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冷血漢と野蛮人

 車で走り続けること三十分。完全に沈黙したイーシャに構わず、車中ではダーロンだけが喋りつづけている。

「右手に見えてる通りは、夜にゃあ露店が並んで賑やかなんだ。おススメの担々麺があるんだが、お嬢ちゃんは担々麺好きかい?」

 返事もしないのに、よく喋る。鉄道員から観光ガイドに転職したのか、と言いたくなるほどだ。いや、元々鉄道員でもなかったわけだけども。そのことを思うとイーシャは、ますます口をききたくなくなって黙り込んだ。

「お嬢ちゃんは甘いモンの方が好きなお年頃かあ~」

 答えていないのに会話が進んでいく……それはちょっとした恐怖である。手錠で繋がれた哀れなイーシャは気を紛らすために窓の外へ視線をやることにした。

 窓の外を流れていく、無計画に増改築が繰り返されたビル群は、独特の息づかいが感じられる。建物自体が生き物であるかのような妙な暑苦しさだ。外と地続きの筈なのに、知らない世界に来てしまった、と感じる。

 ぼんやりと思考を放棄して、視界に入ってくる情報を右から左へ流していると、不意にサイドミラーに映る影に気がついた。少年だ。少年が走っている。こんな物騒なところでも子どもは走り回るんだな、と平和な感想を抱いてから、イーシャは妙なことに気がついた。

 なぜ、あの少年は近づいてきているのだろう。車は法定速度以上(この九龍に法定速度なんてものがあるとすれば、だが)で走り続けているのだ。距離が詰まっている事実が受け止めきれず、イーシャは目をこする。

「お、シキシマさん、シャオロンのやつだ。乗せてやってもいいッスか」

「勝手に乗って来るでしょう。彼の場合、走った方が速いんだから、走ってりゃいいのに」

 走った方が速い、というシキシマの発言に、あ、やっぱりあの子、もの凄いスピードで走って来てるんだ、とイーシャはうんざりした気持ちになった。サイドミラー越しに見える少年が跳躍した。あまりに見事なジャンプに、背中にロケットでも背負ってるのかしら、と思う。車中での視界には限界があり、空に飛び上がった少年はサイドミラーから消えた。

 一拍の間を置いて、ドスン、と頭上から衝撃がある。車体が左右に振れる。

「ういっ!?」

 ごちんと窓に頭をぶつけて、イーシャは間抜けな声を出した。慌てて外を確認しようと窓に顔を近づけると、びたん、と少年の顔が貼りついてくる。ぎゃっ、と体を引いたイーシャにダーロンは噴き出した。

「おいおいシャオロン、もっと静かに下りろ! 車がヘコんだら、シキシマさんがキレちまうだろ」

 びたんびたんと手のひらで窓を叩いている少年は、シャオロンというらしい。少年の目はくりくりと大きいが表情に乏しく、何だか不気味な子だ、という印象を与えた。

 ダーロンが窓を開けると、細い体を無理やり車内へ押し込んでくる。イーシャは潰されてたまったものじゃない。

「へこみない、車ジョウブ」

「お嬢ちゃんがヘコんじまってるよお、しょうがない奴だな。後部座席に行きな」

 指示されてシャオロンはイーシャを踏みつけながら後部座席に移動する。痛い。ダーロンがイーシャにごめんよ、と手振りで伝えるが、子どもの行動とは言え、度が過ぎている。イーシャは座席越しに振り返って、シャオロンを睨んだ。睨まれている方はイーシャに見向きもしないので、あわれ渾身の眼力は気づかれそうにもない。

「シャオロン、仕事は終わったんですか」

 シキシマは隣に座ったシャオロンに笑みも見せずに尋ねる。問われたシャオロンは半ズボンの腰にくくりつけてあった赤茶けた汚れのある袋を突き出すようにしてシキシマに渡した。

