西東京大会決勝戦・前夜
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いつもの習慣で、朝六時には目が覚める。
明日はいよいよ、甲子園出場を賭けた決勝戦。
ここまで来られたという感慨と、もっと先に行きたいという強い思いが、同時に胸に去来する。
窓の外を見ると、みづほがもう起きていて、パジャマ姿に突っ掛けを履いて庭に出ていた。
新聞を取りに行ったついでなのだろう。その新聞を片手に鼻唄混じりといった雰囲気で、庭の花や、人通りのない道路や、抜けるような真夏の蒼空を見渡している。
みづほ愛用の、いつもの袖なしワンピースだった。夏向きなのかスカートは膝上まででやや短い。剥き出しの腕と太腿が、朝陽に眩しく映った。
庭の真ん中でみづほが、いかにも気持ち良さそうに、頭に腕を組んで大きく伸びをした、その時だった。
風がサッと吹いて、みづほの髪を優しく撫でる。
と同時にその風で、ワンピースのスカートがふわりと、信じられないくらい大きく浮き上がった。
ほんの一瞬の出来事だった――背中を向けたみづほからは、白い裸の尻が丸見えになってた。前がどうなっていたかは、ちょっと考えたくもない。
風の悪戯は、みづほの伸びが終わった時にはあらかた已んでて、今や少し浮き上がったワンピースの裾を気にする素振りを見せる。
そして俺の気配に気づくと、屈託のない笑顔でこちらに手を振った。
この様子だと、スカートの中が丸見えになっていたのは、幸か不幸か知らないようだった。
手を振って応えた俺の顔は、きっと真っ赤になっていただろう。
あんなカッコで外に出るなよ、とも思ったが、それはさておき――さしあたっての問題は、俺のパンツの中身だ。
朝の生理現象でもともと元気だったのが、みづほのせいで、一向に収まる様子がない。
参ったなあ……これから練習なのに。
「――しずまれ、しずまれっ……」
逆効果な気もしたが、俺はベッドに座って、パンツの上から下腹を叩き続けた。
「おはよ、ちーちゃん。今日も暑いね」
居間では、みづほがパジャマ姿のまま、にっこりと俺に微笑みかける。
「お、おう……おはよう」
パジャマの下に何も着けてないと知った今、俺はみづほを直視することが出来なかった。
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学校ではまず始めに、恒例のミーティングを開いた。議題はもちろん、明日の相手、早田実業の解析と対策である。
進行役のみづほから告げられる数々の事柄は、どれもこれも緑陵の苦戦を予想させるものばかりだった。
「えーと、さ。要するに――投打ともに、春どころか、練習試合の時とも全然別のチームになってる、てことだよね」
まず、投手の綿貫さんが急成長。以前はリリースポイントが一定せずコントロールに難があったが、今大会では、その悪癖が鳴りを潜めているという。不規則な変化をするストレートが最大の武器で、手を焼いた記憶がある。
「春は、動くストレート頼みの配球だったろ? 今さ、ストレートの割合が半分以下なんだよ」
根来がボソッと、しかしはっきりと呟いた。
「リリースポイントが安定したせいだと思うんだけど――カーブとスライダーがさ、思いっ切りヤスダってるんだ」
根来が言及した「ヤスダる」は、緑陵野球部固有の五段活用型動詞であり、とにかくボールがえげつなく変化することを指す。
「相変わらずシュート系は少ないんだけど、それを補って余りあるわよね――特にスライダーはストレートと同じ球速でヤスダってくるの。はっきり言うわ、綿貫さんは春とは別人よ。右の安田くんを相手にすると思って過言じゃない」
「右の、安田――」
「そんな希少種が、同じ東京都に生息してたとは……」
「安田みたいな特別天然記念物、他にいたのかよ……」
「おーい。俺はどこのレッドデータアニマルなんだよ」
安田の抗議は実る筈もなく、ミーティングは続けられた。
「えっ、対策――? そうねえ……ボールをよく見ること、かなあ。結構グネグネ曲がって、面白そうなんだけど」
――みづほ目線だと、そういう表現になるのか。
「うーん……強いて言えばストレートを狙うのが、いちばん可能性が高いかも。多少芯を外しても飛ぶくらいに、強く振るイメージで」
現在の早田投手陣は、綿貫さんとエースの田所さんが軸で、綿貫さん先発、田所さんリリーフのパターンで勝ち進んでいる。
エースの田所さんは、左のオーバースロー。上背はないが、最速140㎞/hのストレートを持っている。
