23.王城
遠くから見えていた懐かしい王城が少しずつ近づく。
ひたすらに白く、ひたすらに高い、この国を象徴する建物。
馬車の中から見える風景が少しずつ華やかになってきた。
赤、橙、黄、紫……品よく見事に咲いた花々が綺麗に手入れされ道端を飾っている。
……懐かしい。
自分が日頃過ごした景色が近づく。
辛いことの方が今思えば圧倒的に多かったけれど、それでもここは私の故郷。
胸に押し寄せる感情は、不思議なことにひどく優しく温かなものばかりだった。
思わず笑みがこぼれるほどに。
「素敵な道ですね、お兄様。あのお花、とても育成が難しいのに」
「……そこなのか、目を付けるのは。まあ、これほど多くの花が咲き乱れている姿は確かに圧巻だな」
「あ……、リラの花」
「リラ? 聞き覚えのない名だな」
「……珍しい花なのです」
目に入ったのは深い藍色の小ぶりな花。
背丈が小さく、細かな葉に覆われひっそり咲くリラの花だ。
『お姉様、リラの花言葉をご存じですか?』
『リラ? セレナはまた随分と珍しい花を知っているのね。確か“幸せを願う”だったかしら』
遠い昔の、まだ私が姉と呼ばれていた頃を思い出す。
“妹”の顔が頭をよぎった。
幼さを宿した可愛らしい顔立ち、少し気が弱いけれど優しく純粋な少女。
そんな彼女は今、王妃になろうとしている。
フェルナンド殿下とセレナの間には今年10歳になる王子がいると聞く。
親になった2人の姿は、私には正直上手く思い浮かべることが出来ない。
いつまでも私の中に残る2人は、弟として妹として接してくれたあのあどけなさの残る2人の姿。
フェルナンド殿下が、王となる。
セレナが王妃に、なる。
ここまで来てなお、実感が湧かなかった。
もうすぐ19年ぶりの再会になるというのに。
おそらくは一方的な再会だ。
会話を交わすことはまず無いだろう。
国際的な常識として、公式の儀式・社交の場で王族に話しかけられるのは同じ王族だけだ。
私はクレイの婚約者ではあるけれど、王族ではない。
男女揃って参加するのが通例の社交の場で、クレイの相手役を務めるだけの存在に過ぎない。
フェルナンド殿下の元へ挨拶する機会が仮にあっても、実際に言葉を発するのはクレイだけだろう。
私はお兄様と共に後ろに控えることになる。
百を超える国が参列していてさらに言葉も交わさないとなれば、気付かれる可能性はおそらく無い。
たとえ何か奇跡が起こり会話を交わす機会があったとしたって、もう昔のようには戻れない。
私達が家族として話すことは一生ないのだ。
それでも、そうは分かっていたって、頭に浮かんだのは今も健やかに暮らしてくれているだろうかと、そんな思いだった。
立派に成長し国の中心となるその瞬間を見届けられることはきっと幸運なのだろう。
遠くからただ見守るだけではあるけれど、今の2人を知ることが出来る。
素直に嬉しいと、そう思った。
どうやら私の中にはまだ2人を家族だと思う心も確かに残っているようだ。
「シャルレーゼ王国王太子・クレイド殿下御来城です」
19年ぶりの、変わらぬ王城。
深紅の絨毯、純白の制服を身に纏った衛兵達。
ひたすらに懐かしい光景が広がる。
出迎えられた入口広間でクレイが笑んでいた。
「この度はフェルナンド殿下の王位ご即位、誠におめでとうございます。輝かしい場にお招きいただき立ち会えること、大変光栄に思います」
聖女様と呼ばれた私と魔導師様と呼ばれたクレイ。
立場も何もあまりに変わった私達。
私の姿に気付く者はやはり現れない。
クレイの姿にも誰も気付かない。
……私がこの国で聖女として生きた意味は、本当にあったのだろうか。
何度も渦巻く疑問を振り払うよう、私の表情にも仮面をつける。
一瞬、クレイと目が合った気がする。
大丈夫かと気遣うような視線を確かに感じたように思う。
……クレイが、ここに共にいてくれて良かった。
私がここにいる意味を、理由を、思い出させてくれる。
背筋を張り、前を向いた。
