西東京大会準決勝 (VS都立目野5)
*
七月末の午後の太陽は、眩しくグラウンドを照らし、勝負の大詰めに神宮の杜球場全体が、沸騰したように熱くなっていた。
スタンドだけでなく、両ベンチまでもが声を涸らし、どちらか或いはどちらもに声援を送り、またある者は俯いて祈りのポーズをとり、ギュッと眼を閉じたまま固まっていた。
そんな中で、マウンドの村田さんは無表情で渾身のストレートを投げ込み、みづほが冷静にボールの軌道を見極め、静かな勝負が繰り広げられている。
ストライク、ボール。
主審が判定する一球一球毎に、球場が一斉に沸き返る。
三球め、ベルト付近の甘いコースに速い球が来た。
来たぞ! ヒッティングコースだ。
行けっ! みづほっ!!
小さなテークバックから巻き込むようにバットが回ってきて――
え? バットが止まった。見逃しストライク。
「タイム、お願いします」
みづほは一呼吸置くため、ロージンを取りに、ネクストサークルの俺のとこへやって来た。
「どうした? あのコースは、みづほなら打ち頃だろ?」
ロージンを渡しながら、話しかける。
「ツーシームよ、速球系の。あのままバットを出してたら、芯を外されてた……まだあんなの隠し持ってたなんて――」
「凄いわ、ゾクゾクする」
グローブをしてない右手を滑り止めで真っ白にしながら、みづほが嬉しそうに呟いた。
なるほど。速球系のツーシームは、いわば動くストレート。さっきまでの感覚でバットを振っていたら、おそらくボールの上を叩いて内野ゴロに打ち捕られていただろう。
今まで村田さんが投げていなかったのは、まだ完成してない球種だったのか、秘密兵器として隠していたのか。
多分前者だろうが、この土壇場で、充分に有効なボールとなった。
「もっと引きつけて……ボールをよく見て……」
既に解答は得ているのだろう、二三回素振りをしながら、みづほがバッターボックスに戻っていく。
*
プレイ再開。カウントは1ボール2ストライクと、追い込まれている。
感覚を確かめるように、見送りボールを挟んで、ファウルを二回続けた。
心なしか、若干振り遅れているように感じる。多分、ボールを引きつけて打つ目的で、急遽バッティングポイントを意識的にずらしているのだろう。
2ボール2ストライクからの七球め。
渾身の速球が、アウトローぎりぎりを狙って投げ込まれる。凄くいいボールだ。
しかし、このコースこそが、みづほの狙っていたボールだった。
ツーシームだったような気がする。
充分に踏み込んだ後に、バットをコンパクトに逆らわず、しかし強く振る。ボールが少し落ちたところを真っ芯で捉えたのが、インパクトの瞬間、分かった。
カーン。
木製バット特有の乾いた快音を残し、きれいな放物線を描いて、打球は右中間を真っ二つに破った。
諦めずに必死に追い掛けた外野がボールに追いついた時には、二塁走者の志田が快足を飛ばして、既に本塁を駆け抜けていた。
3対2、緑陵のサヨナラ勝ち。
みづほは、一二塁間のハーフウェイで志田のホームインを見届けると、その場で何回もぴょんぴょん飛び跳ねて、喜びを爆発させた。
弾けるような笑顔が、みづほにようやく浮かんでいた。
一塁ベースコーチの有沢がみづほに向かって走って行き、かるく抱き合いながら、みんなの待つ本塁前に戻って来る……
後述するが、みづほのこの一連の行動は、各方面から微笑みをもって軽いお叱りを受けた。
*
試合後の整列。
敗れた目野ナインは、泣き崩れる者、涙をこらえる者それぞれだが、ほぼ例外なく眼を真っ赤に腫らしていた。
「ありがとうございましたっ!」
帽子を取って礼をした後、主将の若林さんと握手を交わしている間に、村田さんが思いっ切り、みづほの両肩に手を置いていた。
「遠野っ!」
「ひいいっ」
傍からは小柄なみづほを、長身の村田さんが襲ってるように見える――もちろん違うのだが。
「遠野! 絶対、甲子園に行ってくれ! 男女なんか関係ない、お前はそれに値する選手だっ!」
村田さんの激白を聞き、みづほが眼を見開きながら、ゆっくりと顔を上げる。
「村田……さん……」
「おいおい村田、抜け駆けすんなよ」
顎をぽりぽり掻きながら若林さんが苦笑した。
若林さんは改まった様子でみづほの前に立ち、軽く咳払いすると話を切り出した。
「遠野さん。君は凄い選手だ――今日活躍したからとか、そんなんじゃなく、何度も対戦した俺たちが言うんだから間違いない」
「えっ、はい――いえあの、そんな……」
「君たちに勝ってほしいのはもちろんだけど、優勝して甲子園に行くようになったら、俺たち目野高校野球部は、遠野みづほさんが出場できるよう、全面的に応援するよ。ぜひ甲子園でプレーしてくれ」
いつの間にか目野の全選手がみづほの前に集まり、うんうんと肯いていた。
