22.王都
「改めまして、ようこそ聖カトレア教国へお越しくださいました。こちらが皆様方が此度ご滞在いただきます迎賓館にございます。遠路はるばる、ここまでお越しいただき感謝申し上げます。どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」
「丁寧な歓迎、感謝いたします」
「私は日ごろ教国王家を守護しております近衛騎士のフェイと申します。ご滞在中は私が責任を持ち皆様方の身の回りを仰せつかります。何かございましたら何なりと申しつけ下さいませ」
「ああ、ありがとう」
案内された迎賓館は、随分と広く綺麗で真新しい建物だった。
私の記憶には無い施設だ。
そもそも他国とほぼ交流のなかった教国に迎賓館と呼ばれるものがあったかすら記憶がない。
今回フェルナンド殿下の即位に際して招待された国は百を越えると聞く。
当然世界の名だたる大国も来ているはずだ。
私達シャルレーゼ王国の規模は招待された中でも下から数えた方が圧倒的に早いだろう。
それでもこれだけ設備の整った広い迎賓館が割り当てられている。……私の知る教国とはどこか違うと、そう思う。
「気持ち悪いなあ」
「何がだ、クレイド」
「いや、私の記憶にある教国と結びつかなくてね」
クレイもまた私と似たような感想を抱いたようだった。
どこか警戒した様子で辺りを見渡している。
部屋の隅々を丹念に調べ、窓も閉め切り、声すら極力絞るクレイ。
そうして何とも言えない表情で腕を組んだ。
「こんな小国相手に膝を折るような国柄じゃないんだけど」
「さすがに言いすぎだろ。お前は腐っても王太子だぞ」
「甘いな。自分の国が一番崇高で神聖で格式高いと教わり育っている国だ、他国民だというだけで蔑みの対象だよ。他国の王より自国の民が上という考えがまかり通っていた。第一迎賓館なんて私の記憶にはなかったし。なぜ歓迎する必要があるのかと素で言っていたからね、魔導師達は」
「……本気で言ってるのか? 一部の熱狂的な信者とかではなくて?」
「まあ、一般市民はそこまでではなかったかもしれないけど。ただ貴族とか魔導師のような上位職になるとそれが当たり前の思考だったね」
「……とんでもねえな」
それは私がまるで知らずにいた国柄、人々の思考。
こんなことひとつとっても、私は何一つ理解していなかったのだと知る。
「本質を、多様性を、この国は排除して出来上がっているんだ。魔素に溢れ聖女様がお守りする聖なる国……それが何よりの武器だから。そうやって一元化した方が国民を統制しやすい。確かに暴動など起こりようもなかったのは事実だし、平和と言えば平和だけど」
はあと息を吐き出し、クレイが窓を眺める。
教国のこととなると言葉に毒が強く混ざるクレイは、今どことなく苛立っている様子だ。
声は落ち着いたもので、所作も乱れはない。
けれど受け止めきれない感情があるのだと、それは分かる。
思わずクレイとの距離を詰め、強く組まれたその腕に手を添えた。
そうすれば視線をこちらに移し、ふっと少しだけ目元を緩める。
「そう簡単に国柄など変わるはずもないのに。この国は誰の目から見ても明らかに変革している。今更だと、そう思う自分は狭量なのかな」
「クレイ……」
「もし本当に国の本質が変わったのだとすれば、起因はきっと」
その先は続かなかった。
目を伏せ、苛立たしそうに息を吐き出す。
いや、苛立ちだけではないのかもしれない。
この表情を何度か見たことがあるから分かる。
理解してしまえば、じんわりと心の奥が温かくなった。
手の先から伝わる僅かな震えが、どうしようもなく愛しく感じる。
思わず笑みがこぼれたのはこの瞬間。
苦みも無い、ただただ嬉しいと感じた時に出て来る笑み。
自分自身気付かぬうちに、ずいぶんと強張っていたのだとようやく気付く。
クレイの言葉を、素直に受け止められる自分がいた。
「ありがとうございます、クレイ」
「何がかな? 私、今あまり気分が良くないんだけど」
「だってクレイは私を想って怒ってくれている、憂いてくれているのでしょう? 私の過去を蔑ろにしないでいてくれるから。それが私は嬉しいんです」
「……美化しすぎだよ。純粋に焦ってるだけなんだけど」
「私の居場所は、変わりません。クレイと生きていくと決めています」
「……ん」
ひとつひとつ確かめる。
呆れたように私達を見守るお兄様に笑いかければ、やはり呆れたため息で返された。
ああ、ここは息がしやすい。
過去を、自分の思いを、素直に受け止められる。
自分に向けてくれる言葉も心も、疑わずにいられる優しい場所。
それは私が聖女ではなくなって初めて得られたものだ。
ようやく感情が揺れ動いた。
心までもが凪いでいたわけではないのだと知る。
感情を抑え込むことに慣れ過ぎてしまったのだ。
聖女として過ごしてきた日々は遠く、フィオナとして生きる日々があまりに温かなものだったから忘れていた。
心の奥を覗かせても、素のままの私でも、この2人は決して咎めたりしない。
当たり前のように私を気遣い寄り添おうとしてくれる。
