貴女と違って暇ではない!』

『もう結構。とにかくこれ以上我々の邪魔をしないでいただきたい』


数少ない彼との会話を思い出す。

上級魔導師、バルド様。

厳格で、誰よりも聖女の存在を認めてはくださらなかった人。

まさか、この場で対面になるとは。

この温室にいる魔導師達は、新人かその指導員が多かったはずなのに。

思わず分かりやすい反応をしてしまった私に、クレイが宥める様背を撫で一歩前に出てくれた。

私を庇うように背に隠す。


「失礼。邪魔をしてしまっただろうか」


あくまで穏やかな声色のままクレイが応対する。

一方のバルド様は険しく顔をしかめたままだ。

……昔は、この人の目の前にいるだけで足がすくみそうだった。

否定の言葉ばかりを言う彼が、正直とても苦手だったと思う。

国からの評価は高く、多くの信頼と尊敬を一心に受けた一流の魔導師様。

対して力もないくせに敬われ続ける聖女の私。

まさに火と油の関係だ、気が合うはずもない。

情けないことに震えそうな足を抑えるのが精いっぱいだ。

……それでも。

足を踏ん張り見返す。視線を逸らす気も、罪悪感を抱く言われもないはずだと信じて。


「……シャルレーゼ王国王太子、クレイド殿下。と、婚約者の……フィオナ殿、ね」


向けられたのは疑いの眼差し。

明らかに私達の存在を訝しみ警戒した表情。

すっとバルド様が一瞬だけ視線を外す。

その先にあったのは、木陰にある聖女像。

そうして再び私へと視線を戻した。

それだけ分かりやすく反応されれば私でも理解できる。

この方は、私の顔を覚えているのだと。

私が何者なのか、聖女と同一人物なのではないかと疑っている。


……何とも皮肉な話だ。

私のことを覚えているのが、天敵ともいえるこの方だけとは。


「バルド殿! 何をなさっておいでか。来賓の王族に何と失礼な事を!」


睨み合いの空気に圧されていた衛兵が、慌てて間に入る。

私達に「申し訳ございません」と丁寧に頭を下げた後、バルド様を睨みつけた。


「そもそもなぜここにいるのです、この時間は来賓の方々をお招きする故火急の用が無い限り立ち入らぬ様通告したはずですが?」

「警備に必要な魔素を取りに来ることが火急の用でもないと?」

「……魔素など」

「何か言ったか」

「……いえ。とにかくこれ以上ご無礼の無いよう、早々に立ち去って下さい。この方々は新陛下のご即位をお祝いに来てくださった大事なお客様です」

「お客様、ね」


ふっと笑ってバルド様が視線を逸らす。

案内役の衛兵は険しい顔を崩さぬまま。

「失礼」と頭を下げたかと思えば、バルド様はあっさりとその場を後にした。

その直後。


『何用で舞い戻った』


脳に直接言葉が響く。

思わず息をのみ視線を彼に向ける私。

バルド様は一瞬だけ鋭い視線を私に向け、今度こそ完全に姿を消す。


「申し訳ございません! 大変なご無礼を」


必死に謝る目の前の衛兵に、上手く返事ができなかった。

……今でも変わらない。

私が聖女である限り、あの方には歓迎などされない。

聖女の存在はこの国で何故だか大きく立場を変えている。

それでも求められたのは“私”などではない。

勘違いするなと言いたげに、彼の視線は私を射抜いていた。

彼にとってはやはり私は邪魔者以外の何物でもないのだろう。


「あの方は、恰好から見るに魔導師殿かな? 威厳があるな」

「……魔導師長のバルドにございます。お恥ずかしい話です」

「魔導師長。それはすごいな」

「…………魔導師など」


近くでクレイと衛兵が会話をしている。

はっと我に返ることができたのは、間に入ってくれた衛兵があまりに苦い顔をしていたから。

そこでようやく昔との変化に気付く。

魔導師は、皆から尊敬と信頼を得た最上級職だったはずだ。

これほど否定的に言われているところなど見たことがない。

……そういえば温室の説明をしている時も彼は顔を歪めていた。


クレイが気さくに話しかけ衛兵を庇いながら上手く場をとりとめたからだろうか。

衛兵はしゅんと頭を垂れ、愚痴のように言葉を吐き出す。


「……魔導師が聖女様を追い詰めたのです。権力を持っていたことを良いことに彼の方を虐げ、その幸せを奪った。聖女様は、私達の信奉を敬愛を知ることなくこの世を去ってしまわれました」

「……初めて聞いた話だね」

「教国の恥部でしかございませんから。しかし現実は現実として受け止めねば。非難を受けてもなお魔導師の傲慢さは変わらず……、お恥ずかしい話です。ご無礼を本当に申し訳ございません」