「シャオロン、終わった。シキシマ、確認する」

「何度言っても分からないな、君は。車の中では確認しません。会社についてからします」

 面倒くさそうに言い、シキシマは渡された袋を無造作に足元へ置く。袋の中身は何だろう。あんな小さな子まで働かされているなんて九龍って本当に無法地帯だ、とイーシャは思った。

「会社って……?」

 イーシャの口から、疑問がこぼれる。そこで初めてイーシャを認識したように、シャオロンは大きい目をますます大きくしてイーシャを見つめた。

「シキシマ。アレ、誰? ブス」

 ここまで直截な罵倒があるだろうか。イーシャは、もはや言葉を失う。

「おいおいおいっシャオロン、ブスって言葉は使っちゃいけねえって兄ちゃん言っただろ?」

「貴方の弟なんですか!?」

 本人には話が通じそうにないので、イーシャの怒りはシャオロンの保護者であろうダーロンに向いた。矛先を向けられたダーロンは、頭の弱い弟でスイマセンね、と苦笑いを見せる。

「オレ、ダーロン、弟、違う」

「おいおいおい、そこで何で血縁否定するんだよッ! 兄ちゃん傷つくんだけど!?」

 ダーロンの抗議にも少年は何を言われているのだか分からないといった顔を返して、ごろりと寝転んでしまった。何となくダーロンを責める気にもなれなくなって、イーシャは溜め息をする。

「あれ、俺、もしかして同情されちゃってんッスかね、シキシマさん」

「そうした下らない話題を振られるのは、きわめて不愉快です。私はね、ダーロン、君がゴキブリと兄弟でも知ったことではない。もう少し建設的な話をしたらどうですか」

 いやあ、俺は建設関係には詳しくなくってねェ、と雑に返したダーロンにシキシマは眼鏡を外して眉間を揉んだ。

「これから彼女の面倒をみるのは君なんですから、早めに自己紹介くらいしておくことをおすすめしますがね」

 えっ、とイーシャが声を出す前に、ダーロンの方がえええッっと、さも嫌そうな大声を上げた。兄弟揃って失礼すぎる。勝手に連れて来ておいて汚物のように扱う人でなしたちに、イーシャの肩は怒りで震えた。

「いや、シキシマさん、困りますってェ~本気で言ってんじゃないッスよね? ね?」

「私が冗談を言うかどうかなんて、君が一番よく知ってるんじゃないですか」

「シキシマさんが拾ったんだから、シキシマさんが責任もってくださいよ! 面倒みれないなら拾って来ちゃ駄目よって、カアチャンに言われたでしょ」

 言われた記憶がありませんね、とシキシマはにべもない。この人はお母さんすら血も涙もない人なのかもしれない、そもそも人から生まれたのかしら、とイーシャは半ば真剣に思う。少なくとも、あたたかい家庭にいるイメージはなかった。

「ダーロン、君は可哀想だとは思わないんですか? 私だって彼女の面倒を見たいと思うのは山々なのです。だが、如何せん私はクソほど忙しい。だからと言って、この子を捨てるならその未来には、あのコールの変態野郎にしゃぶるように使われるか、そのへんで死ぬかしかないんです。ああ可哀想だ。ダーロン、君はあまりに冷酷だ」

 嘘をつけ、嘘を。

 イーシャは、ダーロンと思考がシンクロするのを感じた。イーシャは運転席のダーロンをちらりと見る。ダーロンも助手席のイーシャをちらりと見た。ほんのりと芽生えてしまった仲間意識がこわい。

「……わかりましたよぉ。手当でるんッスよね? 寝泊まりはウチじゃ無理ッスよ?」

 俺んち、メチャ狭でシャオロンとぎゅうぎゅうで寝てるんだわ、とダーロンがこそりと耳打ちしてくる。会ったばかりの男性と雑魚寝なんて考えるだけでつらい。

「分かっています。当面、彼女には会社に住んでもらうつもりです」

 また、『会社』だ。

 このひとたちは同じ会社の社員だとでも言うのだろうか……だとすれば、この地域にまともな人はいないのだろうな、と思われて、イーシャは項垂れるしかなかった。

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