西東京大会決勝戦 (VS早田実業)
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決勝戦の朝も、抜けるような蒼空だった。
「俺、こんな幸せで、いいのかなぁ」
朝食の席で、感慨深そうに親父が切り出した。
「去年は海斗が甲子園出て、プロになって。今年は今年で、千尋とみづほちゃんが、決勝まで行くなんて。父ちゃん嬉しくて、どうにかなっちまうよ」
「パパ。あたしたちは、まだ終わってないの。これからなんだから」
どこか浮ついた調子の親父を、みづほが穏やかにたしなめる。
「ああ、そうだな――うん」
親父はそう言ったきり口をつぐみ、これ以上ないくらいに目を細めながら、俺とみづほを代わりばんこに見つめ続けた。
学校で逢う部員のみんなは、一様に引き締まった表情をしている。
どこか緊張の色は隠せず、俺も同じなのかな、とつい思ってしまう。
「安田、腕の調子はどうだ? 肩に疲れはないか?」
珍しく試合前日、ノースローだった安田に訊いた。マッサージした青柳さんによれば、どこも傷んでる様子はなかったそうだが。
「うん、大丈夫。準決勝の後、少し重かったから大事をとってみただけだよ。充分に温めてから投げてみる、不安はないから」
――安田との付き合いは長いし、ヤセ我慢する性格じゃないのも知ってる。それでも念を押したくなるのは、やはり初めての決勝戦という、重圧なんだろうか。
球場入り。
見慣れている筈の神宮の杜球場が、いつもより存在感を増してそびえ立っている。
俺たちは一様に、どこか言葉少なだった。
みづほの方を見ると、軽い集中モードに入っているらしく、黙ったままのその表情からは何かしらの感情を窺い知ることは出来なかった。
勝てば優勝、甲子園。
大一番に向けて、俺たちはこれから闘う。
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じゃんけんに勝った緑陵は後攻を選択した。スタメンは以下のとおり。
1(中)福富
2(三)船田
3(二)遠野
4(遊)秋山
5(右)松元
6(一)野口
7(捕)根来
8(投)安田
9(左)志田
準決勝と同じで、大屋監督はこれがベストオーダーという考えなんだろう。
早田の先発は、予想どおり綿貫さん。大木さん、清田をはじめ、ベストメンバーと思しき面々が名を連ねている。
シートノックのために俺たちがグラウンドに出てくると、スタンドから一斉にワッと拍手が飛んできた――驚くほどの数の観客だ。
いちばん見違えるようだったのが、緑陵の応援スタンド。準決勝まではまばらで、一般の方たちがほとんどだったのに、全校とまではいかないが緑陵の生徒たちで席がほとんど埋められている。
もともと女子高だったから、野球への関心は高くなかったが、さすがに甲子園間近ということで駆けつけてくれたのだろう。
女生徒がほとんどなので、スタンド全体がなんだか華やかだ。
本業の部活の合い間を縫って結成してくれたのだろう、ブラスバンドにチアガールの姿もあった。
「すごいね。こんな応援してもらうの、初めてだね」
みづほが軽く微笑んでキョロキョロしている。観客席からみづほを呼ぶ声がして、それに少し手を振って応えると、「キャーッ」と割れんばかりの黄色い声が返ってきた。
「すごい人気だな、お前」
「あーっ、びっくりしたーっ」
明らかにたじろいだ様子のみづほは、少し可愛かった。
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そうして始まった決勝戦。
一回表は、早田実業の攻撃。1アウトからヒットで出塁され、2アウト一塁で4番の大木さんを迎えることになった。
基本プルヒッターだが流し打ちも出来るバッター。しかし、アキレス腱の怪我から復帰したばかりで、あまり走れない。
ショートの俺は、目いっぱい深めに守って、少し三遊間ケアに意識を置いた守備をするのが基本。ただしそれも、安田の投げるボールによって微妙に変化していく。
みづほの出す守備体系のサインが、一球ごとに変化する――といっても、あからさまな守備位置の変更はなく、予測される打球に対する意識や、踏み出す一歩めを決める、そんなサインだ。
急激な位置取りの変化は、それだけで安田の投げるコースを相手に看破されてしまう。そんなレベルの打者を相手にしている気構えは充分にあった。
大木さんは三球めのインロー、緩いストレートを強く引っ張った。三遊間に地を這うようなゴロが飛んで来る。
俺は飛びついて、ボールを地面に押さえつけるようにして捕った。
「ファースト!」
根来の指示が飛ぶ。セカンドは間に合わないらしい。
素早く立ち上がり踏ん張って、三遊間のいちばん奥深くから渾身のボールを送る。
タイミングは際どかったが、判定はアウト、チェンジ。
大木さんにとっては、失敗の部類に入る打撃だろう。
あの打球でアウトになってしまう現在の大木さんの足では、内野ゴロはノーチャンス。
となると、何がなんでも内野の頭を越す打撃を心掛けるか、せめて四球で後続の清田に繋げるべきだった。
ただ、安田の特にストレートは、球速が遅いせいもあり、一見打ちやすく感じる。
クセ球に引っ掛かってボールの上を叩いてしまった、というのが実情だろう。
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一回裏、緑陵の1、2番、福富と船田は、いつもの方針で打席に就いた。
出来るだけ球数を稼ぎ、みづほに含めたベンチに情報を与える方針だ。
ミーティングでの予想どおり、綿貫さんはカーブやスライダーを駆使して、相手打者を幻惑する配球だった。
時折放られるストレートも、微妙に変化しているのが見て取れた。
二人とも打ち捕られたが、合計で11球投げさせた。
