秋から冬へ
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日が暮れるのがめっきり早くなり、涼しくもなった。
制服もいつしか冬服に変わっていった。
俺たち三年生は、受験に向けて残り少ない中学校生活を送っていた……というのは、俺以外のヤツら。
野球で緑陵への推薦入学が早々と決まった俺は、塾通いのみづほたちを横目に、暇を持て余していた。
元々、シニアクラブも秋の大会が終わると、三月初めまでシーズンオフになる。
その間、俺たちは何をしていたかというと、体力作りだ。
俺の場合、学校の陸上部に入って、長距離ランナーをしていた。
だが、三年生も後半。陸上部もとうに、引退になった。
ちなみに、みづほは水泳部。
一緒に陸上部に入ればいいのに、とも思ったが、その理由が先日の体育祭で判明した。
みづほのヤツ、校内女子の誰よりも足が速い……多分、陸上部の短距離エースよりも。
最後のリレーで、後続をぐんぐん突き放すみづほの走りを見せつけられて、ああ、腰かけ部員がエースの座を奪わないよう、気を遣ってたんだなと分かった。
ただ水泳部も真面目にやってたようで、都大会でクラブの試合を休んだことがあったっけ。
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そんなわけで、金はない、遊び仲間はいない、暇だけは存分にある、という結構な身分の俺は、さりとて怠けるわけにもいかず、余った時間を走り込みに使っていた。
早朝、みづほと一緒に5㎞。約30分。
放課後には16時半くらいから、約90分の走り込み。これだと20㎞は行く。
俺自身は、そんな毎日を送っていた。
ちょっとした朗報もあった。
千秋クラブの安田、根来のバッテリー。ふたりとも隣の中学に通っていたが、緑陵の推薦に決まったと連絡があった。
さらに、推薦からは漏れたが、外野手の志田も緑陵を目指すらしい。あいつは、すごい努力家だもんな。
この連絡は、安田からラインで俺、みづほ宛てに届いた。
>ほんと? すごーい。嬉しい!
みづほから早速レスが届いている。
推薦で行くのが、投手安田、捕手根来、遊撃手の俺。
受験組が、二塁手のみづほに、外野手志田はチームではレフトを守ったが、もちろんセンターもできる。
千秋のメンバーだけで、野球の根幹であるセンターライン(バッテリー、二遊間、センター)が完成する。
これを朗報と呼ばずして、何と言おう。
チームの背骨が決まって、戦える態勢は早くも整った。
>度会くんて人も、緑陵受けるんだよ!
>わたらいくん、て読むの。うちの軟式野球部のキャプテンだった
みづほのレスがどんどん続く。
塾は終わったのかな、余計な心配をする。
>早くみんなと、野球がしたい! 一日でもはやく!!
ああ、これは俺も同じだ。
野球したくてしたくて、たまらない。
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「えーっ、ちーちゃん野球できるのっ?!」
みづほが教室で、珍しく大きな声を上げた。
いきなりの大声に注目を浴び、一瞬ちいさくなるみづほ。
「……で。それ、どういうこと?」
一転して顔を近づけ、ひそひそ声で話す。
「緑陵の新グラウンドが、出来たんだってさ」
来年度、新設移転する緑陵高校は、現在鋭意工事中。
しかし冬になる前に、幸いにも野球部用のグラウンドは完成した。
完全に遊ばせておくのもなんだから、土日の昼だけでもグラウンドを使おう、とのことで、俺たち推薦組に声が掛かったんだ。
「あたしも行くーっ! 行く行く行くーっ!!」
みづほが地団駄を踏みはじめた。
「なあ、みづほは塾があるだろ?」
「そんなの休むもーん!」
「グラウンドはできたけど周辺施設はまだだ、ってさ。着替える場所、ないぞ」
「ユニフォームで行ってユニフォームで帰ればいいじゃん。あたしも野球、やるやるーっ!!」
ああ……こうなると手が付けられん。
仕方なく大屋監督に連絡してみた。返事は……
>みづほちゃん来るの? 大かんげーい!!
