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花屋町通り医院+  作者: Louis
3/5

土岐という人物/山崎

初めてその人に会ったのは、沖田組長に呼ばれて行った副長の部屋だった。


前評判は自然と自分の耳にも入っていた。

見た目は長身の優男だが、医術の腕は確かであり、その物言いの厳しさも聞いていた。

以前隊の奥沢が、先生の言いつけをきっちり守っていたというのは隊内では有名な話だ。

たまに街の女子達の噂にも上っていた。


副長に紹介され、挨拶をした自分を驚いたような顔をして見ていた人物が土岐先生だった。

なぜそのような顔をされたのかはわからない。


医院の様子を報告するという副長からの密命もあるが、俺は花屋町通り医院の土岐先生から医術の指導を受けることとなった。


医術指導は7日に1回、医院が終わった後の夜に行われることとなった。

連れて行かれた先は、土岐先生の自室だった。

行灯が部屋の隅に置かれ、部屋の真ん中に置かれた机には、ろうそくが灯されていた。

奥には寝台が置かれ、背の高い文机も置かれていた。


簡単な挨拶を交わすと世間話もそこそこに、土岐先生から自分の知っている医術知識を聞かれることとなった。土岐先生は俺が話す内容を帳面に書き留めているようだった。

まるで試験でもされている気分になりながらも、俺は土岐先生から聞かれることに答えて行った。


後日医院を訪れた際、先生から「講義計画書」というものを渡された。どうやら、そこに書かれている順番で勉学をしていくらしい。

毎回余分な話をすることもなく、俺が理解をしているかを確認しながら土岐先生は淡々と説明をしていった。


5回も来た頃だったろうか。

腰に負担がかかるからと言って寝台傍に机を移動し、寝台にもたれた状態で腑分けを学んでいた。

「ここまで覚えてくれ。」と言った先生は俺が覚えている間、隣でジッと一緒に教書を見ていた。

ろうそくの光は暗く、毎回文机に寄り添って教書を覗いていたが、その日も例にもれなかった。


必死で覚えていると、ふいに左肩に重さを感じた。

一緒に教書を見ていた先生は、俺の肩に頭を預け静かに寝息を立てていた。

ふと香る、初めて嗅いだ心地よい香りが鼻を掠める。


男にくっつかれていると思うと、例え先生でも一瞬何とも言えない気分になったが、ろうそくに照らされた寝顔が目に入ると、そんな気持ちも一瞬でなくなった。

日中は毎日多くの患者を診ることで疲れているんだろう。本当だったら休むこともできる時間を自分のために使ってもらっていると思うと、何とも申し訳ない気持ちになった。

同性だと言うのに、嫌な気持ちはしなかった。むしろ、このまま肩をかしてあげようと思った。


一通り覚え終わると、申し訳ないと思いながらも先生の肩に手をかけて揺り動かす。


「せんせ、終わりました。」


俺の言葉に、先生はゆっくりと瞼を持ち上げた。焦点が定まらないようにボーッとした顔でこちらを見ると、ハッとしたように身体を起こした。


「・・・すまない。」

先生はバツが悪そうにそう言った。


「いえ。きっとお疲れなんでしょう。」

「そうだな。土岐先生業は疲れる・・・。」

そう言って自嘲気味に笑った土岐先生は、グッと伸びをした。


俺はその言葉を不思議に思ったが、特に大意はないと思って聞き流した。


「せんせ、今度、医院の方を見せてもろてもええやろか?」

医院に来ても、毎回先生の自室のみで医院の方を見せてもらうことはなかった。俺としては、医院の方に怪しいものがないかを確認しておきたかった。


「あ、そういえばまだ見せてなかったね。良いよ。今からでも良いけど、どうする?」

土岐先生はなんでもない事のように快諾した。


「いえ、もう暗ろうなってますし、また今度お願いします。」

「そうだね。では、もうちょっと明るい時に来たらいい。」


やましいことはなさそうやな。

俺は土岐先生の反応を確認しながら思った。


後日、俺は土岐先生に医院の中を案内されて回った。特別これと言った気になるところはなかったが、診察室には寝台のような検査台が置かれたり、椅子というものがあったり、今までにみたことのある他の医院とはまるで違ったものが置かれており、興味を持った。

