第一章4 「エルフ姉妹」
道すがら周りの景色やフィーさんをチラ見したりしていると、あることに気がつく。尖っているのだ。フィーさんとネリスの耳が。
彼女たちの耳が気になって気になって仕方がない。痛そうな鋭さじゃなくて、とても柔らかく気持ち良さそう……。触ってみたくて仕方がないのだ。
しかし、無闇に女性に触るなどセクハラ以外のなんでもないだろう。というか、常識的にあり得ない。でも、時折ピクピク動いてるのが可愛くって、どうしようもなく視線が吸い寄せられてしまう。
邪な感情なんてこれっぽちもないのだが……、背後に立ちじいっと見つめているというのはなんだか申し訳ない。変態だとか思われたらどうしようか?
……ちょっと勇気出して聞いてみよ。無言なのも辛いし。
「……あの」
「ん? どうしたの?」
「その、耳……、なんで尖ってるんですか?」
「……は?」
歩みが止まる。フィーさんが振り返り、何を言ってるんだこいつは的な感じで俺を見てきた。ネリスも同じように俺を見て小首を傾げている。
……そんなにおかしな質問をしただろうか? 少し緊張する。誤った方がいい、のかな?
「なんでって、エルフだからに決まってるでしょう?」
「はあ……、エルフだから……。なら、さっきの、えっと……、マリさんも?」
「当たり前でしょう? ……まさか、どこか頭でも打った? まだ混乱してるの?」
「え、あ、いや、大丈夫です……」
「そう……、ならいいけど。念のため、後で体見るから。今はとにかく街の方へ戻りましょう」
彼女はそう言って再び歩き始める。
……正直、意味が分かりません。一体どういうことでしょう?
ちょっと混乱している。整理しようか。
ええと、エルフって確か、よくファンタジー系の漫画とか小説で見かける名前だよな。それに出てくるエルフも、耳が尖っていたりするし。どこかの国の神話に出てくる元祖エルフとやらも耳が尖っていたとかなんとか。
つまり、そういうエルフと一緒で、彼女たちもエルフなのか?
……上手く理解出来ないな。
まあとりあえず、エルフっていうことにしておこう。うん。本人たちがそう言っているしね。
じゃあまあ、そう仮定したところで。ここはファンタジー世界……、なのか?
幻想的な森に、あり得ない大きさの熊。フィーさんとマリさんの異常な身体能力に、尖り耳エルフ。これだけファンタジックな要素が出て来たのなら、ファンタジー以外の何モノでもないだろう。たぶん。
少なくとも地球には存在しないかった、はず。俺にとっては間違いなくフィクションの存在だ。
じゃあなにか? 俺はファンタジー世界に転移でもしたっていうのかな?
「……んなバカな」
そんなことあり得ない。……と断言したいところだが、目の前に広がる光景を全否定するなど到底無理だ。俺は紛れもなくここにいて、人と話し、自然を感じている。それらを無闇に拒絶するほど幼稚ではないつもりだ……。
俺は、いったいどういう状況にあるのだろう。不安とも、恐怖とも言えない感覚が胸を包む。モヤモヤとした黒い何かは自分の底に沈殿し、少し、気持ち悪い。
どうする? どうすればいい? つまり今は、どういうことになってるんだ?
