岐路
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仕切り直した大屋の話を要約すると、こうだった。
共学になった緑陵高校に野球部が新設され、監督となった大屋は、部員募集のために周囲の中学校やクラブチームを積極的に視察していた。
先日の地区大会でみづほのプレーぶりを観た大屋は、みづほの素質に惚れ込み、性別に関係なくチームに必要な人材と考え、スカウトに訪れた、ということだった。
「元女子高ということで念のため訊くけど、女子野球部じゃないよな?」
「違います、男子の硬式野球部です。桜陽女子にはソフトボール部が昔ありましたが、部員が集まらず消滅していました」
「お前さ、これだけお膳立てしてやってコケるなんて、どういうことだよ」
「いやさ、ホント申し訳ないです、ホント」
片岡の責めに大屋はすっかり恐縮している。が、すぐに向き直って、遠野をまっすぐ見つめた。
「みづほさんの試合と練習、拝見しました。ミート力もさることながら、守備の安定性が非常に素晴らしい。今のレベルでも高校野球で充分通用します……」
「ほほぉ」
みづほの選手能力をこまごまと説明する大屋を、父が感心したように見直した。
「片岡。たしかにこいつ、優秀だわ」
「いつもはもうちょっとしっかりしてるんですよ。遠野さんの前だから緊張してるんだよな」
大屋が高校のパンフレットをふたつ、父娘に渡す。
「丘の上に新校舎ができるのか。ここから10㎞ちょっとだから、通学は楽だね」
「最寄り駅からスクールバスも出しますし、自転車通学も可能です」
「今年から進学クラスも設けるのか。野球部の練習環境は?」
「敷地が充分に確保できたので、学校の隣に球場を作ってもらえました。簡単な室内練習場と、共用ですがトレーニング施設もあります。練習時間は平日は午後4時から8時まで、土日は検討中。テスト期間中は部活禁止とか、いろいろあるんですけどね」
「野球漬けにはちょっと難しいけど、これなら環境はかなりいい方だな――あとさ」
父がニヤリと笑う。
「高校の頃を思い出したよ。桜陽女子って、制服が結構可愛かっただろ。あれはどうなったの?」
「はい。制服は好評だったので、それを踏襲した新デザインになってます」
「そんな感じだ。みづほの感想は、どうかな?」
俯いてパンフを見つめていたみづほに、一同が注目した。
*
気づくとみづほは、しゃくり上げて、泣いていた。
慌てる大人たち。
「ありがとう……ございます……すごく嬉しい……」
かるく嗚咽しながら、必死に言葉を絞り出す。
「あたし、本当は……野球続けたかった……でも女子を受け入れてくれる野球部があるのか……探したけど分からなくて……途方に暮れてて……」
「そうか……すまん」
父の呟きにかぶりを振るみづほ。
「ううん。お父さんにはもっと早く話せばよかった……」
涙に濡れたまま顔を上げる。
「お父さん、あたし野球続けたい。緑陵高校に行かせて。大屋監督、よろしくお願いします」
「おお! こちらこそよろしく!」
大屋が立ち上がり、ガッツポーズを作る。
「いいのか?」
「うん」
父の言葉に頷くみづほ。
「現在の高校野球では、女子選手は公式戦に出られないぞ?」
「…………」
「そこなんですが、遠野さん」
片岡が言葉を挟んだ。
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「千秋クラブのスタッフは、みづほさんは、このまま埋もれさせるべき選手ではない、と思っています。これは関根監督も同意見です」
「うん。俺もみづほの素質はすごいと思ってるよ、親の欲目を抜いても。でもそれが何か?」
片岡と大屋が目を見合わせて頷く。片岡の話は続いた。
「実は、緑陵の理事長とも話をしてきました。クラブと高校で、みづほさんを公式戦に出場できるよう、全面的にバックアップします」
「――そんなことができるのか?」
「全国の高野連はさすがに腰が重いでしょうが、都の大会なら、なんとか。関根さんが動くんですよ。教え子たちの協力を得られたら、不可能ではないと思っています」
「俺は畑違いだよ? 外務省は文科省の仕事には口を出せない」
「遠野さんには、知恵をお借りしたいのと……政治家をどなたか紹介していただけませんか?」
「都の高野連なら、都議会議員がいいんじゃないか。しかも野球をよく知ってるヤツがいい。都議で高校球児だったヤツを探してみるか。大学の同期の伝手を辿ってみるよ」
「ありがとうございます!」
みづほはすでに泣きやんで、大人たちの会話をポカンと聞いていた。
「ははは、すまん。みづほ置いてけぼりだったな」
「ええっと、あたしのために、ホントにいろいろやってもらって……」
また泣きそうになり、言葉が詰まる。
「いいの、いいの」
「将来性のある若者の手伝いが出来るなんて、俺たち幸せだよ」
「――あたしはこれから、何をすればいいですか?」
「そこだ」
片岡が人差し指を立てた。
*
片岡が今後の計画を話しはじめた。
「秋にクラブチームの選抜大会があるんですが、遠野さんを東京都の選抜メンバーに推薦します。遠野さんは、その大会で活躍すればいい。マスコミも、高野連の関係者も招待するので、彼らの前で存分に実力を見せつけてやりなさい」
「あたしにできるかしら……」
「いや、これはね。できるかじゃなくて、やるんだ、みづほ」
父が珍しく、強い口調で言い聞かせる。
「これが最後のチャンスではないが、せっかく貰ったいい機会だ。最初のチャンスでガツンと行くのが一流の人間だぞ。頑張りなさい」
「うん。あたし、頑張る!」
「遠野さんが入学する頃には『女子のすごい選手が野球部に入ってきた』という話題にさせておきたいですね」
片岡がにこやかに話した。
「さて、推薦入学の手続きですが、学力とスポーツがありまして……」
鞄の中をごそごそ漁る大屋を、父が制止する。
「いや、普通の入試でいいだろう」
「へっ?」
「な。みづほ」
「あたしは、それも『やる』のね。お父さん」
見つめ合う父娘。
「ああ、そうだ。全部乗り越えて行け」
ちなみに、元女子高の野球強豪校としては、今年の鹿児島県代表の神村学園が有名です。
元は串木野女子高という名前で、共学になったのは20年くらい前のことでした。
女子野球部の強豪校としても知られています。