プロローグ
「ふははははは! これで終わりだファルテノン! 死ねぃっ!!」
竜の口から吐き出された炎が巨人の体を包む。巨人の姿が見えなくなるほどの業火が景色を歪め、宙に浮かぶ怪人に勝利を確信させた。
「クックック……これで宗主様もお喜びに……なにぃっ!?」
燃え盛る炎の中に黒い影が浮かぶ。次の瞬間、一閃とともに炎はかき消された。
「甘いぞ流体船団! その程度では王国の守護神、ファルテノンに煤ひとつ付けられぬと知れ!」
「…………」
かつて西洋の騎士が身に付けていた甲冑のような姿。その手には一振りの長剣と、全身を隠さんばかりの巨大な盾が握られている。
巨人が発したのは凛とした、しかしまだ若さを残す女性の声。その言葉通り巨人の体には溶けた跡どころか焦げた様子すらなかった。
「バカな! この黒巨獣ドグオーンの炎を浴びて無傷だと!?」
「お前たちの邪悪な力など我らには通用せぬ! 諦めて退くならば良し! 命を粗末にするな!」
「…………」
「ぬうっ……! ええいこざかしい! 我ら流体船団、宗主様の御名のもとに世界を制するまでは命など惜しまぬわ!」
「ならば来い、破壊の徒よ! この剣にかけて我が王国に手出しはさせぬ!」
「…………」
竜の頭に熊のような体を持った怪物が火を噴きながら騎士の巨像へ向かって走り出す。騎士は盾を地に突き立てると剣を両の手で握り、頭の横に構えて怪物を待ち受ける。
「ぬおおおおおおっ!!」
「せやあああああっ!!」
すれ違い様の一振り。レンガをハンマーで叩いたような鈍い音が空気を揺らす。
怪物は騎士の横を走り抜けるとすぐさま振り向いたが、その体から首が離れて落ちる。轟音とともに上がった土煙が、怪物の敗北を告げていた。
騎士は剣を振り下ろした姿勢のまましばらく動かなかったが、やがてゆっくりと体を起こす。
「おのれ……おのれファルテノン、おのれティアリアル姫。またしても我らの邪魔をするか……!」
怪物を操っていた怪人の体は崩れ始めていた。黒巨獣と呼ばれる巨大怪獣は、術師の命と連動することで力を得る。黒巨獣が滅びる時は術師が滅びる時でもあるのだ。
「もう一度……いや何度でも言おう。我が王国に手出しはさせぬ! 私とファルテノン、そして救国者様がいる限り、ヒースワートは滅びぬ!!」
「…………」
「ククク……まこと勇ましいことよ。確かに私は破れた……だが流体船団は必ず勝利する。宗主様のお力がある限り、必ずだ!」
「いやもう諦めたほうがいいんじゃないかな……。随分やられたはずだし、そろそろそっちの高位術師いなくなるんじゃないか?」
ここで初めて俺は口を開いた。余計な一言だとは分かっているが、正直自分だけずっと黙っているのはなかなかつらかったのだ。
案の定、姫が俺の言葉に乗って声を張り上げる。
「救国者様のおっしゃる通りです! 去りなさい!」
隣の操縦サークル内で、若干うわずった調子で叫ぶ姫を見やる。いいかげん慣れたが、こんなことに慣れること自体が正直どうかと思う。当の姫は目を輝かせながら俺のほうを見ていた(褒めてほしいのだ)。
一方、もはや首まで崩れた黒ずくめの術師は苦々しい表情でこちらをにらみつけていた。普通ならうめき声すら上げられそうにないその姿で呪いのように最期の言葉を残す。
「貴様もだ……『救国者』カイトよ……貴様は必ず我らが……葬り……」
ぼろり、と乾いた音を立てて残った頭も崩れさる。無機質な灰は風に飛ばされてすぐに見えなくなった。黒巨獣を倒された術師は皆こうなるのだ。術師たちも当然それを知っているはずなのだが、それを恐れる様子を見せた者は誰一人いなかった。それが俺には理解できなかった。
(狂信ってやつなんだろうけどさ……いつだろうがどこだろうが、命を賭けるほどのものとは思えないんだけどね。こういうの)
分からないのは俺が異世界人だからなのか、現代人だからなのか、はたまた単に俺には合わないというだけなのか。もっとも大真面目に世界征服なんかを企む連中のことを理解しようとするのは時間の無駄だ、ということだけは分かる。
何より今の俺にとって一番の問題は他にある。
「さあ救国主様、ヒースワートへ戻りましょう。民たちが私たちの……ファルテノンの勝利を待ちわびております!」
「ああ、うん……おー」
巨大な騎士――ファルテノンは剣を盾の裏に収めると、王国へ向けて歩き出した。姫は鼻歌でも歌い出さんばかりの笑顔で巨人を操っている。それが父王か俺の前くらいでしか見せない貴重な笑顔だということは知っているのだけれども、だからといって浮かれた気分にはなれなかった。
町に帰れば国民たちは王国の守護神の勝利を讃えるのだ。歓声が城下町を包み、通りは紙吹雪と人々が歌う歓喜の歌で飾られる。その中を凱旋するファルテノンには感謝の言葉が投げかけられる。
ありがとうファルテノン。
ありがとう姫様。
ありがとう救世主様。
「はぁーーー……気が重い」
「? 何かおっしゃいまして? 救国主様」
「いやー何もー?」
「左様ですか。いつでもお話をして下さいましね」
この姫様はこの姫様で悩みの種なのだが、本当に困るのはこれから寄せられる人々の賞賛の声そのものだ。
俺の名前は八戸介人。
何もできない『救国の鍵』だ。