西東京大会五回戦 (VS国志館)
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「夏休みに入るからと言って、浮ついた気持ちでいるヤツは――このH組にはいないよな」
一学期の終業式後。担任の言葉にクラス全員が苦笑した。
2年H組、通称スポーツ組。俺を含めて、スポーツ推薦、入試免除で緑陵に入学してきたヤツがクラスの半分を占める。
それに加えて、クラスのほぼ全員が部活動をバリバリやってて、夏休みには大きな大会が目白押し。
俺たちの大半が、夏休みは正念場という状況で、却って気合いが入るというものだ。
だいたい俺たち野球部は、まさに夏の本番、西東京大会の真っ最中で、明日には五回戦。国志館との対戦だ。
担任の話は続く。
「お前ら、頑張れよ。応援してるからな――期末で点数の足りなかったヤツは、大会が終わってからじっくり補習してやるから」
ちなみに俺は、全科目ぎりぎりセーフ。担当の先生方から多大なご尽力をいただいたことは、言うまでもない。
俺と同じく低空飛行の竹本だが、H組専用のお助け問題満載のテスト相手なら、比較的楽に赤点をクリアして、俺より頭のいいことを証明した。
「健闘を、祈る」
担任のこの言葉で、俺たちの夏休みは始まった。
「秋山、どうだ? 野球部の調子は」
サッカー部の主将、笹田がニコニコしながら訊いてくる。
「ああ、今のとこ順調だよ――サッカー部こそ、噂ではずいぶん調子いいらしいじゃないか」
俺の想像以上に、笹田らサッカー部推薦組の連中は凄い選手だったらしい。創部二年め、ほとんど実績がないにも関わらず、総勢19名となった緑陵サッカー部は、都大会の優勝候補の一角に名前を連ねるまで成長していた。
「うちは、今年はやるよ。雰囲気も最高だし」
笹田の眼差しは自信に溢れていた。
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「今日は暑いねぇ、ちーちゃん」
「ああ。熱射病には気をつけないとな」
今年の夏は比較的過ごしやすかったのだが、今朝からいきなり気温がグンと上がった。
きっと明日も暑くなるな――グラウンドは全面漏れなく日向になるので、温度は40℃越えるかもしれない。
チームは既に仕上がっているし、試合前のミーティングも昨日済ませた。
練習メニューは、怪我をしないよう入念なアップの後に、ミーティング項目のチェックを重点的に行うことにした。
国志館の二年生投手、河野を意識した打撃練習がメイン。さらに強打を誇る打線に対する、ライン際のケアを重視した守備のフォーメーション。素人目には普通に見えるが、二遊間の守備範囲の広さを活かした緑陵オリジナルだ。
暑くなると、実はみづほは要注意人物になる。練習の合い間に汗に濡れたアンダーシャツを着替えるが、あまり頻繁になると、みづほはそれをベンチ内でおっ始めるのだ。ブラの中に手を入れて汗を拭いたりするので、平気で下乳くらいは露わになってる。俺たち男子には目の毒というか、とにかく集中の邪魔だ。
幸い今年はこころが居るので、一緒に着替えに連れてくよう話はつけておいた。
「――マジですか? みづほさんって野球以外は……いや、なんでもないです」
全部言わなかったのは、こころの思いやりかな。確かに日常生活でつるんでると、どっちが先輩か分からない状況が時々ある。
練習が早めに終わった日は、みづほたち女子はいつも『うさぎや』に寄るのが日常になっていた。
「ちーちゃんもたまには、行かない? かき氷あるよ」
かき氷かあ。こんな日は、確かに美味いだろうなあ。それにうさぎや、150円で食べさせてくれるんだ。
「そうだな。みんなも誘って行こうか」
「うん。毎度ありー」
声のした方を見やると、みづほの眩しい笑顔が、そしてその向こうに夏の青空が輝いていた。
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五回戦の国志館戦、スタメンは以下のとおり。
1(中)福富
2(三)船田
3(二)遠野
4(遊)秋山
5(右)松元
6(一)野口
7(捕)根来
8(投)安田
9(左)志田
おそらくこのラインアップが、大屋監督の考えた最終形だと思う。
試合開始、先攻は国志館。
緑陵は本来、エースの安田と内野の堅守を売りにした守備型のチームなので、じゃんけんに勝った時は、守備でリズムを掴むという目的で、後攻を選択する。
国士舘の強力打線は安田への対策に、ボールを強く叩く作戦で来た。
こういう場合、安田は持ち前のコントロールで、ボールをさらに心持ち低く集めて、出来るだけボール球を振らせる方針で行く。それだとボールの上を叩くことになり、結果的に内野ゴロが多くなる。
根来とのコンビネーションも絶妙で、打ち気が無いと見るやズバッとゾーン内を突いてくる老獪さも持ち合わせていた。
安田の立ち上がりはいつも通り安定していた。2アウトから三遊間を破られランナーを出すが、主砲の4番は芯を外され、詰まったセカンドゴロ。リズミカルにみづほがベースカバーの俺にトスして、初回無失点。
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一回裏。マウンドの二年生投手、河野は力投型の右の本格派。春季大会では打ち込まれたが、今大会は調子がいいようだ――あるいは今夏で成長を遂げたのかもしれない。
