8、過去
父が再婚すると言い出した時、私は非常に驚いてしまった。
なぜなら父は、私の母をとても愛していたから。母が亡くなって、周囲にどんなに再婚を勧められても、頑なに首を縦に振ることはなかったから。
その父が、再婚する。
成長する娘に、やはり母親が必要だと思ったのかもしれない。あるいは、人助けのつもりだったのかもしれない。
お相手の女性はとてもきれな人で、前の夫との間にできた子どもがいた。私より二つ下の、とても可愛らしい女の子だった。
ほら、と父は私の背中を前へと優しく押しやった。
長いまつげに縁どられた青い瞳と、視線がぶつかる。この子が今日から私の妹。胸に沸いた感情は、特別なものだった。
「初めまして。私の名前はミシェル。あなたのお名前は?」
恥ずかしいのか、それとも緊張しているのか、女の子はなかなか答えようとしなかった。それでも私は、辛抱強く答えを待った。
やがて女の子は、恐る恐るといった様子で自身の名を教えてくれた。
「……マーガレット」
「マーガレット。素敵な名前だわ」
相手を安心させるように、私は精いっぱい微笑んだ。
***
妹は、可愛かった。
母親に愛され、血の繋がっていない父にも可愛いがられるようになっていった。
父は最初、どこかぎこちない様子で妹に接していたのだが、妹の方から積極的に話しかけることが功を奏したのか、しだいに本当の娘のように妹を可愛がり始めたのだ。
さらさらと流れるような金色の髪に、透き通るような青い瞳。マーガレットはまるで天使のようだ、と会う人みんなに言われていた。
私もそんな妹が好きで、優しい姉になろうと思った。
ある日お人形で遊んでいると、妹が指さしてちょうだいと言った。妹に与えられた人形は、他にもたくさんあった。けれど妹は、私のものが欲しいと言った。
私は抱きしめていた人形をじっと見つめる。気に入ってはいたけれど、そこまで好きでいたかと考えると、別にそうじゃない気もしてくる。
「うん。いいよ」
少し考えて、すぐに私は妹に人形を譲った。てっきり妹は喜ぶかと思ったが、なぜか怒った顔をして、火がついたように泣きだした。
乳母が何事かと駆けつけてきて、終いには彼女の母親までやってくる騒動となった。
義母に怒られ、乳母が必死に宥めているうちに、後から来た父が事情を聴いて……結局その人形は妹のものになったけれど、その後彼女が譲った人形で遊ぶところを、私は一度も見なかった。
妹はそれからも遠慮がなくなったように、次々と私の物を強請った。
誕生日プレゼントに父から贈られた懐中時計、勉強のために買った参考書、仕立ててもらったドレス、パーティー用のちょっと高価な首飾り。とにかく私が身につけて、大切にしているところを見ると、ちょうだいと欲しがるのだった。
両親に可愛がられている妹の方が、私よりも何倍もいいものを持っているのに。どうして私の持ち物を欲しがるのか、私はいつも不思議でたまらなかった。
義母はやはり自分の血をひいた娘が可愛いのか、私が妹に譲るのは当たり前だと思っている。対して父の方は、すまなさそうな顔をして私に謝ることがあった。
「ミシェル。いつも我慢させてごめんよ」
私は気にしないで、と微笑んだ。
「私はマーガレットのお姉さまだもの。姉が妹に優しくするのは、当然だわ」
父は何か言いたげな顔をしていたが、やはりすまないと謝るだけだった。
どうして父がそんな顔をするのか、私にはわからなかった。私は姉として、当然の務めを果たしているだけだ。何も、謝られることはしていない。
それに私はたいして物に執着はなく、譲ってくれと言われれば、じゃあ譲るかという気になった。それまで持っていただろう愛着があっさりと零れていき、妹の手に渡っていく。
それは物だけだと思っていたが、人もまた同じであった。
仲の良い友人ができた。一人ぼっちのところを話しかけて、美味しかったお菓子の話や、その日の天気とか、些細な話をして打ち解けた。
誘われるがまま、その子と遊ぶ日々が続いた。楽しかったかと聞かれると、楽しかったと思う。相手の子は、とても嬉しそうに笑っていたから。その子は私のことを一番の親友だと言ってくれた。
それからしばらくして、お茶会でその子と話している様子を見た妹が、私と二人きりになると唐突に言った。
「お姉さま。私、あの方と親友になりたいのです。もっとたくさんお話したいのです。だからお姉さまは、次のお茶会に参加しないで下さい」
妹には、友達があまりいなかった。囲ってくれる取り巻きは大勢いたけれど、心から打ち解けたいと思う人はいなかったのだろう。
私は妹が可哀そうになり、いいよと譲ってやった。あのお茶会で話した友人は、その後妹の親友となったそうだが、妹はちっとも嬉しそうではなかった。
あれは、妹が社交界デビューをして少したった頃だろうか。
「お姉さま。私、好きになってしまったんです」
妹の隣にいるのは、私の婚約相手だった。
幼い頃からの付き合いで、私にも優しく接してくれた。婚約が決まった時、彼はこれからもよろしくと微笑んでくれた。
特に喧嘩することもなく、楽しい時間をお互いに過ごしたように思う。彼もそれなりに私のことを気に入ってくれている。
でもそれは、彼にとって親愛の情で、男女の愛ではなかったようだ。
「譲って下さいな、お姉さま」
幼馴染の彼は、私と頑なに目を合わせようとしなかった。合わせられないのだろう。
今彼がこの場に妹と一緒にいるということは、彼も妹のことを好いている何よりの証拠ではないか。
幼い頃からずっと一緒にいて、妹は私よりも美しい容姿に成長した。彼もまた、それなりに整った容貌の持ち主であった。
二人が互いに惹かれあったのは、自然なことだったのかもしれない。
「わかった。お父様たちに相談してみましょう」
こうして私は、婚約者まで妹に譲ったのだった。




