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19.社交界


「あらまあ、貴女が噂の隠れ姫。クレイド様とのご婚約が決まったとか」

「やっとお会いできて光栄ですわ。何せ貴女は公爵様やご嫡男に大事に守られているご様子でしたから」

「隠れ姫がいきなり王妃候補筆頭とは、世の中不思議なことばかりですね」


キラキラとガラス製の照明が光る。

首元の宝石が反射して少し眩しい。

向けられる笑みと自信に満ち溢れた笑みに、私は内心怯えながらも必死に取り繕い笑んだ。


「お初にお目にかかります。フィオナと申します。今までご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません」


皆と同じように扇を口元に当てて、目を細める。

声は、震えていないだろうか。

少しでも余裕のある笑みを見せることが出来ているだろうか。

分からないけれど、目の前のご令嬢達はグッと言葉に詰まったようだった。


『良いかしら、フィオナ。女の武器は笑顔よ、鉄壁の笑顔。貴女はその邪気のない笑みが最強ね、どんな悪意も白く溶かしてしまいなさいな』


私に教えをくれたのはお母様だ。

女性の世界は男性が思うより数段厳しいのだと、何度も念押しされた。

言葉の奥に棘を隠し、表情の裏に闇を飼い、身に纏う服や装飾に誇りを見せるのだと。

全てを深く読む必要はない、全てを真に受ける必要もない、けれど全てを聞き流して良いわけでもない。

バランス感覚が大事なのだとそう叩き込まれて今に至る。

思えば女性だけの社交界を私は経験したことがなかった。

聖女時代の貯金のおかげで、一通りの礼節とマナー、踊りは心得ている。

けれど気の利いた会話というものが、私はどうにも不得手だ。

どうしても必要最低限の言葉と、お母様に鍛えられた鉄壁の笑みが前へ前へと出てきてしまう。


「……ふん、大したことないじゃない。どうしてこんな方が王妃候補なのかしら」


そうして耳に小さく届くのは私に対する明らかな落胆の声。

多くの女性に囲まれ、一体どなたが口にした言葉か私には分からない。

けれど思いの外堪えていない自分に、私自身が驚く。

鉄壁は少し崩れて苦笑に、それでも姿勢は変わらない。


「私を愛し守ってくださるお父様とお兄様には感謝しているのです。ですが、クレイド様に相応しくなるためには私も守られてばかりではなく自ら学びにいかなければと、今更ではありますが猛省いたしました。至らぬことがありましたら、いつでも仰って下さい」

「……まあ」

「皆様のこともどうかお教え下さいませ。お兄様からお話も聞いていますの、私もお会いしたいと思っておりました」


言葉を少し取り繕いながらも本当の気持ちを言葉にして、再度にこりと微笑む。

邪気のない笑顔、邪気のない笑顔……そう意識している時点でどうにも邪気だらけの気がしてならない。

それでもお母様に褒められた笑顔を思い出して、その場の方々全員を見渡した。


「シェリカ様に、ルルカ様、ミリー様、アリス様、セリ様、マリア様、でいらっしゃいますよね?」

「まあ、私のことをご存じですの?」

「ええ、勿論ですセリ様。先日はとても香りの良いハーブを頂いたとお父様が喜んでいましたわ。ありがとうございます」

「お喜びいただけたならば何よりです。覚えてくださっていたのですね」

「お父様からセリ様のお育てになっているハーブ園が素晴らしいのだと聞いたことがあります。もしよろしければハーブの育て方をお教え下さいませ。私も挑戦したことがあるのですが、中々綺麗な緑にはならなくて」