大屋さんもずいぶんノリがいいなあ……
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土曜になるのが待ち遠しかった。俺とみづほは自転車で、緑陵の新グラウンドに行く。
「こけら落とし、てヤツね」
みづほがこの上もなく、上機嫌だ。
ユニフォームにウインドブレーカーを羽織り、リュックに用具を詰め込んで張り切っている。
今日は久しぶりに野球が出来るだけじゃなく、緑陵の野球部スタッフ、さらには推薦入学予定の部員との初顔合わせも、兼ねていた。
推薦は安田、根来、俺で、まず三人。
野球推薦組は全部で五人なので、あとふたり。近くの中学校で軟式野球部に入っていた、と聞く。
そいつら未来のチームメイトと逢うのも、楽しみだった。
閑静な住宅街を越え、坂を昇ると、緑陵の新校舎が見えてくる。
山を新たに切り拓いたらしく、周囲には何にもない。グラウンドはその校舎から校庭を挟んだ隣にあった。
外野に芝が生えている。思ったより立派なグラウンドに、みづほが眼を輝かせている。
「わあ、すごーい……」
「秋山ー。みづほー」
向こうで手を振っているのは、安田と根来だ。二ヵ月ぶりなのに懐かしい。
「おー。久しぶりー」
もう二人の推薦組もいた。野口と松元。
野口はとにかく大きい。180㎝は優に越えている。内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーらしい。
松元は左利きで、一塁と外野。チームでは貴重な左打者になるだろう。
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集まった六人で準備運動をしていると、グラウンド脇に車が停まり、大屋監督が現れた。
「やあ、もう始めてるね。感心、感心」
助手席からもうひとり、若い女性が降りてきた。
監督と同じくユニフォーム姿で、スリムで精悍な顔つきの人だ。
髪の毛は肩まで伸ばしているが、身のこなしを見ると、きっと野球経験者なんだろう。
大屋監督が皆を集めて、自己紹介をした。
「えー大屋明弘です。34歳、子供がひとりいます。都立高校から大学まで野球をやって、大学野球のコーチをやっていました。高校野球を指導するのは初めてです」
次に、女性の方が大屋監督に促され、前に出た。
「野球部長兼コーチの水谷先生です、どうぞ」
「水谷智代です。今年の四月に大学を卒業して、先月から桜陽女子の体育教員に採用されたので、実は先生になって、まだ一ヵ月です。大屋監督と同じ大学で、女子野球をやっていました。大学ではトレーニング理論を専門にしていたので、皆さんのお役に立てると思います……それとね、みづほちゃん」
「はい」
水谷先生が、急に砕けた口調になった。
「みづほちゃんが緑陵に来てくれるから、大屋さんが『是非女性のスタッフを』って学校に要望を出したの。そしてあたしが呼ばれたのよ。よろしくね」
みづほが胸の前で手を組んで、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「あたしっ、女子の先輩って、野球で初めてなんです! 嬉しい!!」
いや……先輩じゃなくて先生なんだけど、な。
「うふふ……あたしも可愛い後輩ができて嬉しいわ。よろしくね」
早くもふたりの関係があやふやになっているが……ふたりとも歓んでいるので、誰も何も指摘しなかった。
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わずかな人数でのキャッチボールやティーバッティング、簡単な守備練習だったが……
野球って、やっぱりいいな。
楽しいかと訊かれると楽しいんだけど、俺的にはちょっと違う。何と言うか、野球をしてると、生きているという実感が湧いてくるんだな。
そう。野球なしの人生は、考えられない。
俺にとって野球とは、そんな存在だった。
みづほにとっても、きっと同じというか、それ以上のような気がする。
野球をするのが幸せで幸せで堪らないのが、傍から見ていても丸分かりだった。
それを見ていると、こっちも自然とニコニコしてくる。
指導しているふたりも、ほんとに嬉しそうだった。
一方で、硬式のボールに初めて触った軟式組は、そのスピードに戸惑ったようだ。
サードを守っていた野口が、二回連続でつまらないエラーをした。
一回めは捕球はしたが、お手玉に悪送球。二回めはステップが狂ってトンネル。
――俺には理由が分かる。みづほの守備を見たせいだ。
みづほの守備が華麗すぎて、それに釣られると自分のリズムでプレーできなくなるんだ。多分まだ、みづほ的には試運転くらいのレベルと思うが。
「野口くん」
大屋監督が野口を呼び寄せた。どんなアドバイスをするのだろう。
「野口くんは、今のエラーは何故起こったか、自分で分析できるかな?」
「はい。守備のリズムが狂いました」
お。野口こいつ、なかなかやるぞ。
「そう。今の野口くんのリズムはタッタッタッ、ていう感じかな……これがタッタッ、あるいはタタタッのリズムになると、野口くんはもっと巧くなると思う」
身振り手振りで、大屋監督が指導する。
「多分みづほちゃんのリズムに釣られたんじゃないかな。彼女のリズムはタタッか、時にはタッなんだよ……みづほちゃんの守備はホントいいお手本だけど、釣られないよう自分のリズムを掴もう」
「はい」
「松元くーん……松元くんは、みづほちゃんのリズムに早く慣れてね。ファーストは連携が必要だ」
「はい」
大屋監督……多人数ではどうなるか未知数だが、この時点では最高の監督だ。
緑陵を選んで、よかった。俺は心の底から、そう思った。
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練習時間はあっという間に過ぎた。
車座になって水分を摂りながら、みんなで反省会を兼ねて談笑する。
「不思議な感じだったなあ。みづほちゃんて、ひとりでフィールドの雰囲気を変える選手なのね。大屋さんが是非にと言った理由が分かったわ」
外野の守備に就いてた水谷先生が、感心したように呟いた。
野口と松元が口々に、うん楽しかった、今までにない感覚だったと言い、千秋出身の連中が、そうだよみづほって凄いんだよと自慢げに話す。
当のみづほは、照れたように頬を染めて俯いていた。
「あとどれくらい練習できるかなあ。11月最終週までの土日、この時間にグラウンドを開放します。自由参加でOKなので、来られる人で集まろう」
「はい」
一斉に返事する。
「雨天は中止、練習するかどうかは、当日朝に一斉メールで流します。それでいいかな」
「はい」
「それと、一般受験のなかに野球部志望者が、他にもいるんだって?」
「はい。度会くんに志田くんです」
「声をかけていいよ。スケジュールが合ったら、練習に来ていい、って」
「はいっ!」
度会も志田も、きっと喜ぶぞ。
明くる日の日曜日、緑陵グラウンド。
推薦組の五人は言うまでもなく、みづほはもちろん、度会と志田の姿も、そこにあった。
みんな、野球したくてウズウズしていたんだな……俺も、だったけど。
久しぶりの野球パート。緑陵高校のコアメンバーとなる人材が集結します。
部員の多くはスワローズにいた選手、スタッフの苗字をお借りしてます。
80~90年代の選手が多いなかで、捕手の根来くんだけが、古い年代の人。
金田投手とバッテリーを組み、400勝の陰の功労者と言われている方です。