先生曰く、自分が疲れを出さない為にも扱いやすいものを用いる、のだそうだ。



ある日、偶然街中で先生を見かけた。

こちらは変装をしているから、きっと先生からはわからない。

俺は座ったまま、なんとなしに先生を見ていた。


どうやら先生は、子供相手に困っている。

先生の前の子供は泣いているようだ。


「よわったな。誰かここで一緒に待っててくれるといいんだが。」


遠目に何かをつぶやいた土岐先生は、キョロキョロと周囲を見回していたが、ふとこちらに目を留めると、子供の手を取ってやってきた。

やってきた子供は、お世辞にも綺麗な着物を着ているわけでもなく、片足に至っては草履を履いていなかった。子供の片手に持たれた汚れた草履を見た俺は、だいたいの事を把握した。


「兄さん、すまない。まだしばらくここで座ってるんだろ?ちょっと草履屋へ行ってくるので、この子供を見ててくれないか?直ぐに戻ってくる。」


先生はゴザの上に座る自分へと問うてきた。

もちろん、声を出すわけにはいかない俺は頷くことしかできなかった。


「こないな汚いもんのそばは嫌や。」


子供がそう言えば、先生は子供と目線を合わすべく地面に膝を付いた。

「あのね、人は見てくれで判断してはいけないよ?大切なのはその人の中身だ。しかも、こっちはお願いを聞いてもらってるんだよ?」

諭すようにそう言えば、子供はしぶしぶと頷いた。


「よし、いい子だ。では、ちょっと行ってくる!」

そう言うと土岐先生は駆け出して行った。


子供と俺に言ったんだろう。

子供と一緒に先生の背を見送る。


「・・・おい、わらわ。あの人と何を話しとったんや?」


俺がそう言えば、子供ばびくりと驚いた顔で俺を見たが、おそるおそると口にした。


「草履の鼻緒が切れてしもて、母ちゃんにどやされる思たら悲しゅうなって泣いとったん。したらあの兄ちゃんがどうしたんや言うて。」


「鼻緒など、直せばええやろ?」

「それが、兄ちゃん鼻緒直せんいうて・・・。」

「草履、貸してみ。」

俺は子供の草履を手に取ると、持っていた布切れを結んで鼻緒を直してやった。


「うわぁ。あんちゃん、おおきに!」

子供は嬉しそうな顔で礼を言った。


ほどなくして土岐先生が走って戻って来た。


「・・・あれ?その鼻緒どうしたの?」

「この兄ちゃんが直してくれてん。」

「そうなの?」

俺は土岐先生にジッと見られ、目深に被った笠を下げた。


「そうか、良かった!・・・はい、これ新しい草履。兄ちゃんには子供はいないし、買ってきたから使うといい。」

先生は子供に真新しい赤い鼻緒の付いた草履を渡した。


「せやけど・・・。」

子供は戸惑うように土岐先生を見上げる。


「母ちゃんに聞かれたら、兄ちゃんに貰ったと言えば良い。それに、女子は一つは素敵な草履を持ってると良いんだよ。そうしたらその草履が、きっと幸せな所に連れて行ってくれるって話だ。」


「そうなん?」

子供は先生を見上げたまま、嬉しそうに微笑んだ。


「ああ。昔、素敵な女子がそう言っていた。これはここだけの秘密の話だ。」

笠越しに見上げると、土岐先生は悪戯でもするかの様な表情で子供とこちらに目を向けていた。


子供が去って行くのを見届けると、先生は俺に向き直った。


「鼻緒を直してあげたんだな。・・・兄さん、器用だな。」

ニッと笑って感心したように言うと、何やら包み紙を取り出して目の前にさし出した。


「手、出して。」

そう言われて、頷き手を出した。


「さっきはありがとう。」

その包み紙を、差し出した手の平に置かれる。その時に、ふと土岐先生の指が手に触れた。


「ではな。」

そう言うと、土岐先生は足早に通りの向こうへと消えていった。


ーーーふぅ。気付かれんかったな。

こんな格好してゴザに座っとる俺は、どう見ても物乞いにしか見えん。向かいの店を見張っとるから仕方ないんやけど・・・。

それにしても、と俺は思う。

土岐先生は何時もあんな感じなんやろか?

