春季東京大会準決勝 (VS帝山)
*
土曜日、準決勝当日の朝。
試合は昼過ぎだが、いったん学校のグラウンドでアップと全体の合わせを行い、早めの昼食を摂って試合に備えるので、間もなく出発の時間だ。
「お母さん」
出掛ける直前に、みづほがお袋の前に立つ。
「なあに?」
「お願い。ギュッて、して」
みづほは時々、こういう時がある。
外ではいつも冷静に振る舞ってるように見えるが、やはり内心では不安になったり、寄る辺なさを感じることもあるのだろう――そういや最近みづほ、人前で泣くことが少なくなった。
「いいわよ」
お袋はそう言うと、自分より大きなみづほを抱きしめて、頭を撫でてやった。みづほの背中が小刻みに震えているのに、今更ながら気づいた。
隣で親父が「あー羨ましいなあ、俺もして欲しいなあ」オーラをバンバン出してる。親父、顔に出過ぎだぞ。
「パパも、お願い」
その様子を見たみづほが気を利かせたのか、親父にも声を掛けて抱きつき、背伸びして頬をかるく引っ付けた。
これってアメリカ帰りの影響なのかなあ。映画ではよく見る光景のような気もする。
*
試合前の練習には、別メニューだったこころも参加した。
「こころちゃん、意外に大丈夫そうね? しばらく動けなくなるくらいのメニュー組んだ筈だけど」
二人一組の柔軟運動をしながら、みづほが怖ろしいことを口にする――いったい、どんな練習こなしてるんだろう。
「いやっ、あちこち筋肉痛でガチガチですよー。マネージャーの皆さんのお陰っす、動けなくなってるあたしを寝かせて、全身マッサージを毎日してくれるんです」
そうなのか。いつもながらマネージャーの仕事には、頭が下がる思いだ。
「よかった――キコには注意してね。マッサージは上手だけど、油断したらいつの間にか、パンツもブラも脱がされて、すっぽんぽんにされちゃうから」
「――あの……それ、もうやられました」
……聞かなかったことにしよう。
全体練習では、レギュラーがひと通り終わった後に、一年生たちもチロッと守備に就いた。
「ナイスセカン、こころ!」
この数日で、ステップも体のキレも、格段に良くなっている。まるで別人のようだ。表情を見ると、本人がいちばん驚いているようだった。
「みづほさん――あたし……」
「こころちゃん、ナイスプレー。あたし、試合頑張るからね」
「はいっ!!」
バッティングでも、バットの振りが鋭くなっている。
こころのそんな様子を見た一年男子部員が、大会後の体作りに賛同したのは、言うまでもない。
*
試合前の整列で、櫻田と目が合った。気合いの乗った、いい面構えをしている。
俺とみづほ、二人がかりでも勝てるかどうかの才能の持ち主だし、甲子園の活躍で、既にそれも実証済だ。厄介なことに帝山には、そんな力を持ったヤツがごろごろ居る。
ただ、野球は幸いなことに個人競技じゃない。チーム全体の力なら、こっちが上とは口が裂けても言えないが、充分戦える筈だ。
負けねえぞ。俺も櫻田を睨み返した。
一回表、じゃんけんに負けた緑陵の先攻。
人呼んで「下町の怪物」宇田川さんは、ストレートが走っていた。
「やっぱ、速いな……」
「ううん、まだ球離れが安定してない。甘いコースが来る筈よ、本調子になる前に攻めましょ」
みづほはそう言い残して、ネクストに向かった。
宇田川さんは志田と度会を、ほぼストレートだけで片付けた。
カーブは度会に投げた一球のみ。手の内を明かすのをなるべく遅らせようという、みづほ対策のような気がする。
みづほを前にして、帝山の外野陣が前に移動してきた。
内外野間のヒットゾーンを極限まで減らす「みづほシフト」を、帝山も敷いてくるようだ。
初球だった。宇田川さん渾身のストレートを、みづほが振り抜く。
どうやら甘いコースに来たボールを狙う、と決めてたようだ。
完璧に捉えた打球は、浅めに守っていたレフトの遥か頭上を越えていく。外野陣が懸命に追いかけるが、ボールが内野に帰ってきた時には、みづほは易々と三塁を陥れていた。
左中間三塁打。あのストレートをあそこまで運んだことも驚きだが、これがみづほシフトに対する、答えのひとつなのだろう。
今朝、お袋に抱かれながらブルブル震えてた女の子と同一人物とは、とても思えなかった。
*
せっかくみづほが作ってくれたチャンス、何とかしたい。そう思って打席に立った。
自分でも驚くほど冷静だった。一塁が空いているこの状況、おそらく真っ向勝負というより、ボール球に近い難しいコースを打たせるつもりだろう。
じっくりボールを見ながら、コントロールミスを逃さずにコンパクトに打つ。
イメージは固まった。グリップを余らせてバットを構えた。
初球、おおきく外に逃げていくストレート。見送りボール。
みづほの言葉のせいか、速さは感じたが脅威には思わなかった。事実を言っただけなのだろうが、俺にとっては魔法の言葉になった。
ボール、ストライクとストレートで来て、四球めにようやくカーブ。
外に外れてボール。球がよく見えている。
五球め、外角のストレートが少しだけ内に入ってきた――これだっ!
