西東京大会三回戦 (VS都立広瀬4)
*
八回表、2対3の1点ビハインド、ノーアウト満塁。
都立広瀬のクローザーを務めるナックルボーラー、栫愛菜さんがマウンドに上がった。
栫さんの登板は、こっちとしても織り込み済み。
なるべく早い段階で引っ張り出すのが目的だったので、八回ノーアウトでの交代は緑陵にとっては最上の結果である。
ボックスには、2番の度会。
パワーもそれなりにあるが、基本的なプレーはこなせる、器用な選手である。
とは言え、スクイズは難しいだろう――満塁なので、本塁もタッチは必要なく、フォースプレイでアウトが捕れる。
ここでは栫さんはナックルの連投だろう。ヒッティング一択。あの難敵ナックルを打つしかない。
だが、こちらには秘策があった。
*
一球め。
栫さんは、以前みづほから指摘された投球の癖を直してなかった。ナックルと、それ以外の球を投げる時に、わずかに肘の角度が違う、アレだ。
確かにナックルは、分かっていてもそうそう打てるボールではない。ナックルとバレても打ち捕る、そんな自信が栫さんにはあったのだろう。
果たしてボールが揺れながらストン、と落ちてきた。ナックルだ。ストライク。
二球め。肘の角度でナックルだと分かる。
栫さんが投げる瞬間、三塁ランナーの有沢が少し遅れたタイミングでスタートした。
ナックルは球速が遅いので、多少遅れたスタートでも勝負になる。
ストライクゾーンに来たナックルを、度会が丁寧にバントで一塁側に転がし、それとほぼ同時に有沢がホームインした。
ナックルが来ると分かっていたからこそ成立した、満塁からのディレードスクイズ。
マシンでバントの練習をしまくった成果も、ここに顕れた。
「おおー!!」
「ナイスバント、度会! ナイスラン、有沢!」
技ありの3点めゲット。同点に追いつき、なおも1アウト二三塁でクリーンアップに回る。
*
みづほが打席に立ち、栫さんは帽子を何度も被り直しながら、俯き加減にマウンドを足で馴らしている――気持ちの整理をつけているのだろう。
栫さんにとって、一度対戦したみづほの怖さは身に沁みついている筈。
で、一塁は空いている。ここは勝負を避けて満塁策を採るだろう。
分かるよ。
こんな場面じゃなかったら、絶対に勝負したかったに違いない。
ただ野球は、個人の都合じゃなくチームの勝利が目的のスポーツなんだ。
果たしてみづほは敬遠の四球。五打席中、実に四球がよっつ。
今までと違って当然の選択だが、お約束のブーイングは忘れなかった。
さあ。イケイケの状況で、俺に回ってきた打席。栫さんのナックルは、実際に相対するとどんなだろう。
やや不謹慎だが、胸のワクワクが抑えられない。
ただ、ここはヒットよりも、三塁ランナーを還すことを優先にしたい。
俺に求められているのは、打球を外野に飛ばすことだ。
なるべく落ちの少ない、比較的高めのナックルを押っつけて、ライトに飛ばすイメージは既に出来ていた。
問題はイメージ通りのバッティングが出来るかどうか、だ。
*
3対3の同点、1アウト満塁。栫さんが投げてくるのは100%ナックルだろう。
110㎞/h程度のストレート、それより遅いカーブなら打てる自信がある。俺を打ち捕るために、ナックルの連投で来るはずだ。
一球め。ナックルの肘の角度だ。
ボールが俺の手前でグラグラ揺れて、真ん中低めにほとんど垂直に落ちてきた。
ストライク――すげえ。これが活きたナックルか。
初めてリアルで見るボールに、興奮を抑えられない。
ふと、ネクストに控えている松元と目が合った。
松元も初めて見るナックルに、瞳をランランと輝かせている。何というか、お預け中のワンコみたいだ。
二球め、三球め。まだこのボールではない。タイミングを計りながらバットを合わせ、カットする。
――芯を外さないようにするのは困難だが、タイミングさえ合えば外野まではなんとかなるだろう。
半ば確信しながら、打つべきボールを待った。
四球め、ボールの揺れはいつも通りだが、変化のタイミングが少し遅い。
これなら、真ん中高めからど真ん中のコースにくるだろう――この球だっ!!
