秋季東京大会一回戦 (VS都立目野3)
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五回裏の緑陵の攻撃は、9番の安田から。
この回も続投の足立さんは、左バッター相手には、やや投げにくそうだった。
さらに、前の回からそうだったが、明らかなボール球や、甘い球も増えてきている。
四球め、真ん中近くの曲がりきらないカーブを安田が捉えた。
カキーン。
「ナイス、安田!」
センター前ヒット。緑陵、この試合初めての先頭打者の出塁だった。
1番の志田は手堅く送りバント。
「そろそろ投手交代、あるかもね」
みづほが呟きながらネクストに向かう。
2番度会が、甘くなったコースを狙い打つ。いい当たりだったが、レフトの正面だった。
「あーっ」
度会が頭を抱えて天を仰ぐ。
「アキ、ガンバだ」
「ああ」
松元と短く言葉を交わしてグラウンドに向かった。
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2アウトとなったが、ランナー二塁、打席にはみづほ。追加点のチャンスであることには、変わりはない。
「タイムお願いします」
目野ベンチから伝令が飛び、マウンドに野手が集まる――交代かな――そう思ったが、足立さんは続投だった。
ゲーム再開。足立さんがランナーを確認し、投球モーションに入る。
その初球だった。
渾身のストレートがすっぽ抜け、みづほの顔面近くを襲う。
「きゃっ」
とっさに左腕で顔をガードしながら避けるみづほ。
だが避けきれず、ボールはみづほに当たって大きく角度を変えて飛んで行き、みづほは派手にヘルメットを飛ばしながら尻餅をついた。
「みづほっ!」
俺はバットを放り出し、我を忘れてみづほに駈け寄る。
「――あ。ちーちゃん」
「みづほっ!! 顔か? 頭かっ!?」
「大丈夫よ、左腕――ちょっと痺れてて、まだ痛いけど」
ふーうっ。命に別状はないようだ――大袈裟かな。いや、そうでもなさそうだ。
緑陵のみんなが、血相を変えてみづほに駈け寄ってくる。
「ううん、ホント、大丈夫だから。頭にも顔にも当たってないから」
皆に説明しながらみづほは、アンダーシャツを肘まで捲ってみせる。
前腕の、ボールの当たったところが赤くなっていた。それほど腫れてもいない――よかった。大したことはなさそうだ。
マウンドでは足立さんが、ほんとに申し訳なさそうな顔で帽子を取ってこちらを窺っている。
治療の終わったみづほは、大丈夫よ、というジャスチャーをしながら、優しく微笑んでみせた。
――今日倒すべき敵に、そんな表情を見せるのは勝負師としてどうか、とは思うが、俺はみづほのそんなところが好きだ。
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ともあれ、2アウト一二塁でバッターは俺。
足立さんの初球は、とんでもない大外にすっぽ抜けていった。
キャッチャーは捕れず、ワイルドピッチでランナーは進塁。2アウト二三塁に場面は変わる。
足立さん、そうとう動揺しているようだ。
足立さんの顔つきが、急に優しくなった。俺に対しては敬遠のフォアボール。
満塁策をとり、そのまま降板となった。
2アウト満塁。
追加点を取れば、一気に試合の主導権を握れる、願ってもないチャンスだ。
ここで都立目野は投手交代。
左打者の松元に対して、左投げの一年生、井上をぶつけて来た。
代わった井上は一年生ながら、キレのあるストレートとカーブが軸の投手。
大柄な体から放たれるストレートは最速140㎞/h前後、細かいコントロールはないが落差がある――というのがこちらの分析。
対して、打撃センス抜群の松元だが、まだ克服してない欠点がある。
左投手に弱いのだ。
目野側にもその情報は入っているのだろう、このピンチの状況でも、井上は自信満々に投げている感じだった。ボールが走っている。
一方、緑陵も大量得点のチャンス、松元も必死だった。苦手の左にも臆せず、食らいついていく。
しかし簡単に追い込まれると、落ちるカーブに松元のバットは空を切った。
無念の空振り三振、緑陵は無得点に終わった。
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六回表、都立目野の攻撃。2番からの好打順。
3巡目に入り、相手も打つべき球とそうでない球を見分けるようになってきた。
