我が家の十月
*
秋になって、明王野球部を引退した兄貴が、我が家に帰って来た。
元々が通学圏内だったが、朝も昼も夜も野球の毎日だったので、寮生活をしていたのが、その必要もなくなったからだ。
4番だった真田さんは、アンダー18の代表にも選ばれて引退が延びたらしい。
甲子園でホームランを三本も打ったら、普通兄貴も代表になれそうなものだが、打率が2割ちょいだからなあ……
ホームランか三振かの打撃は、巷では、面白おかしい方向に話題にはなった。
「カイ兄ちゃん、プロ志望届出したんだって?」
今日もみづほが家に来ている。
父親の居ない日は我が家で夕食を食べたり、これまでも頻繁に行き来していたが、兄貴が帰って来てからは、ほとんど入り浸りになった。
みづほは昔っから、兄貴ラブだったもんな。仕方ないと言えば仕方ない。
「ああ。スカウトの人からは声を掛けてもらった」
「すっごーい。千秋シニアから初のプロ野球選手ねっ」
まるで自分の事のように舞い上がるみづほに、親父が釘を刺す。
「いや、スカウトがあちこちに声掛けるのは常識でさ、実際に指名するかどうかは球団の編成会議で決まるんだよ。だから海斗が指名されるとは限らない」
「あっ、そうなんだ……でもカイ兄ちゃんのパワー凄かったよね。プロで観たいなあ、カイ兄ちゃんのホームラン」
兄貴を見つめるみづほの眼差しが、少女漫画に出てくるような、夢見る少女のソレそのものなんだが、その対象は、あくまでもどこまでも野球だ。
「指名されなかったら、どうなるの? 明王大に行くの?」
「んー……わからんなあ……」
みづほの問いに兄貴が眉を寄せた。まあ、なんとなく分かる。兄貴も勉強は嫌いだった筈だ。
明王大は偏差値はそれほど高くはないが、野球学部野球学科以外に、行く場所はないんだろう。
「まずは頑張って高校卒業しないとな。自分の名前書く練習しなくちゃ、はっはっは」
兄貴の言葉に、親父とお袋が思わず固まった。両親の反応に慌てる兄貴。
「いやっ、冗談だよっ、冗談だから。自分の名前は書けるよっ」
「お前の場合、冗談になんねーんだよっ!」
そうなのか――兄貴、そこまで馬鹿だったのか……
「大丈夫だよ。きちんと漢字で書けるからっ」
「あたりめーだっ、バーロー」
あーあ、親父が天を仰いでる。この親不孝者が。
「でもあれだな、『ろーま字』とかいうヤツは練習が必要だと思う」
ず、頭痛がしてきた……
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我が家の自慢どころじゃなく、恥をみづほに晒してしまったわけだが、それはさておき。
「なあ、兄貴。みづほはプロで通用するかな? 兄貴の目から見て」
「みづほか? ああ、みづほか……予選で一回こっきりの対戦だからなあ……」
何かを思い出すように、腕組みをして目を閉じる兄貴。
「うーーーむ」
と言ったきり、しばらく動かなくなった。
一家みんなが、黙って動かない兄貴に注目している。
眼を閉じた兄貴から「グー」とイビキが漏れた……兄貴、寝てやがる。
「起きろ、よっ!」
立ち上がって頭突きをかます。
お互い石頭なので、双方ともかなりのダメージを食らうのだが、兄貴を起こすにはこの方法しかない。
おー、いてぇ。クラクラする。
「お――寝てしまったか、はははっ、すまん。最近考え事をすると寝てしまうようになって、な」
なあ、兄貴。
明王でサイボーグ手術かなんか、受けてこなかったか? 野球しかできないサイボーグに改造されてんじゃないか。俺の眼の前に居るコレは、ほんとに兄貴かっ?
