23、欲しかったものは
姉のことが、嫌いだった。
燃えるような真っ赤な赤い髪に、薄い茶色の瞳。地味なようで、気品ある整った顔立ち。感情を抑えた思慮深い眼差し。
初めて姉と出会った時、目を奪われると同時に、どうしようもない苛立ちを感じてしまった。明らかに私よりも劣った容姿であるのに、私には持っていないものを持っていて、とにかく気に障って仕方がなかった。
だから姉が欲しがるものは、何でも奪ってやろうと思った。お気に入りのお人形も、ドレスも、髪飾りも。両親の愛情も友人も、すべて。
酷いことも、たくさんした。
母が気に入っていたカップを割ってしまったことや、高価な首飾りや指輪を黙って拝借したことも、すべて姉のせいにした。
姉の怒った顔が、私がやったんじゃない、と泣きじゃくる顔が見たかった。
けれど姉は、淡々と無実を証明するだけだった。それが認められないと、諦めたように黙って母の説教を聞き入れていた。自分ではなく、妹がやったのだと、私を疑うこともしなかった。
むしろ私を庇っているようにすら、思えた。
――どうしてよ。
私は姉にそう言いたかった。大声で喚き散らしたかった。姉のすました顔が、憎らしくて仕方がなかった。
もっと、もっと酷いことをすれば、姉は今度こそ表情を崩すはず。私を恨めしいと怒りをぶつけてくるはず。そう思った私はさらに我儘に、横暴に振る舞った。
でも姉は、私がどんなひどいことをしても、怒って声を荒立てることも、不機嫌な様子を見せることもしなかった。
「大丈夫だよ、マーガレット」
安心させるように、微笑んでくれる。許してくれる。
いつもは何を考えているかわからないぼんやりとした表情が多いのに、相手が不安そうにしていたり、慰めを必要としている時は、穏やかな、相手の心を落ち着かせるための微笑みを惜しげもなく与えてくれる。
――そんな顔しないで。白々しい。
姉が与えようとしている感情とはまったく別の感情を、私は抱いていく。姉を知るたびに、姉が成長するたびに、日に日にその歪んだ思いは蓄積されていく。
「お姉さま。それ、私に譲って下さい」
これが欲しい。あれが欲しいと、姉の持つすべてを欲しいと思う私はきっとおかしい。
そして私と同じくらい姉もおかしかった。
「マーガレットはこれが欲しいの? いいよ。あげる」
なんて二つ返事で、姉は快く譲ってくれるのだから。
嫌だ、なんて返事を聞いたことがない。きっと言っても無駄だって思っているのかもしれない。
ううん。違う。姉は私が欲しいと思っているから、私のためだと思っているから渡すのだ。婚約者のことを話した時だってそう。
姉の婚約者は、幼い頃からずっと姉のことが好きだった。一目ぼれ、と言っていいのかもしれない。
姉のことをずっと熱のこもった目で見つめていたことに、私はきちんと気がついていた。気づいていなかったのは、姉一人だけ。
姉と結婚できるという話が決まった時、彼は本当は涙が出るほど嬉しかったはずだ。私には、なぜかそんな彼の気持ちが痛いほど理解できた。
姉と彼は、順調にお互いの距離を縮めているように見えた。姉も婚約者のことは嫌いではないのだろう。
その証拠に、姉の笑う顔を、彼に微笑みかける笑顔を、私はある日偶然見てしまった。
――奪われる。
胸に沸き起こった感情は、果たしてどちらに対して抱いたものだったか。
気づいたら私は彼に近づいていた。甘い声で囁いて、無邪気な表情でお義兄さまと仲良くなりたいんですと言えば、簡単に信じて。姉のいない隙を狙って、二人だけで会うようになって……私が好きなら結婚して下さいとお願いすれば、もちろんだと頷いてくれた。
姉を好きだと言っておきながら、しょせんはこの程度の男だったのだ。
私はそう思いながらも、内心楽しみで仕方がなかった。今度こそ、姉は別の表情を見せてくれるかもしれない。
だって幼い頃からの付き合いで、将来を誓い合った婚約者が奪われるのだ。姉も彼のことを憎からず思っていた。その彼が、よりにもよって自分の妹を好きだと告白する。
きっと姉は私を恨み、憎むだろう。今度こそ、私を許せないはずだ。妹に心変わりした彼とも当然破談となって、二度と会いたいと思うまい。
そうすれば、私は姉を――
「わかったわ。お母様たちに話してみましょう」