「即位式までお時間がございます。皆様がお控えになられるお部屋をご案内致しましょう。ご興味がおありでしたら王城内もご紹介いたしますので何なりとお申し付けください」
「ああ、ありがとう」
「ではお付きの皆様方もどうぞこちらへ」
クレイの大きな背に続く。
頭を下げたまま微動だにしない騎士や魔導師、侍女達。
数多くの人がここにはいるのに、場は静寂を保ち続け絨毯に吸収された静かな足音だけが聞こえる。
ひたすらに荘厳で神聖さを感じさせる教国王城。
今も変わらない。
時が止まったかのように、昔の姿そのままだ。
「大丈夫? フィー」
クレイド殿下から私の知るクレイに戻ったのは、控え室に案内され一息ついた頃ようやくだった。
馴染みのある声色、少し仮面を崩したその表情が私には嬉しい。
体中のこわばりが和らいで、自分が思った以上に緊張していたのだと気付く。
「お気遣いありがとうございます、クレイド殿下。少し空気に呑まれてしまいました。お恥ずかしい話です」
ようやく顔を緩めて自然に笑えば、何故だか今度はクレイが複雑そうに眉を寄せた。
目の前すぐ近くで腕を組み恨めし気に私を睨む。
「クレイで良いよ。いつも通り呼んで」
「流石に、それは。他の皆様もいらっしゃいますし」
「ここにいる臣下達は皆、私と貴女の仲をよく知っている者だ。畏まる必要がどこに?」
「そ、れは。ですが、ここは聖カトリナ教国の王城です、公の場ですから」
「控えの間が何の為にあるのか知ってる?」
「クレイド殿下……」
手をすくわれ甲に口づけられる。
途端に肩が跳ね、心臓の音が激しく主張した。
恐る恐る目を見つめれば、どこか甘えるように目を細め笑い返される。
「流されて良いよ」と言わんばかりのその視線に、クレイ限定で意志の弱くなりつつある私は危うく流されそうだ。
すくわれた手を握り返したくなる。
いつものように膝枕をしたくなってしまう。
だ、駄目。
そう自制心を働かせるのに随分と時間がかかってしまった。
ここは自分の国ではない、控え室とは言えいつ何時誰が見ているか分からない。
品位を下げる行動も機密が漏れるような言動も慎むべきで、常に正しい関係性であるべき……はず。
それにここにはシャルレーゼ王国の名だたる役職の方々もいらっしゃる。
呆れられるような言動は、いけないはずで。
「クレイド殿下。全てを取り繕えとは申しませんが、ご自重下さい」
「……フィリップ。少しくらいは良いだろう?」
「少しではないので申し上げているのですが? 殿下が妹を溺愛下さっているのは大変嬉しく存じます。が、もう少しお控え下さい。妹の言う通り、控え室といえど公の場に変わりはございません」
見かねて助け舟を出してくれたのはお兄様だった。
私と同じく臣下としての態度でクレイを諫めてくれる。
グッと言葉に詰まり面白くなさそうにお兄様を睨むクレイ。
けれどクスクスと小さく臣下達からの微笑ましげな笑みを耳にし、諦めた様に手を離した。
……何だか、ものすごく生温かく見守られている気がする。
そう察して私の方は恥ずかしくなり顔を上げられなくなってしまったけれど。
ちなみにこの裏ではお兄様が「ほら見ろ」とばかりにしたり顔をクレイに見せ、クレイが恨みがましく睨み返すといういつも通りのやり取りが無言で交わされていたらしい。
「私は大丈夫です、クレイド殿下。お心遣い、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
きっと私を心配してくれたというのもあるのだろう。
そう分かるから、フィオナとしての笑みをクレイに見せる。
ありがとうと、心でもう一度唱えながら。
上手く伝わってくれたのか、今度はいつもの柔らかな苦笑でクレイも返してくれた。
「庭園、案内してくれるそうだよ。行ってみるかい、フィオナ?」
教国を好いていなくて、この場に来ることを渋っていたクレイ。
けれど私を思い寄り添おうとしてくれるその心が私は嬉しい。
私は、未だクレイからもらってばかりだ。
少し情けなく思いながらも、素直に頷いた。




