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13.クレイとフィー


パタンと、丁寧に閉められたはずの扉の音が随分と大きく感じた。

私を部屋へと招き入れ、私の手を握りしめたまま扉を閉めたものだからクレイ様と私の距離は今とても近い。

その息遣いを感じてしまえるほど。

なぜだか、それだけで胸を打つ脈が速度を上げる。


華奢でとても中性的な顔立ちをしているクレイ様。

けれど私を引くその手は力強く、手のひらは私のそれをすっぽりと覆えてしまうほどに大きい。

ゴツゴツと私とは全く違う感触の指先。

男性なのだと今更強く実感してしまう。


「申し訳ございません、手荒な真似をして」

「え? い、いえ、クレイ様に手荒なことをされた覚えは一度も……」

「ないとは言えませんよね。再現致しましょうか? 貴女の可愛らしい悲鳴を覚えております」

「……お忘れ下さい」


不意に昔横抱きにされたことを思い出す。

あられもない声をあげてしまった恥ずかしい記憶。

思わず顔に熱がともり、上を向けない。

くすくすと、穏やかな笑い声が響く。

それが何故だかなおのこと恥ずかしく思えて、縮こまってしまった。


「どうしても、貴女ときちんと話がしたかった。強引にこの場を設けたことも謝ります。申し訳ございません」


けれどひどく優しい声が響いたものだから、私は顔を上げざるをえない。

今の私なら分かるのだ。

この声がどれほど慈愛に満ち温かなものなのかを。

クレイ様が私に心を砕いて下さっているということが、この声だけで分かる。

それはこの国で家族が教えてくれた。

人に愛され守られるということを、知ることができたから分かること。


「私も、クレイ様とお話がしたかったです。貴方に心からの感謝と謝罪を」


素直に告げれば、クレイ様が目を丸くする。

16年前の私では決して言えはしなかっただろう自分の意志。

それを初めて許してくれたのは、クレイ様だ。

私が私らしくあることを望んでくれた魔導師様。


「謝られるような心当たりは全くありませんが。ついでに申し上げると、感謝される心当たりもございません。私にあるのは、自分勝手に貴女を振り回し巻き込んだ自覚のみですよ」

「いいえ。巻き込んだのは、私です。私をここまで導いて下さったこと、今こうして多くの感情を知ることが出来たこと、全て貴方のおかげです。クレイ様、貴方が私に気付いて下さったから」

「……聖女様なのですね、ここに来てもなお。貴女は」


ぽつりとクレイ様は少しだけ寂しげに笑った。

そっと私の手を離し、先ほどまでご自身が眠っていた寝台へと腰かける。

細く深く息を吐き出すその姿に私はどうすれば良いのか分からず、その場に固まったまま。


「悔いて、いらっしゃいますか。聖女としてあの国に留まれなかったこと。聖女として役割を全うしようとなさった貴女の意志を無視し、私は貴女をただのユーフィア様としてこの国へ連れ去ろうとしました」

「それは」

「私は本当に貴女が思うような聖人ではないのです。ただ貴女を連れ去りたかった、貴女を大切にしないかの国が憎かった」

「……クレイ様?」

「あの国と私がしようとしたことは、何も変わらないのです。今とて同じ。貴女の心を占めるものへ、貴女が大事にしようとしたものへ、どうしようもなく苛立ってしまう。自分にこのような感情があること自体初めて知りましたが」


