20.王太子誕生
クレイが王城へと戻る。
貴族も平民も関わりなく、王城には多くの人々が集っていた。
塀の外には花を持った平民たちが、塀の中には真剣な眼差しで並ぶ貴族達が。
大広間でクレイを待っていた私には知らなかったことだけど、王城の入口でスオウ伯爵と共に馬車から降りたクレイの立ち振る舞いはとても立派なものだったらしい。
笑みを絶やさず、姿勢を一切崩さず、出迎えてくれた人々に丁重に礼を言いながらも、へりくだることはしない。
大広間に入った瞬間、クレイの“お父様”でいらっしゃるスオウ伯爵がクレイの横で膝を折る。
王の息子になるクレイに対する恭順を示すための姿勢だ。
それを合図に、私達大広間に集った貴族も一斉に膝を折った。
クレイは表情を崩すことなく、その様子を見渡す。
「よく来た、クレイド。こちらへ」
「はい、陛下」
そうして玉座の前に1人歩み出てその場で静かに膝を折った。
「先の宣言通り、本日をもってそなたを我が息子として迎え次代の王として扱う。その身を粉にし、我が国に生涯を捧げる覚悟はあるか」
「勿論です、陛下。いただきました栄誉、ご期待を裏切らぬ様、粉骨砕身の努力をいたします」
「よかろう。大いに励むように」
「はっ」
陛下とクレイの声が広間に響く。
私達はそれを膝を折り聞き届ける。
「……フィオナ嬢」
唐突に名を呼ばれ、一瞬目を丸くした。
横で軽くお兄様に小突かれ、慌てて返事をする。
「そなたはクレイドの婚約者。そして、我が亡き弟グレイルが守り抜いた子どもだ」
陛下の言葉に会場がざわめく。
公式の場で私の立場をはっきりと口にしたのは初めてのこと。
まさかそう言われるとは思わず、私は驚き絶句した。
グレイルの子供、国内でそう噂されていることは知っている。
国を出奔したグレイル王弟殿下が連れ帰った遺児が私なのだと。
だからこそ王妹のいる公爵家に引き取られ、王族にとても近いところで育ったのだということも。
それを公の場で認めわざわざ言葉にする理由を、私はもう理解できていた。
「王家の血を引く者として、グレイルの意志を継ぐ者として、そなたにはこの先も王家とクレイドを支えてもらいたい。良いな」
本来は血の繋がりなど一切ない私とこの国の王族。
けれど陛下はこの場ではっきりと宣言し私に了承をとらせる。
広間中の視線が私に向けられ、じわりと背に嫌な汗が浮かんだ。
それでも何故陛下がこの場でわざわざ私を呼んだのか、分かる。
これは私とクレイを守るための策だ。
グレイル殿下とクレイドが似ていることを、陛下は否定しない。
私がグレイル殿下の遺児であることを陛下は認めた。
この結びつきがどれほど運命的なものなのかを知らしめるために。
私がグレイル殿下の遺児だとすれば王の血統も守られる。
そうして必要以上の混乱と反発をかき消そうとしてくれたのだ。
だからこそ、私の答えも迷わない。
陛下のご配慮を、決して無駄にはしたくなかったから。
「勿論です、陛下。新たな王太子殿下をお支えできますよう、またこの国にとって良き存在となれますよう、進んでまいります」
「ああ、頼んだぞ」
陛下は満足そうに微笑んで下さった。
そのすぐ傍でクレイも笑んでいる。
……良かった、どうやら及第点をもらえる返答はできたらしい。
まだまだそうやって一つ一つ確認しながら進むことが私は精一杯だ。
それでも、これ以上後退だけはしないと心に決める。
「では、宰相」
「はい、陛下。これより、新たな王太子となられますクレイド様へ勲位とお印の授与を行います」
そうしてクレイが王太子になる準備がひとつずつ整っていく。
勲章が与えられ、勲位が与えられ、王族一人ひとりに与えられるお印が与えられる。
他の貴族と変わらなかったクレイの肩にサッシュがかけられた。
クレイは陛下に深く一礼するとその場に立ち上がり、王太子になったことをその場で宣誓する。
私を含め臣下達は皆揃って膝を折ったままその姿に拍手を送った。
それがこの国の儀礼。
新たな王族を認め承認する合図。