……どうやらこの国の勢力図は私達のいない間に随分と変わったらしい。

聖女は亡き者とされ、崇められている。

魔導師は、その聖女を虐げた元凶とささやかれる。

その言葉を、私は一体どう受け止めればいいのだろうか。

感情が入り乱れて、上手く制御できない。

けれど頭に浮かび続ける言葉は、先ほどからたったの2つだ。


何て勝手な。

何を今更。

醜く攻撃的な言葉が、ただただ渦巻いていた。


「何やら込み入った事情に首を突っ込んでしまったようだ。こちらこそ申し訳ない、嫌な思いをさせましたね」

「そのような! ……本当に申し訳ございません、私の役目はお客様にお楽しみいただくことですのに」

「構わない。それにこの庭園は本当に綺麗な場所だ、ゆっくり見させていただいても?」

「勿論です。私は近くに控えておりますので何かございましたら何なりと」

「ああ、ありがとう。さあ、フィオナ」

「……はい、クレイド殿下」


気まずげな表情を見せる騎士の肩をクレイが柔く叩く。

気にしていない、これ以上は何も聞かないと示すように。

まだ若々しい騎士の彼は、その様子にいくらか安堵した様子を見せ私達と距離を置いた。

庭園の入口付近に控え、私達を2人にさせてくれる。


「大丈夫かい、フィオナ」

「……はい。何とか、ですが」

「うん、強くなったねフィオナ。しかし……やはり本質はそう簡単に、変わらないか」


ぽつりと小さく呟くクレイ。

私達のいない間に建てられた聖女像と温室を交互に見比べ、そうして花壇を見つめる。

遠くに騎士達や守衛達の姿が見えるからだろう、表情は何一つとして変わっていない。

けれど耳に届く声はとてもか細く、そして苛立たし気だった。


「……何とも勝手な話だ。正直、複雑だよ」

「クレイ……」

「あの男は嫌いだ。だけど……」


不快そうに吐き出すクレイ。

けれど小さく首を振り、息を吐き出す。

誰にも気付かれぬようにと、表情は笑みのまま。

そうして何かを切り替えるよう幾度か深い呼吸を繰り返し、視線を遠くへ向けた。


「……ここで、貴女に惚れたんだよ私は」


クレイの視線の先にあるのは、温室の近くにある木々だ。

確か仕事の合間に私の姿を見ていたと、そうクレイは言っていた。

ここは私が唯一王族や私を世話する従者達以外と接する機会のあった場所。

クレイもまたそうだったのだろう。

魔導師としてこの温室に何度も足を運んでいたのかもしれない。

あまり真面目に仕事をしていなかったと言っていたから、木々に隠れ休んでいたのだろうか。

分からないけれど、きっとここはクレイにとっても思い出の強い場所。

私を見付けてくれた、私達にとって大事な場所なのだ。


「悲壮な顔で、必死に力を育てようと貴女は努力していた」

「……はい」

「こんな穏やかな顔で、能天気に力を使っていたわけではないのに」

「っ、はい」


小さな小さな会話。

決して表情にして見せてはいけない会話。

穏やかに柔く笑んだまま、遠くで控える騎士達に背を向けてこの庭園を楽しむかのようにゆっくりと歩んで回る。

私の定位置だった影に置かれた銅像をクレイがじっと見つめる。


「全然、似てないしね。まともな芸術家、いなかったんじゃない?」

「クレイ……、駄目ですよ。慎んでください、ここは公の場です」

「今更? ようやくクレイと呼んでくれたね」


