西東京大会準決勝 (VS都立目野3)
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五回の表裏はともに無得点だったが、六回表に安田の「いつもの」が出た。
カキーン。
2アウト、5番相馬さんのバットは安田のカーブを完璧に捉え、打球はレフトスタンドに吸い込まれていった。
これで2点のビハインド。差が広がった。
わずかにボール1個分、いやそれ以下だったろう。球がわずかに上ずった、失投とも言えないボールだった。
しかし技巧派の哀しい宿命で、些少なコントロールミス、そして緩急のタイミングを合わされた時、打球はとんでもなく遠くに飛ばされていく。
加えて、この暑さだ。
七月終わりの真っ昼間、日蔭のないグラウンド。体感温度は45℃以上になる。
中一日で先発している、安田の投球数は90球を越えている。
いつもの安田なら問題ない球数だが、球場の熱気は、確実に安田の体力を奪っているだろう。
「安田、疲れてないか?」
「四回くらいからもうヤバいな。バテてるよ」
そう言う時の安田は、まず大丈夫だ。
「――ここで投げらんなきゃどうすんだよ。甲子園はもっと暑い、って聞くぜ」
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六回表の攻撃は2番の船田から。
マウンドの井上は、決め球のスライダーを見送られ続けているせいで、投球数は既に100球近い。
安田が疲れているなら相手も疲れている、と考えるのが普通だろう。
今まで正確無比に投げていたスライダーがワンバウンドしたのを見て、それを感じた。
船田が鋭いスイングで、井上のカーブを捉える。
打球は三遊間へ。目野のショート大橋がダイビングキャッチ、素早く立ち上がり一塁で送球。
判定は――アウト。
「巧ぇ……」
敵ながら思わず声が出るファインプレーだった。
1アウトを取ったが、目野にとっては、みづほの対処に苦慮するところだったろう。
クリーンアップを前に、むざむざヒットは打たれたくはないが、かと言って長打も怖い。
出した結論は内野深め、外野ほぼ定位置より少し前、どちらかと言うと流し打ちケアの半みづほシフトだった。
当然のように井上の配球は、内角を見せ球にして、外のボールで勝負する方針。
しかし、井上の球威は、やはり落ちていたのだろう。
三球め。外のストレートにバットを合わせてフルスイングするみづほ。
コーン。
打球がライトの頭を遥かに越え、ラインぎりぎり奥深くまで転がっていった。もちろん長打コース。
みづほが全力疾走で二塁へ向かい、打球の行方を見て二塁ベースも蹴った。
ライトから直接、ボールが返ってくる。スライディング――セーフ。ライトオーバーの三塁打。
「よっしゃあ!!」
緑陵、この試合初の長打。総出でガッツポーズのベンチ。
みづほはと言えば、両手でヘルメットを被り直した後に、三塁ベースコーチの度会と、笑顔でそっとハイタッチしていた。
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みづほは確かに、外のボールを遠くに飛ばせる技術を持っているが、さっきまでの井上のストレートだったら、とてもあそこまでは飛ばせなかったろう。
それを考えると、井上は疲れてきた、と見るべきだ。
よし。何としてもみづほを還す。
気合いを入れて、バットをギュッと握った。
1アウト三塁。
打者は4番の俺ということで、どちらかと言えば長打ケアの布陣。
1点はあげるよー、と半ば言ってるのと同じで、プレッシャーは少なかった。
――ただ、内野ゴロだと、幸運に恵まれない限り得点は難しいだろう。目野の守備は、巧い。
理想はジャストミート。最低でも外野フライ。
とにかく打てそうなボールを見極めることだ。
初球から二球続けて、打ち気を誘うような緩いボールが来た。
――冷静に、冷静に。ボール球なので見送る。
三球めは内角にズバッと、ストレート――見送ってしまったが、やはり前の打席に比べると、球威が落ちている。
ストレートは狙えるかもしれない。
四球め。ベルト近くの高さに、ボールが切れ込んできた。
一瞬迷ったが、当初の意志を通して見送る。
ボールはいいキレで、ベース手前でストン、と落ちた。スライダーだ。ボール。
見送られた井上の顔が半笑いになり、五球めでキャッチャーが立ち上がった。