広間に響き渡る拍手は、大きく開かれた広間上部の窓を通じて外にも響く。
やがて外からも声が響いた。
折り重なり遠くから響くのは、民衆たちの期待の声。
空しか映らない高い窓に目を向けクレイが笑う。
少しだけ苦笑に近いその笑みを、一体どのような気持ちで浮かべたのか私には推測しかできない。
けれどクレイは一度大きく頷くと、それからは精悍な王太子の顔つきになった。
王太子クレイド殿下の誕生だ。
「ご立派なお姿だったな、クレイド殿下。フィオナ、お前も立派だったぞ」
「ええ。毅然として高潔だったわよ、フィオナ」
「最初はかなり怪しかったがな」
公爵家に戻り、家族が口々に笑う。
厳しく指導しながらも結局は私に甘いお父様とお母様。
いつでも変わりなく率直な意見を下さるお兄様。
私は笑い返して礼を言う。
「まだまだ、です。クレイに負けてはいられませんから。精進します」
前向きに、きっぱりと言えるようになった自分を誇らしく思った。
「王妃となるその時まで、私のことを厳しくご指導ください。よろしくお願いいたします」
家族は大きく頷いてくれる。
私も頷き返して気合を入れる。
後戻りのできない道に、戻ってきた。
今度は自分の意志で、ここへ来た。
けれどそれを重いとは思わない。
前へ進むだけだ。
「ごきげんよう、フィオナ様」
「セリ様、ごきげんよう。先日は素敵なハーブ園を見せていただきありがとうございました、私もいただいた種を蒔き再度挑戦していますよ」
「あら、嬉しいわ。きっと次は上手くいきます、貴女は筋がありそうだもの」
「ええ、頑張ります」
「まあ、フィオナ様。ごきげんよう。クレイド殿下が立太子されてからは初めてお会いいたしますわね、改めましておめでとうございます」
「マリー様、ごきげんよう。ありがとうございます、クレイド殿下のお役に立てますよう私も精進していきますわ」
「ふふ、大丈夫ですよ。フィオナ様はすでに地位を確立してきていますもの」
「ルルカ様、そうでしょうか? まだまだ頑張らねば」
「あら、良い心がけね。その通り、貴女はまだまだよ。このままクレイド殿下のお隣に立つのは我が国の恥になりますもの、精進なさいな」
「ふふ、シェリカ様ありがとうございます。ご心配くださっているのですね、真っすぐに向き合って下さる方がいるととても心強いです」
「ち、違っ、私はそんな」
「シェリカ様、可愛らしいわ」
「ふふ、知っていますわよ。シェリカ様、それは所謂“ツンデレ”と呼ばれるものですわ」
「ああ、近頃遠い異国より持ち込まれた小話の中にありましたわね、これがそうですか」
「な、なっ……! 違いますわ! 能天気なフィオナ様にご忠告申し上げているだけです!」
国を知り、人を知り、私の居場所を少しずつ広げていく。
クレイには手の届かない場所、私にしかできない役割、少しずつ模索していく。
お父様、お母様、お兄様、陛下……、色々な方の手を借りながら私は少しずつでも王太子妃に近づいていく。
「逞しくなったね、フィー」
「本当ですか、クレイ? それはとても嬉しいです」
「ふふ、逞しいと言われてそう手放しで喜ばれるとからかい甲斐がないな」
「そう、なのですか? 私は少しずつ自立していると言っていただいているようでとても嬉しいのです」
「……うん、強く、美しくなったね」
クレイが目を細め笑う。
少し意地悪な、けれどとても穏やかになるその目元が私は大好きだ。
さらりと褒め言葉を言うクレイに、その甘さに、少し顔が熱い。
そっと、手を握り力を込める。
うまく返答が出来ない時にする、私の下手な甘え方。
クレイはそれでも喜んでくれる。
「ありがとう、努力してくれて」
「こちらこそ、ありがとうございます。私に生きる導をくれて」
クレイも私も、正式に陛下から認められた存在となったことでお互いに忙しい身の上となった。
会える時間は前ほど多くはない。
クレイは王位を継ぐための学びと国民達への周知のために国中駆けずり回っている。
