11、帰り道
通りで馬車を捕まえたレドは、屋敷に帰るよう御者に伝え、隣に座る私の手を握りしめたまま、ずっと外の景色を見ている。
とても重苦しい雰囲気だった。どうにかせねば、とチラチラと彼の方を見ているが、一向にチャンスを掴めない。
……いや、それではだめなのだ。
「あの、」
「悪かった」
レドが外を向いたまま、ぽつりと言った。彼が謝ったことに驚き、私は一瞬返事をするのが遅れてしまった。
「どうしてあなたが謝るんですか」
「俺があの女を挑発したからだ。おまえが妹を傷つけたくないってわかっていたのに……ついカッとなっちまった」
――妹を傷つけないで欲しい。
私がそう願っていたことを、この悪魔は知っていた。そこまで知っているのならば、もう一つの事実にも気づいていないはずがない。
「あなたは……妹が自分を召喚した人間だと、知っていたんですか?」
「あの屋敷からそう遠くない所に住んでいるのは、すぐに気づいた」
「それは、私と暮らし始めてすぐということですか?」
ああ、と歯切れ悪く答えるレドを、じっと見つめる。そんなに早くから、この悪魔は気づいていたのか。
「妹をあなたに紹介した時、わざとだまされた振りをしてくれていたんですか?」
「……おまえがあんまりびくびくしてるから、気の毒になってのってやっただけだ」
――ああ、馬鹿だな。私は自分に対してそう思った。
ジュードさんの言う通りだった。レドは、悪魔とは思えないほど優しい。
「気にしないで下さい」
その声は、自分でも思った以上に優しい声をしていた。
「妹にも、悪いところはありました。だから、その、これは事故みたいなものです」
それに、とこちらを一向に見てくれない悪魔の横顔を見つめて言った。
「謝らないといけないのは、私の方です。ずっと、あなたを疑っていました」
レドを信じたい。そう思ったのは本当だ。
でも、いざとなったら彼は自分を裏切るかもしれない。私の知らない所で、妹をあっけなく殺してしまうかもしれない。そんなふうに彼を疑う気持ちが、ずっと私の心の中にはあったのだ。
「ごめんなさい、レド」
「やめろ」
過去最高に不機嫌な顔で、レドはこちらを振り向いた。怒った表情で私を凝視していたかと思うと、やがて大きなため息をついた。
「……おまえなあ、悪魔相手に謝るなよ」
「ですが、優しいあなたを疑ってしまいました」
「優しいとか悪魔に対して言うな!」
鳥肌が立つ! とレドは本気で嫌そうに言った。たしかに悪魔に対して優しいというのは、褒め言葉としては不適切かもしれない。
「でも、私は本当にそう思います」
「いきなり現れたやつを疑ったり、信じられないのは、当然だろ。てか、疑ってもらわないと、俺の悪魔としての立場がないだろ!」
ぐぐっと眉間に皺を寄せて、レドは妹に叩かれた頬に視線を固定している。
まるで自分が叩かれたみたいに、顔を顰めている。怒っている。気にしている。落ち込んでいる。心配している。
悪魔なのに。
「……大丈夫です。私、こう見えても丈夫ですから。幼い頃、蜂に刺された時も、真っ赤に腫れましたけど、きちんと引きましたから」
こんなに腫れたんですよ、と繋がれていない方の手を横にめいいっぱい広げてみせた。少々大げさかもしれないが、今の状況よりもずっと痛かったのは確かだ。
だから妹のこれは、叩かれたうちにも入らない。これくらい、何ともない。あなたが気に病む必要は少しもない。
私は目の前の悪魔に、そう言いたかった。
「……いや、よくわかんねえし」
「あれ、そうですか」
片手で示したジェスチャーは、上手く伝わらなかったようだ。どうやったらあの時の痛さを伝えられるだろうか。私がじっと考えていると、ぶはっとレドは堪えきれないように吹き出した。
「くくっ……おまえって、ほんと変なやつだよな」
「そうでしょうか」
私はただ真面目に考えているだけのつもりだが。
「変だろ。俺みたいな悪魔を助けるだけじゃなくて、わざわざ自分の家に招き入れるわ、俺の好物を聞いて、それをいちいち用意するわで、絶対裏があるだろって思ったね」
なるほど。だから最初あんなつっけんどんな態度をとっていたのか。
「妹のこともありましたが、あなたはこちらに召喚されたばかりで、人間の世界にはあまり慣れていないと思いまして」
「いや、だからって普通あそこまでしないだろ。相手は悪魔だぜ?」
「たとえ悪魔でも、いきなり知らない土地に来たら不便でしょう」
だから、慣れるまで手を貸しただけだ。
「それに私も、けっこう楽しかったですから」
「……ほんと、変なやつ」
相変わらず呆れたような口調だったが、レドの眼差しはいつもより柔らかいように見えた。それとも、ただの気のせいだろうか。
「早く、冷やさないとな」
レドの大きく節くれ立った指が、そっと私の頬を撫でた。
ひんやりとした冷たさがひどく気持ちよく、けれどどこか落ち着かない気持ちで私は頷いたのだった。




