頬打つ雨は……
ある晴れた日、私とお父様とお母様と王子の四人で昼食をとっていた時、王子が突然言いだした。
「アイ。申し訳ないのだけど、僕との婚約はなかったことにしてくれ」、と
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私が生まれたフォルスマン家は新興貴族で歴史が浅い。
お父様が二十年前に隣国との戦いで当時まだ第二王子だった現在の国王陛下をお救いするという大きな手柄を立てて男爵に叙爵されたのが始まりだ。
人並外れた魔力を持つお父様は戦のたびに功を重ね、去年ついに侯爵となった。
押しも押されぬ大貴族様である。
騎士の三男として生まれたお父様が侯爵にまで陞爵出来たのは三つ理由がある。
一つ、十年前の王位継承戦争の際に、お父様は劣勢だった現国王陛下=当時の第二王子側について、勝利に大いに貢献したこと。
二つ、継承戦争で当時の王太子側についた有力貴族がたくさん断絶して、貴族の枠にたくさん空きができたこと。
三つ、現国王陛下の息子である第四王子が当家に婿入りすることが決まったこと。
この三つだ。
ちなみにお父様には子どもが二人だけしかいない。私と妹だ。
小さな頃から『お前が婿を取ってフォルスマン家を継ぐのだ』と、洗脳されるように何度も何度も繰り返し両親に言われていたので、私は何の疑いもなく第四王子と婚約した。
しかし、だ。
事件は起こった。
いや、私が知らないだけで、ずっと前から事件は起こっていたのだ。
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その日も、いつもの週末と同じ……はずだった。
婚約してから、週末はかかさず王子が私に会いにきてくれていた。
婚約したての頃は日帰りが多かったけど、いつの頃からか泊まっていくことが多くなり、特に最近は「一泊して次の日の午後に帰る」ということが定番になっていた。
もちろん、結婚前なので王子と寝所を共にしたことはない。
それでも、王子と話をしたり一緒に過ごすだけで私は幸せだった。
お母様の作った焼き菓子を一緒に食べたり、お父様と一緒に領内を見て回ったり、妹と一緒に遊んだり……。
王子も私と同じ気持だと思い込んでいた。
ところが……。
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私とお父様とお母様と王子の四人で昼食をとっていた時、王子が突然言いだした。
「アイ。申し訳ないのだけど、僕との婚約はなかったことにしてくれ」 、と。
「へ?」
あまりに突然のことで、私には王子が何を言っているのかを理解できずに間抜けな声を出してしまった。
「アイ。君との婚約を解消したいんだ」
「急に婚約解消だなんて……どうしてなのか理由を聞かせてください」
さすがに二回も同じことを言われれば聞き間違いなどではない事だけは理解できた。
しかし、どうして王子が急にそんなことを言い出したのか知りたかった。
完全な政略での婚約だったとはいえ、私は王子を好きになるように努力し、そして好きになった。
その途端にこれでは余りに報われない。
私に悪いところがあるならば、直そうとも思った。
「……」
しかし、理由を聞いても王子は困ったような顔で私の両親を見るばかりで何も答えてくれない。
それに、なぜか私の両親までもが、王子と一緒になって困ったような――それでいて何か言い出しにくいことを言いたげな顔をしている。
王子が理不尽な婚約解消宣言をしたにも関わらず、だ。
普段のお父様なら、自分の娘が理不尽に婚約破棄なんてされたら、例え相手が王子であろうと大声で怒鳴るくらいはするはずなのに……。
おかしい。
あまりにもおかしすぎる。
その時、わたしの心にふと思い浮かんだことがあった。
この三人がこんな態度をとるような原因。
まさかそんなことがあるはずがない、と無意識に心の奥底に封印していたこと。
しかし、今の私にはそのことを聞かずにはいられなかった。
「まさかとは思いますが……。私との婚約を解消して妹と婚約するつもりではないですよね?」
私の言葉に、三人――王子と私の両親の体がビクンと震えた。
どうやら図星だったようだ。
最悪の予想が当たってしまったらしい。
「それはあまりに非常識ではありませんか?」
湧き上がる感情の激流を必死に押さえ込みながら王子に問う。