だからこそ、ようやく私は感情の吐き出し方を覚えたのだ。
「……誰も気づきませんでしたね、私達に」
「……うん。凡庸な魔導師だった私はともかく、貴女に気付く者が王都ですらいないとはね。いや、いても困るけど」
「私が心を閉ざし、ただただ怯え、国民達とも接点を持たずいたのは事実です。自分の行いが返ってきているのだと思えば道理です。けれど……」
思いの外、堪える。
言葉にしなくとも漏れ出る本音に、クレイもお兄様も揃って複雑そうに眉を寄せた。
私などいなくとも正常に周り続ける教国。
聖女を崇めながらも聖女として生きていた私に気づくことない国民達。
変わらずこの国は豊かで綺麗で、乱れがない。
私の存在意義など、まるで無かったのだと突きつけられる。
必要だったのは聖女というシンボルだけだ、私自身を必要としてくれたわけではない。
「殿下は……フェルナンド様は私に気付いて下さるでしょうか。セレナも、私を覚えているかどうか」
この国にとって、相変わらず私の価値は薄い。
培ってきたはずの自尊心などすぐに崩れていく。
唯一、家族だと思えた2人にまで忘れ去られていたら、私は。
「……それこそ今更、ですね」
自分勝手な話だと自嘲した。
教国のために生きる気もないくせに、と。
それでも捨て去ることのできないこの気持ちが一体何なのか、うまく説明がつかない。
「フィオナ。もう一度聞くが、本当に良いのか? 顔を隠さなくて」
静かな室内に響くお兄様の鋭い声。
眉を寄せ、腕を組み、目を少し吊り上げて私を真剣に見つめてくる。
怒っているわけではない、心底私を心配してくれている時の顔。
怖いとはもう一切思わない。
すぐ目の前にお兄様の影が落ちた。
「お前の過去が何だろうがお前は……、フィオナはシャルレーゼ王国の次期王妃だ。立場を、覚悟を、示せるか」
私を戒め試す言葉。
真っすぐ感じる強い視線を、私は見返す。
聖女として生きた私をお兄様が否定したことは一度もない。
苦しいと思うこの気持ちを、軽くも扱わない。
けれど勿論何もかもを許してくれるわけではなかった。
王太子妃になると言うならば、王太子妃に相応しい器を示せとお兄様は言う。
無知も無能も、玉座を支えると決めた以上許されないのだと。
「顔を隠し素性を隠し当たり障りなく過ごした方が無難だ。隠さずいたらお前の顔立ちを訝しむ者は今後必ず現れる、その時お前に求められる立ち回りは決して簡単ではないぞ。中途半端な態度を取ることは俺が許さない」
王太子の側近としての、シャルレーゼ王国の人間としての言葉だった。
お兄様としてではなく、次代のシャルレーゼ王国を担う1人としての言葉。
ただただ私に甘いだけではない。
私を諫め戒め、そして王妃に相応しいかを見極める存在。
きっと妹としての私や聖女としての私を出した瞬間に、お兄様は落第点を付けるだろう。
私が王妃になる一番の壁にお兄様がなり得るかもしれない。
王妃に相応しくないと判じた瞬間に私とクレイを引き離すことも、きっとお兄様はするだろう。
妹に甘いお兄様の姿と、王位を継ぐ可能性すらあった次期公爵としての姿を私は両方見てきた。
高い矜持と厳しさを持ち合わせていることを知っている。
それがお兄様の立場であり、覚悟だからだ。
「……引き返せない道を、選んだのは私です。ここに来ると決めたのもクレイと共に生きると決めたのも私。どのような感情を抱こうとも私の意志は変わりません」
背筋が伸びた。
聖女の頃の思い出に引きずられようとも、聖女だった頃とはまるで違う意志を心に抱いてお兄様を見つめ返す。
鋭いその目にも、強い言葉にも、物怖じなどしない。
「ありがとうございます、お兄様。私は大丈夫、決別するためにここに来たのです」
言葉を足せば、そこでようやくお兄様が息をついて「なら良い」と私の頭を撫でた。
結局それでもお兄様は私に甘いのだ。
「……うん、やっぱり良いねフィルは」
「あ? 何だよクレイド、急に」
「是非とも宰相の座勝ち取ってくれ。私達が緩んでいたならばしっかり締めて欲しい。私もフィーも、きっと君の言葉ならば素直に受け止められるから」
「……おい、しっかりしろよ。お前ら本来俺の何歳上なんだよ」
「こらこら、そうはっきり決定的な言葉を言わない。ここは敵地、いつ何時誰が聞いているか分からないのだから」
「今更言うか、それを。十分散々怪しい会話しておいて」
「あはは、大丈夫大丈夫。魔導器で一応この部屋は全て探知かけておいたから」
「……クレイ、一体いつの間に」
「というかそういう魔導器も作れるのかよ」
「道中こっそり魔素も補給したしね、いかなる準備もし過ぎて損なことはないから」
「本当ちゃっかりしてるよ、お前は。頼もしくて結構だがな」
何もかもがバラバラの私達。
それでも互いに確かに繋がるものが、ここにはある。
支え合い、助け合い、諌め合い、そうやって進んでいく。
「うん、元気……出ました」
ぽつりと呟けば、たちまち2人は苦笑した。
そんな空気感を私はたまらなく愛おしく思ったのだ。




