卒業パーティで婚約破棄は止めましょう~言えるものならどうぞ
ここは貴族の通う学園の卒業式パーティ会場。
友人と卒業による離別を惜しむ様に歓談する女性に、一組の男女が近付いていた。
「ジェイミー・ヴァーゴ! お前に話がある!」
「ウォルト様? どうなさいました?」
少し大きな声に驚き、振り返ったのは公爵家長女のジェイミー・ヴァーゴで、声をかけてきたのは侯爵家嫡男のウォルト・リーブラ。その左手に縋りつつもほんの少し後ろに回ろうとしているのは男爵家のエリス・バイシース。
ジェイミーの驚いた顔に気を良くしたのか、ウォルトは胸を張り続けて声を上げる。
「よく聞け! 私、ウォルト・リーブラは…」
「やあ、これはこれはウォルト殿。久しぶりだね」
名乗りを上げた所で、後ろから被せる様に声がかかる。
「ス…スタンリー殿っ…何故ここに?!」
現れたのはジェイミーの兄で、美貌の公爵家嫡男スタンリー。
スタンリーの登場に、ウォルトは焦りを隠せない状態で尋ねる。
「ウォルト殿がジェイミーのエスコートが出来ないというからね。晴れの卒業パーティに妹一人で入場させる訳にはいかないだろう?」
「そ…そう…ですか」
ジェイミーの隣に移動し、寄り添うスタンリー。
微笑み合う二人は絵画のように美しかった。
「それで? ジェイミーのエスコートをせずにそちらに女性を連れているという事は、どういう事だい? 親戚か何かかな?」
笑顔のままウォルトに向き直ると、スタンリーはウォルトの隣を指し示す。
「あ…その……その様な感じ…です」
「ウォルト様?!」
もごもごとハッキリしない物言いのウォルトに、エリスは驚きの声を上げる。
「それで? 先程はジェイミーの前で名乗りを上げて何を言う所だったんだい? もしかして、プロポーズかな? 女性を隣に置いてというのは気にかかるけれど、続けてくれて構わないよ」
「いや…それは……」
楽しそうに笑いながら、先を促すスタンリーに視線を彷徨わせ、言い訳を探すウォルト。
「だいぶ大きな声で話があると言ってたじゃないか。周りの注目を集め、私が急いで戻ってくる位には」
「……」
「ウォルト様っ」
言葉を発せなくなったウォルトをエリスが急かす様に名を呼ぶ。
「もしかして、私が居ると言い難い事なのかな? 例えば……婚約破棄を言い渡す、とか」
「ぐっ…」
スタンリーの指摘にウォルトは声を詰まらせる。
「……言葉に詰まったという事は、図星かな?」
「そんな…事は…」
ウォルトは少し血の気の引いた顔で笑みを返そうとするが、笑顔の筈のスタンリーから発せられる威圧に言葉が続けられない。
「だってその娘は親戚じゃないだろう? 婚約者を断り、別の女をエスコートするなんて、どれだけヴァーゴ家を虚仮にする気だろうね」
「それはっジェイミーがエリスに嫌がらせを……」
焦ったウォルトの口から、嫌がらせという単語が出た事をスタンリーは聞き逃す事も無く、眉を軽く顰める。
「嫌がらせ、ねぇ……エリスというのはその娘かい?」
「はい。スタンリー様」
ウォルトへの問いかけに対し、スタンリーの美貌に見惚れたエリスが返答する。顰めた眉を戻し、綺麗に形作られた笑顔で、スタンリーはエリスに顔を向ける。
「まあ、君の名などどうでも良いが、私の名を呼ぶ許しは出していない。基本的なマナーも知らない者が口を挟むな。不愉快だ」
「ひっ…」
笑顔から一転、怒気を含んだ顔で威圧され、エリスは怯えウォルトに縋りつく。
そのエリスの怯えように、守る様に肩を抱き、ウォルトはスタンリーへ反論する。
「スタンリー殿! それは言い過ぎではっ」
「私は学生でも無いし、その娘に対し名乗りも上げていない。会話の内容でジェイミーの兄だと分かっているのなら公爵家の者という事も分かっている筈だ。それなのに私達の会話に割り込むなど、学園を卒業した者とは思えないな」
「ひどい…」
スタンリーはウォルトの訴えを鼻で笑い、エリスのマナーの無さを指摘する。
淡々と紡がれる言葉にエリスは涙を流し、ウォルトの胸に顔を埋める。