打球の球足がさらに速くなり、野手陣の受けるプレッシャーも半端ない。全員が食らいつくように振ってくるので、気の休まる暇がないのだ。
ついに内野の間を抜かれるようになった。
ヒット2本を打たれ、2アウトながら走者一三塁のピンチ。下位打線になっても脅威には変わりない。
それでも緑陵バッテリーは、低めのコントロールでゴロをなるべく打たせる方針を貫いた。
カキーン。
強いゴロが安田の左側を通り抜けていく――センター寄りのセカンドゴロ、みづほなら追いつくだろう。
果たしてみづほは「いいところ」に守っていた。難なく正面に回り込み、両手でキャッチ。
そのまま二塁カバーの俺にトスして、フォースアウト、チェンジ。
この時は、僅かな違和感くらいしかなかった。
――確かに普段のみづほなら、走り込んで片手で捕球していただろう。
打球が強いことを考え、堅実な守備を採った、そのくらいにしか考えてなかった。
都立目野、無得点。2対0のリードは変わらない。
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六回裏、打席に向かう野口らを、ベンチから送り出す。
目野の井上投手は、前の回でひとりに投げただけなので、相手投手の分析結果はまだだろう。
次の回に円陣を組めるかどうか、みづほに訊こうとした、その時だった。
「ちーちゃん――ちょっと、手伝ってくれる?」
みづほがこちらを見もしないで、俺の腕を掴んできた。
「ん?」
「ダグアウト裏まで付き合って、お願い」
いつもはベンチやコーチャーズボックスで、穴が開くほど相手投手を観察するみづほなのだが――様子がおかしい。
みづほは、右手で俺の腕を掴んだまま、ベンチ裏の控室までまっすぐに歩いて行く。
そして、振り向きざまに俺を見つめて、口だけで何かを囁いた。
その唇の動きからは、「お願い」と言ってるように思えた。
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控室は長椅子がふたつあるだけの殺風景な部屋で、脇には俺たちの荷物や着替え、貴重品その他が置いてある。
部員が少ないせいもあって――マネージャーたちはビデオ撮影のため応援スタンドに、水谷先生はブルペンで竹本とキャッチボールをしている――部屋には誰も居ない。
普通のチームなら、ここで控えの選手たちがアップをしたりしてるだろう。
「……どうしたんだ? みづほ」
俺の言葉が終わらないうちに、みづほは右手で自分のバッグを持つと長椅子の上に置き、同じく右手でバッグを開ける。
そして無言のまま、やはり片手でユニフォームの上を脱ぎ始めた。
「みづほ、お前――」
さっきから、左手をまったく使おうとしない。やはり、変だ。五回裏の死球の影響だろうか。
戸惑う俺をよそに、みづほはもどかし気にアンダーシャツを脱ぎ、とうとうスポーツブラまで、引き千切るようにして脱ぎ捨てた。
「……ちーちゃんにしか頼めないの、こんなこと――」
上半身裸になったみづほが、こっちを見つめる。
彫刻のように美しく引き締まった裸のシルエットだとか、程よい大きさをしたカタチの良いおっぱいとか、俺にとっては未到達過ぎるゾーンと言うか見どころ満載の状況なのだが――
俺の視線は、みづほの左前腕に注がれていた。
痛々しく、死球直後に見た時とは別物のように、赤黒く膨らんでいる。
俺を見つめるみづほの瞳には、痛みのせいか、はたまた別の感情のせいか、涙がいっぱいに溜まっている。
「みづほ、お前、その腕――」
「うん――気が遠くなるほど、痛い」
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これは――ただの打撲じゃないだろう。下手すりゃ骨折してるかもしれない。
あまりの出来事に、パニックになりかけた俺だが――こうしちゃいられん。
みづほの肩にタオルを掛け、監督にみづほの怪我を報告しようと、ベンチに向かおうとしたその時だった。
またもや、俺の腕をみづほの右手が掴んで離さない。
これ以上ないというくらい、強く握りしめている。
「――みづほ」
「監督には――みんなには知らせないで――お願い……」
「――そんなこと言ったって……多分普通の怪我じゃないぞ? それは」
「ううん、まだやれる。大丈夫よ」
そう言ったって……涙をいっぱい溜めながら微笑まれても、なあ――
「ちーちゃん……」
みづほはバッグの中からテーピング用のテープを取り出す。
「時間がないの。応急処置のテーピングして? お願い」