違う。
そうじゃない。
あんなに欲しかったものを手に入れたというのに、私は途端に興味を失った。
姉の婚約者だった彼は、あっさりと婚約破棄を姉に認められ、目が覚めたように私への愛情を失った。
捨てたはずなのに、まるで捨てられたように絶望している。それでも奪った手前、私への責任を取ろうと、私に優しくしている。好きな振りを続けている。そうすれば、いつかまた姉との仲が取り戻せると信じて。
馬鹿な男。でもそんな人間を、私は他に何人も知っている。
姉は自分では自覚がないのかもしれないけれど、人に好かれる性格だ。友人も、最初は外見だけで私を選ぶけれど、次第に姉の方へと興味を持った。婚約者だった彼も、そのうちの一人だった。
でも当の本人は、そのことにちっとも気がついていない。
こっちを見て欲しいって思えば思うほど、姉はますます遠ざかってしまう。いいよ、って簡単に手放してしまう。
私たちのことも、きっと同じ。大切にしているようで、興味がないだけ。自分の手元にある間は愛情を返してくれるけど、一度そこから離れてしまえば、もうこっちを見てくれない。
優しくて、残酷な人。
嫌いだ。大嫌いだ。
苛立ちを抑えきれず、ますます姉に暴言を吐く。譲ってと、欲しがる。手に入れて、飽きてしまう。また欲しくなる。その繰り返し。
それでも姉は困ったように微笑むだけ。怒りはしないけど、その手が私に伸ばされることもない。
「マーガレットはこれが欲しいの?」
姉が欲しいものが、欲しい。
ううん。違う。
姉自身が欲しい。姉の心が、私は欲しいのだ。何をしても。どんな手を使ってでも。
私の母は、今の義父を身体で手に入れた。若くて美しい、女の身体。もしそれで手に入らなければ、悪魔を喚び出すつもりだった……と母はこっそり私に教えてくれたことがある。
母は義父の前妻を魔女と罵ったが、私からすれば母も同じに見えた。どんな手を使ってでも、相手を手に入れてみせる。
悪魔に魂を売ってでも。
それくらい母は、義父を愛していた。幼い頃には理解できなかった母の気持ちを、今なら痛いほどわかってやれる。
けれど私は女だ。しかも姉妹という関係になってしまった。姉を手に入れることは、きっと私には叶わない。
でも私は、姉が欲しい。その手段があるのならば、私は悪魔に魂を捧げても全く問題なかった。
姉の部屋に隠されていた魔導書を引っ張り出して、地下室へと下りていく。魔法円を見よう見まねで書いて、姉が書き綴った文字を読み上げる。
眩い光が辺りを包んだ時、私は歓喜した。これで欲しかったものが手に入る、と。
「お前が俺を召喚した人間か」
悪魔の目は、赤いと思っていた。けれど喚び出された悪魔は、まるで獲物を狙う狼のように金色だった。その目を見た時、私はぞくりと嫌な予感がした。
大切なものは、手に入らない。
私ではない、誰か別の者が、姉を手に入れる。
本能的にそう悟った私は、悪魔を魔法陣の中に閉じ込めて、逃げるように地下室を飛び出していた。
――いま思えば、それが全ての間違いだったのに。
悪魔は、姉によって魔法陣から出された。
姉は、悪魔を他の人間と変わらぬ態度で接した。
悪魔は、姉を誘惑しようとした。
姉は、悪魔を悪魔らしくないと思った。
悪魔は、姉に興味を持った。
姉は、悪魔に微笑んだ。
悪魔は、姉を欲しいと思った。
姉は――
姉の世界は、おそらく単純だ。相手がどんな人間だろうと、親切にする。基本的に。
けれど、私だけは常に例外であった。優劣をつけてはいけない中で、唯一、私だけは最優先人物として分類されていた。
誰よりもまず、妹を優先する。
妹の欲しいものは、譲る。
妹がしたことは、どんな理由があっても許してやる。
それが妹で、自分は姉だから。という至極単純な理由でも、周囲からすれば私は特別な存在だった。
それを、あの男が壊した。
人間の振りをした悪魔。その男の頬を引っ叩いてやろうとした時、姉は身を挺して男を庇った。男の怒りが私に向いた時も、男のために、落ち着かせようとした。
決して私のためではなかった。いつだって、どんな時だって、まず私へと意識を向けていたあの姉が。言いようのない苦しみと怒りが、私の身体を駆け巡った。
――私の、私だけの、ものなのに!