私は、それまであまりに足りていなかった人脈を広げるため社交界へは欠かさず顔を出す様にして、その合間にお妃教育を受けている。
あまり表舞台に立つことのなかったクレイド殿下と公爵家の娘。
国柄が優しいから温かく迎え入れて下さる方が大勢と言えど、将来を憂い厳しい目を向ける方がまだまだ多いのも事実。それを当然のこととして受け止める。
陛下はまだ年若くクレイが王位を継ぐにはまだまだ時間がある今だから、動ける。
そのいつかが来る前に国内の不安の目を潰す機会が与えられているのだ。
これは陛下ではなくクレイと私がやらなければいけないこと。
聖女の頃には上手にできなかった。
認めてもらえるか悩むのではなく認めさせる。
そのための努力の方法を、今はもう知ることができた。
模索する方法を、省みる方法を、精進するきっかけを、自分の中で考えていける。
そうして心の準備が整ってきたからこそ、その時機は訪れたのかもしれない。
陛下にクレイと2人呼び出されたのは、クレイが王太子になってから半年後のことだ。
「……今、なんと仰いましたか、陛下」
クレイが横で聞き返す。
咄嗟に握られた私の手、掴むその力はあまりに強くて少し痛い。
震える感触がかえって私を冷静にさせた。
「聖カトレア教国からの招待状だ。新たな王が生まれるその式典に各国の王族を呼びたいとな」
端的に陛下が説明を下さる。
そうして見せていただいたその書状、端に押された印と直執で書かれたその文字がとても懐かしい。
これは殿下……、フェルナンド様の字。
私の知る頃よりも随分と達筆にはなっているけれど、所々に昔の癖が見て取れる。
思ったよりも静かな気持ちでその内容を受け取っていた。
変わらず強く私を握るクレイの手を上からもう片方の手で包み込む。
「……王様に、なられるのですね。フェルナンド殿下は」
「フィオナ」
「私達にこの書状をお見せ下さるということは、つまり」
「ああ、そなた達に参加して欲しい。そなた達というより、そなたに」
静かに、気遣わしげに、けれど迷いなく陛下が言う。
瞬間、クレイからの手の力がさらに強くなった。
「私は反対です。かの国は我が国より数段格式の高い国だ。その重要式典に参列するならば最高位である陛下が出席されるべきです」
「クレイド、それは王太子としての言葉か。それとも“クレイ”としての言葉か」
「っ、貴方はどうしてフィーにわざわざ危険を冒させるのですか!? フィーがあの王太子に見つかればきっと囚われる」
「成程、やはりフィオナを大事に思い守らんとする者もいたのだな、かの国には」
「陛下っ」
「何故と問うたな、クレイド。だからだ。そなた達が王と王妃になるということは、他国とは関わらずにはおられん。ましてそれが世界有数の大国、聖カトレア教国ともなればな」
「……っ」
「遠く格差があるとは言え、無視はできんのだ。いつまでも蓋を閉めたままには出来ん」
陛下の言葉や声は、兄として父としてではなく国王としてのものだ。
毅然として有無を言わさない、人に命じる時の声。
「その目でかの国をしかと見、そうして乗り越えてみせよ。この国の、シャルレーゼ王国の次代を担う者として」
クレイと私を、陛下は交互に見つめる。
鋭く射抜くような強い眼差し。為政者としての目。
どうやらまだまだ私は試されている最中なのかもしれない。
全てを疑われているわけでは勿論ないだろう。
けれど国を背負う立場となる以上、いずれ必ず向き合うこととなる過去と完全に決別しろと陛下は仰っている。
かの国ではなくこの国を選び、尽力しろと告げている。
シャルレーゼの王として至極当然のことだと案外冷静に受け止めることができた。
「……クレイ。行きましょう、教国へ」
「フィー……分かっているの? 私はあの国に貴女を近づけたくはない」
「私を傷付けるものは、おそらくたくさんあるでしょう。殿下やセレナが今私をどう思っているのか、それも見当がつきません。もしかすると誰かが私の正体を見破り、聖女の力を見出し、厄介事に巻き込む可能性だってありうることです」
「分かっているなら何故」