コンパクトにバットを合わせ、振り抜く。
カキーン。
打球はセンター前に。みづほ生還、タイムリーヒットとなった。
緑陵、1点先制。
*
一回裏、帝山の攻撃。
さすがと言うべきか、帝山の打者は振りが鋭い。
その分、打球も速かったが、いつもながら安田のコントロールには冴えがあった。
と言っても、安田自身が四角いオッサン顔で、半ばニヤケた表情で投げるので、傍からは鼻唄混じりに緩いボールを投げてるようにしか見えない。全力で投げても球速が130㎞/hそこそこなので、仕方のないとこではある。
実際には細心の注意を払ってボールをコントロールし、緩急と多彩な球種で、的を絞らせないピッチングをしているのだが。
注文通りの内野ゴロふたつを捌いて、迎える打者は3番の櫻田。
久しぶりに間近で見るが、ど偉く選球眼がいい。ボール半個分外れた球にはぴくりとも動かない。
二球めのストライクからボールに落ちる球には反応し、空振りを取ったが、四球め、球速を変えたにも係わらず、同じ球種には手を出さなかった。
3ボール1ストライクからの五球め、アウトローに良くコントロールされたストレートだった。
カキーン。
櫻田のバットが撓り、打球は高く右中間に舞い上がった。
バックする志田の頭上を越え、スタンドに直接突き刺さる。同点のソロホームラン。
わずか一振りで試合を振り出しに戻された。
*
4番の弓削さんをショートゴロに打ち捕り、ゆっくりマウンドを降りる安田を追い越して行く。
「すまん」
「ドンマイだ、安田」
ストライクが欲しかった局面とはいえ、不用意な配球や増して失投などではなく、敵ながら打った櫻田を褒めなくてはいけないだろう。
打たれた安田の表情からも、それは窺える。ダメージは少なそうだ。
それにしても驚くべきは、櫻田の適応能力だろう。
味方の贔屓目でも何でもなく、安田の投げるボールは独特のフォームも相まって、相当特殊な軌道を辿る。初対戦なら、まず間違いなくタイミングを取るのさえ苦労する筈だ。
目を慣らすのに、最低二打席、普通は三打席はかかる。
それを一打席目の、わずか数球投げさせただけで、あんなドンピシャのスイングをする。
まるで俺の知ってる誰かさんの打撃を見ているかのようだった。
そう、それはまるで――
*
「櫻田くん、すごいよね」
ベンチに戻った俺の隣に、みづほが腰掛けてきた。
そう――櫻田のあの打撃は、まさにみづほのようだった。
「みづほだって、いつもやってるじゃないか、あんな感じで」
俺の応えにみづほは眼を閉じて、ゆっくりとかぶりを振った。
「ううん。あたしの場合は、リサーチを重ねて、配球読んでボールの軌道を確認して――準備してるから出来るプレーなの。櫻田くんはそれを、無意識のうちに咄嗟に体を動かして、易々とやり遂げてるんだもん。きっと自覚さえしてないと思う。あんな芸当、とてもじゃないけど無理よ」
みづほの瞳が再び開き、眩しそうにグラウンドを見つめる。
「櫻田くんみたいな人を、天才て言うんじゃないかしら」