「馬鹿なこと言うな。俺は人間に決まってるだろ」
そうであることを切に願うわっ。
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「みづほは、いい選手だよな。東京の強豪とも全国の強豪とも戦ったけど、線が細いことを除けば、お世辞抜きでいちばん印象に残るセカンドだったよ」
「えっ……」
憧れの兄貴に褒められ、みづほの頬が見る見る紅くなる。
「正確に言うと、みづほと千尋の二遊間コンビだな。ふたりの連携はこれ以上ないくらい息が合ってた」
そう言うと兄貴は「うー」と唸りながら、目を閉じて言葉を探している風だった。
寝るなよ――頼むから、寝るなよ。
「えっと、な――お前らのコンビプレーは確かに絶品だ。みづほと千尋の力をだな、ふたりで互いに助け合って何倍にも高めてんだ。ふたりでひとり、みたいな印象さえあったな。それはチームにとっては大いにプラスになるんだろう」
「うー」と言いながら、兄貴の鼻がピクピク動いてる。
野球以外でも集中すると動くんだな。
「ただ、な。みづほも千尋も、いずれは自分の脚でしっかり立たなきゃいけなくなるんだ。頼りにし合うだけじゃなく、それぞれが一個人としてしっかりプレーする。個人プレーて意味じゃないぞ――んーと、そうだ、独り立ちだ。独り立ちしなくちゃいかん。それが俺の、プロで通用するかの答えでもあるな」
「カイ兄ちゃん、ステキ……」
みづほの瞳がヤバいくらいキラキラしている。ちょっと笑っちゃうくらい。
だが俺は、少し違うことに対して感慨を持っていた。
「兄貴――」
「ん?」
「兄貴が、まともなこと言ってる――」
「俺はまともだぞ? 多分だけど」
*
練習しながら、兄貴の言ったことを反芻していた。
独り立ち、か。一言で片付けているが、なかなか難しい命題だと改めて思う。
野球は、チームのスポーツ。ひとりだけでは何にも出来ないし、周囲との連携は必須だ。
つまり独り立ちとは、チームの歯車として機能しながら、なお且つ個人として貢献できる、そんな存在のことなのかな。
兄貴は、確かにそんな選手だった。ワンプレーでチームの雰囲気をガラリと変える、そんな力を持っていた。
兄貴の場合、驚くことに空振りやエラーさえ、チームの士気を高める原動力になっていたことだ。
これはチームメイトの助けも大いにあっただろうが、兄貴の持つ雰囲気やポテンシャルが、そうさせているのだろう。
きっとそんな選手が、プロを狙えるんだ。
タイプは違うが、みづほもチームを変える力を持っている。
卓越したゲームプランニングでチーム全体を引っ張り、打撃でも守備でも安定した結果を残している。
特に守備では、いったい何本のヒットをアウトにしたことだろう。
みづほが打席に入るたび、セカンドに打球が飛ぶたび、ワクワクが止まらない。
みづほもまた、そんな選手だ。
それで――俺はどうなんだろう?
緑陵の主将、4番として、結果を出してはいる。また、ショートでのみづほとの連携も、評価してもらっている。
ただそれは、みづほらのプランニングに沿った打撃と守備を、忠実にこなしているに過ぎない。
そうか……俺はまだ、独り立ち出来ていないんだ。
多分、「独り立ち」の種類は人の数だけあると思う。俺なりの道を模索してみよう。
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プロ野球のドラフト会議は、結果を部室のテレビで観た。
「カイさん、指名されたよ」
「フロンティアーズの3位だって」
へーっ、結構いい巡目じゃないか。
しかもフロンティアーズは、若手の育成に定評のあるチーム。兄貴にとって、いい球団に入れたと思う。
「で、さ――カイさん、インタビューでやっちまったらしい」
「え? 兄貴いったい、何やらかしたの?」
安田が苦笑いしながら、スマホの画面を見せてくれた。
”新宇宙人・北海道フロンティアーズ3位指名、秋山海斗のまとめ”と書いてある。
「北海道フロンティアーズの印象は? の問いに」
→「自分は泳ぎが不得手ですが――海はどうやって渡るのでしょうか」
→泳いで津軽海峡を渡るつもりかよw
→旧石器時代でもいねーぞ、そんなヤツww
「フロンティアーズでの抱負は? の問いに」
→「ボールが当たれば飛ぶバッターになりたいです。あと、名物の風呂に入るのが楽しみです」
→もしかしてこいつは”風呂ンティアーズ”と思ってるのか?