しかし、王子は何も答えない。
「……わかりました。百歩お譲りして、妹を側室として迎えることに同意します。これなら、私との婚約を解消する必要はありませんよね?」
私としてはこれ以上ないほどに譲歩したつもりだった。
私より妹がいいという婚約者に配慮しつつ、ある程度丸く収まる案をだしたつもりだった。
愛妾として妹が優遇されようと、そこは正室の余裕として生暖かく見守るつもりだった。
姉の婚約者に手を出した妹には本当は耐えられないほどの怒りがあるのだけど、そこはたった一人の妹ということで我慢するつもりだった。
「そんなことは認められない! 入婿の側室では、キルケの子どもに当家の継承権がなくなるではないか!!」
「そうよ。キルケの子どもがあまりにも可哀想よ。それに、もしあなたに子どもが出来なかったらどうするつもりなの? この家が断絶してしまうのよ!!」
驚いたことに真っ先に大声で反対したのは、私の両親だった。
入婿と側室との間にできた子どもには、血筋に関わらずその家の継承権がなくなるなんてこの国では当たり前のことだ。
婿の、正室と側室が両方前当主の娘だと、それぞれに男の子が出来た場合に、どちらを跡取りにするかで揉めやすい。
実際にこの国では、過去に何度もそのようなことが原因で悲惨な戦いが起きていた。
それを教訓に、そのようなことが二度と起きないように、この国の法で『入婿と側室との間に出来た子供は、血縁に関わらず一切その家の継承権がなくなる』と定められたのだ。
さらに、継承権を持つのはその家の初代――当家の場合はお父様、の直系の子孫だけとも決められているので、もし私に子供ができなかった場合、妹が当家の側室となっていては、継承権を持つものが誰もいなくなってしまうのだ。
確かに、家の継承は大事かもしれない。
だけど。
だけど……両親が私のことなんかより、まだ出来てもいない妹の子どものことを気にかける様子に酷く失望した。
あんまりじゃないか、とも思った。
私が両親に何か言おうとしたその時。
突然。
あまりにも突然に、食堂のドアが開いた。
「お姉さま、ごめんなさい」
妹のキルケだ。
そして、妹は私のそばまで駆け寄って土下座をした。
「もうお腹にはフレルトとの子どもがいます。勝手だとはわかっているのですが、子どものためにもフレルトと別れてください。お願いします」
ああ、『まだ出来てもいない』ではなく『もう出来ちゃってた』だったんだ。
全身から力が抜けていくのを感じた。
そしてある意味納得もしていた。
王子が最近毎週のように当家に泊まっていたのはそういうことだったのかと。
おそらく、お父様もお母様もずっと前から知っていたのだろうと。
もしイスに座っていなければ、地面にへたり込んでいたかもしれない。
「それで、その子どもは男の子というわけね」
「ああ、そうだ」
私が吐き捨てるように言った言葉にお父さまが応じた。
思った通りすでに魔法で確認済みらしい。
もう両親、妹、そして王子の中では、その子が跡取りということで確定しているのだろう。
そんな彼らにとって、私は邪魔者でしかない。
だから、彼らは私抜きで話し合い、最終的に私を排除するということで意見が纏まったのだろう。
悔しくて悔しくて涙が出そうだったけど、彼らの前で泣くのだけは嫌だった。
「今日はもう疲れたから続きは明日でいいでしょうか。部屋で休みます」
彼らの返事も待たずに、ふらふらした足取りで自分の部屋に戻った。
部屋に戻った私は大声で泣き、そして泣きつかれて眠ってしまったのだ。
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その夜、私は夢をみた。
日本という魔法がない平和な国に生まれ育った女の子。
平凡な家に生まれたけど、家族の愛情に恵まれて満ち足りた人生を送っていた女の子。
夢の中でその子の人生を追体験した。
辛いこともあったけど、とても幸せなその記憶を私はいつまでも見ていたいと思った。
「……お嬢様。アイお嬢様」
だけど、夢の途中で誰かの声が私を現実へと引き戻し、雨音がだんだんと近づいてくる。
「おはようございます、お嬢様」
目の前には狐耳のメイドがいた。
夢と現実の狭間で朦朧としていた意識がだんだんとはっきりとしてくる。
今日は雨のようだ。
「おはよう、ソラ」