「まあ、フィオナ様も菜園に興味が? ええ、勿論お話いたしますわ」


お母様に教えられた通りに言葉を繋げる。

貴族のお名前と顔をとにかく覚えなさいと大量の姿絵を見せてもらってから、数日は眠れぬ日々を過ごした。

お母様は流石は元王族なだけあって、とても矜持の高い方だ。

容赦なくとても厳しく教えてくれた。

女性の世界を舐めてはいけないと、何度も言って。

お母様がいなければこんな風に話すことはできなかっただろう。


『貴女の方から名前を言って笑ってあげなさい。そして何かエピソードのある方がいるようなら、とにかく褒めて笑っておきなさい。それだけで敵は減るから』

『敵……? 社交界には敵がいるのですか?』

『ええ、それはもう魑魅魍魎のように……は言い過ぎかもしれないけれど』


正直なところ、意味を理解しきれたわけではなかった。

というよりも、情けないことにほとんど理解できなかった。

けれどお母様の助言通り笑んで名前を呼べば、なぜだか皆一瞬固まり笑顔で返してくれる。

初めの方には聞こえた手厳しい声も、その日が終わる頃には随分と少なくなった。


「フィオナ嬢、こんにちは。ご挨拶がすっかり遅れてしまいましたね」

「クレイ! ……ド様。ごきげんよう」

「ふふ、今日もお元気そうでなによりです」

「クレイド様もお加減の方はいかがですか?」

「ありがとうございます。お陰様ですっかり良いですよ」


クレイとようやく会話が出来たのは、その夜会の終わり頃。

伯爵家長男として、すっかり地位を築きつつあるクレイはわずか数か月の内に交友を広めたらしい。

ひっきりなしにクレイの元へと訪れる人の数を見て、どれほどクレイが器用なのかを知る。

笑顔でそつがなく、クレイはいつだって多くを引き寄せる。

……やはり、もっと頑張らないと。

相応しい自分に、支えられる自分に、私はなりたいのだから。

ああ、そうか。

だから私は今こんなにも前向きでいられるのだ。

怯えるばかりではなくて笑顔で対応できるようになったのは、私がそうありたいと願うから。

願って良いのだと、そう多くの人が教えてくれたから。


「頑張っているね、フィー。中々世渡り上手で驚いたよ」

「ほ、本当ですか!? お母様が特訓して下さった効果、出ていますか?」

「うん、ばっちり。相変わらず公爵夫人は抜け目ないね、流石は“百合のような清純さを持った毒薔薇”と称されただけある」

「え、百合? 薔薇? ……清純? 毒?」

「様々な顔を持った姫と呼ばれていたんだよ、貴女の母上は」


距離が詰まり、私達にしか聞こえない声で内緒の話をする。

クレイの傍はドキドキするけれど、温かくて落ち着く。

お母様の評価を知り首を傾げながらも、それでも大事な家族の新たな一面を知れることはとても嬉しくて思わず笑みがこぼれた。


「ふふ、お母様のようなしなやかで芯のある素敵な人間になりたいです、私も。クレイ……ド様にも、負けてはいられません」

「受けて立つよ? 貴女も私も社交界初心者同士だ、互いに切磋琢磨といこうか。まあ、私はこういうの得意だけどね」

「……うう、負けません。多くの方が素敵と思って下さるような女性に、なってみせます」

「程ほどにね。あまり魅力的になられると、余計な虫が増えて厄介だから」

「虫……? 虫も人に恋をするのですか?」

「……うん、そういうところが貴女らしいよね、ずっと」


冗談を言い合って笑い合う。

そんな小さな時間がとても幸せだ。

ざわざわとした周りの声も、何だか今は遠く感じる。

人目を必要以上に気にせずいられる感覚もまた、初めてのこと。

ああ、恋というものはとても幸せなものだ。


「……クレイド殿。分かっててやっているのだろうが、やりすぎだ。けん制するにはまだ早いだろう」

「ああ、フィリップ殿。嫌だな、見ていたのですか? 貴方にお会いするのも楽しみにしていたというのに、中々声をかけてくれないものだから」

「……わざとらしく言わないでくれるか、この人たらしめ。フィオナ、お前も所構わずふやけないように。大方クレイド殿がそそのかしたのだろうが」

「お、お兄様。申し訳ありません、弁えていなかったでしょうか」

「まあ、許容範囲内ではあるがな」

「フィオナ嬢、兄君は貴女が私に奪われるのが面白くないだけですよ。気にしなくて良い」

「? お兄様は、ずっと私の大好きなお兄様ですよ?」

「……ふーん」

「…………拗ねないでくれるか、面倒くさい。フィオナ、お前ももう少し人付き合いを学べ」

「はい?」


途中からお兄様も交わって3人楽しく話す。

私達の中で最も年少であるはずのお兄様が、私達の中では最もしっかり者。

私達を諫め見守り道を正してくれる。

支えられ、守られ、見守られ、そうやって私達は一歩ずつ進んでいく。


「フィオナ様」

「はい、何か。あら、セリ様? 先ほどはありがとうございました」

「ええ、こちらこそ。実は私、少し心配しておりましたの。次代を担うクレイド様も貴女も、あまり社交界には馴染みのない方だったものだから」

「そう思われるのも当然のお話です」

「申し訳ございません。けれど、本日貴女達の姿を目にして杞憂だったのだと安心致しましたわ」

「セリ、様?」

「クレイド様がとても聡明なお方だと分かり安心致しました。それに、貴女も誠実な方だと分かりましたし」

「誠、実……」

「ええ。皆様、案外見落としがちなのです。確かに国を維持するためには人が好いだけではいけないのだけれど……それでも最後に勝るのは誠実さと私は信じるから」

「セリ様……」

「よろしければ、是非今度私の家にいらっしゃいませんか? 自慢のハーブ園を貴女にお見せしたいわ」

「は、はい! 是非、是非お願いいたします。ありがとうございます、セリ様」

「ふふ、本当に貴女は純情なのですね。どうぞ私のことはセリとお呼び下さい。歳近い者同士仲良くしていただけると嬉しいですわ」


……少しは、私も変われているのだろうか。

少しずつでも、人に求められる王妃の姿に近づけているだろうか。

セリ様の笑顔に押され同じように笑み返せば、セリ様が苦笑する。

「いつも通りで良いのですよ」と優しく背を撫でられて、ようやく人の温もりを実感した。


私が守りたい国。

王妃になりたいと、そう願う国。

……クレイと共に生きていきたい国。

ようやく私は、心からこの国に骨を埋め守っていくのだと覚悟ができた。

愛国心と、そう呼ばれるものをやっと知ることが出来たのかもしれない。


「私なりの、方法で」


そうして、その日を境に私は考え始める。

自覚と自我が芽生えたのだろう。

そうして、それから月日はめぐり半年ほどの後。


「クレイド、今一度問おう。この国を守り、生涯を賭す覚悟はあるか」

「はい、勿論です陛下」

「フィオナ。そなたはどうだ」

「クレイド様と同じく。私も覚悟はできております」

「……よかろう。明日、正式にクレイドの養子入りを発表する。双方、今以上に励むように」

「はっ、誠心誠意努めてまいります」

「精進して参ります」


私はもう一度、国家の表舞台へと上がることとなる。

クレイと共に、このシャルレーゼ王国で。


「いよいよ本番だよ、フィオナ。覚悟は良い?」

「はい、勿論ですクレイ。共に、頑張りましょう」


手を取り合い、未だ震える手を握りしめ合いながら誓う。

新たな王太子と王太子妃候補が誕生した瞬間だった。




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