初回、緑陵は河野の立ち上がりを攻めた。
本格派の投手は肩が温まるまで時間が掛かることがあり、おまけに緑陵打線はみづほのお陰で、初回の速攻を得意としている。
一打席めのみづほの出塁率は驚異的だ。みづほは特有の「視界」で、先日の四回戦で河野のボールを既に数十球は「経験」しており、さらに福富と船田の打席を至近距離で覗いて、河野の調子をほとんど把握することになるだろう。
つまり、本来は腹の探り合いである筈の序盤で、終盤とほぼ同等の情報をみづほは得ているわけだ。
さらに、みづほの情報は、緑陵のチーム全体にフィードバックされる。その結果、情報戦では圧倒的に優位に立って勝負に臨めることになり、これが緑陵野球部の強さの原動力にもなっている。
初回、1アウトから船田がヒットで出塁した。みづほの前にひとりでもランナーが出ればしめたもので、みづほはほぼ間違いなくチャンスを広げてくれる。
果たして2ボール1ストライクのヒッティングカウント。船田がスタートを切ると、低めのストレートを巧く流し打ち、打球は大きく空いた一二塁間を抜けていった。さすがと言うべきバッティングだ。
ちなみに国志館は、外野を前進させ内外野間のヒットゾーンを極端に狭める、いわゆるみづほシフトを敷いていた。シフト破りの解答を、またひとつ見せてもらったと思う。
1アウト一三塁。俺の打席だ。
事前ミーティングの情報では、河野は140㎞/h後半のストレートに、カーブとチェンジアップ。落ちるボールは少ないので、タイミングに気をつけることと、とにかく力負けしないこと。
甘く入ってくるボールを待って、スイング。打球は狙い通り外野に大きく上がり、センターへの犠牲フライとなった。
緑陵、1点先制。
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三回裏、今度は先頭バッターの福富が、引っ張ってライト線に強い当たりを打つ。長打コースだ。
「ナイス、福富っ!!」
続く船田が送りバント。難しいケースだったが巧く三塁方向に転がし、1アウト三塁でみづほの打席。
国志館はみづほシフトを諦め、普通の守備陣形にした。ここは外野フライでもいい場面なので、仕方ないところだろう。
二球めだった。三塁ランナーの福富がスタートを切り、みづほがバントの構え。スクイズだ。
相手にとってはまさかの作戦だったようで、バッテリーはまったく無警戒だった。
ファーストとピッチャーの間にボールは転がり、福富はホームイン、スクイズ成功。守備陣も虚を突かれた格好になり、ファーストの処理が遅れ、内野安打になった。
俺の二打席め、ここは一気に畳みかけたいところだ。
初球はカーブから入った。ボール。
投手の性格からいって、次はストレートだろう。ヤマを張って、コース次第では狙っていく構えだ。
ビュン。渾身の真っすぐがやって来た。こちらも力を込めて打ち返す。
カキーン。
快音を残して打球は高く舞い上がる――くそっ、上がり過ぎた。
レフトが背走しながら、フェンスぎりぎりのところで捕球され、三回裏は1点どまりだった。
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四回裏、注文通りのショートゴロ併殺で無失点に切り抜け、攻撃前に円陣を組む。
「ストレートは走ってるけど、カーブとチェンジアップのコントロールに苦労してる。ストレート頼みの配球になってるから、とにかく目を慣らすことね」
というのが河野に対するみづほの評価だった。要するにストレートに的を絞って行け、ということだ。
その直後だった。
ベンチの奥に下がったみづほがユニフォームを脱いで、汗で濡れたアンダーシャツを着替え始めたのだ。
あまりに自然な行動だったので、気づいた時には既にみづほはスポーツブラ姿になってて、半チチ状態で汗を拭いていた。
「みづほさんっ! またそんなとこで裸になって!!」
こころが慌ててみづほにタオルを掛け、ベンチ裏に連れて行こうとする。
「えー? いいよぉ、試合から目を離したくないし。ブラしてるからセーフでしょ」
いや、アウトだ。完全にアウト。
自分の裸の破壊力を、みづほはこれっぽちも認識してない。
こころが呆れたような眼を、みづほに向ける。
「――みづほさん、考えてもみて下さい。周りに人がこれだけ居るんですよ? 駅前で乳掘り出してるのと大差ないですよ」
「ええっ……そう?」
こころが深く肯く。
「みづほさん、いつも話してましたよね。全国の女子野球選手が、普通に試合に出られるような世の中になったらいいな、って」
「うん、そうだけど――それが何か?」
「みづほさんがそんなことしてると、女子の着替える場所も確保できない、劣悪な環境で試合させられてるんだ、て周りに思われますよ。女子の公式戦出場自体が、みづほさんのせいでなくなっちゃうかもしれないですよ」
「え、えええっ!?」
かなり強引な理論だが、効果はあったようだ。みづほはこころと一緒に、すごすごとベンチ裏に消えていった。
冷静に考えれば、普通は分かるよな。
みづほが人前で裸になったくらいで、女子の公式戦出場権が消えたりするわけない。
変わった娘だなという眼で見られるか、せいぜいお叱りを受ける程度だろう。
でもこころ、ファインプレーだ。こころに向かって、グッと親指を立てた。
後編に続きます。




