土岐という人物/土方
今でもはっきりと思い出す。
あれは女じゃなかったのかと疑うほど。
角屋の2階の踊り場で、着物の襟元を緩めて空を見上げながらゆっくりと扇子を仰ぎ、物憂げに柱にもたれかかる姿が思い出される。男と気付かずに思わず見惚れたもんだ。
2度目にあった時は新選組の屯所で、隣には総司がいた。
立ち居振る舞いは礼儀正しく、好感が持てる男だと思った。女と見間違えただけあり、優男で線が細い。それでもそこにある存在感は、さすが花屋町通り医院の若先生と言ったところだろうか。
ある日、総司から隊士が巡察中に刀傷を負ったと聞いた。
傷自体は大したことではないようだったが、背中側の傷とのことだった。自分で決めた事とはいえ、厳し過ぎるとも思う。また隊士を粛清しなきゃならねぇと思うと、心の底が暗くなる気がした。だが、俺たちはそうやって進んできた。今更例外なんてできねぇ。
総司と一緒に表に出ると、一番組の隊士たちと一緒に土岐先生の姿が目に入った。
「大丈夫ですか?直ぐ治療するから問題ないよ。」
その男は隊士の肩に手を置き、まるで安心させるかのようにそう言った。
治療しようってのか?これから切腹を申しつける隊士を。
「・・・山崎さん、沸騰したお湯と焼酎、大至急持ってきて。」
良く通る少し高い声がそう言った。
何考えてやがる。
「山崎、行く必要はねぇ。」
俺は先生を睨むとそう言った。
先生はため息をつくとゆっくりと俺の後ろに視線を向ける。
「そう、じゃあ沖田さん。お願いします。」
何でもないことの様に言いやがる。
「・・・はいはい。」
「おい、総司!」
一旦言うことを聞かなかったら、それに関しては全く言うことを聞かねぇ総司だ。俺が何を言っても無駄だろう。まったく、面倒くせぇ。
俺は内心イラつきながらも目の前の人物を見据えた。
勝手なことをされちゃ困るんだ。
「・・・土岐先生、ここはあんたの医院じゃねぇ。」
「そんなことは分かってますよ。でも、この人はもう私の患者だ。」
大抵の奴らは俺の睨みで視線を逸らしたり怖気付く。以前もそうだったが、この男にはまったく意味がねぇようだ。取り乱すこともしねぇ。
花屋町通り医院の人間と面倒ごとを起こす気はねぇ。あそこは何かと厄介だ。
俺を見つめる眼は冷たく、冷静だ。
「たかがこんな傷で、人の命は奪って良いもんじゃない。」
そんなこたぁ分かっちゃいる。だが、この組を守っていく以上、掟は掟だ。俺が進んで破る訳には行かねぇんだよ。
・・・よし、ここは一つ先生の度胸に賭けてみようじゃねぇか。これなら隊士達も認めざるおえんだろう。
俺は大刀に手をかけると一気に抜刀した。
目の前の男は隊士を庇う様に膝立ちして小太刀に手をかける。
あんたなら、俺の意図を解ってくれるだろうか?
お互いの視線が重なる。穢れのない、純粋な眼が見返してくる。
その男の目には、冷静さが見て取れた。
俺は両手で大刀を正眼に構えると振りかぶり、一気に先生めがけて振り下ろした。
瞬間、先生の右手が腰から何かを引き抜く。
「副長!!」
「土岐先生!!」
隊士達の声が響く。
目の端で、山崎が動いたのが見えた。
俺は先生の上でピタリと大刀を止めた。
その下には華奢な鉄扇。そんなもので俺の大刀を受け止めることは不可能だ。小太刀だって抜くことができたというのに。それになにより。
「・・・避けねぇのかよ?」
俺は内心感心した。どうやらこの男は俺の意図を汲み取ったらしい。
「私に避けられる技量があるとでも?小太刀だって抜けないってのに。それに、これをくれた局長さんが鉄扇は室内なら刀をも防げるって教えてくれた。・・・ま、ここは室内じゃないけどね。」
含みのある表情が俺をみる。
・・・芹沢鴨、か。俺の頭に一瞬奴の笑みが蘇る。
しかし、医者のくせに本当に良い度胸してやがる。
「その度胸、うちの組に欲しいくれぇだな。・・・ここは先生の度胸に免じて不問としてやる。・・・にしても、小太刀も抜けないんじゃしょうがねぇな。」
俺は内心感心しながらも、その言葉に嫌味を込めた。
「別に良いんですよ。私には針と糸があれば。この小太刀は無理やり持たされているお飾りだ。」
先生は少しうんざりしたようにそう言った。
どうやら嫌味を嫌味とも取っていないらしい。
そんな中、総司がニヤニヤしながら戻ってきた。きっと俺たちのやり取りを少し前から見ていたんだろう。
総司は先生の前に行くと持って来たものを手渡した。
「土岐せんせ、持ってきましたよ。」
「ありがとう、沖田さん。」
そういった先生は周囲をキョロキョロと見回し、奥沢を手招きした。
「じゃあ、奥沢さんと沖田さんは、えーーと、あなた、名前は?」
名前も知らねぇ隊士を庇うのか。
「加藤、と申します。」
絞り出すように言った隊士をみやる。
安心したような表情に、俺も内心はホッとした。
「はい、じゃあ二人は加藤さんを押さえておいてください。消毒して縫合します。」
言うが早いか、先生はさっさと行動に移した。
加藤の口に布を押し込め、躊躇なく皮膚に針をさした。
先生の表情はまったく変わらない。・・・あれが松本先生が言っていた医者か・・・。
この人物は、取り乱すということがあるんだろうか?
ほんの少しの時間で手当ては終わった。
「はい、終わり。化膿するといけないから、こまめに当てた布を交換すること。それは、山崎さんにやってもらってください。」
先生は加藤に簡単に指示をだす。
俺は一部始終を黙って眺めていた。もう、俺のすることは何もない。
片付けも終わった先生は、俺の前に来て視線を合わせた。
相変わらず、冷静な瞳をしている。
「・・・土方さん、勝手をして申し訳ない。それでは、私はこれで失礼します。」
そう言うと、俺の前で頭を下げてすぐさま踵を返した。
俺は思わずかける言葉が見つからなかった。
近くにいた山崎が焦った様に先生に声をかける。
「せんせ、今日の予定を」
「すまない、山崎さん。こんなに胸糞悪い気持ちを抱えたままここで何かする気にはなれない。申し訳ないが、今度医院まで来てくれ。
先生は俺をチラリとみてから、山崎にそう言った。
・・・上等じゃねぇか。この男は見た目と違って気骨があるらしい。
「・・・あーあ。ありゃあ土岐先生、相当怒ってますね。・・・しばらくは遊んで貰えないかな・・・。」
総司が背中越しに残念そうにいう声が聞こえてきた。
「・・・ふん。」
胸糞悪いたぁ、随分な言葉じゃねぇか。
俺はそのまま自室へと引き上げた。随分な言葉だが、なぜか口角が上がる。
あの男は、面白い。