腰を回転させ、丁寧に押し出すようにバットを合わせる。真っ芯とはいかなかったが、ボールを巧く打ち上げられた。
ドライブの掛かった打球は、センターから右中間へと流れていく。三塁ランナーの安田はタッチアップの体勢に入っている。
ライトが捕球。同時に安田のタッチアップ。
もの凄い送球が本塁に返ってきたが、安田の足の方が早かった。
「よっしゃああっ!!」
逆転。4対3の勝ち越し。
*
とどめは松元の一振りだった。
マシンでナックル打ちをマスターしていた松元は、活きたナックルも苦にしなかった。
2アウト一三塁の場面で、栫さんの投球の軌道を確かめると、二球めのナックルをジャストミート。
――どうしたらあんな当たりを飛ばせるのだろう。こいつも天才だ。
右中間の一番深いところまで持っていき、二者生還の2ベースヒットになった。
九回裏。
あとひとりの処からタイムリーを打たれ、2アウト一塁で栫さんの打順。
ベンチから代打が送られた。安田はやや疲れたようだったが、丁寧に低めを突き、サードゴロで3アウト。ゲームセット。
6対4で勝利、緑陵は四回戦進出となった。
整列しながら、栫さんが泣きじゃくっている。
「健闘を祈るよ。俺たちの分も頑張れ」
俺は、主将の石野さんと堅い握手を交わした。
「はい」
そういう風にして、勝ったチームは負けたチームの思いも載せて、次の戦いに赴く。
トーナメント戦の宿命だ。
後ほど、都立広瀬の監督から、大家監督に直接、みづほの敬遠についての謝罪と説明があったそうだ。やはりというべきか、打席で粘られて投手の体力が消耗するのをいちばん怖れていたらしい。
「手の内を明かしたくないとか、活きたボールをみづほくんに見せたくなかったとか、他にもいろいろあったと思うけど――相手の説明はそれ以上なかったから、こっちも何も言わなかったよ」
ちなみに、みづほはベンチに居る時でも、視点や感覚が打者と共にあるも同然なので、打席で勝負を避けたとしても、まったく意味がない。
対策お疲れさんとも言いたい気分だが、みづほの出塁を活かせず苦戦になったのは、反省点だろう。
堀内学園の上杉さんは、初戦の三回戦で途中出場したと、後で知った。
コールド勝ちの終盤にセカンドの守備に就き、打席ではセカンドゴロだったそうだ。
*
「四回戦の相手は?」
今日は、相手になる高校の三回戦が別の球場で行われたので、赤川青柳の両マネに行ってもらい、ビデオ撮影を頼んでいた。
「桜美だって」
桜美高校。最近は不振で今回もノーシードだが、全国大会優勝も経験している古豪だ。
「今年の桜美はピッチャーが評判いいかな。今日も2対0、完封勝利だって」
「そうか……」
なんとしても勝ちたい。あとひとつ勝って、兄貴のいる明王大付属と対戦したい。
ちなみに明王は16対0の五回コールド、余裕で初戦突破している。
学校でマネージャーたちと合流し、撮影したビデオで桜美の戦力チェックをする。
「じゃ、準備しよ」
赤川さんに絡まったコード類を馴れた手つきでほどきながら、女子たちがセッティングしていく。
「そしたら――お願い、紫苑ちゃん」
「うん、始めるわよー。ちゅうもーく」
試合開始、一回表。
「きゃーあっ」
守備についた桜美ナインに、球場には珍しい黄色い歓声が飛んだ。
「女子たちのお目当ては、この人」
青柳さんが説明する。
「石倉涼太さん、三年生。4番でエースなの、カッコいいでしょ」
「なる、ほどー……」
男どもから、ため息が漏れる。
細マッチョ系の長身で、仮面○イダーの主役にいそうな、爽やかなイケメンだ。
おまけに4番でエースとなったら――周囲の女子はほっとかないわな。
*
「なに、この人……すごくカッコいい……」
頬を染めながらみづほが、画面を食い入るように見つめている。
お? みづほ、一目惚れか? 誰もがそう思った。
「すごい綺麗な投球フォーム……ボールの軌道もナチュラルでいいわぁ……」
思わず、大屋監督が飲んでいた茶をブーッと吹いた。
「顔じゃないんかいっ!!」
「えっ、顔? ――ああ、カッコいいわね。そうかあ、イケメンは投げるボールもイケメンなのね」
全員のツッコミに、涼しい顔で応えるみづほ。
赤川さんと青柳さんが、目を点にして顔を見合わせている。
「みづほちゃんて……」
「見事な残念女子よね」
――みづほは、どこまでもみづほだった。
しかし、これなら分析に狂いは出ないだろう、とある意味少し安心する。
「うーん……画像だと視点の切り替えが難しいのよ。やっぱり実地で見ないと」
その感覚は想像もできないが、きっとそういうもんなんだろう。
「このボール、すごくドキドキする……あたし、平常心で打てるかしら」
この感覚も、まったく理解できない。
なんにしても、四回戦は明後日。時間は、あまりない。
「あたし、部室に残ってビデオ観てる。結果は明日のミーティングで報告するわね」
「俺も一緒にやらせてくれ。みづほの分析の仕方、教えてほしいんだ」
みづほの言葉に、根来がボソッと申し出た。
「俺も」
「俺も」
結局、全員が残って、遅くまで桜美のビデオを観ては意見を出し合った。
三回戦を長々と続けたのには訳があって、一年生だけ、わずか10人(実質9人)のチーム構成を考えると、ここで負けてもよいのでは……と散々逡巡した挙句の結果です。
栫さんは二年生なので、今後の登場もまだまだある予定です。




