西東京大会決勝戦 (VS早田実業5)
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八回裏の攻撃前に、三たび円陣を組んだ。
先頭打者のみづほ抜きの円陣なので、俺と根来が中心になる。
逆転されても根来は冷静だった。
「――とにかく、ランナーを貯めよう。みづほが言ったように、追い込まれるまでは外のストレート狙い……だけど、実際には内に切れ込んで来る変化球を、どう処理するかになると思う」
田所さんにスイッチしてから、七人連続アウト。まだ明快な攻略法は見出せない。
「まだ、二回ある」
「おう」
「逆転するぞっ!!」
「おうっ!!」
キャプテンとして、こんなことしか言えないのが、歯がゆかった。
バッターボックスのみづほは、自らのアドバイスとは裏腹に、外のストレートは手を出さないだろう。
立て続けに同じボールを狙い打っていては、相手バッテリーに警戒されてしまう。
チーム全体のことを考えながらも結果を出してしまう。それが、みづほという選手だった。
外、外と突いてきたボール球には、案の定ぴくりとも動かない。
内に切れ込むスライダーでストライクをとった後、外いっぱいのストレートさえも、平然と見送った。
判定はストライク、2ボール2ストライク。
そして決め球に用意してあっただろう、膝元に沈んでいくツーシームを、肘を畳んで巧みに振り抜く。
コーン。
打球は、ほぼ定位置に守っていたレフトの前に、ライナーで転がっていった。
「みづほ、ナイスバッチ!」
田所さんの前にはじめてのランナーを出し、反撃の狼煙を上げる。
そして、俺の打順となった。
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前打席までの感触を思い起こしている。
綿貫さんとの対戦時、俺は、今までになく投球の行方が見えていた。
どこにボールが来るのか分かっていて、そこにバットを出せば届くような、不思議な感覚。
その感覚が今でも生きているのならば、間違いなく逆転のチャンスは広がるだろう。
早田バッテリーの配球は、外のボールを見せ球にして、内角のスライダーかツーシームで仕留めるのが基本のようだ。
4番の俺に対しては、長打を警戒するべく、外角のボールが多くなるだろう。
そういう予想はしていた。
この局面で必要なのは、ホームランよりもむしろ、出塁してランナーを貯めること。
俺自身が同点のランナーになって、繋ぎに繋いで、一気に逆転まで持っていくのが理想だろう。
そう思い、心持ちバットを短く持って構える。
初球は、外角のストレート。これはボール――よし、軌道が見えてる。球種も分かるぞ。
二球め、内に切れ込んで来るスライダー。タイミングを計りながら見送る。ストライク。
三球めはきっと外に投げてくるだろう、という予感があった。
今日の――と言うか、今の俺は冴えてる。きっと、そうなるだろう。
ゾーン内であれば迷いなく振って、右中間へ運んでくイメージで打とう。さあ、投げてこい。
田所さんがプレートを外し、一塁に牽制球を投げる。
ボールを受け捕りながら、ゆっくりと足でマウンドを馴らした。
セットポジションから投げた三球めは、低めに外れるスローカーブだった。
――なるほど。これを投げたかったから牽制を入れたんだな。
しかしこれなら、読みを変える必要はない。
2ボール1ストライク、外の速い球狙いだ。バットを握る手に、力が入る。
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バッティングカウント。さあ、勝負だ。
ところが田所さんは、またもみづほに牽制をしてきた。しかも、続けて二球。
一球めはゆっくり、二球めはフェイント気味に素早く。
みづほは女子にしては足が速いとは言え、そんなに大きなリードをとってはいない。
ランナーを気にする局面ではない筈だが――ああ、焦れる。早く投げてこいよ。
ゆっくりと間合いをとって、四球め。
読み通りに速い球が外角やや低めに来た――この球だっ!
コースはゾーン内、タイミングもバッチリ行ける。思い切ってバットを振った。
と、インパクトの瞬間、ボールがかるく沈んだ。
――やばいっ! ストレートじゃない、ツーシームだ!