「スライダーがキレてる時は絶好調の印ね――明王戦がそうだった。田所さんも落ちるボールを持ってる。シンカーじゃなくて、カーブとツーシーム。変化は大きくないから、ストライクになる時があるから注意するのと、しっかり引きつけたら狙うのも可能。カーブとツーシームで軌道が違うから、気をつけること」
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打撃面では、主砲がなんと二人も増えた。
「まずは、評判の新人から行きましょうか」
ビデオは話題の一年生、清田の打撃を映していた。
「清田って、シニアの同学年では有名でしたよ――世界選抜にも選ばれてます」
船田の言葉に、一同が肯く。
「――なんて、柔らかいのに力強いバッティングなの……リストが強いうえに使い方も巧い。体も大きいし、これだけ筋肉あると遠くに飛ばせるよね。いいなあ……」
みづほが無いものねだりをしている。
「みづほだって、結構筋肉あるわよ。バランスがいいから目立たないだけで」
青柳さんが口を挟み、それにこころが同調する。
「そうですよ。あたしは逆に、みづほさんの体が羨ましいです。特に腰周りからお尻にかけて、動くとモリッて筋肉が浮かび上がるんですよね」
ああ、あれな。今朝見てしまったばかりなので、鮮明に記憶が甦る。
「それとさ、男どもは分かんないだろうけど、下腹がすごく締まってんの。みづほの裸って彫刻みたいに綺麗なのよ」
「キコ、もうそのへんで……」
「そうよねー。裸にしてそのまま台座に乗せて、校門前に飾っときたいくらい――」
「ストップ、ストップ。これから練習あるんだから」
度会が苦笑しながら女子たちを制止する。
童貞(多分)高校生男子の集団にとって、少々刺激の強い話題になってしまった。
「コホン」
茹でダコみたいに顔を真っ赤にしたみづほが、咳払いをする。
「――続けるね。清田くんは自分のスイングをしっかり持ってて、しっかり捉えられると半分以上が長打。逆に、自分のスイングをさせなければ抑えることは可能……バッテリー組との話でそういう結論になりました」
「そういうこと。簡単に言えば、タイミングをずらす。安田の場合、緩急を使うのと、リリースをずらして投げるボールを持ってるから、それで勝負する――清田がみづほみたいな『眼』を持ってたら、それさえ通用するか分からないけど」
根来がいつになく、饒舌だ――それだけ一筋縄でいかない相手、ということなのだろう。
「西井も緩急とコースが基本だね。竹本は、純粋な力対力の勝負にはしない方がいい。キャッチャーのリードを信じてくれ。今はそれしか言えん」
「お――おう」
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「で。今の早田は、清田くんだけじゃないの――4番の大木さんて、春には居なかったよね」
噂では怪我で戦列を離れていたのが、最後の夏に間に合ったらしい。
「4番の大木さん、5番の清田くん。非力だけどバランスの取れてた打線に、ふたりの長距離砲が加わって、一気に厚みを増したのが、早田の打線なのよ」
「左右の二枚看板、大木さんに清田が大きいのを打つから、上位打線は彼らに繋げるバッティングに専念できる。ふたりをどうにか抑えたとしても、下位打線には春のクリーンアップを打ってた選手が控えてる――厄介だぜ」
現に早田は、準々決勝で強力打線の大日三に打ち勝ち、準決勝では、明王の河原さんを9安打3得点と攻略している。大会屈指の好投手と呼び声高く、春の大会ではうちは、河原さんから2安打しか打てなかった。
「具体的に言うとね――大木さんに清田くんは、ほぼ全打席ホームランを狙ったバッティングしてるから、追い込まない限りは、内野ゴロで打ち捕るのは難しいと思う。外野の腕の見せ所なのと、内野は頭を越す打球のイメージも入れといて」
堅守を信条とする緑陵においては、各バッターのデータと傾向は、重要な要素を占める。それと安田の投げるボールによって細かなフォーメーションを組むので、みづほのファインプレー連発はけして偶然の産物ではない。
「このふたり、逆方向にも打てるよね」
「うん、そういうフォームしてる――守備位置は結構流動的になると思うから、当日はサインの確認お願いね。今日の練習は、フォーメーションのおさらい、ひとつひとつ潰していきましょ」
「――やるか……全部?」
みづほの発言が何を意味するかというと、今から二時間は、まったく気の抜けない守備練習を行うということ。
「やらないで後悔はしたくないわ――監督、どうですか?」