答えの出ない問いがやたらめったら頭を駆け回る。状況整理なんて出来やしない。
……夢であれば、いいのだけど。
「ーーねえ」
「え……? あ、はい。なんですか?」
フィーさんの突然の呼びかけに少し慌てる。手汗に気付き、そっとズボンで手のひらを拭った。思考を放棄し外面を取り繕う。
「あなた、なんでこんなところにいたの?」
こんなところ、とはこの森を指しているのだろうか。
「いや、それがですねぇ……。正直、自分でも分からなくて……」
「……? 自分でも分からないって、どういうこと?」
「……えっと、目が覚めたらこの森にいまして、自分がどういう経緯でここに来たのか覚えてないんです……」
上手くは言えなかったが、とりあえず、出来る限り説明した。嘘は言っていない、と思う。そもそも、こうとしか言いようがない。
「……つまり、ここに来るまでの記憶がないの?」
「まあ、そうですね……」
彼女の表現は懐疑的だ。スッキリ納得などしていないのが丸分かり。
当然だろう。もし俺が逆の立場でも似たような顔になる。自分で説明してても訳が分からないし。
「ふーん……。……悪いけど、信じられないわね」
「ですよね……」
予想通りと言っていいのか。割とストレートなお言葉をいただいてしまう。信じられる訳がないとは思っていたけど、こんな風に真っ直ぐ言われると結構心にくるなぁ……。
いやまあ、初対面で告白なんてする変な男の発言を無条件に信じるなんてあり得ないんだけどね。
フィーさんはネリスを見た。ネリスはフィーさんと俺を交互に見るだけで口は挟んでこない。ただ少し不安そう、かな? あと眠そう。
俺がこんなに疲れているのだし、彼女は相当に疲労が溜まっているはずだ。俺より前に追いかけられてたし。精神的疲弊もかなりだろう。
そんな可愛らしい少女の頭をフィーさんは撫でる。
「……まあ、嘘かどうかはともかく。あなたは私の妹、ネリスを助けてくれたわ。……あの、結婚してとかいうのは意味が分からなかったけど」
「う……、すみません……」
ああ、数分前の自分を殴りたい……!
「ーーありがとう」
「え……?」
突然の感謝の言葉に戸惑う。お礼を言われるような流れではなかったはず。
一瞬何に対しての感謝なのか分からなかった。が、必死に頭を働かせ視線を右往左往させた結果、頭を撫でられはにかむ少女に目が止まる。
ネリスを助けたことについてだと、すぐに思い当たった。
「ほら、ネリスも」
フィーさんに促され、ネリスがこちらを向く。
「えっと、お兄ちゃん。私のこと助けてくれてありがとうございます……!」
「う、うん。どういたしまして」
ネリスはぺこりと頭を下げる。
顔を上げた少女の目は、俺をじっと見つめていた。心なしか、キラキラしているようにも見える。
少女の真っ直ぐな感謝の意に戸惑いを覚えた。こんな風に素直に、純粋に感謝されるなんて、いつぶりだろうか。
……本当にいつ以来だろう? 久しぶり過ぎるせいか、全く思い出せない。
「そういえば名前言ってなかったわね。私はフィオネ。この子はネリス。さっきいたのはマリリン」
「あ、はい。えっと、俺は柏木直也って言います」
慌てて自分も名前を名乗る。
フィーやマリというのは略称だったのだろう。
「カシワギナオヤ? ジパングの方から来たの?」
「ジパング……?」
知らない単語だが……。いや、どっかで聞いたこともないこともない……?
フィオネさんの言い方からしておそらく、国か地方の名前なのだろうけど……。
「いやあの、ジパングじゃなくて、日本って言うところなんですけど……。知ってますか?」
「ニホン……」
フィオネさんは少し左上を向き、考え込むように沈黙する。その微かな間がとても長く感じ、何故だか緊張してきた。
「……ネリス、聞いたことある?」
「ニホン……? ……聞いたことない」
「そう……。ごめんなさい、私たちには分からないわ」
「そう、ですか……」
肩の力が抜け落ち、気持ちが沈む。そこでなんとなく、緊張していた理由が分かった。
どうやら、無意識になにがしかの希望を抱いていたらしい。どんな答えを聞かされようと現状が変わるわけでもないのに。
しかし、分かったことがある。少なくともここは、日本ではないということだ。夢か現実かは置いておいて。
「ーーねえ、お姉ちゃん。行こう?」
「ああ、そうね。みんなを安心させてあげないと。それじゃあ、行きましょうか」
フィオネさんとネリスは歩き出す。
その二人をいくら見つめても、夢とは思えないくらい精巧で、特にフィオネさんは綺麗だった。
彼女がこちらを振り返る。
「ーーナオヤ? どうしたの?」
「え?」
いきなり名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。
顔に血がのぼってくるのを自覚する。きっと、俺の顔はだんだん赤くなっていっているに違いない。
「早く行きましょう」
「あ、はい。すみません、今行きます」
少し小走りでフィオネさんに近づき、仲良く歩く二人の背中を追った。
フィオネさんのような美人さんに名前を呼ばれるなど初めてのことで、とても恥ずかしい。
俺は必死に落ち着きを取り戻しながら、二人の後ろをついていった。