フォアボール、1アウト一三塁。
緑陵ベンチは動かず、左投手を苦手とする松元が、打席に向かう。
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目野は俺との勝負を諦め、松元を確実に打ち捕る方針に切り替えた。
確か松元は、井上から一本もヒットを打ててない筈。
守備陣も心得たもので、内野は二塁ゲッツー態勢、外野は深めに守備位置が変わっている。
あわよくば内野ゴロ併殺でチェンジを狙おう、という考えだ。
何べんも言うが、松元は左投手を苦手とする。
が、入学当初と現在では、苦手の内容が違う。
元来ボールをよく見てミートする打撃が持ち味の松元は、左投手になると、見えにくいボールをよく見ようとするあまり、体が開いたフォームになって本来のスイングが出来ていなかった。
松元だって、自分の弱点を一年以上も放置するような選手ではない。
安田という「とんでもなくボールが見え辛い変則左+変幻自在の緩急でタイミングが取れない」左打者にとって途轍もなく高い壁を相手に、理想的なフォームを心掛けながら練習を続けてきた。
左苦手はまだ克服できていないが、その内容は「ボールが見極めづらいために、振り遅れたり芯を外されるケースが多い」という具合に変貌を遂げている。つまり、タイミングさえ合えば、普段通りの松元のシュアなバッティングが充分望めるのだ。
問題は、目野がその事実に気づいているかどうか、だが――
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初球だった。
目野バッテリーはカーブから来た。
内角でかるく仰け反らせて、ボールのコースからゾーン内に入ってくる、打者への牽制とカウント稼ぎを兼ねたボールだ。
だが。
松元には、ボールが見えていたらしい。
腰を引かずに、ボールが曲がって来てゾーン内に入って来たところを、振り抜いた。
カキーン。
打球は右中間へ。ライトの若林さんが背走して、必死に追いかける。
(抜けろ~っ!!)
ハーフウェイで打球の行方を追いながら、心の声で大叫びに叫んだ。
右中間を破れば、打球の方向を考えると、一気に同点まで可能だ。
若林さんが背中をこっちに向けたまま、フェンスの手前でグラブを差し出す。
バランスを崩しながらも、キャッチ。
――マジかよ……捕りやがった。スーパープレイだ。
俺は急いで帰塁。
タッチアップ体勢に入っていたみづほは悠々生還。緑陵は1点返した。
本塁のバックアップに入っていた井上が、帽子を取って若林さんに礼をしながらマウンドに戻って来る。
――本来ならタイムリー二塁打のところを、2アウト一塁にした、そのプレーは大きかった。
多分、井上はこの回限りなのだろう。
野口に対して、変化球主体だが、渾身の力を込めて投げているのが分かった。
カウントを取りに来たカーブを捉えたが、レフトフライに終わった。
緑陵の攻撃は1点どまりだったが、これで1対2と差を詰めた。
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七回はともに下位打線。安田は球数を使いながらも無失点に抑え、目野は満を持してエースの村田さんがリリーフに上がり、井上は六回1失点でベンチに下がった。
村田さんは右のオーバースロー。長身から投げ下ろす、落差のあるストレートが最大の武器だ。
他の主な球種は、カーブとチェンジアップ。コースより球威と緩急で勝負している。
「みづほ、村田さんの調子は、どう見る?」
根来、安田と2アウトにされた時点で訊いてみた。みづほの『視界』なら、既に何らかの情報を掴んである筈だ。
「ストレート走ってるわよ――カーブも悪くない。高めと内角は詰まらされるかも知れないわ」
なるほど。
「下位打線相手だからと思うけど、甘いとこにもボールが来てる。井上くんとは逆に、ベルト付近のボールを強く振っていけば、イケるんじゃないかな……軌道が上から来るから、それだけは気をつけて」
志田は三振に倒れ、七回裏終了。
八回表、目野の攻撃。
先頭打者の3番脇さんにレフト前に運ばれ、ノーアウト一塁。
打順は、本日はノーヒットながら前の打席では良い当たりをしていた、4番の近藤。
「タイム」
マウンドに野手陣が集まり、伝令で度会が走ってきた。
「監督から、バントはない、ってさ」
