10.謁見
シャルレーゼ王国の王城は、聖カトリナ教国の王城よりも随分と小さく感じた。
豊かな森に囲まれ、城下も数刻歩けばぐるりと一周じっくり回れるくらいの広さだ。
案内されたのは謁見の間ではなく、応接間。
謁見のご挨拶もなしにいきなり応接間で私の事情をお聞き下さると言う。
教国では有り得ないことだった。
けれど私を迎え入れた近衛騎士の方々も、執事も、侍女も、皆とても丁寧に、そして親身に私を部屋まで案内してくれる。「ようこそおいで下さいました」と、そう笑って。
「温かな、国ですね」
思わず呟く。
何もかも教国とは違った。
規模も、礼儀も、人々の表情も。
「そう言ってくれると嬉しいな。小さな国ではあるが、良い国だと私は思うよ」
「……はい」
お父様の嬉しそうな声に淡々と相変わらず無表情のまま私は返す。
人の気配の少ない、少しだけ古さの感じる王城。
広々とした廊下を歩けば時々足元が軋む音を上げる。
お父様の言う通り小さな国なのだろう。
私がかつて暮らしていた国は、比べれば随分と恵まれていたのかもしれない。
そのようなことすら、初めて知った。
「よく来たな、姫。さあ、こちらへ」
「……お初にお目にかかります、国王陛下。フィオナと申します。この度はこのような場を設けていただき、心より感謝申し上げます」
「はは、これは丁寧にありがとう。流石に綺麗な礼をする。が、ここではあまり使う機会もないかもしれんな。さあ、こちらへ」
驚くべきことはさらに続く。
辿り着いた応接間で直々に扉を開け迎え入れて下さったのは、なんと国王陛下御本人。
しばらく呆けてしまい、慌ててその場に膝を付けば陛下は笑ってすぐに私を椅子へとお招き下さった。
……教国と何もかもを比べるのはおかしな話なのかもしれない。
この国にはこの国なりの流儀があり、私はそれに準ずるべきだ。
けれど今までの経験とはあまりにかけ離れた世界で、どう応対するのが正解なのか私では判断がつかない。
訳ありの厄介な身の上の私を温かく受け入れてくれた家族。
その家族が愛する国に、無礼はしたくないのに。
「フィオナ。大丈夫だから、こちらにおいで。ここに座りなさい」
「お父様」
「良いんだよ、座って。この国ではそれでいい」
「……はい」
結局固まり動けなくなってしまった私に教えて下さったのはお父様だった。
苦笑しながら、ご自身の横を軽く叩いて私を招く。
素直に従い恐る恐る座せば、正面にお座りになられた陛下が笑い声をあげた。
「成程、少し心配していたが安心した。ランド、よく築いたな姫との絆を」
「お恥ずかしい話ですが、最近になってようやくです。娘の心を解くのに随分と時間をかけてしまいました。長く一人苦しめてしまったやもしれません」
「そう責めるな、姫はそなたを家族と受け入れ心を寄せている様子。姫の過去を思えば容易いことではなかろう、よくやった」
「……ありがとうございます、陛下」
ああ、この国は国王陛下までも温かい。
私に情をかけて下さる必要など、ないはずだ。
私は下手をすればこの国に多大なご迷惑をおかけするかもしれない厄介な存在だと言うのに。
それでも最初に出て来る言葉は何て優しい言葉なのだろう。
聖女としての私ではなく、私自身の内面を考えて下さる。
「フィオナと呼んでも良いか、姫」
「はい、勿論です陛下」
「ありがとう。フィオナ、そなたの事情は公爵と妹より聞いている。大変だったな、これまで」
「そのような。私、は」
「グレイルと共にここへ辿り着いたのも何かの縁だろう。小さな国ではあるが、我々はそなたをフィオナとして歓迎するぞ」
そうしてあっさりと私を認めて下さるものだから、信じられない気持ちで思わず陛下を見つめてしまった。言葉も忘れ。その後慌てて頭を下げれば、陛下とお父様が2人揃って眉根を寄せる。
「……これはどうにも、根が深そうだな公爵よ」
「ええ。かの国が一体この子をどのように扱ったのか、恐れ多くも疑いの目を向けずにはいられません」
陛下とお父様の言葉の意味が理解しきれず、やはり私はどう反応すれば良いのか分からない。
ああ、本当に私は何もかも足りない。
場所を変えたところで、人の足を引っ張ってばかりだ。
