18.クレイの過去(side.クレイ)
どこにでもあるような話だった。
国の継承問題は、どこの国に行っても少なからず存在する。
誰が国を継ぐに相応しいかと、どこででも議題には上がるだろう。
私の生まれたシャルレーゼ王国でも、そうだ。
「何故、今更生まれたんだ」
「正妃様も頑張らなくて良かったのに」
「面倒くさいな」
先代国王である私の実父は、気の多い人だったと記憶している。
そんな人を正妃として愛し続けた実母もまた、大層苦労していたのだろう。
母上は元より体が強い方ではなく、子が授かりにくい体質だった。
だから王子を宿したのは、母上ではなく愛妾の方が先。
兄上が生まれたのは、私が生まれるよりも10年近く前のこと。
続いて生まれた姉上も、私よりは7年先だ。
母は、子を成せない自分に少しずつ精神を病んでいったという。
そうして奇跡的に生まれた末っ子が私だった。
「貴方は私の光。貴方こそがこの国の王に相応しい」
母上を思い出す時、いつもその言葉が頭をよぎる。
母上に言われた言葉は、正直なところそれしか覚えていない。
王と正妃の間に生まれた正統な子なのだからいくら歳が若くとも王に相応しいのはグレイルだと叫ぶように言い続けていた母は、おそらくその時には壊れてしまっていたのだろう。
当時すでに兄上が王太子になっていたというのに、それでも母は諦めなかった。
皆が表立って何かを私に言ってくることはなかったと思う。
しかし私だけ与えられる学の量が少なかったり、公務が決まらなかったり、そういったことはされていた。
兄上が王太子と決まった以上、余計な論争が起きぬようにと細心の注意が払われていたことに当時の私は気付いていた。
半狂乱に叫び続ける母を宥め、兄や姉の邪魔にならぬように影を潜める生活は数年にも及ぶ。
「グレイル殿下もお可哀想に。ずいぶん察しの良い方だと聞いているが、お立場がな」
「……申し訳ないことをしていると思う。が、どうにもな」
……それでもこの国を、シャルレーゼ王国を嫌いになったことは無い。
兄も姉も、そして私に理不尽を強いた臣下達ですら、悪徳な人物はいなかったのだ。
国を安定させるため、必要以上の波風を立たせぬため、私を冷遇したのは本当にそれだけの理由だった。
国の権威や継承問題に絡みさえしなければ、誰もが親切で丁寧だったことを私ははっきり覚えている。
与えられた情も、笑みも、覚えている。
私の存在を否定し蔑み暴言を吐いてきたのは、本当にごく一部の者だけだ。
私を囲う人々は少なからず私に同情的で、出来得る限りのことはしてくれていたと今なら分かる。
「グレイル。共に市井に下りてはみないか、国民達の暮らしを知るのは大事だぞ」
「あらグレイル、そんなに顔を真っ青にさせて。何か怖いことでもあった?」
特に兄上と姉上にはずいぶんと心を砕いてもらった。
複雑な立場にあった私を気にかけ、何かにつけて面倒を見てくれていたと思う。
感情の吐き出し先を見つけられず日々能面になっていく私を心配してくれたのもまた2人だ。
シャルレーゼ王国を、嫌いにはなれなかった。
私を守ろうと動いてくれた兄や姉が大好きだった。
理不尽を受けた際の矛先を、頼る先を、見失った自分が責めたのは……自分だ。
「私さえ、いなければ」
母があれ以上壊れることはなかったのではないか。
父が日々悩むこともなかったのではないか。
臣下達がここまで私に気を遣う必要だってなかったかもしれない。
変わらず理不尽を叫び続ける母の背を撫で、そうした考えが何度も何度も頭にこだまする。
自分がいなければ全て丸く収まるように思えてならなかった。
兄の邪魔をしないよう、臣下達を煩わせないよう、母を下手に刺激しないよう……思えば、私自身の精神状態もまた限界だったのだ。
精神を病んだ母は私が10を越える頃、話すことさえままならなくなり亡くなった。