「この程度で泣くのか…涙の使い道が分かっていないな。もう平民になれば良いのではないか? 貴族には向かないだろう」
「言い過ぎです!!」
貴族女性として涙の使い方は習っていると思ったが、男を落とす為にしか使われていないとスタンリーは判断した様だ。
ほんの少し驚いた表情のスタンリーに、ウォルトは抗議の声を上げる。
「そうか? 社交界に出た後に貴族女性から受けるものを考えれば、かわいらしいものだろう」
「そうですわね。エリス様では爪弾きにされるか、玩具にされ嗤われるかの二択でしょうね」
ウォルトの訴えも流し、兄妹はエリスが社交界に出た所を想像して頷き合う。
「ジェイミー! お前はそうやっていつも…!」
「間違った事は言っていませんわ、いつも。婚約者の居る異性に近付くな、高位貴族に話しかける際のマナーを守れ、淑女らしからぬ行いは控えろ。……これの何処が嫌がらせなのかしら?」
二人のあまりの言い様に、ウォルトは頭に血が上り、ジェイミーを怒鳴りつける。
「エリスは貴族になってまだ2年しか経ってないんだぞ? それをネチネチと!」
「こちらの忠告を全く受け入れないからですわ。一度で直す方には何度も言いません。エリス様以外にもわたくしは注意を与えていますし、他の方はすぐ是正して下さいますが?」
ウォルトの感情的な言い分に、ジェイミーは淡々と反論していく。
「お前に何の権限があると言うのだ!」
「最低限のマナーを身につけさせるべく動くのは、爵位が一番高いわたくしの仕事ですわ。わたくしと同学年で卒業した方のマナーが悪いなど、言われたくありませんから」
「そんな事で?!」
「そんな事? 面白い事をおっしゃいますのね。同じ学び舎に居ながらも是正出来ないなど、わたくしの評価にかかわりますの。それに、注意を受け入れる事がその方の為になるというのに」
「為になるだと?!」
「学園で注意された事を社交界で行った場合、笑い話では済まないということです。それによって家にまで被害が及べばどうなりますか?」
「そ…そこまでの事になど、なり得ないだろう?」
「いいえ。あり得ます。そう、まさに今だって」
「は?」
ジェイミーの返しに、ウォルトが何も言えなくなってきた頃、ジェイミーはスタンリーへ目配せをした。
「そろそろいいかな、ウォルト殿。これからジェイミーの事を呼び捨てにしたり、気安い口は控えてくれ」
「は? どういう事ですか?」
「君とジェイミーの婚約は破棄されたからだよ。これから君の家とは無関係になるからね。爵位が上の令嬢として接してくれ」
「婚約…破棄…?」
突然の話に、ウォルトは混乱する。
「そうだよ。君がこのパーティのエスコートを断った次の日、当主同士の話し合いが持たれた。君の不貞不義によるものだから、請われて先払いした持参金の返還と、慰謝料の請求もしているから」
スタンリーの説明も、ウォルトが理解するまで少しの時間を要した。
「な…」
「勿論、その娘の家にも慰謝料の請求は行われる」
「エリスの家にも…?!」
「当たり前だろう? 婚約者の居る者を寝取ったんだ。それは公爵家へ泥をかける行為だ。本気でやらせてもらうよ」
自分の有責での婚約破棄に慰謝料、それにエリスの家にも慰謝料とは……ウォルトの頭は何も考えられなくなってきていた。
「そんな…」
「それに君はこの場で婚約破棄を言い出そうとしていたよね? 当主に口止めをしていたから知らなかったのは無理もないけれど、それにしてもひどい行為だ。よっぽど我が公爵家を敵に回したいと見える」
どうにか声を絞り出すも、スタンリーの言葉に更に血の気が引く。
当主に口止めしていたのは、本当に婚約破棄を仕掛けるかどうか泳がされていたのだろう。
何とか誤魔化さなければ…と、ウォルトは震える声で訴える。
「ち……違い…ます」
「どう違うんだい? 私が居なければ悪しざまに罵ったんだろう? 自分の不貞を棚上げして」
まずいまずいまずい、どうにかしなければ……ウォルトの思考はそれで一杯になり、意味のある言葉にならない。
「不貞など…」
「君が色々な所でジェイミーの悪口を吹聴しているのは知っているよ? 事実無根の事をよくもまあ喋れるものだよ」
