第4話
城下町は喧噪に包まれていた。つい先刻までは。
昼下がりの市場は当たり前のように活気に満ちていたし、戦線がこの王都の間近まで迫っていることが人々の心を浮つかせてもいた。ともすれば不安のほうが上回りそうな環境ではあったが、それを支えようとしてきた姫君の努力は確かにこの国に一定の落ち着きを与えていた。いかに内政に力を注ごうとも「外敵」の脅威を押さえるには限界があるものだが、代々の王家が善く国を治めてきたことが確かな信頼を根付かせ、安定を訴えるティアリアルの言葉に説得力を与えてきていたのだ。だから国民たちも変わらぬ日常を送ることに努めていた。
だがそんな気丈な人々も、今回ばかりは言葉を失って天を仰いでいた。
轟音とともに吹き飛ぶ神殿。石材と噴煙の中から姿を現す巨人の姿。
それはおとぎ話の、あるいは年寄りが見てきたように語る昔話の、そしてかつて己の目で見た沈黙する守り神の、再び大地に立った産声だった。
煙と塵が晴れるより先に、巨人が一歩を踏み出す。その地響きにやっと我に返った人々が慌てて大通りから逃げ出した。
それより少し前。カイトとティアリアルはサエルジオン神殿に駆け込んでいた。
正面の大門は数人がかりでないと開けられない儀礼用のものなので、通用口として使われている小門から入る。掃除は行き届いているようだったが、門番の一人もいないところに今のヒースワートの余裕のなさが現れていた。
「暗い……ですね」
言わずにはいられなかった。壁には一定の間隔で蛍光灯のような明かりが付けられてはいるものの、外光があまり入らないため空間の広さに対して光量が圧倒的に足りていないのだ。
(外の光を取り入れてるのかな? それとも魔法で光源を取ってるのか……にしちゃ暗いけど)
「シデュリス! いますね、シデュリス!」
ティアリアルが誰かを呼ぶ。虚空へ投げられた呼びかけは、しかしそのまま虚空へ飲まれて消えた。
「……シデュリス!」
やはり誰も応えない。彼女は軽くため息をつくと、諦めたようにトーンを落とした声で呼びかける。
「……。ばあや」
すると暗闇が揺らぐように小さな人影が姿を現した。腰は曲がっているが足取りのしっかりした老婆が、笑顔を浮かべながらゆっくりと歩み寄ってくる。
「お久しぶりですなティア姫様。ここにいらっしゃるのもいつぶりでしょうか」
「ばあや……。子ども扱いはやめて下さいと言ったでしょう? それに今は急いでいるのですよ」
「ええ、ええ。このばあやには分かっておりますとも。姫様のことは幼い頃から何でも知っておりますからのぅ。今でも昨日のことのように思い出しますぞ。7歳の時のニトアラスカレ……」
「や、やめてってば!!」
暗がりの中でも分かるほど顔を赤くして言葉を遮る。こちらをちらりと見たあたり何か恥ずかしい思い出話だったようだが正直、
(何の話だ)
ひとしきりからかって気が済んだのか(それもひどい話だが)、老婆もこちらに目線を向けた。その顔から笑みは既に消えている。
「ふむ……お主がティア姫様に招かれた『救国の鍵』じゃな」
「分かるんですね。……まあこの格好を見れば一目瞭然ですか」
「本物ではあるようじゃが……。まあよいわ。お主が来たということは時間もないのじゃろう」
「…………」
カイトの耳にはシデュリスと呼ばれた老婆の言葉は半分も入っていなかった。堂々と床に引きずる長いローブ。頭にはカラフルな布を巻き、片手には杖。
(これで水晶玉持ってたら完璧だな)
「今は急ぐがいい。見よ、兵たちはもうもたんぞ」
懐からおもむろに水晶玉を取り出す。カイトの喉奥から妙な音が漏れたが、幸いなことに誰の耳にも届かなかったようだ。
その表面には戦場の様子が映し出されていた。はるか上空からの映像なので崩壊しかけた戦列が一目で把握できる。
兵の数こそそこまでの差はないように見えたが、一方の軍の中には――
「ロボット!? ゴーレム!?」
「あれは……黒巨人!? ついにこんなところまで攻め込んできたというのですか……!!」
「黒巨人?」
「この国を脅かす者たちの操る、邪悪な力の結晶です。高位の術師が魂を注ぎ動かす巨大なる獣……。その中の一つがこの黒巨人オスラートです。使い手が少なくそう長時間操れるものでもないので今までは滅多に現れなかったのですが……投入されれば必ず、我々の敗北で幕を下ろしました」
「何かこう、凄い魔法とかで迎撃したりは?」
「……残念ながら、それほどの使い手は。撤退することすら全力で時間を稼いでようやくという有り様なのです」
そうつぶやくティアリアルの手は強く固められていた。それを見るだけでもどれほどの犠牲が払われてきたのか薄々想像がつく。彼女たちが救国主の出現を待ちわびていたのも当然だろう。
「そういうことじゃ若き『鍵』よ。今こそ目覚めの時ぞ」
そう言うとシデュリスが杖を掲げる。壁が、天井が淡く輝き出し、室内を明るく照らし出した。
「……おおっ!!」
払われた闇の下から現れたのは、見上げるほど巨大な姿。玉座に腰掛け虚空を睨む。その脇には天井いっぱいまで届く盾が置かれていた。
「これが……!」
「はい。ファルテノン……ヒースワートを守る神にして騎士! かの者たちを、民を苦しめる敵を打ち払う力です!!」
「これに俺が乗るのか……!」
思わず肩に力が入る。その足下へ走り出そうとした時、まだ聞いていないことがあったのを思い出した。
「姫様。先に一つだけお聞きしておきたいんですが……。その敵の名は?」
「……名の意味もその出自も不明ですが、彼らはどこからともなく現れヒースワートに、いえ世界に火をつけました……」
その一言を口にするためだけに、一拍の間が必要だった。
「名を『流体船団』。今もなおその業火に北風を送り続ける邪鬼どもの群れ!」