私を王へと押し上げる声は、そこで表面上は消える。
けれど余波まで全て掻き消えたわけではない。
人々の、私を訝しむ視線を覚えている。
臣下達の何とも言えない気まずげな表情を知っている。
父の余所余所しい態度の意味を、理解できてしまう。
私のせいで何もかもが狂ってしまったのかもしれない。
自分を責める気持ちを、無くすことは出来なかった。
「お待ちください、グレイル殿下! 一体どちらへ!?」
「あーもう、煩いなあ。私の好きにさせてよ、別に国家転覆など狙っていないよ」
「そのようなことを聞いているのではありません! グレイル殿下!」
王城に留まることが苦痛だった私は、その後そうして理由を見付けては城を飛び出すようになる。
私が奔放で言うことを聞かない人間だと知られれば、もう私が王として相応しいなどと言う者もいなくなる。私も世間を見て見識を広められる。一石二鳥だと思ったのだ。
初めは失敗だらけだった従者を撒く術も身に付け、1人で様々なところを歩いて回る。
「おや、旅のお方かい? 珍しいなあ、こんな田舎までお越しとは」
「こんにちは。畑がたくさんだね、実入りはどうだい?」
「お陰様で今年は豊作さ。昨年の不作を王様や王子様が気遣ってくれてね、肥料を送って下さった。私は良い国に生まれたね」
「……そうか、それはよかった」
国の端から端を歩いて、国民達の笑顔を確認していく。
「シャルレーゼ王国の未来は明るいね。人望厚い王子様にお美しいお姫様、将来が楽しみさ!」
「この国はこのくらいの規模でちょうど良い。裕福ではないが穏やかに日々を過ごせるからね。落ち着いているのが一番だ」
「良い国だと思うよ、ここは。自分の意見を誰にはばかることなく言える。自由な国さ」
私の想像以上に、私の母国は優しい国だった。
当たり前のように人を労わり、王族を敬い、質素に暮らす、温かな国。
私のような不穏分子がいて良い国では、ない。
……逆に私はそうして追い詰められてしまったわけだけど。
「……国を出る? どうしてだ」
「見識を広めたいのです」
「……本当にそれだけか」
「…………はい。私は、素直に国に貢献できる王族になりたい」
「っ、グレイル。そなたは十分」
「今の私はただの厄介者です、兄上。このままでいれば、きっと私は母の二の舞になってしまう」
「そのようなこと!」
「……兄上が王になるまでは戻りません。私が自分を見つめ直し役に立つ王族になるまでは、戻らない。お願いです、行かせてください」
「…………この国の中でそなたを隠す手配はしてやれるが」
「いいえ。外へ、行かせてください」
「……覚悟は、変わらぬか」
「はい」
兄上にだけ、素直に話した。
他には誰にも告げず、家出のように突如私は姿を消す。
供の1人もつけず、出奔した。
最悪もう二度とここに戻って来ることは出来ないことを覚悟して。
そうして王族としての自分を封印し、平民としての生活を始めたのだ。
国を出て自分の目で足で世を渡り知ったことは、皮肉にも自国の良いところばかり。
厄介な身の上の私にどれほどの情が与えられていたのかを、痛感することとなる。
「なあ、聞いたか。聖女様、また引きこもりだってよ」
「はあ、またか。聖女の自覚あんのかね」
「そもそも聖女の存在自体眉唾ものだろう? 聖女を見出す魔導器だって相当古いし、誤作動起こしたんじゃねえの?」
自分に魔導の素養があると知り流れ着いた“神聖なる国”。
聖女様は、私がいかに恵まれていたのかを知る最も象徴的な存在となった。
本人の意志も関係なく聖女として王城に召され、期待通りに力を振るえなければ失望される。
誰もが当たり前のように聖女様を蔑みあざ笑う。
その現実を目の当たりにして衝撃を受けたのだ。
境遇は違うが、どことなく自分と重なる聖女様の今まで。