お人好しと言うか、こんな姿の俺にも頼みごとをして礼を言う人なんか。まぁ実際、あの人の場合は相手が誰だろうとそうそう態度を変えることはないんやろうな。そう考えると少しおかしくて、俺の心は何となく暖かくなった。

手の中にあるのは有名な菓子屋の饅頭だ。屯所に帰ったら茶菓子としていただこうか。



土岐先生との付き合いを持つようになってしばらくして、ある事件が起きた。

一番組の隊士が切られて運ばれて来た屯所に、たまたま俺を訪ねた先生が居合わせた。

その隊士は肩の後ろを切られていた。

後ろの傷は不名誉の証。下手をすると切腹だ。

沖田組長が報告へ行き、土方副長が出てきた。

切られた隊士は痛みと切腹させられるかもしれない恐怖で、顔面蒼白になっていた。周囲にいた隊士達も気の毒そうにその隊士を見ていた。何となくその場には悲壮感が漂っている。


「大丈夫ですか?直ぐ治療するから問題無いよ。」

そんな中、一人だけ状況を把握していない土岐先生が隊士を安心させるように声をかけ、肩に手を置いた。

隊士はすがるような顔をして土岐先生を見上げていた。

そんな隊士に土岐先生がにっこりと笑いかけた。


「山崎さん、沸騰したお湯と焼酎、大至急持ってきて。」


俺は頷くとその場を離れようとした。


「山崎、行く必要はねぇ。」

土方副長の低い声が聞こえ、思わず思いとどまる。


その隊士がびくりと肩を震わせた。

土岐先生はため息を付くと、土方副長の後ろにいる沖田組長を見上げた。


「そう、じゃあ沖田さん、お願いします。」

「・・・はいはい。」

「おい、総司!」

沖田組長は土方副長の言う事を聞くこともなく、奥へと消えていった。


「土岐先生、ここはあんたの医院じゃねぇ。」

土方副長が土岐先生を睨む。


「そんなこと分かってますよ。でも、この人はもう私の患者だ。」

副長の睨みも、先生は全く意に介していない様子だ。


花屋町通り医院は幕府御典医の松本良順先生にとって大切な医院との事で、くれぐれも医院に迷惑はかけないようにとのお達しがあった。下手をすれば、松平容保公の耳にも入りかねない。

土岐先生が隊士を患者だと言った時点で、少しは副長への牽制にもなるだろう。


先生は睨みつける土方副長を、冷静な目で見つめ返していた。


「たかがこんな傷で、人の命は奪って良いもんじゃない。」


そう言った土岐先生の声には静かな怒りが感じられた。

どうやら、先生はこの状況をちゃんと解っていたようだ。


これに対し、土方副長が大刀をスラリと抜いた。

土岐先生は隊士を庇う様に隊士の前に片膝を付くと左腰にある小太刀に手をかける。

土方副長と土岐先生はお互いの目を見つめていた。

そして、土方副長が大きく大刀を振りかぶって振り下ろしたと同時に、土岐先生は右手で小太刀ではない何かを腰から引き抜いた。


「副長!!」

「土岐先生!!」

二人の名が呼ばれ、俺は止めようと飛び出そうとした。


「・・・避けねぇのかよ?」

土方副長が感心したように言う。


「私に避けられる技量があるとでも?小太刀だって抜けないってのに。それに、これをくれた局長さんが鉄扇は室内なら刀をも防げるって教えてくれた。・・・ま、ここは室内じゃないけどね。」