→フランチャイズはススキノかよwww
「チームから事前に声は掛かったのか? の問いに」
→「フロンティアーズからは何にも……ドルフィンズにR-ブルズ、独立リーグのデワノウミとDDTからもスカウトが来ました」
→それは独立リーグじゃないなwww
→相撲部屋とプロレスからもスカウトされたのかww
→ガタイはいいし、明らかに頭脳労働にはむいてないよなwww
「途中で『もうお前はしゃべるな』と同級生たちに取り押さえられる」
「インタビュアー笑い死に寸前w」
「わずか1分間のインタビューでこれだけやらかす超逸材!」
と、サイトはまとめられていた。
「…………」
兄貴、ある意味、超有名人じゃん。
「カイ兄ちゃん、指名来たっ?!」
何も知らないみづほが着替えを終わって、元気よく部室のドアを開けて飛び込んで来た。
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話は前後するが、十月の初めから、秋季大会本戦。組み合わせ表を見るたびに、ため息が出る。
一回戦の相手は、都立目野高校。西東京で「都立の星」と呼ばれる、シード常連の強豪校だ。
先の西東京大会はベスト8、前評判も高く、優勝候補の一角に挙げられている。
初戦からキツイとこと当たっちゃったなあ……
「相手もきっと同じこと思ってるよ。うちはなんたって、西東京ベスト16のメンバーがそのまま残ってるんだ、僕は互角の戦いになる、と見てる」
大屋監督がミーティングで、俺たちを鼓舞する。
「で? みづほ、偵察の結果は?」
プロ野球シーズンも終わり、みづほのプロ野球観戦学習は、いったん終了。
日程に余裕が出来たので、偵察三人娘が再結成され、みづほたちは現地に赴いていた。
「うん、強い。選手の実力が、高いレベルで拮抗してる気がした。誰がエースで誰が4番か、ちょっと見じゃ分からなかったもん」
ビデオ映像は、投球練習から始まった。
「投手は三人。それぞれが実力者で、誰が先発するかは予想できない――でもいちばんうちにとって厄介なのは、足立さんね」
「おお――綺麗なサブマリンだなぁ」
「でしょ? あたし、下手投げ経験ないの……対戦経験ある人、誰か居る?」
「んあ」
意外なことに、野口ひとりが手を挙げた。
「野口くん、サブマリンどうだった?」
「んあ。打ちにくかったよ」
そうだな。下手投げはまず、ストレートの弾道がまず違う。浮き上がってくるボールに目を慣らす必要があるのだ。
更に右打者にとっては、ボールが背中から来るような感覚も生じるだろう。
「――足立さん、シンカーも持ってるのよ」
ホントだ――いったん浮き上がった球が地面すれすれまでストンと落ちてる。
「マジかよ……」
横の変化より縦の変化の方が、遥かに対応しにくい。
ただでさえライズボールに意識があるから、このボールは苦労しそうだ。
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他の二人は右に左の本格派。ご丁寧に、タイプが全員異なる。
「このレベルまで行くと単純な攻略法はないけど――右の村田さんはボールが重そう、左の井上くんはキレで勝負するタイプかな。三人ともコントロールの精度は高くないから、見極めをしっかりするイメージ」
みづほの細かいレクチャーが続き、俺たちは耳を傾けた。
「それぞれの投手について細かく練習する時間はないよね。球筋のイメージをしっかりつけておくことかな、あらかじめしておくのは。それよりディフェンスの精度を上げておきたい」
大屋監督の言葉に、一同が肯く。
「打線はね。端的に言うと、切れ目がなくて、ねちっこい」
みづほが言葉を繋いだ。
「突出した打者はいないけど全員振ってくる。上位と下位の差がほとんどないわね。あと、多分ボール球でも、不充分な体勢でも、無理やりヒットにしてくる。そんな練習してた」
「それ、安田の天敵じゃん」
精密なコントロールでボール球を打たせる安田にとっては、ある意味明王より苦労するかもしれない。
「タフなチームよ――肉体的にはもちろん、おそらく精神的にも。全員で襲いかかってくるような圧迫感を、凄い感じたわ」
ドラフト3位で生中継があるのかどうかはさておき。
カイ兄ちゃんが登場すると、周りを食っちゃいますねww