けれど私と聖女様では与えられたものがまるで違う。
「私は、何て愚かな」
……そこで私は初めて自省した。
自分が受けたと思っていた理不尽は、さしたる理不尽ではなかったのだと。
私が勝手に思い込んでいただけで、私があの国で生きることに対し誰も嫌悪などしていなかった。
私の努力次第でどうにでもなるだけの環境が与えられていた。
私は……、逃げただけなのだ。
そうして一通だけ私は母国へと手紙を出す。
今まで勝手をして申し訳ない、私は元気だ、とそれだけの手紙を。
……返って来たのは、分厚く大量の手紙だ。
兄上と姉上、姉上と婚約したという公爵、関わりのあった臣下、多くの名がそこには連なっていた。
私の素性が今の環境下でばれぬように幾重にも経由して届いた母国の手紙。
思いのこもった、言葉。
「すまない……、すまないっ」
1人陰で泣いた。
長く遠回りをしなければ気付けずいた人の情を、自分の居場所を、蔑ろにし続けてしまった自分を初めて腹立たしいと思ったのだ。
いつか必ずこの人達に報いれる自分になろう。
そう思った。
得られる外の知識を全て吸い取り、自国のために尽くすのだと誓った。
そうしてようやく世界を平らに見ることが出来たのだろう。
自分で仕入れた情報とやっと理解することのできた人の情、のみ込み今いる教国を見つめ直す。
「わが聖カトレア教国は偉大なる聖女様に守られし神聖な……」
常套句のように告げられるお偉方の言葉の違和感を、そこではっきりと実感した。
真に人をぞんざいに扱うということがどういうことなのかを、知る。
勝手に持ち上げ崇めておきながら、一方で蔑み嘲笑う。
その違和感に気付いている者がどれほどいるのか。
見た限りほぼいなかった。
いたとしても、今を守るために見て見ぬふりだ。
自分の過去とも比べ聖女様に対し多少同情的になっていたことは事実だろう。
魔導の力を安定させるために教国に忍び込んだは良いものの、到底教国に尽くす気にはなれなかった。
誇りばかりが高く思考を停止したお国柄に、私は馴染めなかったのだと思う。
私はそこまで勤勉な魔導師ではなかった。
必要最低限だけをこなして、他は適当に時間を潰す不真面目な魔導師だ。
だからその日聖女様を見ることができたのは、幸運だったのだろう。
運命などと、そのようなうすら寒い言葉を未だに私は信じてしまう。
「今日こそは」
どれほど理不尽な目に遭おうとも、蔑まれていると知っていようが、その人はひたすらに使命を全うしようと努力を続けていた。
逃げることなく、必死に闘っていた。
「……出来た!」
そうして目に入って来たのは、初めて見る彼女の満面の笑み。
手元の花はみずみずしく生気を取り戻している。
魔導師の溢れるこの国で、彼女が成した成果は聖女としてはあまりに小さいのかもしれない。
それでも努力し続けるその姿勢と小さな成果にも喜ぶことのできるその純粋さ。
あまりに綺麗で澄んだその笑みに、釘付けになった。
衝撃を受けたのだ。
……どうしてこの国は、彼女の尊さに気付かないのだろうか。
虐げられようとも国の為にと心を砕ける彼女を蔑ろにする。
その時初めて私が知ったのは、人に恋する感情と強烈な怒り。
「殿下! 今日はお姉様のところへ行きますか? 私も御一緒してよろしいでしょうか」
「……またか、セレナ殿。近頃はまるで姉上と2人きりになれない」
「ごめんなさい。けれど、お姉様、殿下がいない時は寂しそうにされているから」
「……仕方ない。行こう」
嫉妬というものすら初めて知る感情だった。
聖女様が大事だというならば、何故彼女が置かれた今を許容するのか……そんな理不尽な怒りも向けていたかもしれない。
自ら身分を投げ打ちここにきた。
聖女様と今の自分では天地ほどの差がある。
手の届かぬ存在。
それでも、やはり……
「諦められないと、そう思ったんだよ。聖女様を」
