第四章44 「悲惨な避難所」
涙を流し終えると、ほんの少し、気が楽になった。頼りになる人が、大切な人が、守りたい人が傍にいてくれるだけで、心はちょっぴり前を向ける。
その後、目を覚ましたネリスに泣かれ、いろんな思いが言葉に出来ているようないないような涙声と共に抱きつかれた。
心配させてしまった俺が悪いので気が済むまで頭を撫でていると、体力が尽きてしまい彼女は再び眠ってしまう。けれど、フィオネ曰く、さっきまでの寝顔よりずっといい、とのこと。
それから、ネリスのことはフィオネに任せ、俺はジルさんとローレンさんに連れられて別の避難所へと向かっている。
目的は、ゲリックさんの様子を確認すること。そして……、リコル達の様子を見るため。クラルさんの遺体を、この目で確かめるために。
正直、気が重たい。見知った人が死んだ、という事実だけで言葉にならない苦しさを覚えるのだ。その上、死体を見るのは……、考えるだけでキツイ……。
だが、行かない選択肢はない。
リコルが心配だから。テジットが心配だから。ヤンバムさんが心配だから。ゲリックさんが心配だから。
今向かってる避難所には、ローレンさんの部下であるサミュさんとセリーナさんもいるらしい。その二人のことも心配だ。
それぞれ傷を負っているが、生きていることは聞いている。けれど、やはり自分の目で無事を確認しないことには気が気じゃない。
並々ならない不安と焦燥感。この感覚をフィオネとネリスに抱かせていたと思うと、本当に申し訳なく思ってしまう。
それはそれとして。彼ら彼女らに何かしてあげたいとか、何か出来ることがあるんじゃないかとか……。そういったことも考えているが、何も良い案は浮かばない。
目的地に近付くたびに、なんだか落ち着かなくなっていく。
「……怖いか?」
「……そう、かもしれないです。でも、それだけじゃなくて、その、なんて言えばいいのか……」
「無理に言葉にしなくたっていいのよ。苦しいかもしれないけど……。覚悟だけは、しておいて」
覚悟。ジルさんの言う覚悟とは何だろう。
俺はその意味を理解できないまま、目的の避難所にたどり着く。
ここにも多くの人がいる。陰鬱で重たい雰囲気、子供の泣き声、誰かの怒号、悲しみに暮れる嗚咽。さっきまでいた避難所と何ら変わりなく見えた。
「……まずはゲリックのとこ行くか。こっちだ」
先導するローレンさんの背中に黙ってついていく。
時折、質問や状況の確認、現状に憤って守衛隊の服装と見るや絡んでくる様々な人々を彼とジルさんは適当にあしらっていた。
歩みを止めることはほとんどなく、俺たちは避難所の建物へ入る。避難所の見た目は同じだったが、中はカーテンのように天井から下げられた大きな布で二つの部屋に分けられていた。避難民が使っているのは、だいたい三分の一程度の面積だろう。
カーテンの向こう側は見えない。ただ、カーテンの隙間を忙しなく人が行きかっている事、その人たちの服装は全体的に白く付着した血が目立っていた。
「あの向こう側だ」
ローレンさんはカーテンを指さし、そこに向かう。
隙間を抜けると、鉄を連想する臭いが鼻をついた。次いで、微かな腐臭と大量の医薬品の臭い。そして、数多の呻き声。
床には沢山の負傷者が並べられていた。簡易的に敷かれた布を布団代わりにして、重傷だと見てわかる人々が寝かされている。
気分の良い光景ではなかった。長く見ていると、彼ら彼女らの痛みと苦しみにあてられて、こっちまで悲痛になってしまいそうで。
「簡易的な治療所だ。治癒院の方はどこも壊されたからな……」
「大丈夫、ナオヤ?」
「……はい。なんとか」
「さっさと移動しよう。突っ立ってると邪魔になる」
こちらを伺い見ていた人に会釈をしつつ、ローレンさんに続く。その人が手に持っていた桶の水は真っ赤に染まっていた。
通り道の邪魔にならないよう部屋の端側を歩いていく。
患者たちがよく見えた。血を流していない人などいない。下顎の骨が見えている人、わき腹が抉れ臓物が晒されている人、目元に巻かれた包帯がどす黒く染まっている人、手足のどこかしらが潰れたり切られている人、頭に白布が置かれ不自然に横半分が垂れている死体もある。
悲惨だった。辛苦に満ちていた。