「この国で多くのことを知ったわ。同時に、教国での自分の至らなさも教国の歪さも知ることが出来た。今ならばあの頃には見えなかったものが見えると思うのです」
「……知って、どうするの」
「必要なことだと思うから。過去を切り捨てることは、私にはできません。今を選び取ることは出来ても、聖女として生きた人生だって私の一部で苦しくとも大事な思い出です。クレイ、貴方がグレイルとして生きた過去を今も大事に抱えているように」
「……っ」
「そうやって私達は生きていくのでしょう? 一緒に。この国を守っていきながら」
怖くないかと問われれば、怖い。
積極的に行きたいかと聞かれれば、行きたくはない。
逃げだと言われれば、その通りなんだろう。
昔は聖女としての役目を果たすためにすぐにでも帰らねばと、そう思っていた。
それから時が経ち、この国で家族が出来て恋を知り王妃となる決意をした私。
今でも教国の、殿下やセレナを思い返せば胸が痛む。
仕方がなかったとはいえ逃げ出したという自責の念が私を苛む。
あの国で受けた今ならば理不尽だと分かる数々の言動が頭に蘇る。
全てを受け入れ懐かしむことは、まだ出来ないだろう。
過去のことだと笑って流すには、色々とありすぎた。
それでもこれは私が選んできた道なのだ。
たとえ始まりが不可抗力だったのだとしても、今の自分を私は自分で選び取った。
教国ではなくこの国で生きると決めた。
聖女ではなく、ただの人間の王妃として。
避けて通れないという陛下の言葉は、その通りだと私も思う。
中途半端はもう許されない、私はそういう立場に自らなった。
示すべき時が来たのだと思う。
「教国に行きます。シャルレーゼ王国の、次代の王妃として」
陛下に向き直り返事をする。
陛下に笑みはない。けれど、力強く頷いて下さる。
そうして視線を私の横へと向けた。
「クレイド。そなたの答えを聞こう」
そうして問われたクレイは、息を飲み、沈黙を続け、やがて大きく息を吐き出す。
その動きが、なぜだか随分と長く感じた。
「……フィオナが、それを望むのならば。フィオナを守り、国の代表としての役目を果たしましょう」
「不満そうだな、クレイドよ」
「当然です」
「はは、フィオナの方が肝が据わっておったということか。そなたにはもう少し割り切って欲しいところだが、能面になって欲しいわけでもない。及第点としておこう」
「……本当、ここぞという時には性格極悪になりますね陛下は」
「褒め言葉と受け取っておくぞ。クレイド、このくらいの判断、できねば王は務まらん。いくらこの国が平穏で諍いの少ない国と言えどな。弱小であることには変わりないのだから」
「肝に銘じておきましょう」
不本意そうに顔を歪めたクレイに、陛下が苦笑する。
その姿を一番に安堵して眺めたのは私かもしれない。
ぎゅっと、繋がれたままのクレイの手を強く握ればやっとクレイが苦笑する。
「仕方ないなあ」とやはり不本意そうに、けれど私の決意を否定はしない。
その優しさに感謝しながら、再び教国からの招待状に目を向ける。
かの国が、こうして他国の要人を大勢呼ぶことなど聞いたことがない。
世界で類のないただ一つの希少な国だから他のどの国よりも格式が高いのだと、そう教えられてきた。
国を完全に閉ざしているわけではないけれど、国家を越えての交流は他と比べて極端に少ない。
教国の神聖さを認め配下だと自ら認めた国との交流しか教国にはなかったはずだ。
それが突然、国王が新たに就任するからという理由だけでこれだけ一気に多くの国を招くだろうか。過去に侵略があったことで国の方針が変わった? どうにもそれだけではないような予感がする。
けれど、どのような意図があろうと私の成すべきことは変わらない。
たとえ自分の正体が知られたとしたって、けじめをつけるのだ。
本当の意味で。
未だ懐かしさと愛しさを感じる、この招待状の書いた主とも。
故郷へ向けてシャルレーゼ王国を発ったのは、これよりしばらく経ち花が咲き始める春の始まり頃だった。




