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俺の幼馴染は甲子園を目指す  作者: かのさん
高校一年生編・秋
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みづほの引っ越し


「聞こえなかったか? 母さん、千尋、今からみんなで遠野ん家に行くぞ」

 午後九時を回っているこの時間に? どう考えても迷惑だ。

 しかし、親父のただならぬ声が、その疑問を掻き消した。みづほの家で何かがあったんだ。

 大したことじゃなければいいが――取るものも取りあえず、インターホンを押した。


「おう、すまんな。こんな遅い時間に来てもらって」

 玄関に出たのは、みづほの父親だった。

「いや、俺も詳しい話を聞きたい――みづほちゃんは何て言ってる?」

「中で話そう」

 俺たち三人は、みづほの家の居間に通された。


 みづほは居間のソファに座って、口を真一文字に結んで、俯いていた。

 明らかに、泣きそうになるのを堪えている顔つき。俺を見つけると、わずかに顔を上げて、唇だけで何か告げようとしている。

「お茶なんかいいよ、早く話しよう――で、どうだって?」

 親父がそそくさとソファに座る。

 俺がみづほの隣に腰掛けると、すがる様にギュッと俺の腕にしがみ付いてきた。


「まずは事情を話そうな」

 お袋をエスコートした後、みづほの父親が腰かけて、説明を始めた。


 話の内容は、みづほの父親の転勤だった。

「――四月から、イギリスに行くことになった。多分三年は向こうだと思う」

 外務省だから外国に行くのは仕方ないが、それにしても急な話だ。

「この年で、こんな形の転勤食らうとは、なあ……」

「遠野お前、また何か上に逆らったのかよ。外務省辞めちまえば?」

「いや、乞われての人事なんで、困ったことに栄転なんだ。まあ、行かざるを得ないな」

 めでたい話なのに、父親の顔は苦虫を噛み潰したようだ。


「問題は、みづほだ……同じ英語圏なので、言葉は大丈夫だろう。ただな――」

 父親が肩をすくめながら、言葉を継ぐ。

「イギリスに、野球はない」


「俺の本音は、みづほと一緒に暮らしたい。それは変わらない。しかし、みづほの現在と将来を思えば――」

「お父さん、ごめん。あたし、緑陵を離れる気は、ない」

 俯いたまま、みづほが小さな声で、だがしっかりと応えた。

 俺の腕にしがみ付いた手の力が、一層強くなった。

「……緑陵で――ここで野球を続けたいの」


「うん」

 みづほの父親が仕方ないなという風に、優しく微笑みかける。

「それは互いの道を進むということで、結論はついた。俺はイギリスに行き、仕事を続ける。みづほは日本に残り、高校生活と野球を続ける。寂しいがそれがベストかな」

 俺としては、少しホッとした。

 みづほがイギリスに行ってしまう最悪の展開は避けられそうだ。

 みづほがチームから抜けるのは言うまでもなく大打撃だし、みづほと離れ離れになるのは、もっとイヤだ。

「ただ問題は――」

 父親の言葉が続く。

「みづほが、独りでここに住むって、言い張って聞かないんだ」




「みづほちゃん?」

 親父が、みづほの顔を覗き込みながら話し掛ける。

「うん」

「ここに居たいの?」

「うん」

「ひとりで? 住むの?」

「うん」


 親父が腕組みして、みづほの父親を見上げた。

「親としちゃあ心配だよなぁ。この家に一人娘を置いたままにするのは」

「そうなんだよ。アメリカん時はバタバタして秋山に甘えちゃったから、今回はこの家を管理会社に頼んで、みづほは学校近くの女子専用のマンションか下宿に住まわせよう、と思ったけど――この頑固さ、誰に似たんだろ」