「そんな事は…」
「『気位ばかり高く』『感情を表に出さず』『口煩い』『面白味の無い』女なのだろう? それで、『可愛いエリスに嫉妬し』『嫌がらせを行い』『私の寵愛を受けようとする』『愚かな女』だったか? 『皆の前で婚約破棄を申し渡したらどんな顔をするのか楽しみ』だったのだろう?」
「………」
自分がどこかで喋った言葉、記憶にある言葉がスタンリーから紡がれる。どこまで知られているのか、弁明はするだけ無駄なのか、ウォルトの思考は纏まらない。
「ジェイミーがウォルト殿の寵愛を望んでいたとは初耳だよ」
「わたくしもですわ。その様な噂が流れていたなんて…不快ですわ」
「なっ…」
ジェイミーからの『不快』の言葉に、ウォルトは反応する。
「わたくし、ウォルト様に何も求めてませんの。リーブラ侯爵様から強く求められた婚約だと聞いておりますし、ウォルト様へ歩み寄る気は早々に消え失せましたし」
「何…を」
ウォルトは自分の家からの申し込みでの婚約とは思っていなかった。
爵位の高いジェイミーの方からの申し込みと思っていたのだった。
だから、自分は愛されていると、自分が歩み寄る必要は無いと思っていた。
「ウォルト様とてそうではありませんか。わたくしの事を知ろうともしなかったでしょう? 政略結婚とはそういうものと割り切っておりました」
「父上とリーブラ侯爵とは旧知の仲だったから今まで続いてきたけれどね。それでも今回の事はだいぶ怒りに触れている。リーブラ侯爵家と絶縁する程度にはね」
「絶縁…」
自身の行動で、公爵家との絶縁と聞いてウォルトの目の前は真っ暗になる。
「私達ヴァーゴ公爵家とリーブラ侯爵家の縁は完全に切れたと思ってくれ。これから先、私達から話しかける事は無い。今日はその最後の挨拶だよ。せいぜい頑張ってね」
「特に言う事はございませんが…エリス様とお幸せに。ごきげんよう」
「ま…待ってくれ……」
「ウォルト様っ! 私の家にも、とはどういう事ですか?!」
最後の挨拶と共に去っていく兄妹を茫然と見送りそうになったウォルトは我に返り、二人を引き留めようと手を伸ばそうとした所にエリスが強い力で詰め寄ってくる。
「五月蠅い! お前から近付いてきたんだろう! お前のせいだ!」
「なっ…! 貴方がジェイミーの悪口を言いまくっていたんじゃない! 自分に任せろと言っていたのは誰?!」
それを振り払い、ウォルトはどうにもならない怒りをエリスにぶつけるが、一方的に責を押し付けられそうになったエリスも怒りで怒鳴り返す。
「黙れ! ヴァーゴ家に縁を切られたなんて…これからどうすれば……」
「知らないわよ! 私の家だってどうすれば良いのよ!!」
頭を抱えるウォルトに、エリスは怒鳴り続ける。
「知るか!! 身売りでもなんでもすれば良いだろう! こっちの方が大変なんだ!!」
「最低!! 貴方なんかジェイミーに捨てられて当然よ!」
「何だと?! このくそ女!!」
「何よ! 爵位と顔だけの馬鹿男!!!」
二人は怒鳴り合いでは済まず、突き飛ばしたり物を投げたり、周りからの嘲笑に気付かず醜い争いは続いていた。
「二人共貴族の筈なのに、随分と醜い争い方をするのね…」
「喧嘩する程仲が良い……とは違うか。この罵り合いで更に他の貴族に話題を振りまいている事に気付かないんだろうな」
少し離れた所で振り返り、兄妹は嘆息する。
ウォルトと縁続きになる事が阻止出来て、スタンリーは特に安堵していた。
「本当に低俗ですわ。お二人とも、平民がお似合いですわね」
「図太いからね。結構うまくやるんじゃないか?」
ウォルトとエリスの家には慰謝料が払えない場合の指示もしてあるし、これから先貴族としての二人に会う事が無いのは安心といえるだろう。仮に野垂れ死んだ所で全く胸は痛まないが。
「違いありませんわ」
「さ、あんな低俗な見世物は放っておいて帰ろうか」
「そうですわね。パーティはもう楽しめそうにありませんし」
「あの見世物に全部持っていかれたね」
野次馬の流れに逆らい、兄妹は悠々と会場を後にした。