「っ、クレイ」
「あの日から、時間を見付けてはこっそり貴女を覗き見ていた。何度見かけても必死に聖女として立とうとするその強さに尚更惹かれた」
目の前で赤子から再び人生をやり直してきた彼女は目元まで真っ赤に染め上げ私の話に耳を傾ける。
気落ちした私を見破り、心配し、寄り添い、私の発する小さな言葉も拾い上げてくれる。
フィーは、かつての聖女様は、聖女と呼ばれなくなってもなお気高く優しい。
彼女のそれは強さだと思うのだ。
「どうして、ですか? クレイは、どうしてそこまで私に……、貴方は死ぬところだったかもしれないのに」
なおもフィーは気付かない。
長く虐げられてきた日々は、彼女の中にしこりとして残り続ける。
自分の尊さを、美点を、未だ信じることのできないフィー。
これからの人生を共に過ごすことで、気付いてくれるだろうか。
私自身、自分の価値など見出せていないというのに。
「貴女にとっては些細なことでも、私にとってはそうではなかった。琴線に触れるというのは、そういうものだ」
自分自身分からないくせに、こうしてもっともらしい言葉を紡ぐ自分が少し滑稽に思える。
それでもこれは嘘偽りのない素直な気持ちだ。
「……クレイ。私、ユーフィアとして過ごした日々を今も捨てることが出来ません。今はもう、フィオナとして生きたいと願っているのに。聖女と名乗れはしないのに」
「うん」
「今の私は温かな家族に守られて、優しい陛下に見守られて、そうして貴方に情をかけられ幸せに暮らしている。それでも、ふと唐突に聖女として生きた日々のことを思い出して途方もなく悲しくなるんです」
「……自然なことだよ。貴女から捨てた日々ではないのだから」
「貴方も、そうです。貴方の過去がどれほど辛いものだったのかを、私は想像することしかできません。けれど、陛下やお母様を慕い国の為にと知識を取り込む貴方は紛れもなく王弟で、クレイがどれほどこの国や王族を想っていたのか私には分かる気がします」
「……フィー」
「悲しくて、当然なんです。辛くて、自然です。名を変え立場を変えたって、記憶は残っているのだから。私達はそうやって生きてきた人間だから」
この国に来てから時間をかけてフィーが得た、フィーなりの答え。
強さと弱さを綺麗に抱えた人にフィーはなったと、そう思う。
自然な笑みと、人に甘えることを覚え、どんどんフィーは魅力的になっていく。
相応しい自分であれるだろうかと、悩むほどに。
「私……、貴方を守れるようになりたい。クレイを甘やかせる私に、なりたいです」
真剣な顔で、私の両手をすくい上げ頷く。
甘やかし方が分からないと言いながら。甘やかす方法を勉強しなければと呟きながら。
ただただ私はその姿に目を瞬かせ、気付けば笑ってしまった。
「もう、貴女は繊細なのか鈍感なのか、不思議だね」
「え、え……? あの、私何か……、あ、お、おこがましいですか?」
「まさか。愛しいなと思っただけだよ」
「っ、ク、レイはずるいです」
「ええ?」
フィーの前では、子供っぽくなる。
フィーの前では、我慢せず涙を流せる。
フィーの前では、こうして笑うことができる。
もうとっくに私は彼女に甘えているというのに、本人だけがまるで理解していない。
どれほど尊いものを抱えて今を生きているのか、フィーは気付かない。
悪い男に捕まって災難にと、そう思ってしまう。
「……頑張るよ、クレイドとして。今度は、逃げずに」
「クレイ……私も、頑張ります。今度は、認められる王妃になれるよう」
「うん、ありがとう」
「こちらこそ」
何度も何度も言葉に示して、不安な自分を無理やり蹴飛ばし今を生きる。
余裕など正直なところ無い。
それでも、きっと頑張っていけるはずだ。
今度は逃げずに、温かなこの国を守っていける。
新たな機会と感情を与えてくれた、彼女となら。