度会の開口一番がそれだった。
「あたしも同意見。近藤くん、バント上手くないから――でも揺さぶりをかけてくると思う。エンドランとか、バスターとか」
みづほの言葉を聞いて、納得。だからわざわざ、監督はタイムをかけたのか。
「OK。バントの構えしたらボール球から入るよ」
根来がすかさず反応した。
「バントの構えには、野口くんだけダミーでチャージかけて。後はあたしたちで、なんとかするから。エンドランはともかく、単独スチールだけは阻止したいわね」
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プレー再開。
監督とみづほの読みどおり、近藤は送りバントの構えを見せた。ざわつく観客席。
打ち合わせ通り、安田は限りなく低いストレートを投げた――緑陵内野陣も、ここは引っ掛かった振りで、完璧なバントシフトを採る。
すなわち野口と船田のファーストとサードがチャージし、セカンドのみづほとショートの俺は、それぞれ一塁と二塁のベースカバーに。
その結果、ベース間がメチャメチャ空いてしまうフォーメーションになるので、バスターでヒッティングするなら、野手がいない塁間を狙うと、ヒットの可能性が高くなる。
一球め、近藤はバットを引いて見送った。
完全なボール球だし、ヒッティングも無理なコースだ。
二球め。近藤は再び、バントの構えをとった。
ここからが本番だ。
低め外角のツーシームに、近藤がバットを引く。バスターだ。
ヒッティングの瞬間、野口を除いた内野がほぼ定位置にいるのを見て、近藤は多分、面食らっただろう。
しかし、近藤の技術は確かだった。
外角のボールを巧く流し打つ。確かに野口がいない分、一二塁間がいちばん手薄だ。
カキーン。
チャージしてきた野口の左を抜け、強い打球が一二塁間へ転がっていく。
しかし、みづほの対処は早かった。
低い体勢で走り込んで、難なくキャッチ――そんな簡単な打球じゃない筈だぞ。
素早く二塁に送球。みづほの守備の凄いとこは、捕球の瞬間には既に、二塁ベースの俺を視線の端で確認してて、バックステップで踏ん張る時には、もう送球動作が終わってるんだ。アウト。
安田も既に一塁のベースカバーに回っている。一塁へ送球、4-6-1の併殺、完成。
目野の仕掛けを、最高の形で潰すことが出来た。
傍からだと普通のダブルプレーに見えたかもしれないが、水面下ではこんな攻防があったわけだ。
八回表、目野は無得点。スコアは2対1のまま。
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八回裏、緑陵は1番の福富から。イヤでも期待の高まる打順だ。
しかし、リリーフの村田さんはさすがの好投手だった。
福富は五球粘り、チェンジアップに泳がされながらも流し打った打球が、惜しくもサードに捕られてしまう――これがショートなら、内野安打もあったが。
懸命に走ったが、1アウト。
船田は慎重に球を選び、センターに弾き返す。
しかし若干、球速に押されたのだろう。やや詰まった当たりとなり、ショートの好守に阻まれた。
2アウトランナー無し。
少しがっかりしたムードが、ベンチを包みかけた。
しかしその雰囲気を払拭したのは、やはりみづほのバットだった。
村田さんの渾身のストレート、そしてチェンジアップをファウルで捌いていく。
そして六球め、ベルト付近に来たやや甘いストレートを、待ち構えていたかのようにフルスイングした。
コーン。
鋭いライナーが左中間に、ぐんぐん伸びていく――これは、ひょっとするぞ。
「行け―!!」
思わずネクストで立ち上がり、大声で叫んでいた。
白球は一直線の弧を描いて、左中間スタンドの最前列に飛び込んだ。
みづほ、値千金の同点ソロホームラン。
その瞬間、地鳴りのような歓声が、神宮の杜球場を覆った。
マウンドで膝をつく村田さん。みづほは左手で胸を押さえながら、淡々とグラウンドを一周している。
「ナイスバッチ」
「さんきゅ」
本塁に戻って来たみづほを拳タッチで出迎えた。
「狙ってただろ」
みづほはその問いには答えなかった。
「ドキドキするね――フェンス越えなんて」
最終盤になり、試合は振り出しに戻った。
みづほの打撃成績はこれで、ヒット、四球、三塁打、本塁打となります。
二塁打で、サイクルヒット完成。
10回裏に五打席めが回ってくる予定です^^