「……申し訳、ございません」
「何を謝る。そなたは何も悪いことなどしていないだろう」
「ですが、私は物も事もまるで理解する能力がございません。気の利いた言葉一つ、申し上げられません。いつも人を落胆させてばかりいます。この国の方にご迷惑は、おかけしたくないのに」
「……フィオナ。お前、そのようなことをずっと考えていたのか?」
お父様が肩を寄せて下さる。
陛下の御前だというのに、構うことなく抱き寄せて下さる。
……また失敗してしまった。
悲しませるために言ったわけではなかったのだ。
ただただ不快な思いをさせてしまっただろう謝罪をしなければいけないと、思っただけで。
けれどきっとこの反応を見るに、私は間違えてしまったのだろう。
どうすれば良かったのか、それでも私には答えが分からない。
俯けば、ふと私の手の上に大きな手が重なった。
はっと顔を上げれば、目の前で膝を付き私と目線を合わせる陛下の姿がある。
「フィオナ。そう自分を蔑みすぐに謝罪するのを止めなさい」
「……っ、申し訳」
「謝る必要はない。分からぬことがあるなら少しずつでも学び知ってゆけば良いのだ。誰もが初めは無垢なもの、そなたとて同じだ」
「ですが、許されていいわけではございません。私は完璧でなければならないのに、現状は」
「……ここではそなたに完璧など求めぬよ。我々はそなたが自分を愛し、同じように他者を愛し、出来るならばこの国を愛してくれることを望む」
「……自分を、愛す?」
「そうだ。大事な者が貶められ心痛まぬ者はいない。たとえ貶めているのが本人であろうとな。だから公爵は今、悲しんでいるであろう?」
優しく、諭すような陛下の声。
完璧でなくてもいい。
自分を愛す。
そのどちらもが、今まで言われたことのなかった言葉。
飲み込み方が、分からない。
けれどお父様がなぜ私を抱き寄せて下さったのか、やっと陛下のお言葉で知った。
驚きながらもお父様を見上げれば、何故だか私よりも泣きそうな顔をして見つめ返される。
……じわりと、胸の中で何かが湧いた。
「申し訳、ございません」
それでも出てくるのは、どうしても謝罪の言葉。
それに代わる言葉を必死に探すも見つからない。
こういう時にどういいう言葉を言えば良いのか、分からないのだ。
無垢と、陛下は優しい言葉で言って下さった。
けれど、私の場合は無垢なのではなくただの無知なのだろう。
知る努力を、もしかしたら私は怠ってしまったのかもしれない。
「ありがとう、だな。フィオナ、嬉しい時は礼を言えば良いのだ」
陛下は戸惑う私に声をかけ、私の手を握る。
説明のできない感情が体を巡る。
ふわふわと身体の奥で動いたのは、久しぶりに感じる聖女の力。
そこで、ようやく私は思い出した。
嬉しくなってお礼を言ったことが私にだってあったということを。
クレイ様が、私に教えて下さった。
教国から私を逃がそうとしたクレイ様に、私に情をかけてくれたクレイ様に、私はありがとうと伝えたはず。
あの時と、今はきっと同じ。
「ありがとう、ございます。お父様」
「……っ、ああ。こちらこそありがとう、フィオナ」
「っ、ありがとう、ございます、陛下」
「ああ。それで良い。ありがとう、フィオナ」
返ってきたのは満足そうな笑顔。
無知な私を責めることのない方々。
ありがとうと返してくれる場所。
……もっと、理解できる自分になりたい。
義務からではなく心からそう思った。
「……グレイルと、会いたいか?」
そして唐突に、陛下が仰る。
驚き目を見開かせる私。
なぜ陛下がお許し下さったのか、私には分からない。
もともとここへ来たのは、私の過去とクレイ様との出来事をお話するためではあった。
けれどまだクレイ様とのことも私自身の過去も、何一つお伝えできていない。
それに国王陛下はクレイ様のお兄様であり身内だ。
お母様から仲の良い兄弟だと伺っている。
王城の奥、人の目に触れない場所で大事に守られていることからもそれは分かっていた。
そんな大事な存在であるクレイ様と、訳あり元聖女の私。
そう簡単に会えるものではないと、覚悟していた。
いた、のに。
