第一章6 「今はただ、願う」
俺がネリスで癒されている間に集まっていた人々は解散してしまったようで、残ったのは俺含めて5人だけだった。
フィオネさんにネリス、その2人の母親である女性。そして、未だに肩を組んできているテジットである。
その馴れ馴れしさ全開のテジットをフィオネさんが睨んでいた。
「テジット、あんた仕事は? というか、ナオヤが困ってるじゃないの」
「今日は非番なんだよ。せっかくの休日を返上して、颯爽とネリスちゃんを探してた俺を褒めて欲しいぜ!」
そう言った後、彼はようやく離れてくれる。そして、グッとサムズアップ。顔はそう悪くないが、自分で褒めてと言っていたらカッコいいとは思えない。台無しというか、残念な感じ。
それにしても、人それぞれの距離感というやつをまるっきり無視。気にしてなさそうな人だ。フィオネさんの語気が強めなのもうなずける。
「ありがとう! テジットさん!」
「おー! ネリスちゃんは優しいなぁ〜」
それには全面的に同意します。
「それは感謝するけど、もうネリスは見つかったんだし帰っていいのよ?」
フィオネさんのなんともまあ帰って欲しそうな表情と声音。テジットを心底鬱陶しいと思ってそうだ。雰囲気を見る限り、険悪な仲ではなさそうだけれど。
「どんだけ帰ってほしいんだよ……。いやさ、結果はちゃんと聞いとかねえとさ」
「結果? なんのこと?」
嫌な予感がする。
「結婚申し込まれたんだろ? その結果」
やっぱりか……。まだ続くのかこの話題……。もう勘弁して……。
「無理に決まってるでしょ?」
「うっ……」
咄嗟に胸を抑えてしまう。心に突き刺さる言葉だ。……自業自得なだけに尚更。
「あー、やっぱり? まあ、そりゃそうだよなぁ。残念だったな、えっと……、ナンマ君!」
「ナオヤです……」
慰めてるのか貶してるのかどっちだよ……。名前間違えてるし……。これ以上傷を抉らないでほしいです。切実に!
「ま、フィオネは超絶美人さんだから、一目惚れしちゃうのも無理ないって! 仕方ない仕方ない!」
「あんたにそんなこと言われるとゾッとするんだけど……。ていうか気持ち悪い」
「ひどっ!?」
ーーパンっと柏手がなる。
音の発信源はお母さんだった。いや、俺のお母さんじゃないけどね? エルフ姉妹の美人お母様だから。
俺は一体誰に弁明してるんだろう……。精神が結構参っているらしい。
「はいはい。結婚云々は置いておいて、とりあえず家に入ろ。話はそこでゆっくりね」
彼女はそう言って、ネリスと手を繋ぎながら目の前の建物へと入っていく。どうやら、人々が集まっていたのはフィオネさんたちの家だったらしい。
がっしりした白い幹の木を中心に、木造の建物が囲むように引っ付いていた。見た目から推測するに二階建て……、のはず。初めて見る形だから評価し辛いが、立派な家だと思う。
というか、さっきまで見ていた木々と中心の大木の色が違う。周りを見渡しても、先ほどまで視界に写っていた茶色い木が見あたらない。
いつの間に木の種類が変わったんだろう?
「それじゃ、俺は帰るわ」
「そう。それじゃあね」
フィオネさんは素っ気なく言い放ち、家の中へと入っていく。
「さあて青年よ。一度振られたくらいで諦めんなよ〜。人生諦めないことが肝心だぜ!」
テジットはそれを気にした様子もなく、ドヤ顔で俺にサムズアップして去って行った。
あの人は打たれ強そうだ。精神的に。
「…………」
辺りに静寂が訪れる。森の木々が揺らめき、葉の擦れる音が耳に心地良い。風が初めて嗅ぐ匂いを運んできて、新鮮な空気が肺に満たされていく。
しばし、立ち尽くす。
……俺は、何をすればいいんだろう。よく、分からない。
このまま目の前にある家に入っていいんだろうか。流れ的には良さそうだけど、どうなんだろう?