自分勝手だと、優しくないと、そう自分のことを語るクレイ様。

制御できないのだとご自身の手を握りしめる姿に、驚いてしまう。

私に対して言ってくださっていることは分かるけれど、どうにも心と結びつかなかった。

そこまでクレイ様に言ってもらえる心当たりが、それこそ私にはなかったから。

あの日、初めて出会うまで私達には一切の接点はなかったはずだ。


「どうして、そこまで私のことを」


思わず零れた疑問に、クレイ様は苦笑した。


「理屈では、説明できないことも世の中にはあるようですよ。私も未だに戸惑っています」

「……16年前にも同じことを仰っていましたね」

「ええ。私からすればほんの数日前の記憶ですが。色々と聞かされてなお、変わりません。私の中にこのような激情があったとは、一番自分が驚いています」


穏やかに笑うクレイ様と激情という言葉は中々結びつかない。

それでもきっぱりと激情だと言い切るクレイ様は、再び立ち上がり私の傍へとやってくる。

そうしてそっと私の手を拾い上げた。

まるで宝物かのように、優しく丁寧な手つき。

どきんと、胸が大きく鳴る。


「一目惚れ、だったのです。庭の片隅で必死に花を生き返らせようと努力なさる貴女に。小さな奇跡を起こし、思わず綻んだ貴女のその笑みに」

「……っ、ひとめ、惚れ」

「はい。偶然私は煩わしい仕事から逃れ人目につかぬ場所でさぼっていただけなのですが。それ以来、貴女を盗み見する機を必死に探っておりました」


息が、詰まる。

人からこのような視線を送られたことなど、なかった。

鋭いと思っていたその目は、今優しいとしか思えない。

触れられた手が熱い。

どうしてそうなるのか、説明がつかない。


「ただただ、貴女の視界に入りたかった。貴女が心から笑む姿を見たかった。貴女が自ら何かを望む姿を、そしてそれが叶った時の笑みが見たかったのです。出来るのならば、私の手で」

「く、クレイ、様」

「……名前も、そう。貴女が気安く呼べる初めての異性に、なりたかった」

「っ、私、にはそのような、魅力……など」

「私だけが知っていれば良いと、そう言ったら怒りますか? ……けれど結局、それも許せず教国嫌いに拍車がかかってしまったのですが」


突如すっと冷えたクレイ様の言葉。

教国を語る時だけ、クレイ様の声が冷酷さを見せる。

熱で火照った顔はとたんに冷たさを取り戻し、思わず私は顔を上げた。

表情の変わらないクレイ様。けれど触れられた手の力が少しだけ増す。

飲み込めない感情を持て余しているのだと、そう気付いた。


「貴女が愛するものは、私も愛したかった。けれどどうしてもあの国だけは、好きにはなれません。貴女を虐げ苦しめるあの場所に、貴女を置いておきたくはなかった」


ああ、この人は本当に心から優しい人なのだと思う。

私の心にとことん寄り添おうとしてくれたのだ。

私が大事にしたものを大事にしようとしてくれて、けれどそうは出来なかったことに苦しんでいる。

あの頃の私にここまで心を砕いてくれた存在が他にいただろうか。

殿下とセレナ、2人以外私と親しくしてくれる人すらいなかったあの頃の私に。

私自身、必要以上に人と接点を持とうとしなかった。

それぞれの人が抱える事情にあまりに無頓着で、失望されないためにとしか考えられていなかった。

器がなかったのだと、今なら思える。

けれどそんな私にクレイ様は気付いてくれた。

私のことを思い憤ってくれている。

私のせいで16年もの時を奪ってしまったというのに、それでも私の聖女時代を思ってくれる。

だからだろう、私が聖女の時代をここまで冷静に思い返すことができたのは。


「……虐げられていたわけでは、ないのです。私は恐ろしく無知で無能でした。求められた役割を果たせず、何が求められていたのかすら分からぬ聖女だった」


今だからこそ言える言葉だった。

あの頃は何故人々に失望され続けていたのか、分からなかったのだ。

今ならば、自分が無知であったこともひどく人に疎く無神経であったことも分かる。

人として私はおそらく何もかも足りなかったのだと。

けれどクレイ様は首を振った。


「貴女が責められるのならば、何故あの国王や王太子は責められないのですか。聖女を無用と蔑むならば、なぜ貴女はあの王城に縛られ続けなければならなかったのです? 貴女を無能だと言うならば、国王も王太子も公爵家も魔導師も全て同じです。理不尽に貴女に無理を強いて理不尽に貴女を責める資格がある者などあの国には誰一人いなかったはずだ」


強い怒気を感じる。

先ほど応接間で感じた怒気の比ではない。

目はつり上がり、少し怖いとすら感じてしまうほどの怒気。

思わず言葉を失い、どう反応すれば良いのか分からなかった。


「……申し訳ありません。三度申し上げますが、私は本当に自分勝手な人間なのです。私とて、そのような貴女を長く放置した1人だと言うのに。そして連れ去れる機を得て初めて動いた卑怯者です」


けれど、私を我に返らせたのはクレイ様のあまりに卑下した言葉だ。

とても聞いていたくないと、その瞬間強く思う。

自分勝手な人間などではない。

私を気遣い、私に寄り添い、そうして私を守ろうとしてくれた。

放置されたわけでもない。

ずっと私を見守ってくれていたのだと、言葉の節々に感じられる。

卑怯者?