彼女はソラ、狐人族だ。
私の専属メイドで、幼い頃から私の面倒を見てくれている。
「お加減はいかがでいらしゃいますか? どこか痛むところはございませんか?」
さすがに、「心が痛む」、と言ってソラに心配をかける訳にはいかないので、適当に答えることにした。
「体の調子は悪くはないわ。気分は最悪だけどね」
「………。おいたわしや、お嬢様。フレルト様もキルケ様も旦那様も奥様も、みんなみんなあまりに酷すぎます」
我が家に忠実なこのメイドが、私の父母のことを悪く言ったのはこれが初めてな気がする。
だけど、それも私の事を思ってのことだ。
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「お嬢様、朝食はどうなさいますか? お部屋にお運びしましょうか?」
ソラが私の身支度を整えながら話しかけてきたが、私は別のことを考えていた。
――さっきまで見ていた夢はただの夢なんかじゃない。実際にあったこと。夢の中で知った言葉で言うなら『前世』だ。
その証拠に、ほとんどの夢というものは目を覚ました途端にするすると内容を忘れていく物なのに、私には先程の夢の記憶が、細かい部分までしっかりとある。
夢を見たというより、記憶を取り戻したといった方が感覚的にしっくりと来る。
そして……。
記憶と同時に何か大きな力と覚悟が自分の中で目覚めたのがわかる。
今まで私が魔法を使えなかったのはきっとこのせい。
私の魔法はきっと記憶に関連したものなのだろう。
「お嬢様?」
どんな力なのかまではわからない。
しかし、この力があればきっと一人でも生きていける。
そう確信出来るほどの大きな力だ。
「どうかなさいましたか、お嬢様?」
「朝食はいつも通り食べます。もちろん食堂でね」
「よろしいのですか?」
あんなことがあったばかりだ。
ソラは私が両親や妹と一緒に食事をしなくて済むように気を使ってくれたのだろう。
「大丈夫よ。 さあ、行きましょう。ソラ、一応これを食堂の入り口まで運んでおいて」
「お嬢様、これは……」
ソラは私が差し出した物を見て驚き、尋ねるような視線を私に向けてくる。
私は黙って頷いた。
---
食堂には既に両親と妹と王子がいた。
どうやら王子は昨日は王城に帰らずにこの家に泊まったようだ。
……昨日もお楽しみだったのでしょうね。
私が食堂に入るなり、四人は気まずそうにした。
それを無視して席に座る。
使用人たちが料理を運んできて食卓に並べたが、いつものように食前の祈りを捧げるわけでもなく、みなが無言で食べ始める。
非常に重苦しい沈黙だ。
たまに出る、カチャカチャという食器の小さな音だけが食堂に鳴り響く。
・
・・
・・・
「お姉さま」
その重い静寂を最初に破ったのは妹のキルケだった。
「あの後わたしなりに考えたのですけど……」
本当は妹の声など今は聞きたくはない。
だけど、一体この期に及んで何を言うつもりなのか少しだけ気になった。
「お姉さまがフレルトの側室になるというのはどうでしょうか?」
……この妹は何を言っているの?
そんなことになったら、社交界などに彼らと一緒に出席するたびに「妹に婚約者を取られた上にお情けで側室にしてもらったのに、よく恥ずかしくもなく顔を出せること。あんな風にだけはなりたくないわね」などと陰口を叩かれるのは目に見えているのに。
いえ、本当に好きな相手なら、他人になんと言われようと関係ない。
だけど問題なのは、もう私には王子への愛情なんてこれっぽっちも残ってないってこと。
「それはいい考えだ。私とてアイのことが嫌いになったから婚約解消をしたわけではない。それで丸く収まるならそれが一番だ」
「それはいい考えだわ。さすがキルケは私たちの娘ね」
「うむ、その通りだ」
どうやら昨日の取り乱しようで、私がよほど王子に未練があるのだと勘違いされたようだ。
だけど、王子のことは、私の中ではもう終わったこと。
今の私には未練があるどころか、こうして近くにいることさえ苦痛だ。
こんな提案に乗れるはずがない。
今にして思えば、小さい頃から『お前が婿を取ってフォルスマン家を継ぐのだ』と何度も何度も洗脳のように言い聞かせられ厳しくしつけられてきた。
我儘いっぱいに育てられた妹とは正反対に、だ。
槍に弓に馬に、魔法……は苦手でほとんど使えなかったけど、とにかく普通の貴族の娘ならば絶対にしないようなことまで厳しく教えられた。
