1.疑いの聖女
「聖女などもう時代遅れですよ」
そんな声が耳に届いたのは昼下がりの中庭だった。
閉め切った部屋で過ごすのは体に良くないと、そう可愛い“弟分”から言われ珍しく城内を散歩していた時のことだ。
咄嗟に建物の陰に身を寄せたのは、人目を避け続ける生活を続けた私の習性から。
身体をその場で丸め息を潜めた。
「……場所と言葉を弁えろ。ここは聖女様の住まう王城だぞ」
「どうせ聞こえてやしませんって。聖女サマはいつも部屋に引きこもって本を読むばかりなんですから」
「それでもだ。万が一殿下の耳にその言葉入れてみろ。ただじゃ済まないぞ」
「殿下もお可哀想に。いくら慣習だからとは言え、何の益にもならない聖女様を娶らなければならないなど。どうせなら“妹君”の方がよっぽど」
「おいっ、その辺にしておけって。誰が何を聞いているかも分からないんだぞ」
「はいはーい、慎みまーす」
会話が途絶え再び静寂が訪れるまでどのくらいかかっただろうか。
大きく息を吐き出して立ち上がる。
「聖女様? どちらにいらっしゃいますか」
「ごめんなさい、こちらです」
ちょうど良い頃合いに響いた声に、その場を離れた。
「聖女様、お加減が?」
「そのようなことはありません。けれどどうして?」
「顔色がよろしくありませんので。替えの利かぬ大事な御身、どうかご無理はなさいませんよう」
「ありがとう、本当に大丈夫ですよ」
私を見付けるなり過剰なほど心配をしてくれる侍女に笑い返せば、彼女はほっとしたように笑う。
陽の光が眩しい場所へと移動すれば、その場にいた衛兵や侍女、その他王城を訪れていた貴族達がこぞって膝をつき恭しく礼をくれた。
「どうぞいつも通りになさって下さい」と声をかければ衛兵以外は皆きれいに笑みを浮かべ一礼した後、どこかへと姿を消す。いつも通りの距離感、人気の失せた空間にため息がこぼれそうになる。けれどそれを抑え込んで私はうつ向いた。
人は鏡とはよく言ったものだ。
お互いに浮かべたものは何の感情も生み出さない綺麗な笑み。
決して縮まることのない距離感。
表面上の、心の通わない儀礼的なやり取り。
先ほど耳に聞こえた本音も相まって、今日はなおのことこんな時間が堪えた。
人々との触れ合いは激しく私の精神を消耗させる。
信頼も尊敬も何一つ得られないお飾りの聖女。
実感せずにはいられないこんな時間が怖くて私はいつも部屋に閉じこもってしまう。
ただでさえろくな聖女の力も持たないのに、精神面すらこれなのだから信頼を得られなくとも当然だ。
分かっているからこそ自己嫌悪はますます募って体の奥底を冷え込ませた。
癒しと再生の力を持つ聖女。
数百年に一度生まれるというその存在は、国宝である神器“聖女の器”によって選ばれる。
聖女が生まれれば光り、聖女が抱けば銀の器が金色へと色を変える不思議な器によって。
そうして代々聖女は見出され大切に護られてきた。
魔素の発見されていない昔、不思議な力で人や物を癒す聖女はそれはそれは絶大な影響力を持っていたという。
数多の国が傅きその加護を求めるほどにその存在は特異だった。
代々聖女が生まれるこの国の名は聖カトリナ教国、初代聖女カトリナ様の名がそのまま国名になったことからも分かるだろう。
しかし魔素の発見とともに、聖女が絶対的な地位を誇る時代は終わった。
魔素とは植物や石、土壌や川……自然界のあらゆるものに宿る動力資源だ。
いわゆる“不思議な力”を生み出す源。
長く続いた研究の果てに人類は魔素の活用法を見出した。
それが魔素の力を引き出す魔導器の発明だ。
ボタン一つで火を起こす魔導器、水を自在に操る魔導器、どんな重いものでも持ち上げてしまう怪力の魔導器、数えればきりがない。
多種多様な力を発揮する魔導器は、体質との相性さえ合えば誰でも扱える魔法の道具だった。
魔導器と相性の良い人間は決して多くは無かったが、それでも10人に1人という割合で存在する。
数百年に一度しか生まれない聖女とは比べるまでもなく多くの人間が“不思議な力”を手に入れたのだ。
やがて魔導器を扱う人達が束となり、一つの地位を確立していく。
魔導師と、そう呼ばれ始めたのは今より100年程前のこと。
聖女だけが持っていた“不思議な力”は、もう聖女だけのものではなくなっていた。
そして癒しの力しか持たない聖女と比べ多様性に富んだ魔導師が重視されるのも自然な流れだったのだろう。
昔のように聖女を神の御遣いなどと思う人は、もういない。
聖女に希少価値を見出す人々もそうは多くない。
私はそんな時代に生まれてしまった、さらに言うなら特に力の弱い聖女だった。
魔導師が誕生した後に初めて現れた聖女。
「やはり聖女などただの迷信か」
「魔導師様と比べればやはり、ね」
民衆の中から、王城のどこかから、そんな声が聞こえた。
聖女の生まれる国として発展したこの国は公に聖女を否定できない。
聖なる国として威厳を保ってきた歴史が存在するからだ。
ゆえに私は表立っては聖女として敬われ跪かれて生活している。
しかし実際のところは、聖女の光が伝承通りに反応しただけの私を半信半疑ながら国の象徴として据えているに過ぎないのだろう。
聖女の力や存在を心から信じ敬っている人など、私を含めきっと誰もいない。
私は国の権威を保つために祭り上げられた聖女だ。
地位は国王陛下に次ぐ第2位、そして未来の王妃が約束された身。
“尊い”“稀有な”“選ばれし”存在。
国の人々は慣習にのっとり礼儀にのっとり私を敬う。
王城の奥に大事に匿われ、世話人を付けられ、何一つ不自由なく暮らしている。
誰もが皆それはそれは綺麗な笑みで私の目の前に跪き、頭を垂れた。
その口から紡がれるのは私を誉めそやす甘い言葉達。
……息が詰まりそうで苦しいと、そう思ってしまうのは自分勝手だろうか。
『聖女などもう時代遅れですよ』
先ほどの言葉が耳奥でずっとこだまする。
今にも崩れ落ちそうな足場の上を、特に期待もされていないと知りながら笑顔で立ち続けることは辛い。
乗り切れるだけの精神力も私にはない。
なぜ力のない聖女が伝統だからというだけで敬われ王妃になるのだ。
それはきっと私が聖女じゃなければ私自身も思っていたことだろう。
肌に感じる人々の失望、儀礼的なだけで心のこもらないやり取り。
国民達を納得させられない自分の力量に何度押しつぶされそうになったか。
「聖女様、……聖女様?」
「あ、ごめんなさい。何でしょう」
「いえ。お加減が優れないのでしたら、本日はお部屋に戻りましょうか?」
「……そうですね。ここまで付き合わせて申し訳ありません。戻りましょう」
「……はい」
引きこもりの聖女。
偽りの聖女。
お飾りの聖女。
国民達からそう呼ばれていることを知っている。
それを覆せない自分の弱さを自覚している。
それでもなお逃げの一手しか選べない自分に、誰よりも私自身が失望していた。




