第3話
サエルジオン神殿。
神殿と付いてはいるが、ヒースワートの主神を祀る場所ではない。そもそも王城の隣に立つここに市民が立ち入ることはできないし、貴族ですら相応の立場にある者以外は入ることを許されない神聖な空間だった。その理由はとりもなおさず「神の居る社」そのものだからに他ならない。
外観にとりたてて変わったところは見当たらない。むしろ神殿というには装飾が少なく、窓すら建物の大きさに比べるとかなり少なかった。一般的なビルなら4、5階建てかそれ以上はありそうなのに妙にのっぺりした、工場のような印象すら受ける。古びたこの建物の中でただ一つだけ特徴的なのは、壁面に刻まれた巨大な文字のようなものだった。
そんなカイトの目線に気付いたのか、ティアリアルがわずかに歩を緩める。
「あれは何百年も昔にヒースワートを救ったかつての救国主様が記したものと伝えられております。残念ながら今ではその意味は失われてしまいましたが……救国主様はお分かりになりませんか?」
「いや、俺の世界の文字じゃありませんね。もちろん俺が知ってる範囲ではの話ですが。……救国主ってのはいろんな世界から大勢喚ばれてきたんですね」
「それだけ幾多の危機に見舞われてきたということですから、あまり胸を張って言えることではありませんが。まして国を守る王家の者が己の力で国を救えなかったという歴史は、末裔の身ながら恥じ入るばかりです」
「大げさですよ。誰かに助けを求めるのも自分を守るための立派な努力です。自分以外の命を背負っているならなおさらね」
「……!」
また目を丸く……と言うより1.5倍増しくらいに膨らませているティアリアルをよそに、カイトは思案を巡らせていた。
(異世界から人を喚べるなら地球に限る道理もないんだろうけど……実際にそうだと聞くとなんかもう笑えるな。ヘタすりゃ古いSFに出てくる異星人みたいデザインの人間もいたりするのか? 言葉が通じるのも最初から翻訳魔法とか込み込みでかけられてるってことか。アニメだと説明すらされないレベルだけど。エルフやリザードマンは実は異世界人の末裔だった! なんて話にもなるのかね)
塔の上から見た限りでは科学的なものは見当たらなかった。救国主の召喚は文化や技術に大きな影響を与えたりはしないのだろうか?
(……んん?)
何か違和感があった。気がかりというか、慌てなければならないようなことが……
「い、急ぎましょう救国主様! 我らが守護神はこの中です!」
頭をぶんぶん振りながら(冷やしているらしい)促すティアリアルの言葉に現実へ引き戻される。引っかかった何かはどこかへ吹き飛んでしまった。
「え、ええ」
(まずはそっちだよな。考えるのは後でもできるし。……何を気にしてたのかも分からなくなっちまったし)
「また煙が上がった……大丈夫だよな、みんな……?」
「黒巨獣が出てきてるんだろ……? 正面からじゃどうしようもないぜ、あんなの……」
ヒースワートを囲む城壁の上では見張りの若い兵たちが不安げに顔を突き合わせていた。万が一に備えて待機している部隊を除けば、残っているのは彼らのような少年兵がほとんどだった。見張りと言っても所定のポイントには正規の兵が付いている。少年たちはほとんど頭数合わせで配備されたようなもので、訓練すらろくに受けていない。そのため実際にはこうして穴埋めのような仕事を任されているのだ。
「なあに、今までだって何とか退けてきたんだろ? 今回だってやってくれるさ!」
「何とかって……術師を狙うか、ひたすら逃げ回って時間切れを待つだけだろ? それだって時間かけて被害出しまくってようやくだって話じゃないか。もう防衛線ギリギリまで押し込まれてるのに、そんなことしてる余裕あるのかよ」
背の高い少年が不満げに、いや不安げにつぶやく。他の少年たちははっとした顔で彼をにらむが、その言葉を止めることはできなかった。
「奴らはわざと時間をかけてこっちを追いつめてるんだ。そうやって俺たちを怖がらせて、最後は邪神への生け贄にするっていうぜ? 一気に攻め込まないのがいつものやり口だって、滅ぼされたヘイラの連中が言ってたよ」
「あいつらは結局降伏した臆病者じゃないか! 軍や貴族のお偉いさんの半分以上は寝返ったっていうじゃないか!?」
「俺たちみたいな平民だって大勢裏切ったって話だぜ。この国から出てった奴らの中にもいるんだろうさ、裏切ったのが」
「お前なぁ!!」
「だーいじょうぶだって」
ヒートアップする少年たちの間に、明るい声が割って入る。状況に似合わない、のんきですらあるその声の主は、笑顔を浮かべながら城の方を眺めていた。
「姫様が救国主様を喚ぶための儀式をやってるって言ってたろ? 何かさっき光ってたし、きっとうまくいくさ」
「ピピン……。お前はいいよなぁ、マジでそれ信じてるんだもんな」
「マジも何もマジだろ? よくみんなで中央公園のファルテノンの足跡を見に行ったじゃん」
「あんなの庭師に作らせたニセモノだろ! 本物ならとっくに助けに来てるはずじゃないか!」
「救国主様にだって都合があるんだって。まぁそろそろ来てくれるんじゃないかな?」
「お前はもう……」
ピピンと呼ばれた少年の軽い様子に、刺々しかった空気が緩む。場を和ませるための演技ならばそううまくはいかなかったかもしれないが、少年は本気で言っているようだった。そしてそれは昔からずっと変わらないことだったので、他の少年たちもつい毒気を抜かれてしまうのだった。
「でもできれば早めに来てほしいよなー。ここまで攻め込まれたら母ちゃんたちまで巻き込まれちまうかもしれないんだしさ」
「それはイヤだよな……ああっ!?」
視線の先、戦場となっている辺りで再び黒煙が上がったのを見て少年たちが悲鳴を上げる。自軍の装備では上がるはずのない、大規模な爆発だった。
「ちくしょう! どうすんだよこれ!? ヤバいんじゃないのか!?」
「どうって……俺らにはどうしようもないだろ!」
「ああっ……」
絶望的な気配が少年たちを包む。最前線で戦っているのは王国の騎士たちであって、彼らでも敵わないとなれば自分たちにできることなど何もない。抵抗してみせても、ただ蹂躙されるだけだということは痛いほど分かっていた。
ピピンは祈るように傍らに立つ石像を見やる。城壁の角、王国の四隅にある守護獣の像だ。守護神像とは違うただの装飾だと笑う者も多いが、ピピンはこの力強い姿が自分たちを守ってくれているようで、小さい頃から好きだった。古びたその像は苔が生え、ところどころ欠けている。
その欠けた部分から小さなかけらが剥がれ落ちた。
「……揺れてる……?」
「じ、地震か?」
「まさか敵の攻撃じゃ!?」
彼らの立つ城壁が、いや王国そのものが揺れていた。地響きが鼓膜を叩き、町では家の中から飛び出す者の姿も見えた。
そしてその時、サエルジオン神殿が激しく輝いた。
「あ、あれは!?」
天を突かんばかりに光の柱が立ち上る。神殿が身震いするように揺らぐと、轟音とともに砕け散った。
――内側から。
「あれは……!」
「ウソ……!」
「マジ……かよ……!」
「ああ……」
ピピン少年の目は確かにそれを見ていた。伝説には聞いていたし、幼年学校で実物を見学したこともある。だけど、今目の当たりにしているそれは全くの別物のように思えた。躍動感に溢れたその姿。粉塵を振り払うように現れた巨人。
「……ファルテノン……!!」
伝説の守護神が、陽光の中に現れたのだ。