棘だらけの、けれどとびきり優しく温かな言葉。

思わず泣きそうになった。笑みを保つことが、とても難しい。

……私の事をきちんと知り覚えてくれている人がここにいる。

聖女などではない、ユーフィアとして生きた私を不器用に褒めてくれる人がいる。


何もかもを、一辺倒では語れない。

聖女様聖女様と今更私を崇めるこの国の騎士達に、悲しい気持ちになった。

まるで違う私の過去を美談として伝えられることに、むなしさを覚えた。

誰一人私を見て聖女様だなんて言わないくせにと。

この国は変わらず私に手厳しく、聖女が私なのだと知ればバルド様のようにまた顔をしかめられるかもしれない。

けれど、それでもありのままの私を見守ってくれた人だって確かにいたのだ。

クレイがここにいてくれるからこそ、私は信じることができる。

何とか踏ん張って、ひとつひとつを事実として受け止めることが出来るのだ。


「……ありがとうございます、クレイ」

「お互い様だよ」


小さく呟き合って笑い合う。

波立ってすぐささくれ立つ私の心が穏やかになって、その後は純粋に庭園を眺めることができた。

ただひたすらに懐かしく、ここで過ごした時の空の色、蘇らせた花の大きさ、聞こえてくる鳥たちの声、色々なことを思い出す。

さようならと、ようやく心の底から自然に言葉が湧きあがった。


「お帰りになられましたか、殿下。フィオナ嬢も。いかがでしたか、庭園は」

「ああ、とても素晴らしいものだったよ」

「それは良うございました」

「戴冠式も近づいてきた。フィオナ、疲れてはいないか?」

「大丈夫です、お兄様。身なりを整え準備致しますね」


シャルレーゼ王国の一員として、フィオナとして生きる今が尚更愛しく思える。

この場所は、温かい。

次期王妃として求められるものは決して小さなものではないけれど、それを嫌だとは思わない。

ああ、私はやっぱりフィオナとしての生を選んだのだと、そう強く実感する。


「本当に大丈夫かい、フィオナ? 無理はいけないよ」


いつも私を第一に考えてくれるクレイ。

気付けばいつの間にかすぐ近くに来ていて、顔を覗き込まれた。

私よりもよほど身なりを気にしなければいけなくて、準備も臣下達との話し合いも必要なはずなのに。

ほら、すぐ後ろでお兄様が呆れた顔でこちらを見ている。

……いや、お兄様だけではなくてクレイの準備を手伝っていただろう侍女や側近の男性達も。

零れた苦笑すら、私には温かい。


「私よりも殿下が大丈夫ですか? いけませんよ、皆様を困らせては」

「ああ、もっと言ってやっておくれフィオナ嬢」

「我が国も安泰ですな、クレイド殿下の容姿に惑わされず殿下をお叱り下さる王太子妃様がいらっしゃれば」

「いざとなれば次期公爵殿もしっかり諫めてくれそうだ」

「……光栄な話ですが、クレイド殿下にご意見など畏れ多いですよ」

「何を、先ほども立派に導いていらしたではないか。その調子だ、フィリップ殿」

「あはは、君達そうやって私の世話をフィルに押し付ける気だな?」

「殿下……笑ってないで、しっかりしてください」

「おや、怒られてしまったね」


室内に笑い声が溢れる。

つられて私も笑う。

私が守りたいものは、ここにある。

穏やかな気持ちでその時を私は迎えた。





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