「頑張れよ。大人の都合なんか、気にすんな」
「規約をぶち破ってくれ。お前にはそれだけの力がある」
「俺たちに出来ることがあったら、何でも言ってくれよ――秋にはまた、敵同士だけど」
口々に言いながらみづほに握手を求める、目野の選手たち。
瞬きもせず見つめるみづほの瞳から、やがて大粒の涙が、ぽろぽろと零れ始めた。
「ありがとう……ございます……ありがとうございます……」
長々とグラウンドで、握手と抱擁を交わす俺たちを、審判の方々も見て見ぬ振りをして進行を止めてくださっていた。
何が起きているのか正確には分からない、両校のスタンドからも、惜しみなく温かい拍手が届けられた。
*
ベンチに戻ると、大屋監督と部長の水谷先生が帽子を取り、深々と目野ベンチに向かって頭を下げていた。
で、案の定、監督は貰い泣きしていた。
「いやあ、いいものを見せてもらったよ……負けてアレを言える目野の子たちは、大したもんだね」
涙を指で拭きながら、監督が話す。
「で。水を差すようで申し訳ないんだが――みづほちゃん。サヨナラの時、君はどうして二塁ベースを踏まなかったの? 完全にツーベースの当たりだったけど」
一瞬、監督が何を言ってるのか分からなかった。
「あれだと多分、記録は単打になっちゃうんだ。二塁ベースさえ踏んでいれば、記録はサヨナラツーベースになって、みづほちゃんはサイクル安打を完成してたんだよ」
あ――そういうことか。
「えっ、あの――プレーに集中してて、あと勝った瞬間、全部真っ白になっちゃって……」
みづほの嘘はすぐバレる。またやりやがったな。
目立つ記録がイヤだったのか、訳の分からない情けが働いたのか、真意は汲み取れないが――わざと単打にしたのは、間違いないようだった。
「そういうことに、しておこうね」
監督がかるいため息を吐いた。
「僕はね、みづほちゃん。選手としての君だけじゃなく、人間としての君も、大好きなんだ。ただ、大人しくて優しい君の人柄を野球に持ち込んでしまうと、いつかプレーに影響が出る時が来るよ――選手でいる時は、野球に集中して、常に全力のプレーを心掛けるように」
「はい――すみませんでした……」
みづほは少しシュンとしてうなだれた。
監督はその後、記録員の方に何とか二塁打にならないか、一応掛け合ってくれたらしい。
「いやぁ、ベース踏んでないんだもん、ダメでしょう。あっはっは」
と、一笑に付されたと話してくれた。
*
みづほを甲子園へ、の声はさらにヒートアップしたようだ。
そりゃそうだろう。5打席4打数4安打1四球と出塁率100%、全ての得点に絡んで、幻のサイクルヒットのおまけ付き。それに加えて守備でも好プレーの数々。しかも相手が春の甲子園ベスト8の目野なんだから、どこからも文句の出ない内容である。
それにしても、公私ともに大事な試合での、みづほの突出した活躍ぶりは見事だった。
試合後のインタビューで、都立目野の監督や選手たちが、敗戦の弁を述べた後にみづほの事を付け加えていたらしい。今までに対戦した中でも最高級の選手だ、もし緑陵が代表になったら、みづほを甲子園に出場させてほしいとまで言及してくれたそうだ。
それを話す大屋監督の眼が潤んでいた。
日本高野連が「決勝戦の後に緊急理事会を開き、特例措置を検討する」と声明を出したのは、自宅に戻ってからニュースで聞いた。
「特例措置って、なんだ?」
俺の疑問に、仕事から戻っていた親父が応えてくれた。
「規約は急には変えられないけど、特別に対策を講じる手続きをとってくれる、つーことだ。多分、みづほちゃんに、もうひとりの女の子の出場を許可するつもりじゃないかな」
「そしたら、みづほは甲子園で野球できるんか?」
「ああ。かなり奥歯にモノの挟まった言い方だが、事実上そう考えていいと思うぞ」
「――パパ……ちーちゃん……」
やり取りを聞いていたみづほの顔が、パアッと輝いた。
「でもな――明後日の決勝戦で勝たないと、これら全部がなくなっちまうからなぁ……相手は強いんだろ?」
親父の言葉に、みづほから笑顔が消える。
「強いよ。大会中に成長してるチームだから、今までのデータがほとんど使えない。春と練習試合で勝ってるけど、参考にはならないわ」
「そうか……明日しっかり準備して――頑張るんだよ」
「もちろん」
それを聞いた親父が頭を掻いて苦笑いする。
「そうだよなあ。頑張るのは、当たり前だよなあ」
しばらくして、ソファに座っていた親父が、テレビに視線を注いだまま呟いた。
「決勝戦は必ず、応援に行くよ。俺も一緒に戦う――それなら、いいだろ?」
「おう」
「ありがとう、パパ」
親父が振り向き、歯を見せてニカーッと笑った。
「はは、キマったかな」