許さない。男が姉から早急に離れるよう、悪魔祓いの男を呼んだ。当初予定していた手順とは違うが、男を屋敷から追い出すことには成功した。
けれど姉の心が晴れることはなかった。誰かのことを考えていた。
私は心配でたまらなくて、不安で夜も眠れなくて、女や財、あらゆる欲の塊を男に差し出した。わざわざ男の居場所を探し出して、私自身の足で出向いて。そこまでの手間暇をかけてでも、私は男を排除したかった。
それなのに、男がそれらを手に取ることはなかった。そんなものはいらないと、鼻であしらった。
「お前には決して用意できない」
男の欲しいものは、ただ一つだけ。そしてそれは私と同じもの。私が欲しいもの。
どうしてだろう。
私が召喚した悪魔だからだろうか。
答えはわからない。
男と引き離された姉は、ますますぼんやりと物思いに耽っていることが多くなった。誰かのことを考えている。その誰かは、あの男だった。
じりじりと、追いつめられていくことを感じる。眠りたいのに眠れない。嫌な夢ばかり見てしまう。何もかもすべて壊して、滅茶苦茶にしてやりたい。なんて危うい思考に落ちかけ、はっと目を覚ます。
このままではいけない。どうすればいい。どうしたら、姉はあの悪魔に堕ちずにすむのだろう。誰か、誰でもいい。私を――
「手を貸してあげようか?」
天使のような美しい青年が、私の耳元で囁いた。ガラス玉のような青い目。スピア、と彼は言った。彼はあの男と同じ、悪魔だった。
「彼女が欲しいんでしょう? だったらぼくが協力してあげるよ」
どうしてそんなことをするの、と私は尋ねた。するとスピアは、うっとりするような甘い笑みで微笑んだ。私を見てるのに、別の誰かを映す目。
「きみみたいな、欲しいのに欲しいって言えない子、嫌いじゃないからね」
あの悪魔を殺しちゃえばいいんだよ、と歌うように彼は提案した。そんなの無理だと首を振っても、スピアはけたけた笑った。
「なら、きみが先にあの子を奪えばいい」
ぼくが魂を奪って上げる。
スピアは天使みたいな美しい容姿をしているのに、その中身は紛れもない悪魔だった。残酷なことも、平気でする悪魔。その悪魔と、私は取引をした。姉を手に入れた暁には、私の魂を彼にあげると。
生まれて初めて自分のものを差し出す。魂という、絶対に渡してはいけないものを。
「本当にいいのかい? もしかしたら、ぼくが負けちゃうかもしれないよ」
そんなこと微塵も思っていない様子で、スピアは私に確認した。私の心はすでに決まっている。
欲しいものは、ひとつだけ。
他には何もいらない。
私が欲しいものは、ミシェルだけ。
自分の魂と引き換えにしても、私はあなたが欲しい。
「ごめんね、マーガレット」
それでも姉は、私を選んではくれなかった。涙さえ、あの男のために流した。憎らしい。酷い。こんなにも、私はあなたを思っているのに……
スピアは、あの男に負けた。欲しかったものは手に入らないけれど、悪魔は私の魂を奪っていく。相手は悪魔だから。対等な関係なんて、最初から築けていない。
このまま死んでいくのかと思っていると、金色の目をした悪魔が、目の前に現れる。私が喚び出した悪魔。私が本当に欲しかったものを奪っていく悪魔。
悪魔は笑った。お前は愚か者だと。私はその通りだと思いながら、あなたもだと嗤った。
人間に心を奪われた、愚かな悪魔だと。