大刀は土岐が構えた鉄扇の少し前で止まり、土岐の小太刀は腰に刺さったままになっていた。


周囲の隊士達はその様子を呆然と見守っていた。

あの鉄扇は、芹沢局長から貰ったものか。


「その度胸、うちの組に欲しいくれぇだな。・・・ここは先生の度胸に免じて不問としてやる。・・・にしても、小太刀も抜けないんじゃしょうがねぇな。」

土方は嫌味をこめてニヤリと笑った。


「別に良いんですよ。私には針と糸があれば。この小太刀は無理矢理持たされてるお飾りだ。」

土岐は言われた嫌味もどこ吹く風。


「土岐せんせ、持って来ましたよ。」

「ありがとう、沖田さん。」

土岐は周囲を見渡して奥沢を見つけた。


「じゃあ、奥沢さんと沖田さんは、えーーと、あなた、名前は?」


「加藤、と申します。」

苦しそうに加藤が名乗る。


「はい、じゃあ二人は加藤さんを押さえておいてください。消毒して縫合します。」

そう言った土岐は、熱湯で針とピンセット、糸を消毒した。そこに焼酎をかける。


「直ぐ終わります。頑張って。」

そう言うと、加藤の口に布を噛ませ、躊躇なく加藤の肩に針を通していく。

あっと言う間に縫い終わると、携帯していたガーゼを傷口にあて、サラシをきつく巻いて固定した。


「はい、おわり。化膿するといけないから、こまめに当てた布は交換すること。それは、山崎さんにやってもらってください。」


土岐は持ってきた道具に熱湯をかけると手ぬぐいで拭い、これを素早く携帯用ポーチにしまうと立ち上がった。


「土方さん、勝手をして申し訳ない。それでは、私はこれで失礼します。」

ぺこりと土方副長に頭を下げた先生は、そのまま屯所を出て行こうとした。


俺は、去っていく土岐先生を追いかけた。

「土岐せんせ!ちょっと待ってください。」


言うとぴたりと立ち止まり、こちらを振り返った。その瞳は何処までも冷たい。


「せんせ、今日の予定を」

「すまない、山崎さん。こんなに胸糞悪い気持ちを抱えたままここで何かする気にはなれない。申し訳ないが、今度医院まで来てくれ。」

静かに言って冷たく笑った土岐の声はしかし、この場に居た全員に聞こえただろう。


そのまま振り返る事もなく、土岐は去っていった。


「あーあ。ありゃあ土岐先生、相当怒ってますね。しばらくは遊んで貰えないかな・・・。」

沖田組長が残念そうに言った。


「・・・ふん。」

土方副長は鼻を鳴らすと踵を返し、自室へと引き上げていった。


「あの、山崎さん。土岐先生には、くれぐれもよろしくとお伝えいただけますか?」

涙を流した加藤が奥沢に支えられながら立ち上がり、そう言った。

加藤は、土岐先生に助けられたも同然だ。あそこで、土方副長はああ言うしかなかった。


「しかし、あの副長にあんな事できるとは・・・。」

「加藤も命拾いをしたな。良かった。」

「やっぱり土岐先生、おっかねぇじゃねぇか。誰だよ、優男って言ったの。」

隊士たちの声が聞こえてくる。


「ああ、伝えます。」

先ほどの冷たい目を思い出し、俺は心ここに在らずな心境でそう答えた。


俺はあの人の色んな面を見てきたと思う。

どれを取っても同じ人物の事であるのに、まるで別人の様に思う時もあった。

あの人は自分に素直な人間だ。

そこは「師」としても人としても尊敬できるところであった。

どうあがいても、自分はその様に振る舞うことは叶わない。

そして実は一つ、副長には報告していない事がある。

確認した訳ではないから報告はできない。

これは医術を学んできた自分の勘だ。

その可能性に気付いた時、何とも表現し難い気持ちが自分の中に湧いた気がした。

それは先生に対する尊敬の念が度を越したものなのか。

ただ、今回の一件で先生に嫌われたくないと焦りを覚えたことは確かだった。


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