軌道修正は行えようもなく、バットはボールの上っ面を叩いてしまう。
強い打球が二塁ベース寄りに転がっていく。セカンドの守備範囲だ。
ランナーのみづほは二塁フォースアウト、すかさず一塁に送球される。
必死になって走ったが、ボールは俺の手前でファーストに捕球された。
4-6-3のダブルプレー。
みづほが足掛かりを作った逆転のチャンスを、みすみす潰してしまった。
「みづほ――ごめん……」
ベンチに戻るみづほと目が合い、無意識に俯いてしまう。
みづほは俺に駈け寄ると背中をポン、と叩き、耳打ちしてきた。
「打ち急いでたね、ちーちゃん。田所さんは、そこを巧く突いてきた」
――そうだったのか。田所さんがしきりに牽制を入れてきたのは、ランナー警戒のためではなかった。
俺の、打ち気を逸らすためだったんだ……
それにしても、情けない。
確かに今日の俺は、ボールがよく見えていたし、読みもズバリ当たっていた。
しかし、それに慢心して、打ち急ぐ心を田所さんに利用され、結果的に手玉に取られてしまった。
野球は、相手がいるスポーツなんだ。
そのことを忘れ、自分の思い通りに事が運ぶものと信じ切ってた、俺は大馬鹿モンだ。
うまく行ってる時こそ、細心の注意を払って臨むべきだった。
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この後のことは、正直、うっすらとしか記憶にない。
九回表。竹本も早田実の勢いを抑え切れず、絶望的とも言える追加点を献上する。
3点ビハインドで迎える最終回は、下位打線。
ワッと歓声が上がり、気付いた時には、俺はベンチに座っていて、1アウトから代打の度会が、意地のヒットで出塁したところだった。
しかし竹本の代打の梶本、次いで志田が打ち捕られ、3アウト。
4対7。試合終了。
俺はベンチ前に立って、マウンドに集まって歓喜する早田実の選手たちを、呆然と見つめていた。
「君たちは、本当によく頑張ってくれました」
閉会式も終わり、大屋監督は俺たちを集め、負けた悔しさに唇をギュッと噛みしめ、眼を潤ませながら話しかけた。
「創部二年目で都大会準優勝。この結果には、君たちは充分に胸を張っていいと思います。今日の敗戦では、あのワンプレーが、あの一球が……と悔やむ気持ちはあるでしょうが、その場その場では、君たちは最善を尽くした、と断言します。最善を尽くして、この結果なんです」
「監督……」
「悔しいです……」
すすり泣きとともに、ナインから声が聞こえる。
監督は涙を拭く仕草を見せたが、すぐに俺たちを見渡して、優しく語りかけた。
「――敗戦の中にこそ、君たちが成長できるヒントが隠されている筈です。明日はゆっくり休んで、どうすればよかったのか、君たちに足りないもの、出来ることはなにか。明後日に検証して、今後の糧にしましょう」
大屋監督は洟をすすり、一瞬だけ間を置いた。
「――そして、今度こそ甲子園に行きましょう」
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家族揃った夕食時、誰もが言葉少なだった。
「惜しかったな」
親父が一言、話しかけたその言葉に、すべては集約されていた。
「ああ」
親父も中学高校大学と野球をしてきた人間だ。敗者にかけてやる言葉なんて存在しないのは、重々承知している。
テレビではスポーツニュースが流れ、気を利かした親父が消そうとするのを、みづほが押し留める。
「パパ、テレビ点けてて。負けた試合こそ、しっかり観なくちゃ」
女子選手が甲子園に出るかも知れない試合ということで、俺たちの試合は全国的にも相当な注目を集めていたらしい。
俺のグラブを弾いた大木さんの内野安打、清田の劇的な逆転満塁ホームラン。俺たちが敗れた瞬間が、これでもかと言うほどに、映像になって流れていた。
そして何度も、俺たちは決勝戦で負けたんだという事実を、胸に刻み込まされた。
「おやすみ……」
うなだれたまま、部屋に戻る。
ドアを閉めてひとりになった途端、後から後から涙が溢れて止まらなくなった。
――俺たちは、負けたんだ。
あの時、大木さんの打球を俺が捕っていれば。
最後の打席、もっと慎重になって相手に向かっていれば。
今日負けたのは、俺のせいだ。
とても眠れそうにない。
服も脱がず、ベッドに腰かけたまま頭を抱えて、俺はいつまでも泣き続けた。
*
――コン……コン。
どのくらい経ったのだろうか。ドアをノックする音がした。
「……ちゃん。ちーちゃん? もう、寝た?」
みづほの声だ。
ギイ、と部屋のドアが開いて、みづほが照れくさそうに顔を出した。
少し泣いた後のようだ。
「よかった――起きてた」
部屋に入ってきたみづほは、薄紫色のワンピースのパジャマに着替えていた。
「あたしも、眠れないの」
「ちーちゃん……ちーちゃんも、泣いてたの?」
頭を抱えたままの俺を、首を少し傾げて覗き込むみづほ。
俺の中で何かが、プツンと音を立てて、切れた。
「みづほっ!」
俺は座ったまま、みづほの背中を強く抱きしめ、その胸に顔を埋めたまま、号泣した。
「きゃっ」
みづほは一瞬、身を固くしたが、やがて俺を抱きしめ返し、俺の頭を優しく撫でた。
「ちーちゃん……」
みづほの柔らかな体の感触が、優しい心が、ダイレクトに伝わってくる。
後で冷静になってみれば、みづほのパジャマの下は裸なんだから、我ながらとんでもないことをしたもんだ。
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「俺の……せいだ……」
「えっ?」
「負けたのは、俺のせいだ……俺が、大木さんの打球を捕っていれば……俺が軽率な打撃で、ゲッツー食らってなければ……」
嗚咽しながら、必死に言葉を絞り出す。
「馬鹿ね。そんなわけ、ないじゃない……」
みづほが俺の頭を両手で抱えて起こし、瞳を合わせる。みづほの頬にも、涙の筋が光っていた。
そしてみづほは、ほんとに自然な動作で、再び俺を抱きしめながら、頬ずりをしてきた。
「それを言ったら、さあ……あたしだって、そうだよ?」
湿った頬の感触とともに、至近距離からみづほの囁きが聞こえる。
「えっ? みづほこそ、何もミスはしてないだろ……」
「ううん、ノーアウト一三塁からの犠牲フライ。あたしは慌てて点を取ろうとしないで、後ろを信じて繋げばよかった……アウトにならない方法なんて、あの時はいくらでもあったんだから――あれで勝てると思った、あたしの判断ミスよ」
「いや、それはちょっと自分に、厳しすぎやしないか?」
「だ・か・ら。ちーちゃんの言ってるミスも、あたしのそれと同じレベルよ……今日の敗けは、ちーちゃんのせいなんかじゃない。それだけは言えるわ」
「みづほ……」
俺たちは頬を寄せ合い、抱きしめ合って、泣き明かした。
ふたりの涙が混ざり合って、頬を伝っている生温かいものがいったいどちらの涙なのか、もはや分からなかった。
俺のことを心の奥まで分かってくれる、かけがえのない相棒。
今夜、みづほが傍に居てくれることに、ただただ感謝した。