「フィオナ。我がそなたに聞きたいことは一つだけだ。会いたいか、グレイルに」
射抜くような鋭い視線に肩が揺れる。
先ほどまでの温かな目は潜められ、強く真剣な眼差しが届いた。
ただの優しい王様ではないことを、ようやく私は知る。
けれどそれは陛下にとって、クレイ様がそれほど大事な存在だからだ。
今回はきちんとそう理解できた。
だから冷たくなってしまった喉に一度だけ空気を送り込み、真っすぐ見返す。
足は、震えてしまう。
それでも視線だけはそらさなかった。
「お会いしたいです。クレイ様……グレイル殿下に」
正直に答えれば、そこで陛下が目を緩め笑う。
「会ってやってくれ、我が弟に。随分と長く眠ってはいるがな」
優しい声に頭が自然と下がった。
「ありがとうございます」と、言葉を足す。
陛下の手が緩く私の頭を撫でるから、また私の目は熱くなる。
嬉しい時でも涙が出るのだと、またひとつ新たな発見をした。
「……優しい娘だな、ランド。やっと聖女様なのだと得心がいった。試す真似をしてすまない」
「にわかに信じがたい話ではありますから、陛下が疑うのも無理はございません」
「しかし何があるか分からぬものだな。あのグレイルが聖女様に手を伸ばすなど。あやつは権力や国の中枢には最も関わりたがらないと思っていたが」
「グレイル様をそこまで動かす何かがフィオナにはあったのでしょう。私には、分かるような気がしますが」
「……ああ。彼女ならば、あるいは」
近衛騎士に案内され部屋を辞した後、陛下とお父様がそのような話をしたことを私は知らない。
王城の奥深く、人の気配がさらに減った先の小さな部屋にクレイ様はいた。
陽の光を淡く浴び、寝台の上で目を閉ざしたまま眠っているクレイ様。
その顔も姿も、何もかもが遠い記憶のままだ。
老いることも、衰える様子も一切見せず、まるで今にも起き出しそうなほど血色も良い。
「クレイ、様」
声をかけても返事はなかった。
傷一つない綺麗な顔。
私を少し強引に、けれどとびきり優しく連れ出そうとしてくれた人。
その力強い瞳を、今は見ることが叶わない。
手をそっと握る。
はしたないと、そう思いながらもそうせずにはいられなかった。
……冷たくは、ない。
普通と変わらぬ体温に、ほっと安堵する。
そうやって一つ一つ、彼が生きている証を探してしまうのは無意識だった。
熱は、傷は、息は。
あれこれと見つめ触れながら、確認していく。
そうして最後に見つけたもの。
「この、膜は……?」
クレイ様の体を包む、淡い光。
まるでクレイ様を守るようにクレイ様に纏って離れない。
そしてその存在に気付くと同時に、自分の体の奥の力がふよふよとまた動くのを感じた。
けれどそれが何故だか分からない。
触れようと手を伸ばしても、その膜はすり抜けるだけ。
掴もうと握りしめても手の隙間からこぼれる。
「フィオナ、入るよ」
どれほど時間が経っただろう。
お父様がきっと私を迎えに来てくださったのだと、頭の片隅で理解する。
けれどどうにも視線がクレイ様から離せない。
「フィオナ? どうした」
「この膜、どうすれば」
「……膜?」
完全に無意識のうちに発していた言葉だった。
お父様が近くまで来て怪訝そうな顔をしている。
それでも思考はやはり離れないまま。
膜に触れたまま目を閉ざし意識を尖らせる。
昔、聖女として暮らしていた時代に幾度もやったことを何故今唐突にやりはじめたのか、自分自身分からない。
けれど、頭に浮かんだのは鮮明な言葉だった。
……まだ、足りない。
何が足りないのか、自分でも分かってはいない。
けれど今はまだ無理だと、それだけが本能的に分かる。
「あと、3年……4、年?」
「フィオナ……?」
「クレイ様、もう少しです。もう、少しだけ」
そんな説明のつかないうわ言を、私は覚えていなかった。
後からお父様に聞いた話だ。
取りつかれたようにクレイ様を見つめ続け何か手を動かし続けていたと。
思わず心配になり肩を掴んだ瞬間、いつもの私に戻ったのだと。
私の記憶もそこからしか思い出せない。
ここから4年弱。
聖女の力の本質と共に、その言葉の意味を私は知ることとなる。




