春季東京大会準決勝 (VS帝山4)
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九回の攻撃は、ともに2番からの打順。
野球の試合はしばしば、生き物のようだと思う時がある。
長らく膠着状態でじっと動かなかったのが、いったん何かきっかけがあると、どんどん流れるように動きが連鎖していく。
先頭バッターの度会に対して、宇田川さんの投球がいきなり三球連続してボールになり、球場にどよめきが走った。
球の勢いはそのままなので、けして疲れではないだろう。
前の回でチャンスを逃したことが微妙に響いているのか、腕の振りに安定を欠いた感じになった。
ど真ん中のストレートを挟み、五球めもストレートが低めに外れた。度会は四球を選び、ノーアウト一塁でみづほが打席に入る。
帝山の内野陣がマウンドに集まり、伝令からの指示を受けている。おそらく守備体系や、みづほを始めとしたクリーンアップに対する攻め方の確認だろう。
特に、帝山がこの試合で敷いているみづほシフトは、宇田川さんの直球に対してみづほの長打がない、と踏んでの、ある意味ギャンブル性の高い守備体系だ。一回表で実証されたように、みづほに大きいのを打たれると傷口は止め処なく広がってしまう。
そして九回表のこの局面では、それは即敗戦に繋がるので、向こうは悩むところだろう。
結局、帝山はみづほシフトを諦め、ノーマルな守備体系に戻した。
しかし帝山が見落としてる事が、ひとつだけある。勝負どころでの、みづほの集中力だ。
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クラッチヒッターという言葉がある。好機や勝負どころで活躍する打者のことだ。
みづほはまさに、その言葉が当てはまる選手だ。ここで一本出れば――という場面で、あえなく凡退した記憶がほとんどない。アウトになった時でさえ、何かしらの爪痕は残している。
超一流の投手はピンチに直面した時、ギアを一段階上げて打者を抑えると言われている。超一流の野手に関しても同じことが言えるんじゃないか、というのが俺の私見だ。
普段のみづほのプレーも充分にレベルが高いが、それはあくまで平常運転でのモノだ。勝負どころになると集中力が増して、いわばギアが一段階上がった状態になるのが分かった。それは打撃のみならず守備でも発揮されるようで、ピンチの際にファインプレーを連発する理由は、それに他ならないんだろう。
今回も、みづほに集中のスイッチが入ったようだった。少しだけ眼を閉じて、短く深呼吸する。その瞬間、みづほの周囲の温度がスッと下がって、みづほの体が蒼いオーラに包まれるように見えるのだが――これはいくらなんでも、俺の気のせいだろう。
ただ、そんな時のみづほは決まっていい仕事をするのだった。
宇田川さんとみづほの対決。宇田川さんもまた、顔つきが変わった。さすが全国に名を知られた投手だけあって、ギアを上げる術もタイミングも身に付けている。集中力と集中力の勝負だ。
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初球は渾身のストレート。コースがどうとかほとんど考えることもせず、ただただキャッチャーのミットを目がけて、とにかく気持ちを乗せて投げているのが、傍からでも分かった。バシーン! ミットの響く音がハンパない。見送り、ストライク。
――速い。150㎞/h近くは出ているだろう。
今日の宇田川さんは絶好調で、ここまで100球ちょっとの球数ではあるが、九回でこれほどの力の込められたストレートが来るのは、さすがと言うか驚異ですらあった。
二球めもストレート。外に外れてボール。きっとみづほは、キャッチャーの構えたコースにボールが来ることには、既に気付いているだろう。
三球めはカーブだった。インコースに食い込んできて、みづほは腰をかるく引く。ボール。
2ボール1ストライク。
四球めに入る前に、みづほがバットを股で挟み、ヘルメットを両手で被り直す。何の合図かはすぐに分かった。
宇田川さんの投球モーションと同時に、一塁ランナーの度会がスタートを切る。気合いのストレートが唸りを上げ、ミットを構えた外寄りのコースに襲いかかって来た。
みづほは冷静に、コンパクトにスイング。
コーン。
逆らわず流した打球は、鋭いライナーとなって一二塁間を破り、ライト前に転がっていった。
見事なヒットエンドラン、成功。
ノーアウト一三塁の大チャンスとなった。
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心拍数が上がっていくのが、自分でも分かった。
度会とみづほが作ってくれた、土壇場でのまたとないチャンス。これを得点に繋げれば、勝利への道がグッと拓けてくる。
ベンチから飛んだサインはダミー。スクイズはしない、俺に任せるという意志表示だ。
となると選択肢はふたつ。ゴロを転がして同時に三塁ランナーがダッシュするゴロゴーと、外野に打球を飛ばして最低犠牲フライを狙う作戦。
成功の可能性が高いのは――幸い、真っ向勝負してくれそうな雰囲気だ。俺からは特に合図を出さず、外野への飛球をイメージして打席に向かった。
俺の狙いが分かっているのか、あるいは長打ケアの為なのか、捕手はアウトローにミットを構える。宇田川さんのストレートが唸りを上げて、寸分違わぬコースに決まった。見逃しストライク。
――ふう。このボールでは外野フライは打てない。打てるボールが来るまでの根競べになるかな。
二球めも低めのストレート。バットを出してみたが、一塁方向に打球が切れていく。