「お前だろ」


「お前の両親がここに来て、みづほちゃんと一緒に住むのは?」

「ダメ。田舎に引っ込んで畑やってるから、うちに来いよの一点張り。雅美の両親はみづほとは繋がりがあるけど、御主人が体を壊してね――それどころじゃないんだ」

 親父の顔が優しくなった。

「それなら、俺たちにまた甘えろよ。友達だろ?」

「う……ん。友達だからさ、なおさら気軽に頼みにくいんだよ」

「お前、そういうとこ、あるよな」

 父親がふたり、俯いたままのみづほをそっと窺う。


「あら、みづほちゃんの面倒見るの、私もお父さんも、全然苦にならないわよ? 実の娘も同然だもん」

 今まで話を黙って聴いてたお袋が、口を開いた。


「ただ、遠野くんの心配も分かるの。一軒家に一人娘を独りきりで置いとくのは、防犯上いろいろ問題だと私も思う――だからさ、みづほちゃん、秋山の家で一緒に住まない?」

「――えっ?」

 みづほがようやく顔を上げて、お袋を見つめた。

 俺にしがみ付いてた腕が、ゆっくりと離れる。


「海斗が家を出ちゃったから、一部屋空いてるし、そこにみづほちゃんが住めばいいと思うの。遠野の家の管理は、私アメリカの時で慣れてるから、問題ないわよ」

 お袋の提案に口あんぐりの、父親ふたり。

「いや、それはいくら何でも甘え過ぎ――」

「いやいや、みづほちゃんさえよければ、名案だと思うぞ。俺たちに思いっ切り甘えろ、遠野」

 慌てて遠慮するみづほの父親を、親父が制した。


「うーん――いやいや、うーん……」

 これだけ狼狽する、みづほの父親を見るのも珍しい。

 可愛い一人娘のことになると、やっぱり平常心じゃ居られないんだろう。

 みづほはといえば、半ば放心したように、大人たちの顔を代わるがわる見回している。

「うん、分かった。後はみづほの気持ち次第だな」

 急にすっきりした表情になり、父親は呟いた。


 お袋がみづほの側に跪き、頭の上に手を置いて話し掛けた。

「みづほちゃん、どう? 高校の二年間だけ、私の娘になる気は、ない?」


 みづほは、きょとんとして暫くお袋の顔を見つめていたが、やがて誰に語るともなく話し始めた。

「ん……お父さんね、今でも忙しいけど、お母さんが病気になるまでは完全な仕事人間だったの。だから、小さい頃の思い出は、お母さんのがほとんど。お母さんの思い出がたっぷり詰まったこの家に、あたしいつまで居られるか分かんないし、居られる間はここを離れちゃいけない、そんな気持ちでいたの――」


「でもそんなの建前に過ぎないって、最近は気づいてきた。だってあたし、野球ばかりしてて、家に居る時間ほんとは少ないし。お母さんの記憶もだんだん薄れてきて、今じゃ顔さえ朧げになってしまった。絶対に忘れたくない記憶の筈なのに、ね」

 俺たちは黙って、みづほの話を聴いていた。


「お父さん、わがままな娘で、ごめんなさい。お父さんとの時間だって限られてるのは知ってるし、死んだ人より生きてる人との時間が大切なのも、分かってきた……でも、今のあたしには、緑陵での高校生活と野球が大事で――それと家族を比較するとか、そういうわけじゃなく――この生活を続けたい、という気持ちが強いの。あたしは緑陵で、野球を続ける。どうか許してください」

「いや、それについては結論はついた筈だよね」

 深々とお辞儀するみづほの肩に、父親が手を置いた。


「本音を言います。あたし、できればこの家に居たい。でも独りは怖いし、寂しい。帰って来て、誰も出迎えてくれないし、待てども誰も帰って来ない。独りで寝て、独りで起きる毎日――それがずっと続くと考えると、気が遠くなりそうだった……秋山のお父さん、お母さん。あたしを高校卒業まで、住まわせてもらえますか? わがままでどうしようもない親不孝娘ですが――よろしくお願いします」

 今度は親父とお袋に向かって、深々とお辞儀をするみづほ。

「おお! みづほちゃんみたいないい子、大歓迎だよ!」

「決まりね――これで解決でいいわね? 遠野くん」

 お袋が、みづほの父親の背中をポン、と叩いた。


 こうして、俺とみづほは、ひとつ屋根の下で二年間暮らすことになった。




 そんなこんなで、三月は公私ともに忙しくなった。

 まず、野球部の練習が次第に本格味を帯びてくる。

 中学を卒業した推薦組の入部予定者たちが、グラウンドを訪れ、一緒に練習もした。

 特に船田と福富はさすがだったが――現時点では度会と有沢の方が、まだ上かな。


 四月の春季大会に向けて、週末には練習試合も行った。

 竹本は期待通り、ストレートとカーブ、チェンジアップだけで好投した。

 打撃面では推薦組だった二人――松元と野口が、何かを掴んだ。

 松元はテニスの効能か、肘の遣い方が巧くなり、ミート力に磨きがかかっている。

 野口は駆け引きの初歩を学んだらしい。

 相変わらず脆さと同居していたが、選球眼が格段に良くなった。


 更に、俺にとっては憂鬱な憂鬱な、期末テスト。

 各教科の先生方からの手助けをやんわり断り、笹田にとんでもなくハッパをかけられ、試験に臨んだが、めでたく全教科で赤点回避に成功。

「当然だろ、バカヤロ」

 テストの結果を見た笹田から、荒っぽい祝福を受けた。

 ちなみに、再び野球中心の生活に入ったみづほは、首席の地位を明け渡した。


 そして、野球部とも学校とも関係ないが、みづほの引っ越しも着々と進んでいた。

 と言っても、遠野家から秋山家への、隣家へ生活必需品を移動するだけの、簡単なものである。

「忘れ物があったら取りに行けばいいだけだから、気楽よね」

 兄貴の部屋は、簡素ではあるが、次第に女の子のそれらしく改造されていった。


「やっぱ富士見選手のポスターは、貼るのな」

 女子の部屋としては異質な、でっかい野球選手のポスター。

 仙台ウッドペッカーズの正二塁手。

 稀代の守備職人、みづほが現在、いちばん尊敬してる選手だ。

「うん。今年は怪我で活躍できなかったけど、頑張ってほしいな」

 貼ったばかりのポスターを満足げに見つめるみづほ。


 それにしても、ずいぶん運んできたな。

 家具はもちろん、私服や下着の大部分も、既にこっちにある模様だ。

「布団類まで持って来てさ……今、どこで寝てるの?」

「うん。お父さんと一緒に寝てる。寝室はお母さんが生きてた頃のダブルベッドのままだから、広いんだ」

 残り少ない父娘の時間を、可能な限り一緒に過ごそうという、みづほの配慮らしい。

 例の、何かに抱きついて眠るという独特の寝相が、父親に対して発動してないことを秘かに祈った。


「お風呂もね、一緒に入って背中を洗いっこしてるんだ――お父さんは無理しなくっていいよ、て言うんだけど……」

 少し恥ずかしそうに頬を赤らめるみづほ。

「お父さんに、あたしを目に焼き付けて欲しいの……どんな大切であっても、記憶ってだんだん薄れていくものだから――」

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