7、悪魔と妹
いつまでもレドを匿うことができるはずがない。だからいつか、こういう日がきてもおかしくはなかった。
「お姉さま」
眩い金色の髪に、透き通るような青い瞳。鼻も口も小さくて、まるでビスクドールのような愛くるしい妹の顔立ちは、見る者の微笑を誘うはずだ。私も、いつもならそうしただろう。
だが今は、一刻も早くこの状況をどうにかせねばと思った。素早く周囲に目をやり、一番合わせたくない人物がいないことを確認する。
「お姉さま?」
妹がどうかしたの、と甘い声で尋ねる。私は何でもないのと微笑み、妹を奥の部屋で連れて行こうとした。とりあえず部屋に入れてしまえば、なんとかなるだろう。
「それより、急にどうしたの?」
「ええ、ちょっと報告しておきたいことがありまして。お姉さまの方こそ、私に何か言いたいことがあるのではなくて?」
「私が? いいえ、私は特には――」
「ミシェル! ミシェル! どこにいるんだ?」
大声で己の名を呼ぶ声が、はっきりと聞こえ、私は頭を抱えたくなった。ああ、なんてタイミングの悪いことだろう。
「なんだよ。ここにいた――」
妹の姿が目に入ると、レドは言葉を飲み込んだ。そしてそのままぐんぐんと、黙ったままこちらへ歩み寄ってくる。
悩んでいる時間は、なかった。
「レド。あの、ちょっと待って下さい。これは、」
妹を背中へ隠し、私は一歩前へと出た。
「お姉さま? どうなさったの?」
妹の無邪気な声が、背中から聞こえる。誰なの、と顔を出して相手を見ようとする。レドはもう、すぐ目の前だ。どうしよう。私がレドの相手をしている間に、妹を逃そうか。
けれど金色の目は、逃げることは許さないとばかりに真っ直ぐとこちらを見ていた。それに逆らう者は、誰であっても容赦しない。
――怖い。
本能が、そう訴えた。
ジュードさんの時と同じだ。レドは人間ではない。悪魔だ。その悪魔に、どうして隠し事などできようか。
「何してんだよ、ミシェル」
彼の声は、いつも通りに聞こえた。恐る恐る顔を上げると、呆れた表情をしたレドがこちらを見ていた。
「客が来てんなら、お茶を淹れるのが常識じゃねえのか?」
私はその通りだと頷いた。
***
紅茶と茶菓子。小さな花柄のティーカップは、以前妹が好きだと言っていたものだ。
「レド。改めて紹介しますね。妹のマーガレットです」
今度は妹に向き直り、レドを紹介する。
街で助けてもらった恩人という説明に、妹が深く尋ねることはしなかった。それよりも目の前の男の美しさが気になるといった様子で、レドを一心に見つめていた。
「お姉さまったら酷いわ。こんな素敵な殿方を私に紹介して下さらないなんて」
そんな妹の顔を、レドもまたじっと見つめている。妹はその視線に気づくと、にっこりと笑いかけた。花咲くような、可憐な笑み。妹に微笑まれて、心穏やかにいられる男性などいるまい。
けれど、はたして悪魔にもそれが通じるのだろうか。
「なんでしょう、レドさま」
私は自分の心拍数が上がるのを感じとった。
レドは、何を言うつもりなのだろうか。口汚い言葉で、俺は悪魔だと答えるのだろうか。
あるいは、俺がお前の――
「いえ、ずいぶん可愛らしいお嬢さんなんで驚いてしまったんです」
だがレドは、私が見たこともないような艶やかな笑みを妹に対して見せた。
普段笑わない人ほど、いや、この場合は人間の振りをした悪魔だが、とにかく笑った時の威力は絶大だ。元が美しければなおさら。
レドの微笑みに、普段褒められ慣れている妹も呆然としている。一方の私はというと、レドが敬語を使えたことにとても驚いていた。
妹はちらりと私を見ると、レドにまた視線を戻した。
「ねえ、レドさま。よろしかったら今度、私と遊びに行きませんか?」
妹の突然の提案に、それはまずいのではないかと内心焦って私は引き止める。
「マーガレット。あなた、婚約者がいるでしょう」
あら、と妹は首をかしげた。
「彼とはお別れしましたわ」
私はえ、と妹の顔をまじまじと見つめた。嫌だわお姉さまったら、とくすくす妹は笑う。無邪気な笑みが、今はどこか残酷に思えた。
「どうして、マーガレット?」
彼の顔が浮かぶ。あんなにも彼は妹を愛していたのに。困惑している私を、妹はどこまでも楽しそうに見つめている。
「驚きましたか? お姉さま」
「ええ、とても。でも、どうして?」
二人は、互いに愛し合っていたのではないか。
「なんだか急に、この人ではないと思ったんです。だから、お別れしたんです」
そう、なのだろうか。妹が相手の男性を好きだと打ち明けた時、ようやく幸せになれるのだと思っていた。
でも、その相手も妹の運命の相手ではなかったようだ。
「それは……残念だわ。でも、あなたはとても魅力的だもの。本当に愛する人が、すぐに見つかるはずよ」
私は明るく妹を励ました。妹なら大丈夫。心から、そう思った。
「マーガレット?」
返事がない妹に、私はどうかしたのかと声をかける。
「どうしてお姉さまはいつも……」
「え?」
上手く聞こえず、私はもう一度妹に尋ねようとした。だがその前に妹が顔を上げ、にこりとレドに微笑みかけた。
「ねえ、レドさま、先ほどのお誘いどうかしら。ご一緒に来て下さる?」
「そうですね。あなたとなら退屈せずにすみそうです」
よかった、と妹は喜んだ。
「それじゃあ、また当日にお迎えに参りますわ」
それではまた。妹は立ち上がって、別れを告げた。
妹は帰っていった。過ぎてみればあっという間の出来事で、私は少しぼんやりとしてしまう。
「はあ。なんだか疲れたぜ」
部屋に居たレドは、やれやれと体勢を楽にしてくつろいでいる。
「ずいぶんと妹の前では様子が違うので、驚きました」
「あれは営業用だ」
「よく、意味がわからないのですが」
気にするな、とレドは右手をひらひらと力なく振った。
「それにしても、おまえとあの女、あんまり、いや、まったく似ていないな」
わざわざ言い直すレドに、私は苦笑いする。
「マーガレットは、父が再婚した相手の子どもなんです」
ふうん、とレドはさして驚いた様子もない。むしろ納得したといった感じだろうか。
「だからおまえはあいつらと離れて暮らしているのか?」
「そう、ですね。そういうところです……」
歯切れ悪く答える私が気になったのか、レドはなおも追及してくる。
「婚約者がどうのって言ってたが、なんでおまえはあんなに驚いていたんだ」
「それは……」
妹の婚約者が、かつての私の婚約者だったから。
そう言うと、レドの目が真ん丸と見開かれた。