厳しい稽古事も『私が婿を取って子どもを立派なフォルスマン家の跡継ぎにする』ために必要なことだと思って我慢してきた。
それなのに両親は、妹が私の婚約者を寝取って男の子を妊娠した途端に、手のひらを返すように妹の子どもを跡取りにしようとしている。
いえ……。
正直なところ、妹の子どもが跡取りになることなんかどうでもいい。
本当は、両親が『不義理なことをしたはずの妹を優先して被害者であるはずの私の方を切り捨てた』ことが悲しいのだ。
妹も両親の子だとはいえ、それでもお父様とお母様にだけは私の味方になって欲しかったのだ。
自分の考えが甘ったれたものだということはわかっている。
それでも。
それでも……。
そして、先ほどのような理不尽な提案を当たり前のように受け入れる両親に――親子としての最後の情がなくなった。
私の行く道は決まった。
彼らとの決別。
悲しいけど、彼らと一緒の道を歩くことは、もう私には出来そうにない。
覚悟を決めて、彼らに告げる。
「そんな提案は受け入れられません」
四人の表情がピシリと固まる。
「でも、どうするつもりなの? このままだとキルケの子どもが可愛そうだわ」
「アイ……。申し訳ないのだが、私はキルケを愛してしまったのだ。君との婚約を続けることはもう無理なんだ」
彼らはまだ勘違いしているようだ。
「いえ、フレルトさまとキルケが婚約することに反対はしません」
「じゃあ、私とフレルトのことを許してくれるのね、お姉さま」
妹が無邪気な表情で聞いてくる。
「許すわけないでしょ。このアバズレが!」
つい感情を抑えきれなくて大声を上げてしまう。
「家族になんて口を聞くんだ!」
「妹になんて口を聞くの!」
両親の声がより一層私の心をささくれ立たせる。
「家族だろうと、妹だろうと、許せないものは許せないのよ!」
「お姉さま、本当にごめんなさい。でも、フレルトを好きになった気持ちにどうしても嘘をつけなかったの。勝手なお願いだとは思うけど、どうか私たちのことを許してください。お願いします」
キルケは昨日と同じように土下座をした。
昨日と違うのは、今日は泣きながらの土下座だということだ。
「悪いのは僕なんだ。キルケを責めないでやってくれ」
この二人は悲劇の主人公にでもなったつもりなのだろうか?
「こんなにキルケが謝っているんだ。許してあげなさい」
「キルケはたった一人の妹でしょう?」
ああ。
そして両親は、キルケ、キルケ、キルケ……キルケのことばかり。
ここには私の味方なんて誰も居ない。
みんなが『キルケがここまでしているのに許してあげないなんて、お前は心が狭い』と言外に言って私を責め立てる。
私にはそれが我慢できなかった。
「なぜ、被害者のはずの私が責められないといけないの? こんなのが家族なら私にはそんなもの必要ないわ!」
私のその言葉で、フォルスマン侯爵は顔を真赤にしフォルスマン夫人は顔を真っ青にした。
私は後戻りできないラインだと知りつつ、あえてそれを踏み超えたのだ。
「出て行け! そんなことを言う娘はこちらも必要ない!」
「ええ。喜んで出て行くわよ、こんな家。私はもうアイ・フォン・フォルスマンじゃない。ただのアイよ」
「アイ! 今からでも遅くないから謝りなさい」
「私は絶対に謝らない!! さようなら、フォルスマン夫人。もう二度と会うことはないでしょう」
あらかじめソラに運んでもらっていた荷物を手に取り、屋敷の外へと駈け出した。
「お待ちください、お嬢様」
「やめろ、ソラ! あんな女のことは放っておけ。当家とはもう何の関係もない女だ」
私を止めようとしたソラを、フォルスマン侯爵が制止する声が聞こえた。
降り続く雨が頬を打つ。
その雨は、悲しさで塩辛かった。
・
・・
・・・
・・・・
・・・・・
「待ってください。お嬢様」
私のあとをソラが追いかけてきた。
「どうして追いかけてきたの? 私はもうあの家とはなんの関係もないのよ」
本当はソラが来てくれてとても嬉しいのに、そんなことを言ってしまう。
「私がお仕えするのはお嬢様です。あんな薄情な家のメイドなんて辞めてきました」
「私と一緒だと、きっと苦労をかけるわよ?」
「覚悟のうえです」
「……ありがとう。ありがとう、ソラ」
降り続く雨が頬を打つ。
その雨は、ちょっと塩辛かったけれど、幸せの味だった。