女性と子供が泣いている。亡くなったと思われる人の前で泣き、嘆き、叫んでいる。
見ていられない。哀れだった。どうしようもない。耳を塞いでしまいたい。
ーー背中に手を添えられる。ジルさんだ。
彼女の優しさと温かさが、ありがたかった。
「……あそこだ」
ローレンさんが立ち止まる。
彼の目線を追うと、テジットの姿が見えた。テジットの目の前には、ゲリックさんが横たわっている。
俺たちが近付くと、沈痛な面持ちで俯いていたテジットが顔を上げ、俺と目が合う。
「……ナ、オヤ? ナオヤなのか……?」
「……ああ。その、心配かけて、ごめん……」
「ナオヤっ……!」
彼はよろよろと立ち上がり、俺の元へ駆け寄ってきた。その勢いのまま抱きしめられる。
少したたらを踏んだ俺をジルさんの手が支えてくれた。
「おまっ、おまえぇっ! 心配したんだぞぉっ!?」
テジットは泣いていた。泣きながら、不安と恐怖をごまかすように、俺が生きていることを確かめる様に、思いっきり抱きしめてくる。
正直、少し痛い。けれどそれ以上に、嬉しかった。彼が純粋に俺の無事を喜んでくれていることが。自分やゲリックさんのことで頭がいっぱいだろうに、俺を心配してくれていたことが。
胸の冷たさを緩和してくれる大切な友人の温かさに、俺もそっと抱きしめ返す。
しばしそのままで。未だぐずっているも彼は泣き止み、抱擁を解いた。俺の肩に手は置いたままだけれど。
「ぐすっ、ほんと、無事で良かった……」
「心配かけた……。ゲリックさんの様子は?」
「ああ……。ちゃんと生きてる」
彼はこっちだと言い歩き出す。俺たちはその後に続き、彼がしゃがみこんだ男性を見る。
血の気の引いた青白い顔。けれど呼吸音は微かに聞こえる。しかし、左足の太ももから先がない。止血のために強く巻かれた白い布が、痛々しいほどに真っ赤に染まっていた。
でも、確かに生きている。
「足の痛みと、血を流し過ぎたせいで、しばらくは起きないだろうってさ……。俺なんか、庇ったせいでよ。こんなんなっちまって……」
「おい」
沈痛に落ち込むテジットにローレンさんが声をかけた。その声音は、予想外に厳しい。
「なんか、なんて言うな。それはお前を守ったゲリックを侮辱することになる」
「……でも」
「でももくそもない。ゲリックはお前を守ったんだ。命をかけて。つまりそれは、ゲリックにとってお前は大切な存在だったってことだ」
ローレンさんはテジットに視線を合わせた。俺からは、その表情を伺い知れない。
「落ち込んで、悩んで、悔やんで、苦しいだろう。気持ちは分かる。だが、そのことだけは、忘れるな」
「……分かった」
テジットの肩をポンと叩き、ローレンさんは立ち上がる。そして、俺に振り返った。いつもと変わらない、けれど疲れの滲んだ顔で。
「よし。次のとこへ案内するが……。大丈夫か?」
次。次のところとは? ……冗談だ。分かっている。リコルのとこだ。
大丈夫か、だって? 大丈夫なわけがない。
冷静でいられるか不安だ。現実を受け止められるか分からない。どんな顔をすればいいのかも。
でも、行かなければならない。向き合おうと決めている。
だから俺はジルさんとローレンさんの目を見て、しっかり頷き返す。覚悟なんて出来ていなくても。
「なあ、ナオヤ……」
また後で、と別れた直後、テジットから呼び止められる。
「俺はあの子に、なんて声かければいいか、分からなかったんだ……。でも、お前なら……。その、上手く言えねぇけど、あの子を頼む」
あの子が誰を指しているかなんて、聞くまでもない。俺は返事はせず、頷きだけを返した。
重たい。心がずっしりと沈み込んでしまいそうだ。
彼の言葉が、ローレンさんの雰囲気が、ジルさんの優しい視線が、見えない重圧となって俺に圧し掛かってくる。
苦しい。過呼吸になりそう。でも、そんなことしても意味はない。逃れることは出来ない。今ここで意識を失ったとしても無意味だ。
これは、彼女の好意に気付きながらも、意図して目を逸らし続けた俺への罰だろうか。
そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。そんなことを考えたって意味はこれっぽっちも見当たらない。
受け入れよう。リコルを。現実を。
たとえ、どれだけ残酷でも。