そんな人はこうして私のために怒ったり自分を責めたりしないはずだ。


……ああ、そうか。

大事な人が自分を卑下するのは、これほど悲しいことなのか。

笑っていて欲しい人が、誰よりも優しく温かな人が、自分の欠点ばかりに目を向け苦しむ姿を見ることがこれほど辛いことなのだと初めて知った。


「ごめん、なさい」

「……聖女様? 何を謝られるのです」

「貴方にそう言わせてしまう自分が情けなくなりました。自らを卑下し続けることがどれほど残酷な事なのか、私は知らなかった」


私と繋がれた手。

私のことを昔も今も大事にしてくれるクレイ様の手。

……今からでも間に合うのだろうか。

何もかも失敗だらけの私でも、出来るだろうか。


「っ、聖女、様?」

「謝るよりも前に、しなければいけなかった。今更気付いたことに、最後に謝らせてください。もう、過去のことを貴方に謝るのは、これで最後です。本当にごめんなさい」

「……一体何のことやら、皆目見当がつきませんが」

「良いのです。これは私の自己満足ですから。それよりも貴方に伝えねばならない言葉がありました」

「私に伝えねばならない言葉?」

「はい。クレイ様、本当にありがとうございました。かの国に何の未練もないかと聞かれれば、すぐにお答えはできません。けれど、この国に来られたことに悔いたことなど一つもございません。貴方が私に心を砕き動いて下さったから、今の私はとても満ち足りた日々を送っているのです。本当にありがとう」

「……っ、貴女は、優しすぎます。全て私の自分勝手が引き起こした事だというのに」

「これが自分勝手だと言うならば、私とて聖女としての責務を果たさずこの国で暮らし続けているのですから自分勝手です。お揃い、です」

「聖女、様」


傲慢だろうか、自分の思うがままに言葉を発してしまう私は。

聖女としてありたいと願いながら、それでも今はクレイ様の手を取りたいと思ってしまう。

お父様、お母様、お兄様、この国で初めて実現した私の夢。

今の私の頭に浮かぶ顔は、家族と言って思い浮かぶのは、この国の方々ばかりだ。

教国の、聖女として生きていた頃の家族……殿下とセレナよりも、この国の家族が浮かぶ。

……私はもう選んでしまったのかもしれない。

聖女としての自分を捨てられたわけではないのに。

それでも、今私が何を望みどうしたいのかと聞かれれば即答できてしまう。


「共に進みませんか、クレイ様」


ギュッと強くクレイ様の手を握りしめる。

とたんに揺れたクレイ様の肩。

よく見れば、そのすぐ傍にある耳はとても赤い。

握りしめた手は力の弱いまま固まっている。

クレイ様も、同じなのだ。

私と同じく今に、戸惑っている。

それがどうしてこれほど嬉しかったのか、やっと分かった。


「クレイ様と一緒にいたい、です。貴方の傍は、とても温かいから」

「……都合よく、受け取りますよ。つい最近知りましたが、私は大概しつこいようです。苦労しますよ」

「が、頑張ります。クレイ様の心をきちんと理解できるよう」

「親しい友人からなどと、中途半端な真似はできません。貴女が慣れていなくとも、気持ちが私ほど追い付いていなくとも容赦しません。それでも共にいてくれますか」

「は、はい! クレイ様がお許し下さるなら」

「恋人として、扱いますよ?」

「こ、こい……っ!?」

「……やはり理解していなかったようですね。先ほどはっきり申し上げたのに。まあ、そのような環境で生まれ育っていないのですから仕方ありませんが」

「も、申し訳ございません。私また何か」

「いいえ。むしろ貴女がまだ誰にも染められていないのだと知ることもできましたし、心が多少なりともこちらに向いて下さっているならばこれ以上の好機もありません。喜んで攻めさせていただきましょう」


手を握り返される。

両手で包んだ私の上に、クレイ様のもう片方の手が重なる。

急に心もとなくなり心臓が忙しなくなってしまったのは何故だろうか。

答えが自分の中に出て来る前に、額に何かがぶつかる。

視線を上げれば、目の中いっぱいにクレイ様の瞳。


「フィオナ、と言うんですよね今の名は。元のお名前はユーフィア様。……ならば、これからはフィーとお呼びしても?」

「フィー?」

「私だけが呼ぶ貴女の名が欲しいのです。聖女様と呼ぶのは、距離を感じますので」

「あ、そ、その」

「フィー、貴女が好きです」

「っ!! く、クレイ様」

「どうぞ私のこともクレイと」


どうすれば良いのか、まるで分からない。

体が金縛りのように動かない。

それでもクレイ様の言葉を、この距離感を、嫌だとは一切思わなかった。









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