ベンチ、そしてみづほに送る情報としては充分な球数で、その意味では大切な仕事をこなしたと言える。
そして、スタンドから黄色い歓声と割れんばかりの拍手を受けながら、みづほが右打席に立った。
2アウトランナー無しだけど、トランペットのチャンステーマっぽいファンファーレが響く。
そうだよなあ。うちの応援団、野球の応援するの初めてだもんな。
でもスタンドを見ると、みんな楽しそうなので、こちらも気持ちが浮き立ってくる。
みづほは、二球めのスライダーにバットを合わせてきた。流し打って、ファウル。
タイミングを確かめるように、数回素振りをしてからボックスに戻る。
プレイ再開。綿貫さんの投球は縦横無尽にホームベース上を駈け巡ってるように見えた。
そして2ボール2ストライクからの五球め、またも外のスライダーを振ってきた。
ちょこんと合わせた打球は、セカンドの頭上を越える。ライトが前進に前進を重ね、地面すれすれでキャッチした。好プレーに、スタンドから拍手が湧き起こる。
三者凡退、3アウトチェンジ。
「予測したのより、さらにボールが外に来たね」
グラブを受け取りながらみづほが呟いた。
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二回表、早田の攻撃は、注目の一年生、清田から。
早田側の応援のボルテージが上がる。
マウンドの安田は、ミーティングの時とは裏腹に、自信を持って投げてるように見えた。
ポンポンとストライクを取り、1ボール2ストライクからの四球め。
安田は、リリースポイントをわざと遅らせて投げてきた。
練習では何度か投げてきたが、おそらく実戦では初めて。帝山の櫻田に対する超クイックを思い出した。
予測よりも遥かに遅くやって来るボールに、清田は手が出ない。やや甘いコースだったにも関わらず、見逃しの三振。早田のスタンドが、ため息に包まれる。
変則フォームの安田の投球は、左打者にとっては想像以上に見え辛いのかもしれない。それを証明するような打席だった。
ただ――タイミングさえ合えば、簡単に持ってかれるコースのようにも思えた。
次の打席では通用しないかもしれないが、この打席を抑えたのは、大きい。まず1アウト。
ところが、6番の関さんの打席。
カキーン。
ほとんど出会い頭だった。
初球の、よくコントロールされたカーブだったにも関わらず、フルスイングでタイミング良くすくい上げられる。
打球は軽々と左翼フェンスを越えていった。
早田実業、先制。
――そうだよな。確か関さんは、春季では4番を打っていた人だ。
安田は、緩急や球種の引き出しをどんどん増やすことで、こうした出会い頭の一発を可能な限り防いできたのだったが、残念ながらゼロに出来るわけではない。
それなりにパワーのある打者なら、タイミングとスイングが合ってしまえば、簡単にスタンドまで運ばれてしまうのが、技巧派の哀しさだった。
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1点を追う二回裏は、俺の打順から。
ストレートを見せ球に、カーブとスライダーで打ち捕る組み立てなのは、一回の攻撃時でだいたい分かった。
――問題なのは、決め球のカーブとスライダーを攻略する明確なビジョンが、まだ出来てないんだよな。
道はふたつ、かな。
追い込まれるまではストレートを待って、思いっ切り叩くのが、ひとつ。
もうひとつは、みづほのしたバッティングだ。外のスライダーを逆らわず、流し打つ。さっき見たばかりなので、それなら容易にイメージが湧く。
まずはストレートを狙い打とう。そっちの方が、長打になる可能性がある。
一球めは、カーブでストライク。内寄りから、グインと外角いっぱいに曲がってきた――キレも変化も凄いな。
ストレートが狙われやすいのも相手は承知の上で、ワンバウンドしそうな程に、低めに外してきた。1ボール1ストライク。
三球めは外角に速いボールが来る。ストレートか――いや、外に逃げてくスライダーだった。ストレートのタイミングで手を出してしまい、空振り。これで追い込まれる。
参ったな。これは出来るだけ粘って、ボールをよく見るしかないだろう。
ボールになるカーブを見送って、第五球め。
おそらく決め球になるだろう――予想どおり外目のスライダー。ゾーン内なので、逆らわず流し打つことにする。
カーン。
軽打だったが、意外に打球は伸びた――いや、伸びすぎた。少し前に出たライトに捕られ、1アウト。
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「惜しかったな」
「ああ。スライダーだけじゃない。カーブも結構キレてるぜ」
次打者の松元と短い会話を交わす。
「――ちょっと、確かめてみたいことが、あるんだ」
すれ違いざまに、松元がボソッと呟いた。
左バッターの松元が、バッターボックスの本塁ベースぎりぎりに立って構える。
ミートが巧く、内角の捌きも苦にしないヤツだが――あれだと、内のボールは半分捨てることになりそうだ。
「松元くん、やるぅ」
ベンチでは、松元の意図を早くも察したらしく、みづほが感嘆の声を上げていた。
「松元くん、綿貫さんのスライダーを封じてるの――綿貫さんね、スライダーが曲がりすぎるのよ。松元くんのあの位置だと、デッドボールを覚悟しなくちゃいけないね」
みづほの説明で、松元のやってることを理解する。
「で、綿貫さんは基本、シュート系のボールを持ってないから……松元くんの場合、カーブを待って、呼び込んで打てばいい――」
カキーン。
クロスファイア気味に内角に入ったカーブを、松元が巧くライト前に運んでいった。
みづほが早速、左バッターの福富のとこまで行って、グラウンドを指差しながら、しきりに耳打ちしていた。
綿貫さん攻略の、糸口になってくれれば、いいが。