「試合前だし、エンドレスはよくないな。二時間リミットで、30分ごとに休憩を入れよう」
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「ただいま」
「今日は遅かったのね――みづほちゃんは?」
「いつもどおり『うさぎや』で女子会してる」
午前の練習は結局丸々守備練に費やされたので、そのまま打撃練習に移った。
その後、遅めの昼食休憩をとって、調整に専念した。安田は連投で疲れているのだろう、今日はノースローを貫いた。
夕方にはみづほも戻ってくるだろう。
夜になり、部屋のドアをノックする音がした。
「入って、大丈夫?」
みづほの声だ。入浴前らしく、幸いにも部屋着だった――パジャマ姿だったら今朝のこともあったので、ちょっと平静でいられる自信がなかった。
「――早田のビデオ、ずっと観てたの?」
「ん」
みづほは短く答えるとベッドに座ってた俺の隣に腰かけ、ノートを広げた。
ビデオを観て確認した、相手のバッティングの癖や傾向を元に、二遊間の動きや連携を一緒にチェックしていく。
隣同士だった昨年度までも度々やってきた事だが、こうして一緒に住むようになってから、この直前ミーティングの頻度と時間が、格段に増えた。
もちろん、野球ではすべてが予測通りになる筈はないし、正直、一瞬先は何が起きるか分からない。
ただ試合中、守備のサインは、みづほか俺が間違いなく出すことになる。明日は例外を除きみづほが100%近く出すことになるだろう。
その時、サインを出したみづほ(或いは俺)が何を考え、何を想定しているかをお互いに知っておくことが非常に重要で、むしろこれがミーティングの最大目的だ。その結果、あらゆる局面に対して、互いの行動を予測することが可能になり、こちらの初動もスムースになる。
こうして今夜も、俺とみづほは考えを述べ合い、一心同体の二遊間になる。
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次第に夜も更け、ふたりのミーティングも熱を帯びてきた。
明日は大事な決勝戦。時間も限られているので、矢継ぎ早に会話が交わされる。
そうなってくると――みづほが、どんどん俺に距離を近づけてくるんだ。
今にも頬がぶつかりそうだし、胸も太腿も当たってくるというより、もはや擦りつけているレベル。
野球ではあんなに「見えて」いるのに、ここまで無防備&無自覚なのは不思議としか言いようがない。
――俺だって男だからさ。変な気を起こさないって保証はないよ?
「大木さんの弾道は高く上がって、清田くんはライナー性が多い――当然打ち捕った打球も違ってくるから、その対処は……」
みづほの息が、すぐそこに掛かってくる。ノーブラなのも既に分かっていた――胸のポッチが当たる感触は、白状すると初めての経験じゃなかった。
「これでお終いで、いいかな――あら。ちーちゃん、顔が赤いけど大丈夫?」
「大丈夫だよ……」
野球の集中から解き放たれたみづほから、慌てて体を離す。油断してるとおでこをピタッとくっ付けてくるので、当然の避難行動だ。
「いっけなーい、もうこんな時間……ちーちゃん、お風呂もう入った?」
大事な試合すぎて、ミーティングが長引いてしまった。いつもの就寝時間は過ぎてしまっている。
「いや、まだ――急いで入って寝ないと、な」
「じゃあさ、じゃあさ、一緒に入ろ? そっちの方が時間が節約――」
「落ち着け、みづほ」
こいつ、本気でそんなこと言ってやがる。
冗談じゃない。
明日は大事な大事な決勝戦、その前にみづほの裸とかで、自分自身をこれ以上消耗させるわけにはいかないだろう。
それに――みづほと風呂に入ったなんてお袋の耳に入ったら、多分俺の命が危ない。
「みづほ」
みづほの両肩に手を置いて、やっとの思いで自制を利かせつつ、声を絞り出す。
幸い、真夏の暑い夜だ。
「俺が5分でシャワー浴びてくるからさ、みづほはその後で――それなら、いいだろ?」
少しの間きょとんとしていたが、何とか納得してくれたようだ。
「そうね、あたしもシャワーでいいや。あたしの方が長くかかるし、じゃあちーちゃん、お先にどうぞ」
ふう。
速攻でシャワーを浴び、みづほを呼びに行く。
練習の程よい疲れもあり、スッと眠れそうだ。
「みづほちゃん! 何度言ったら分かるの、裸で家の中を走らないっ!」
「ごめんなさーい! また着替え持ってくるの、忘れたー!」
ドアの外で聞こえるお袋とみづほのやり取りを子守唄にして、眠りについた。