ふっと、考えないようにしていたことが思考に混じる。
(ーーこれは夢なんかじゃない)
思い浮かんだそれをすぐにかき消そうとする。しかし、脳裏に貼り付いたように、どれだけ思考を逸らそうとしても消えてはくれない。
陰鬱とした何かが、胸の奥に溜まっていくのが分かった。
それを解消する何かを探して、視線を彷徨わせる。
目の前にある家と似たようなデザインの住宅があり、緩やかな坂の真ん中にある道に沿って並んでいた。その坂道を住民であろう人たちが歩いている。
坂道は長く続いていて、登り道の先には天にも届くのではないかと思える巨木。下りの道の先には、多くの人々が住んでいそうな石造りの街並み。
どれもこれもが新鮮。雲が点々とたゆたう夕焼け空の下で見ると、とても綺麗だった。
なにもかも精巧で美しい。
ーー美し過ぎるのだ。全てが。反吐が出そうなほどに。
「ーーナオヤ? あなたも入っていいのよ?」
気持ちの悪い感覚が霧散していく。いや、消えてはいない。……俺は目を逸らした。
心配してくれたのか、フィオネさんが扉を開けて呼んでくれている。待たせてしまったようだ。申し訳ない。
「あっ、はい! 今行きます」
フィオネさんに呼ばれるがまま、家の扉へと小走りで近づく。
今はただ、流されるしかない。
夢であれと、願うしかない。
***
室内を一目見て、とても落ち着いた雰囲気を感じた。電球がないからから暗いだろうと予想していたが、そんなことはない。
なんというか、テニスボール程の大きさの不可思議球体が天井にあり、電球色の穏やかな色で室内を照らしている。明るいが目に優しい光。
あれはなんだろうか? 豆電球っぽくはないし、蛍光灯なわけがない。不思議な物質だ。……物質なのかも疑問に感じるけど。
「こっち」
フィオネさんは右側に歩き出す。どうやら、靴は脱がなくてもいいらしい。ちょっとした違和感。文化の違いとはこのことだろう。
とりあえず、関心は後にしてついて行く。
中央の木に沿ってまあるくなるよう作られている通路を少し歩くと一つの扉が見えてきた。その扉の中にフィオネさんが入る。
少々気後れしながら、扉の中を覗き込むようにそーっと中に入った。
目に入ったのは長方形のテーブル。そして、5つの椅子だ。一番奥の椅子にはフィオネさんのお母さんが座っている。ネリスの姿は見えなかった。
少々テーブルが大きいためか、部屋が若干窮屈に感じなくもない。そのため、心なしか天井にある不可思議球体の光も小さい気がした。ここは外の光が入ってきているので大して気にはならないが。
左奥の壁に扉を取っ払ったような穴がある。模して貸して、ここは食卓? 左奥がキッチンに続いているのかもしれない。
「さ、座って」
「あ、はい」
フィオネのお母さんから見て右側の椅子を指し示されたので、促されるままそこに座る。そして、俺の向かいにフィオネさんが着席した。
こうして座りじっくり顔を見合わせると、2人とも恐ろしい美人なので妙に緊張してしまう。具体的には目線を合わせられません。顔を向かい合わせながら会話するなんて……。ほんと、緊張する。
「さて。たしか、カシワギナオヤさん、でしたよね?」
「あ、はい。そうです」
この人に名前を言っただろうか? あ、フィオネさんに聞いたんだ。
「私はジルフィーナと言います。フィオネとネリスの母親です」
「はい」
やはり、本当に母親らしい。なんというか、びっくりだ。……それ以外の言葉が思い浮かばない。実は姉妹でした、と言われた方が信じられるかもしれなかった。
そういえば、ネリスはどこに行ったのだろう。俺はともかく、あんなに小さい子が大熊に襲われていたのだから疲労も激しいはずだ。
「あの、そういえばネリス、さんは……?」
呼び捨てで呼んでいいのかちょっと迷い、変な間が入ってしまった。その間をしっかりと感じ取ったらしく、ジルフィーナさんがクスりと笑みをこぼす。
「ネリス、でいいですよ」
変に気を使わなくてもいいようにジルフィーナさんが呼び方を固定してくれた。
こういうのは、正直とてもありがたい。
「ネリスなら上で休ませてる。家に帰って安心したみたい。部屋に戻ったらすぐに眠ったわ。やっぱり、相当疲れてたらしくて」
フィオネさんが答えてくれた。
しっかり休んでいるらしいことに、ほっと胸をなでおろす。
「良かった……」
「とりあえず、ネリスのことは気にしなくていい。それよりも、あなた、ナオヤのことよ」
「……俺?」
何かおかしなことでもしてしまったのだろうか?
「自分がどういう人物で、どうやってここに来たのか。きちんと説明してくれる?」
フィオネさんは綺麗な目を細め、俺を真っ直ぐに見ていた。まるで、見定めようとするかのように。