2ストライクと追い込まれた。
マウンドの宇田川さんが、サインに何度も頚を横に振って、投球モーションに入る――おそらく三球勝負だろう、という予感はしていた。
やって来た球は、なんとど真ん中。とんでもない豪球だということは、投げた瞬間に分かった。
――負けるもんか。タイミングは掴めている。思いっ切りボールを叩くつもりでバットを振った。
ゲッ。
一瞬、目を疑った。
ボールがホームベースの手前で、もうひと伸びしてくる。こっちから見ると加速したような錯覚さえあった。
ボールは俺のバットの上を掠めて、キャッチャーミットに収まった。空振り三振。
「マジかよ……」
完全に振り遅れただけじゃない。ど真ん中なのに、ボールがバットに当たらなかった。
信じられない思いで、俺はマウンドで雄叫びを上げる宇田川さんを見つめていた。
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ピンチを迎えてからの宇田川さんは、ギアが上がったとか、そんな生易しいものじゃなかった。
俺の次打者、あのミートの巧い松元までが、バットに掠りもしない。あっという間に追い込まれてストレートを空振りし、三振に倒れた。
野口の時には、宇田川さんはクイックモーションさえしなかった。走りたきゃ走れの、ランナー完全無視。ほとんどど真ん中のストレートに、野口は三球続けて空振りした。
悪夢の三者連続、三球三振。
球場と帝山ベンチのボルテージは、最高潮に達した。
残塁のランナーとなったみづほに、グラブを渡しに行く。
「ごめん、みづほ……」
「凄かったよね、宇田川さん。今の緑陵だと、誰が打っても同じ結果だったんじゃないかしら」
ヘルメットとグローブを竹本に渡し、俺から淡々とグラブを受け取る。俺に気を遣っているのか、みづほの表情からは何も窺い知ることは出来なかった。
「なあ――みづほだったら、どうしてた?」
「あたし? ベンチからスクイズのサインが出てたと思う。でもあれだけ神がかってると、ファウルになるイメージしかないわね」
そう言うとみづほは、右手で俺の背中をポンと叩いた。
「しっかり守るよ。気持ちを切らさないで」
「ああ……そうだな」
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九回裏。
守備に就いて驚いたのが、いつの間にか球場の雰囲気が一変していたことだった。
さっきの回での宇田川さんのマーベラスな投球が、観客全体を味方につけてしまった。
安田が打者に対してボールを投げる毎に、球場が騒然となる。しかも、ストライクだと嘆息に似たどよめきが、ボールの判定で大歓声と拍手が来るような状況だ。
――これは、キツいな。
「安田くーん! あたしたちがついてるよーっ!」
みづほの必死の声掛けも空しく、周囲の騒音に掻き消されてしまう。先頭打者をセカンドゴロに打ち捕った時には、明らかな落胆の声が球場を覆った。
完全なアウェー状態。まるで、スタンドの全員が緑陵の敵に回ってしまったかのように感じた。
そして、みんなも分かっているのだろう、3番バッター櫻田の登場に、ひときわ大きな声援と拍手が湧き起こった。
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地鳴りのような応援がグラウンドに響いている。その大部分が、帝山と櫻田に対するものだった。
ボール判定で拍手と歓声が、ストライクで溜息が出てくる状況も、変わってくれない。
1ボール1ストライクからの三球め、アウトローのカットボールが僅かに変化せず、ボール一個分ほど内に寄った。
失投と言うには酷だが、コントロールの良さを信条とする安田のレベルで考えれば、明らかなコントロールミス。
そして、そのボールを櫻田は見逃さなかった。
カキーン。
コースに逆らわず、しかし完璧に捉えた打球は、右中間のいちばん奥まで飛んでいく。
志田と松元がバックして追いかける、その頭上を遥かに越えた白球は、ライトスタンドの中段近くに突き刺さった。
絶体絶命のピンチを脱した直後の、劇的なサヨナラホームラン。
スタンドに向かって右腕を上げながらダイヤモンドを回っていく櫻田を、俺は何か非現実的な出来事のように、呆然と見送っていた。球場に響き渡る割れんばかりの大歓声さえも、耳に入って来なかった。
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「やられました」
試合後の整列で、主将の俺は帝山の主将、弓削さんと握手を交わした。
「手強かったよ。夏は甲子園狙ってください」
「はい。ありがとうございます」
個々の実力差を見せつけられたが、チームとしては良く戦ったと思う。悔しくないと言えば嘘になるが、堂々と胸を張って帰れる敗戦だ。
みづほは櫻田と握手していた。
「遠野のあのバッティング、凄いな。あれはピンポイントで狙ってるのか?」
「2ホーマーの人が、何言ってるのよ。櫻田くんこそ凄いじゃない、今日の勝敗は、3番バッターの差よ」
3安打と2打点同士で、訳の分からん謙遜合戦をしている。
ベンチに戻ると、大屋監督が号泣していた。
「すまん、そしてありがとう――」
「監督……」
この時は監督が泣いてる事に対する驚きしかなかったが、後に、負けた悔しさと、勝負どころで無策だった申し訳なさ、帝山相手に大善戦した感動や誇らしさなどの感情が、いろいろと混ざったのだと照れ臭そうに説明してくれた。
いずれにしても、誰かの心を動かせるほどの試合ができたことは、選手として嬉しいと思った。
なお、みづほはしっかり、シクシクと貰い泣きしてたことも付け加えておく。




