第8話
「お……おお……」
ヒースワートの戦士たちの中にその姿を知らない者はいなかった。静かにたたずむ巨体を見上げた日が、今ここに立つ理由となった者は多い。
「おおおおおおおお!!!!!」
深く傷ついた者もまだ立っていた者も、皆一斉に叫んだ。それは死の覚悟を決めた北東将軍ガンバックですら例外ではなかった。自分が涙を流していることには気付いていたが、止めることはできなかった。いかなる劣勢においても一粒すら浮かばなかった涙だが、今はどうでもいい。陽光にきらめくその巨体は、形を持った救いだったからだ。
「姫様……! ついに……ついに成功なさったのですね!」
「救国主様だ! 救国主様が降臨されたんだ!!」
「ファルテノンよ! 我らが守護神よ!!」
「ついにこの日が……」
「た、助かった……」
「なんだァ? えらい盛り上がってやがんなあいつら。そういや何か聞いたことがあるよーな……オイ、ありゃ何だ?」
術師は後方に控える兵士たちに聞いた。黒巨獣は動きを止めている。待機など命じてはいないが、状況が大きく変わった時には自主的に追加の命令を待つことがある。つまり少なくともガロースはあの巨人を戦局に影響を与えうる存在だと認識しているのだ。
「は、はい。信じがたいことですが……あれは恐らく……ヒースワートに伝わる守護神ではないかと……」
「守護神? ……あー……そういや聞いた気がすんなァ。マジで動いてんじゃねーか」
「伝説によれば、はるか彼方の地より『救国の鍵』を招くことで蘇るのだとか……つ、つまり、その『鍵』の召喚に成功したものと……ひっ!?」
「あン?」
兵が小さく悲鳴を上げて一歩後ずさる。男がその目線を追うと、巨人が崖の上から飛び降りたところだった。巨大な盾を片手で持ったまま、数十メートルの高さをまっすぐ落下する。1、2秒ほどの間を空けて、爆音とともに大地が揺れ、大量の土煙が柱のごとく吹き上がった。同時に、戦場に居合わせたすべての兵士たちの体が宙に浮く。
「うおおっ!?」
「ぎゃあ!」
「のわーっ!!」
浮いたと言ってもせいぜい数センチ程度ではあったろうが、その衝撃は体よりむしろ心に響いた。双方の軍の大半が膝を、あるいは尻餅をついたが、そのまま起き上がれず呆然としたまま天を仰ぐ。その先には落下の衝撃など意にも介さず、もちろんダメージを負った様子もなく悠然と体を起こすファルテノンの姿があった。
特に流体船団の兵たちが受けた衝撃は大きかった。ほぼ確信していた勝利が、やっと見えた徒労の終わりが、ただの一跳びで一瞬にして吹き飛んだのだ。目の前の「伝説」の偉容にはそれだけの力があると彼らの目には映っていた。
しかしそんな中、一人だけ起き上がった者がいた。
「や、ヤロー……ハデなマネしてくれるじゃねェか……!」
毒づいてはみせたものの、その足は細かく震えていた。本人も気付いていなかったが。
伝説ではなく、単純に強大なものを前にしたことによる恐怖だったのだが、黒巨獣という巨大で分かりやすい力を与えられたという(借り物の)自信を自ら否定することを本能的に避けたのだった。
無理矢理声を張り上げ、ガロースに指示を飛ばす。
「やれガロース! ンな骨董品、お前の力で叩き割っちまえ!!」