シニア卒業試合の朝
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遠野みづほ。物心ついた時から隣同士の、いわゆる幼馴染。
二歳上の兄貴、俺、そしてみづほは、ガキの頃から一緒に遊んだり、野球を観に行ったりした。
そして中学三年の、今。
俺とみづほは、シニアクラブチームのチームメイトだった。
俺はショート、みづほはセカンド。中学一年の終わりから三年まで、レギュラーとして二遊間のコンビを組んでいた。
クラブチームは、高校やプロが使うのと同じ、硬式ボールで野球をする。
小学生のジュニアリーグ、中学生のシニアリーグがあり、全国規模、さらには世界規模の大会も行われる。
強豪クラブの中には、甲子園常連校にパイプを持っていて、高校野球の即戦力を育てると謳っているところも少なくはない。クラブ出身のプロ野球選手も、相当数いる。
幸か不幸か俺たちのクラブは、そこまでは強くはなかった。プロになった選手はなく、野球名門校にスカウトされた先輩も多くはない。
ただ、俺たちの代は史上最強に近いメンバーで、全国目前まで行ったことは、声を大にして言いたい。
中学三年の夏休みも終わりに差しかかっていた。
シーズンは既に終了し、今日は俺たち三年生がクラブを卒業する日。
クラブは俺たちのために、卒業試合を組んでくれた。
俺たち三年生が後輩と対戦する、最後の試合だ。
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習慣とは恐ろしいもので、6時前には目が覚める。
いつもなら、みづほと二人で早朝の走り込みをするが、試合日なので今朝は休み。
代わりに、半ば脊髄反射的にたらふく朝食を摂りながら、眠い体を徐々に起こしていった。
朝食が終わったか終わらないうちに、みづほが父親と一緒に我が家を訪ねてくる。
「お。今日は早いな」
眠気覚ましの手製エスプレッソを、鬼瓦のような顔をして飲んでいた親父が、カップを置いて玄関に向かう。
「お前も来いよ、千尋」
「うん」
玄関に向かうと、親父とみづほの父親が立ち話をしていて、みづほは既にユニフォームに着替えて父親の横に立っていた。
うなじを隠す程度のショートカットは、いつも通りにボンボンでふたつ結んで、ちいさなお下げにしてある。試合の準備は、もう済んでいるようだ。
「ちーちゃん、おはよ」
俺に気づくと、みづほはにっこり笑って、手をぴらぴらと振った。
「そうか……今日も仕事か。残念だな」
「いつも済まんな、秋山。みづほをよろしく頼む」
「なあに、俺とお前の仲じゃないか。そんなの気にすんなよ」
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自称スチャラカ社員の親父と、超エリート官僚の、みづほの父親。
ほんとに信じられないのだが……このふたり、唯一無二と言っても過言でないくらい、仲がいい。
わざわざ隣同士に家を建てたのも偶然じゃなかったらしい。
ふたりが野球のチームメイトで、中学高校とバッテリーを組んでいたことは、少しして知った。
親父がピッチャーで、みづほの父親がキャッチャーだったそうだ。
お袋もやって来た。
実はお袋もふたりと高校の同期で、野球部のマネージャーをしていた。
「遠野くん、あまり無理しないでね。自分ひとりの体じゃないんだから……」
「……ああ。それは分かってる」
父親が少し俯いて応える。
誰も、全部は口に出さないが、何のことかは誰もが承知していた。
みづほの母親は、既にこの世に亡い。父ひとり、娘ひとりの生活だった。
俺も忘れはしない……小学校低学年の頃、みづほの母親が病気で亡くなった時は、自分の母親が死んだかのように悲しかった。
親父たちふたりが人目もはばからず、抱き合って号泣していたのも覚えている。
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みづほは家に上がり込んで、居間ですっかりくつろいでいる。
父親はとうに、仕事に出掛けた。
放っておくと、お袋といつまでも喋っている。よく話の種が尽きないな、と思う。
実は、これも我が家では日常的な光景だ。父親が帰れない日は、夕食もしばしば一緒に摂った。
お袋と話しているみづほの横顔を、それとなく伺う。
真っ黒に日焼けしてはいるが、記憶の片隅にある亡くなった母親の面影に、どこか似てきたような気もする。
身長は164㎝と聞いた。中学の間に俺が追い越して、今じゃ俺の方がずっと大きい。
それに……体つきがずいぶんと女らしくなった。
今日が、みづほと野球をする最後の日かもしれない。
俺はその思いを、どうしても捨て去れなかった。
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俺の将来の夢は、野球強豪校に入って、甲子園に出ること。さらに行く先はプロ野球選手。
できることなら、高校でもみづほと一緒に二遊間を組んで、甲子園を目指したい。その気持ちは、かなり強い。みづほは優秀な二塁手で、俺との息もぴったりだった。
しかし。
みづほが女子、というのが問題なんだ。
高校野球では女子の公式戦参加が認められてない。女子というだけで練習試合がせいぜい、俺たちの住んでる東京都では、公式戦では試合前の練習で、外野へのノックが認められているだけだ。
みづほほどの才能なら、高校野球でも充分にやれるどころか、かなり活躍できるんじゃないか、と個人的には思う。
しかし、一介の中学生では、高野連の規約をどうやって変えたらいいのか、見当もつかなかった。
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「そろそろ時間だな、行こうか」
「はい」
「うっす、父ちゃん」
親父の声に、俺たちは用具をバンに運んでいく。
ジュニアの頃から、練習や試合の度にずっと、車で送り迎えしてくれた親父……マジで感謝。それも今日で最後になる。
用具運びでも、俺とみづほの息はぴったり合ってる。
ガキの頃から、みづほが父親の仕事でアメリカに行ってた三年間を除いて、ずっと一緒だったもんな。
野球一家だった、秋山家と遠野家。
兄貴の影響もあって、俺とみづほもジュニアの頃から野球をしていた。
ジュニアでは女の子も活躍の場があって、みづほはクラブでいちばん巧かった。
母親が亡くなり、傷心も癒えない頃に渡米。
日本に帰ってきたのは、中学一年の夏休み明けだった。
三年ぶりに再会したみづほは、俺よりも背が高くなり、なんだか女らしくなって、そして……真っ黒に日焼けしていた。
「ちーちゃん、野球やってる?」
それが、久しぶりに聞いたみづほの第一声だった。
以前より構想にあった題材ですが、女子野球やソフトボールで頑張っている選手たちを目の当たりにするにつれ、敢えて高校野球に挑戦する話は、彼女たちに失礼なのではないか、とも思うようになりました。
女子野球、ソフトボール、その他の競技をディスるつもりはさらさらありません。
そのことは追記したいと思います。